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「名もなき詩人」同好会コミュの大麻草監獄日誌

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大麻草監獄日誌 レイ・オカモト著
2014-12-19 23:31:26

一、はじめに
 この文献は平成二十六年十二月に大麻取締法違反の容疑で広島西警察署に身柄を拘束された私レイ・オカモト(本名・岡本玲・おかもとれい・昭和四十五年生・男)と、昭和二十三年から六十六年(二〇十四年十二月十三日現在)もの間日本国の法律によって不当に違法扱いされ続けている万能な草、大麻草(たいまそう)の小さな歴史の足跡をまとめた記録である。
「まとめた」と言っても、私自身が今留置場の牢屋の中でペンを握り、大麻取締法も半世紀前から一寸も変わらず今も尚、大麻をこよなく愛していること以外にまったく罪の無い人々の平和な生活を不当に脅かし、権力を盾に聞く耳を一切持たず、現在進行形で堂々と日本国憲法を違反しながら大麻愛好家たちの手首に手錠をかけて社会的信用と名誉を略奪し続けている最中であることを予めご認識いただきたい。

二、大麻とは
そもそも大麻とはなんなんだろうか。
あまりにも多くの日本人が「大麻は危ないドラッグ」と言う偏ったイメージを根拠もなく鮮明に描いている。インターネットが全世界に普及している今、検索エンジンに「大麻とは」と入力して検索すれば一瞬にしてその偏見は打ち砕かれると言うのに、殆どの日本人が井戸の中の蛙のごとく大麻についての真実には見向きもせず、AKBに代表される歪んだ万華鏡に酔い痴れながら総勢力で物質優先文明の避けようのない自滅への結末にまっしぐら突き進んでいる現状には、ただ空しさだけを感じさせられる。
後でまた詳細は述べることにするが、大麻草がその自滅の道に歯止めをかけられる唯一の切り札だと言う事実と見解は、世界中の何千万、もしかすると億にまで達成している大麻愛好家たちの間では当たり前のような共通認識であり、私自身その確信が過去二十年の間に一寸たりとも揺らいだ瞬間は一切無かったと断言する。そしてその層と、自立思考能力を近代文明の渦の彼方に置き忘れた殆どの日本人層との開かれ過ぎた認識のギャップはもはや異常としか言いようがない。
大麻と言う呼び方は実は別称であり、日本古来からの正式な呼称は「麻」、もちろん読みは「あさ」である。科学的にもアサ科のアサ属に属しており、麻と言う名前が大麻、マリファナ、邪悪なドラッグと思われ続けてきたこの無害な草の正体に他ならない。
昨今のエコブームで脚光を浴びている麻製品も、言い換えればマリファナ製品なのだが、ここにもまた日本特有の馬鹿げた事情が隠されている。
麻が大麻と呼ばれるゆえんでもあるが、リネンやカラムシのようなアサ科でもアサ属でもない植物で作られた製品も共通した特徴から広い意味で麻製品として扱われており、他の原料と区別する意味合いで、その中でも一番図体が大きい麻を「大きい麻」、つまり「大麻」と呼ぶようになったと言われている。
そして、戦後昭和二十三年大麻取締法の施行で大麻農家と国内大麻生産量が年々極減したこともあって、知らず知らずと植えつけられた偏見と無知によって、現在の日本の法律では正真正銘の麻、大麻草で作られた麻製品に原料を記載する際は「指定外繊維大麻草」と書かなければならなくなっている。
どこにでも育つ一年草の大麻、麻を大麻取締法の弊害によって、海を越え、わざわざ石油を大量に使って中国から輸入しなければならないと言う非合理的で許容し難い屈辱に加えて、本来なら大麻草こそが正真正銘の麻にもかかわらず、大麻草のみが「指定外繊維」と記載しなければならないのが今の日本の現状である。
麻に無関心な殆どの日本人にはどうでも良い話かもしれないが、このこと一点においても日本国内の大麻愛好家の多くがこの国の在り方に深い疑問を抱かざるをえないのもごく自然のことに思えてしまう。
