四、私と大麻 筆者が何故ここまで大麻について熱弁するのか、これまで大麻と縁もゆかりも無かった人々にとって全く理解出来ないことだろう。言葉で伝えるには限界があるが、これまでの私と大麻の関係を私なりに大麻未経験の方にも伝わるよう説明させていただく。 昭和五十七年の夏、十二歳になったばかりの私は一歳上の兄と二歳下の妹と共に当時でも今でも他に聞いたことがない、父ではなく母の米国留学に付き添って慣れ親しんだ香川県善通寺市を後にアメリカ・ミシガン州に向かって海を渡った。勉強好きな母に惚れ込んでいた父の母への「子育てお疲れさま」プレゼントで、その代わり子供達も一緒に連れて行ってね、と言う特典付き。母はミシガン州イースト・ランシング市にあるミシガン州立大学に入学し、父は学費を含む生活費を仕送るために日本に残った。 三人兄弟の中でも特に私は語学に疎く、英語で知っていた単語は「ハロー」と「ホームラン」程度にも関わらず、九月から始まる新年学期と同時に現地のアメリカ人と同じジュニア・ハイスクールに放り込まれた。私にとっての渡米後三年間を一言でまとめると「地獄」以外に当てはまる言葉が思い浮かばない。幸いにも元々から外交的な性格だったことにも助けられ、その間多くの友達には恵まれた。言葉の壁から生じるストレスや誤解の影響で割とおとなしいと見なされる東洋人の中でも突出して喧嘩っ早く何度も停学処分は受けたものの、地獄とは言いながら自分なりに日々の生活は充実させていた。 少し話が逸れる。 今とは異なってバブル直前の当時は皆無だった在米日本人だったが当時私が通っていたジュニア・ハイスクール、日本で言う中学の英語の先生、つまり原地アメリカ人の子供達の英語の先生が奇遇にも黒人の黒人の亭主を持つ日本人女性であった。当時の私が聞いても彼女の英語の発音には少なからずのアクセントがあったのだが、それでもネイティブの子供たちに教える、しかも数学とかではなく英語を、ということは相当の語学力があったのだろう。私が卒業後も登校の副校長を務めたり、人物としても信望の厚い方だったということが伺える。 私が八年生、日本で言う中学三年の時に英語のクラス担任になったのだがクラス全員に最初に放った言葉が「NO EXCUSE」、つまり「言い訳は一切受け付けない」であった。あまりにも衝突でクラス中が一瞬ポカーンとしていたが言い訳だらけのアメリカ人の子供たちに最初にくぎをさしていたんだろう。当時の私にもその意図は全く理解できなかったが、今となっては日本人精神の美学として私にとってかけがえのない人生の格言の一つとなっている。 話を大麻に戻す。 大麻との出会いは私が十六歳になった年、日本で言う高校二年にあたるハイスクールのソフモアの時であった。アメリカでは九年制をフレッシュマンと言い、日本の高校一年にあたり、十年生をソフモア、高校二年生、十一年生をジュニア、高校三年生、十二年生をシニア、高校四年生となる。小中高で言うと五三四編成になっている。 私にとってハイスクール・ソフモアと言うのは永遠の十六歳を意味していて今も心は十六歳の時のままだと思うことは多々ある。大麻との出会いはその後半にあたるが十六歳は自分という人間が誰なのかを真剣に考えだした時であって、些細なことにもその存在理由をいちいち問うようになっていた。同じころ全米で上映されていた「SIXTEEN CANDLES」、十六本のローソクというタイトルの映画に私の境遇と共感を感じ、書籍ではロングセラー、J・D・サリンジャー著書の「A CATCHER IN THE RYE」、邦訳で「らい麦畑で捕まえて」がさ迷う僕たちの精神的な受け皿になっていた。僕たちは少しずつ大人になり始めていた。 もともと音楽は大好きで新聞配達のアルバイトでがんばって貯金してSANYOのステレオ・コンポを購入していた私に突然文化革命のような衝撃的出来事があった。それまで既に好き好んでいたビートルズのそれまで唯一所有していたベスト盤カセットテープを何気なく聞いていたある日、その中に収録されていた「ALL YOU NEED IS LOVE」の歌詞に意識を向けた瞬間、その内容に魂の底から揺さ振られ、ステレオのスピーカーからまるで生の人間が私に直接話しかけている現象が信じれず一瞬その場で立ちすくんでしまっていた。その菓子の一番からサビの部分までを抜擢する。 誰にも出来ないことで君に出来ることはない 誰にも歌えない歌で君に歌える歌はない 君に出来ることなんて大してないんだ でもゲームで遊ぶ方法は学べるのさ 簡単だよ 君に必要なのは愛だけさ 君に必要なのは愛だけさ 君に必要なのは愛だけ、愛だけさ 愛だけが君に必要なのさ ALL YOU NEED IS LOVE J・レノン&P・マッカートニー作詞作曲 その日を境に私はビートルズの虜になっていった。 新聞配達で稼いだ小遣いの殆どは特別注文でイギリスから購入して取り寄せたパーラフォン社やアップル社(ビートルズが自ら経営していたレコード会社、同じくビートルズマニアだった子スティーブ・ジョブズはここから社名を拝借していた)の正規LPとシングル、そして数々の海賊版と引き換えられていった。当時の私が特に気に入っていた曲は「STRAWBERRY FIELDS FOREVER」で、半年間は毎日三回聴きながら現実世界とは何か違う不思議なサイケデリックの音色に来る日も来る日も酔い痴れていた。 大麻と出会う前の話である。 ビートルズに明け暮れ、大麻とはまだ出会えていないある日、友人から「ビートルズはマリファナを吸いまくっていたんだよ」と言われた。信じれなかった。その時はまだマリファナすなわち大麻は邪悪なドラッグだと思い込まされていた