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日蓮コミュの四箇の格言は断定不可能!?

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大乗仏教は架空の仏菩薩・お伽話・方便だらけの教典で仏教の始祖釈迦より後世の創作である。天台大師の五時八教説はあくまでも参考であって釈迦が蘇生して判定しない限り断定不可能である。同様に四箇の格言も釈迦が判定しない限り日蓮の間違いかも知れず断定出来ない。当時の天台宗は仏法総合研究所で数々の仏典が研究され念仏・禅・律・密教なども修行されており、どれが最も優れているか断定出来ない。「法華経退転は地獄の業因」という文言も五時八教が不確定で法華経が釈迦と直接関係無い仏典である以上日蓮の勘違いであって真偽は証明出来ない。歴史をみれば人類は宗教戦争・異端者狩り・異教徒殺戮・神権的圧政暴挙・人心の束縛・恐怖心の植え付けなど過激的狂信・盲信・迷信による弊害・愚行を数々経験してきた。現在においても、不確定な根拠をもとに他宗批判や他経差別、さらには「地獄に落ちる。罰があたる。」などの殺し文句などをするのは全くの愚かな行為である。

コメント(18)

慶神子さん

> 大乗仏教は架空の仏菩薩・お伽話・方便だらけの教典で仏教の始祖釈迦より後世の創作である。

それがどうかしましたか?

これ、釈迦が本来説いたとされる「スッタ・ニパータ」
つまり小乗仏教、阿含経典も同じくお伽話・方便で構成されていませんかね。

法華経が顕した真実と言うものは
小乗仏教に限らず大乗仏教も含め
これらが全てお伽話・方便であると記述されているところではないでしょうか。

そう言う妙法蓮華経自体も当然お伽話・方便で構成されています。

日蓮が是正した「四箇の格言」について言えば
念仏・禅・律・真言はこれらの経典がお伽話・方便ではなく
真実が書かれているものであると解釈し
真実でない物事に深く執着していると言う事を指摘しているわけです。

ちなみに慶神子さんは小乗仏教はお伽話・方便ではなく
全て真実が書かれているものとお考えなのでしょうか?

大乗仏教が後世の創作であると、あたかも真実を述べているかの様な発言をしていますが
正直何を今更と言わんばかりのお話です。

大乗仏教が後世の創作、お伽話・方便と言うのは大前提で
それに対する小乗仏教も釈迦や釈迦の弟子たちが広めた
お伽話・方便と言った創作物ではありませんか。

これをお伽話・方便と捉えずに真実と捉えるなら
同じく真実でない物事に深く執着していると言う事にも繋がります。

そもそも妙法蓮華経に書かれる真実とは一体何かと言う事を取り違えると
妙法蓮華経が指し示してある「入阿鼻獄」を大きく取り違えてしまいます。

> 当時の天台宗は仏法総合研究所で数々の仏典が研究され
> 念仏・禅・律・密教なども修行されており、
> どれが最も優れているか断定出来ない。

これ、単純に仏法総合研究所では
数々の仏典が全てお伽話・方便であると言う事を理解せず
全てが真実であると固執しているから
妙法蓮華経の本来の意義が掴めないでいるだけではないでしょうか。
釈迦入滅後、仏教は流派ごとに分派し小乗から大乗さらには密教へと発展していった。東南アジアの小乗仏教からチベット密教、中国仏教各流派まで「仏教の歴史や伝わった経緯から我が仏法・教説が正統である」と主張し、さらに大乗仏教各流派は「我々が重んじる経典にはこのように書かれているから自説が最も優れている」と異口同音に口にする。どの教説も言い分には理があって優劣をつけられない。仏典には「五逆罪・正法誹謗罪は無限獄に落ちる」などと書かれており、色んな解釈がなされているが、「念仏・禅・真言・律」がもしも正法であった場合、四箇の格言が法謗罪と成り得る分けであり、優劣の区別はつけても批判は控えた方が良いと考えられる。
やはり、今更ながらのご説明ですね。

そもそもの法華経、つまりはサッダルマ・プンダリーカ・スートラの成立は
釈迦滅後であると言う話。
この辺は大前提です。

して、その法華経の成立意図ですが
正に「仏教の歴史や伝わった経緯から我が仏法・教説が正統である」
との主張の最中に生まれたもの。

結局、法華経ってなんなのだと言えば
数ある大乗経典を取りまとめ一つにした経典と言う事ですよ。

実際に法華経と法華経成立以前の大乗経典を読み比べてみると
お解かりになるかと思いますが
法華経は他の経典に何れにも反する事無く
それぞれの経典の「中道」を導き出している事が解るかと思います。

これがいわゆる法華経が持つ「諸法実相」の理論と言うわけ。

また、法華経では真実は言葉では現せないと言う観点に立っており
真実を導き出す際には諸法の中の一遍を取り出すのではなく
諸法全体の中での中道を導き出せと言う結論に至っているわけです。

それぞれの経典を全て受け入れた上に
「中道」を導き出したとするならば
そこで本来は争いごとが生じないはずですよね。
もし、そこでも尚、争いごとが生じるとするならば
他を受け入れずに自分たちだけが真実であると言う
偏った思想下にあるというわけです。