大麻の安全性や有益性に関してもまた後で詳細を述べるが、ひとまずここでは大麻は一年草で、特に日本人は世界で一番大麻との歴史が古く、縄文時代の住居跡からも大麻の種が発見されている事実には読者にも是非関心を寄せていただきたい。只インドを始めとするアジア・アフリカ諸国で見受けられる大麻の吸引用用途とは異なり、日本では主に繊維用として大麻は人々の日常生活とは切っても切り離せないほど馴染み深い作物であった。
これも大麻の正式の名称「麻」として考えるとごく自然に受け止められる事実のはずだが、その呼称が「大麻」「マリファナ」になった途端に受け入れ難くなり、イメージが邪悪なドラッグに変身するのも、洗脳の恐ろしさを改めて思い知らされる。そして、世界一大麻との歴史が古い我々日本人のご先祖様達が吸引用としての大麻の利用方法について全く知らなかったたわけがなく、その辺りの詳細についても後で述べることにする。

三、歴史背景
それでは、何故大麻草が日本の法律で現在厳しく禁じられているのか。大麻愛好家にとっては聞き飽きた話が続くもしれないがも少しの間概略的な話でご勘弁いただきたい。
まず、一般的概念としての歴史そのものについての言及だが、私がアメリカ滞在中によく話題になった話を紹介すると、「歴史」は英語で「HISTORY」と言い、それを少し捻ると「HIS STORY」、直訳すると「彼の歴史」となる。これをアメリカ人は「支配者都合の物語」と言う意味で捉えて、歴史の概念そのものを痛烈に皮肉っている。それはここ日本でも決して例外ではなく、例えば一千年以上前のかつての出雲国観点から見ても一目瞭然であるように、歴史と言うものは常に勝者、支配者の観点から支配者側に都合の良いように解釈され、歴史本にれっきとした事実として書き示されているのがその実態である。
大麻に関しても支配者側の観点で見ると邪悪なドラッグという見解が公式と見なされ、それと異なる事実の多くは隠されていたり抹消されていたり、ちょっとした情報でも探し出すことが困難であることは予めご理解いただきたい。
それに加えて私事で大変恐縮だが、私自身が現在牢屋の中でインターネットを含む情報へのアクセスが許されておらず、頭の中の記憶のみを頼りに執筆している。従って、これから述べる話の信憑性についてはそれぞれで裏を取るなりして、各自の民度でご自由に判断いただきたい。
大麻が日本で違法になった経緯に関してはそれほど隠された事実ではなく、単純に戦後日本を統治していた連合軍総司令本部(GHQ)による一方的な命令で違法になっただけで、当時の国会の記録にも、理由は定かではないがとにかくGHQが違法にしろというので違法にせねばならない、という文言が残されている。
余談ながら、筆者が鳥取県智頭町を訪問した際、戦後まで先祖代々大麻農家を営んでいたお年寄りが長年倉庫に眠っていた大麻関連の品々を若者たちに説明する際に、寂しそうに「GHQにやられました、、、」と洩らしていたことに当時の強行ぶりが垣間見える。
日本においてはそれだけだ。乱暴な言い方だが、日本では昭和二十三年まで大麻はどこにもボーボーと生えており、GHQの命令一つで全国の大麻が一気に刈り上げられ、「日本は罪深き敗戦国で大麻は邪悪なドラッグ」と言うイメージを行儀正しい日本人は丁寧素直に受け入れたのである。
只、この話は大麻のことであって日本の話ではない。大麻の話を続けるにはアメリカで違法になった経緯に触れなければならない。
この章の冒頭でも述べたが、アメリカで大麻が違法になった話は私がこれまで入手してきた情報の数々を記憶のみを頼りに獄中でまとめているので、私の空論としてで構わないので聞いていただきたい。
大麻の対象としてあげられる物に酒と考えられる方も少なくないだろうが、さらに因縁深い関係を持つのは意外にも実は石油である。これからの世界での大麻の持つ可能性を述べる上でも石油の存在は必要不可欠なので、大麻と石油は実に、百年近く前も今も因縁深い相互関係で結ばれている実態に、大麻愛好家たちからはため息ばかりが寄せられる。
表面的に歴史を遡っていただいても明らかにおかしい千九三〇年代のアメリカにおける大麻非合法化劇だがそれをもう少し掘り下げたところから説明すると、事の発端は当時から今も尚存在している石油繊維会社デュポント(DuPont)社の創業者本人かその末裔かと思われるデュポント社長が、当時新聞王として全米にその権威を轟かせ、映画「市民ケイン」の主人公のモデルとしても知られているウィリアム・ランボルト・ハースト氏に大麻の非合法化の話を持ちかけたことに始まると言われている。
当時アメリカは世界一の石油採掘王国で、デュポント社視点から見ると、大麻草は石油と同様に様々な工業製品を作れる優れ物の上に、掘り当てた人に利権が与えられる石油とは異なり、どこにでも生え、誰にでも育てれる大麻草は石油製品の市場拡大を図る上で大きな弊害として捉えられていた。
結果的にデュポントの大麻非合法化案をハーストは全面的に支援することになり、ハーストの持つマスメディアのネットワーク網を利用して繰り広げられた大麻の超ネガティヴ・キャンペーンは、グーグルの画像検索で今でも確認することが出来る。そのネガティ・キャンペーンの内容は、誠に皮肉なことに、現代のアメリカ人ではなく、日本人の大半が大麻に対して抱いているイメージそのもので、大麻は邪悪な草であり、中毒性が強く、吸えば気が狂って強盗、強姦、殺人を犯す悪魔のドラッグだ、と言う内容である。
全く、日本人の忠誠心の高さには敬意を抱くべきようにも思えてくる。
ちなみに後で詳細は述べるが、そのアメリカは現在、連邦政府は未だに違法としているものの、はんぶん以上の州でちょっと寝つけが悪いと言えば医療大麻の処方箋がすぐ手に入り、中でもコロラド州とワシントン州では嗜好用大麻も店頭販売されていて大麻は事実上完全に解禁されている。
日本人の大麻に対する呪縛は一体いつになると解けるのだろうか。
ハーストがデュポントの要請を快く受け入れた当時の時代背景にも触れてみたい。
アメリカの初代大統領ジョージ・ワシントンが嗜好用に大麻を栽培していた証拠はあるものの、二十世紀前半までにアメリカ人、取り分け白人層で大麻を嗜好用に吸引していた形跡は皆無で、英語で大麻を指すマリファナ「MARIJUANA」の由来もメキシコにおけるスペイン語のスラングで「安いタバコ」と言ういみから来ている。
大麻がタバコより安いと言うのもおかしな話だが筆者が想像するに精神的作用が殆ど無い大麻の葉っぱの部分を乾燥させた属に言う「リーフ」がメキシコ系移民の間に大量に出回っていたのではないだろうか。そうでない限り、人類はアルコールに代表されるように、ドラッグがもたらす精神的作用を古来から好む傾向があり、精神的作用が比較的低いタバコより大麻が安いと言う現象はなかなか考えにくい。
メキシコの移民たちがタバコの代替品として使っていたマリファナだが、アメリカにかつて奴隷として強制的に連行されたアフリカ系黒人の子孫達は、アフリカ大陸からの習慣で大麻の吸引が世代を越えて受け継がれており、二十世紀前半には大麻をこよなく愛する黒人ミュージシャン達によるブルースやジャズと言った音楽が白人のリベラル層の中でも人気を急上昇させていた。
筆者はアメリカに千九百八十年代から十年滞在していたのだが、その間にも、そして二十一世紀を十年以上過ぎた今も尚、白人の富裕層や農家たちの間で根強く支持されている白人優越主義の実態は、有色人種の一人として誠に許し難く受け入れ難き現状である。
もちろん大麻愛好家の中で白人優越主義^_^唱える人は私の記憶に一人たりともいないので、大麻が人々に叡智をもたらしていると思うと、改めて大麻に対する安堵感と信頼感を増すばかりだ。
インターネットでウィリアム・ランボルト・ハーストの写真を見て典型的な白人優越主義者にしか見えないのは私の偏見かもしれないが、黒人解放運動で世界的に有名なキング牧師が現れる半世紀近く前のアメリカでは白人優越主義はむしろ一般的で、白人たちの間では馴染みが薄く、メキシコ移民や黒人たちの間で需要の高い大麻、マリファナをこの世から抹消することは、白人の立場から見て痛くも痒くもないと思うのが自然だろう。特に差別意識の薄い白人女性たちの関心を寄せるブルースやジャズを奏でる黒人ミュージシャン達が大麻を違法にすることも含めてなんとかこらしめてやりたい憎たらしい存在だったことは、白人優越主の実態を目の当りにした筆者にとってあまりにも容易に信じられる真相である。
大麻がアメリカで非合法化になったのが丁度全米で禁酒法が廃止となって間もない時期からも、禁酒法を管理する政府機関の従業員達の新たなる職を確保する上でも大麻を非合法化することは合理的だったという指摘もある。ハーストが新聞王だったが故に政治や行政への関心が高かった可能性は極めて高い。
只、一方で禁酒法は廃止間際では殆ど機能していなかったと言う情報もあって、大麻が非合法化される時点では禁酒法の管理にあてられていた職員は既に皆無ではなかったのではないか、と筆者は少し疑問を抱いている。
タイミングがほぼ重なっている点においてはなんらかの因果関係があったとは思うのだが、個人的には確証的な仮説には現時点で到達に至っていない。
それと、これは影響がなかったことではあるが興味深い話なので紹介させていただく。
大麻は当時の白人層、つまり支配側が認める知識人たちの間で嗜好用として殆ど普及していなかった点については既に触れているが、実は十九世紀後半にアメリカの医学界で医療用として大麻は脚光を浴びていた。そのままの路線で行くとハーストの陰謀劇も医学会から猛反発を受けていた可能性も多いにあった。
ご察しの通り、その猛反発は全く無かった。
大麻の非合法化劇が繰り広げられた頃には医学会では別の薬物が大麻に取って替わって研究者達の注目と期待を集めていたのである。
その薬品とは、モルヒネ、ヘロインの原料だ。
時代は代わって現代ではアメリカの医学会で医療用の大麻が再び脚光を浴びているが、その理由の一つにモルヒネによる副作用が懸念されていることが挙げられている。
当時の医学会では副作用はまだ問題視されておらず、モルヒネは大麻と異なって水にも溶け、量も計りやすく、注射などで服用しやすい性質が大いに重宝されていた。
従って、ハーストの大麻非合法化劇の頃には大麻は残念ながら医学会では一昔前のフィーバー程度で、殆ど忘れ去られていた存在に過ぎなかった。
歴史上、何が実際に起きたのか、細かなディテールまで解き明かすには諸説の信憑性も入念に検証する必要がある。少なくとも大麻の非合法化においで今すぐにでも読者が確認出来る事実としては、ウィリアム・ランボルト・ハーストが事実無根な大麻ネガティヴ・キャンペーンを千九百三〇年代に全米で展開し、その影響を受けてアメリカ全土で違法になったことと、その連鎖する影響で第二次世界大戦後の日本においてGHQの命令一つで日本全国で大麻が禁じられるようになったこと、この二点はれっきとした事実として埋もれている歴史の中から掘り出すことは可能だ。
デュポント社の名前を引き出して述べた大麻と石油の因果関係については、後に述べる話の中で読者一人一人が確信に近い気持ちを抱いてくれることを筆者は内心期待している。



四、私と大麻
 筆者が何故ここまで大麻について熱弁するのか、これまで大麻と縁もゆかりも無かった人々にとって全く理解出来ないことだろう。言葉で伝えるには限界があるが、これまでの私と大麻の関係を私なりに大麻未経験の方にも伝わるよう説明させていただく。
 昭和五十七年の夏、十二歳になったばかりの私は一歳上の兄と二歳下の妹と共に当時でも今でも他に聞いたことがない、父ではなく母の米国留学に付き添って慣れ親しんだ香川県善通寺市を後にアメリカ・ミシガン州に向かって海を渡った。勉強好きな母に惚れ込んでいた父の母への「子育てお疲れさま」プレゼントで、その代わり子供達も一緒に連れて行ってね、と言う特典付き。母はミシガン州イースト・ランシング市にあるミシガン州立大学に入学し、父は学費を含む生活費を仕送るために日本に残った。
 三人兄弟の中でも特に私は語学に疎く、英語で知っていた単語は「ハロー」と「ホームラン」程度にも関わらず、九月から始まる新年学期と同時に現地のアメリカ人と同じジュニア・ハイスクールに放り込まれた。私にとっての渡米後三年間を一言でまとめると「地獄」以外に当てはまる言葉が思い浮かばない。幸いにも元々から外交的な性格だったことにも助けられ、その間多くの友達には恵まれた。言葉の壁から生じるストレスや誤解の影響で割とおとなしいと見なされる東洋人の中でも突出して喧嘩っ早く何度も停学処分は受けたものの、地獄とは言いながら自分なりに日々の生活は充実させていた。
 少し話が逸れる。
今とは異なってバブル直前の当時は皆無だった在米日本人だったが当時私が通っていたジュニア・ハイスクール、日本で言う中学の英語の先生、つまり原地アメリカ人の子供達の英語の先生が奇遇にも黒人の黒人の亭主を持つ日本人女性であった。当時の私が聞いても彼女の英語の発音には少なからずのアクセントがあったのだが、それでもネイティブの子供たちに教える、しかも数学とかではなく英語を、ということは相当の語学力があったのだろう。私が卒業後も登校の副校長を務めたり、人物としても信望の厚い方だったということが伺える。
 私が八年生、日本で言う中学三年の時に英語のクラス担任になったのだがクラス全員に最初に放った言葉が「NO EXCUSE」、つまり「言い訳は一切受け付けない」であった。あまりにも衝突でクラス中が一瞬ポカーンとしていたが言い訳だらけのアメリカ人の子供たちに最初にくぎをさしていたんだろう。当時の私にもその意図は全く理解できなかったが、今となっては日本人精神の美学として私にとってかけがえのない人生の格言の一つとなっている。
 話を大麻に戻す。
 大麻との出会いは私が十六歳になった年、日本で言う高校二年にあたるハイスクールのソフモアの時であった。アメリカでは九年制をフレッシュマンと言い、日本の高校一年にあたり、十年生をソフモア、高校二年生、十一年生をジュニア、高校三年生、十二年生をシニア、高校四年生となる。小中高で言うと五三四編成になっている。
 私にとってハイスクール・ソフモアと言うのは永遠の十六歳を意味していて今も心は十六歳の時のままだと思うことは多々ある。大麻との出会いはその後半にあたるが十六歳は自分という人間が誰なのかを真剣に考えだした時であって、些細なことにもその存在理由をいちいち問うようになっていた。同じころ全米で上映されていた「SIXTEEN CANDLES」、十六本のローソクというタイトルの映画に私の境遇と共感を感じ、書籍ではロングセラー、J・D・サリンジャー著書の「A CATCHER IN THE RYE」、邦訳で「らい麦畑で捕まえて」がさ迷う僕たちの精神的な受け皿になっていた。僕たちは少しずつ大人になり始めていた。
 もともと音楽は大好きで新聞配達のアルバイトでがんばって貯金してSANYOのステレオ・コンポを購入していた私に突然文化革命のような衝撃的出来事があった。それまで既に好き好んでいたビートルズのそれまで唯一所有していたベスト盤カセットテープを何気なく聞いていたある日、その中に収録されていた「ALL YOU NEED IS LOVE」の歌詞に意識を向けた瞬間、その内容に魂の底から揺さ振られ、ステレオのスピーカーからまるで生の人間が私に直接話しかけている現象が信じれず一瞬その場で立ちすくんでしまっていた。その菓子の一番からサビの部分までを抜擢する。
    誰にも出来ないことで君に出来ることはない
    誰にも歌えない歌で君に歌える歌はない
    君に出来ることなんて大してないんだ
    でもゲームで遊ぶ方法は学べるのさ
    簡単だよ
    君に必要なのは愛だけさ
    君に必要なのは愛だけさ
    君に必要なのは愛だけ、愛だけさ
    愛だけが君に必要なのさ
      ALL YOU NEED IS LOVE
        J・レノン&P・マッカートニー作詞作曲
 その日を境に私はビートルズの虜になっていった。
 新聞配達で稼いだ小遣いの殆どは特別注文でイギリスから購入して取り寄せたパーラフォン社やアップル社(ビートルズが自ら経営していたレコード会社、同じくビートルズマニアだった子スティーブ・ジョブズはここから社名を拝借していた)の正規LPとシングル、そして数々の海賊版と引き換えられていった。当時の私が特に気に入っていた曲は「STRAWBERRY FIELDS FOREVER」で、半年間は毎日三回聴きながら現実世界とは何か違う不思議なサイケデリックの音色に来る日も来る日も酔い痴れていた。
 大麻と出会う前の話である。
 ビートルズに明け暮れ、大麻とはまだ出会えていないある日、友人から「ビートルズはマリファナを吸いまくっていたんだよ」と言われた。信じれなかった。その時はまだマリファナすなわち大麻は邪悪なドラッグだと思い込まされていた



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六、三度目の留置場にて
 ここにきて話を更に巻こうと思う。
 理由は来る十二月二十六日金曜日(平成二十六年)に保釈される可能性が高まってきているからだ。年末年始の連休休暇前までには娑婆(シャバ)に出してあげたいと言う担当刑事さんの粋な計らいなのか、通常なら調書の量から見ても拘留期間がさらに延長されてもおかしくないのだが、土日祭日も熱心に出勤して取り調べいただいたおかげでこのまま順調にいけば最初の拘留期間内に起訴まで運んでいただき、金曜日の官庁年内最終日に裁判官が保釈を認めてくれる、という見込みである。
 保釈に漕ぎ着けない場合はまた別のシナリオを考えるが、ひとまず保釈を前提に進めていくと、それまでに留置場内から外に出せる手紙、つまりこの文献は残り便箋14枚分となる。留置場内から外に出せるのは平日のみで一日一人当て一回につき便箋七枚以内と定められている。また、監査に平日一日分かかるので、本日十二月二十三日は祝日で休み、残すは二十四日と二十五日に七枚づつ出せるのみとなる計算だ。
 線が引かれている面を裏に、無地を表に、紙を横向きにして縦書きで可能な限り文字を結めて七枚単位で面会に来ていただいてる年配の知人(年が離れている方なので友人と呼ぶには恐縮する)宛に出してきたのだが、釈放されるまで獄中で書いた部分をひとまず第一部という形でいったん幕を閉じようと思っている。
 この文献を読んでいただいても釈放後の私を待ち構えている現在私を取り巻く世間の私に対する見方が大きく変わることはとても期待できない。逮捕前にも私が思う許容範囲内で大麻に対する偏見を打ち砕こうと試みてきたが、偏見一つ、法律一つを打ち砕く難しさを身をもって体感できたことが今のところ唯一のほんの僅かな収穫かもしれない。あ、友達はたくさんできたね、これは大きい。
 何年か経てば私の功績も少しは認められるのだろうか。といっても良くて吉田松陰が黒船に乗り込んで門前払いされたレベルで、たぶんそれ以下か、(私としては佐久間象山か長井がく辺りを希望するのだが、)少なくとも不変の真実の一つとして大麻は存在していて、日本神道が聖なる草と位置付け、皇室専属の大麻農家が徳島県に今も尚実在しているにも関わらず、日本の法律と国民の偏見がいまだ大麻を邪悪なドラッグとみなしている、私からすると信じられない矛盾に一日本人として意を決して立ち上がっただけで、その成果の低さは私の力不足とタイミングが早すぎたという理由以外に私には思いつかない。それでも巨大な偏見の壁に立ち向かったことを牢屋の中にいる今も私は一切後悔していない。今回の逮捕の前は二度目が十六年前とは言え、二度の大麻取締法違反容疑の逮捕歴があり、別居中という意味ではあるが一応一人身の私だからこそ、多くの大麻愛好家たちが声を大にして言いたいことを私は言うたった。私は言うたったのだ、悔いはなか。
 あの坂本龍馬も、今でこそ英雄として崇められているが、幕末当時の日本では、今で言う死刑に値する罪を犯していたれっきとした犯罪者であった。竜馬の恩師勝海舟が残した格言、「批評は他人のモノ、行動は自分のモノ」にもあるように、後ろ指をさしているその指は決して私のモノではない。行動のみが私のモノであって、それは海に浮かぶ小島のように、私自身が水面下に積み上げられてきた結果、ぽっかりと現れてた一つの現象に過ぎず、私一人のように一見見えるかもしれないが、私一人では決してないのである。恥じることなど、何一つない。

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