この観点によりあらゆる経典は真実ではなく
真実を得るための方便であると断言されているわけです。

これがいわゆる法華経が顕したと言う「真実」ってわけですね。

さて、
「念仏・禅・真言・律」はどうなのだろうと言う話。

全てに共通するのが、それぞれがそれぞれに
自分たちの教えが真実そのものであると思っていることですね。

日蓮が指摘した「四箇の格言」は
「念仏・禅・真言・律」の何れも真実と言うものを取り違え
真実でないものを真実であるかのように執着していると。

これでは各経文を取りまとめた法華経に書かれるように
「入阿鼻獄」に陥るであろうと警告しているわけです。

まーそれはさて置き
昨今の日蓮信者を自称する方たちも
法華経や日蓮の意図を理解せず
「南無妙法蓮華経」と言う題目があたかも
真実そのものであると受け取っている人が多いようで

この考えのままであるならば「念仏・禅・真言・律」に限らず
日蓮信者を自称する方たちもまごう事無く「入阿鼻獄」だと思います。

と言うより昨今の日本での宗教論争の中核は
こういった日蓮信者を自称する方たちであると言っても
過言ではないですからね。
最澄は「悉有仏性悉皆成仏」・「一切衆生悉有仏性」の立場から、森羅万象に仏性がやどり皆成仏出来ると一乗思想を説いた。日蓮の「四箇の格言」や「僅な信仰の誤りが謗法であり末法では正法を行ずる者は一握りで無数の人が阿鼻獄に落ちる」という思想は万人成仏の道を狭め多くの人を不安に陥れるものであり、元天台宗の門下でありながら「あらゆる仏門・仏縁が成仏の道である」という最澄の意に反し、さらには「女人成仏・堤婆達多の成仏・不軽菩薩の文言」から「万人に仏性が宿り成仏することが出来る」という意味にくみ取れる法華経の意にも反するものである。
あのですね。
「入阿鼻獄」と書かれているのは一乗思想が説かれている
天台や最澄も求めた妙法蓮華経ですよ。

つまり阿鼻獄に落ちたからと言って成仏が出来ないだとか
仏性が無いとかは言ってないわけです。
勘違いされるとなんですが阿鼻獄は無間地獄とも表現されますが
一度落ちたら戻れない無限地獄と言うわけではありませんよ。

阿鼻獄に落ちたとしても、それを縁起として悟れを得れば
煩悩即菩提を説く妙法蓮華経
充分に成仏は可能であると言う事。
これが「堤婆達多の成仏の文言」と言うわけですね。

ただ、成仏の過程に置いて敢えて「入阿鼻獄」に至ろうとするのは
ある意味衆生に苦行を強いる行為となりますから
それを未然に防ごうと考えるのは慈悲から来る行為であると言う事。

ちなみに日蓮が用いた「四箇の格言」の理論は
妙法蓮華経ではなく大般涅槃経の理論と言う事になりますけどね。

妙法蓮華経は諸法全般を受け入れ信力強情なもののための教えに対し
大般涅槃経は一闡提の衆生の為に妙法蓮華経に迎えせしめるための教えであると言う事。

妙法蓮華経と大般涅槃経は天台教学からセットで扱われる事が多く
この二つの住み分けを理解しつつ
衆生に合わせながら使い分けをしなければ
道を誤る事が多いといえるわけです。

あくまでも日蓮の主張は妙法蓮華経が第一であり
「南無妙法蓮華経」と言うくらいですからね。
大般涅槃経は妙法蓮華経に向わせるための手段の法と言うわけです。

日蓮の著作を読めばこの妙法蓮華経と大般涅槃経を
衆生に合わせ巧みに使い分けている事も伺えます。

ただ残念な事に真偽未決にあたる日蓮が書いたか定かではない書では
まるで大般涅槃経の理が妙法蓮華経の理と思わせるような
内容の書があまりにも多いと言う事が現実ですけどね。

それ以前に秘伝、相伝、口伝と言われる怪文書まで出回っていますから
そこからはもう日蓮の真意に迫る事もなかなか難しい状況にもなっていますが。
日蓮は立正安国論など数々の書物で「正法護持のためなら武装・武器携行もして良い」、「法謗者にはあらゆる手段で根絶しなければならない」などと主張し、さらには「念仏・禅などの法謗者を死刑にせよ」と口にした。仏典には明確な法謗の規定など無く、法華経には「五逆罪・法謗罪の堤婆達多の成仏」が説かれており、これに従えば明確な法謗罪に当たらない「念仏・禅・真言・律」などの宗派は入阿鼻獄の業因には至らない。「法謗」の文言は「親鸞の悪人正機説を邪信した犯罪者がいた」事実を踏まえれば、思想・言論弾圧に悪用でき、粛清の大義名分と成りうる。これは「ナチス・スターリン・毛沢東・ポルポト・チュチェ」思想やイスラム教のジハードに通ずるものであるから軽々しく「法謗」の文言を用いるべきではない。自己を正統化し絶対的宗教権力を手にいれて横暴する者が出ないよう他宗他教を容認し、異端説や異論反論も許容すべきである。
> 「正法護持のためなら武装・武器携行もして良い」
> 「法謗者にはあらゆる手段で根絶しなければならない」などと主張し、

だからそれは大般涅槃経からの引用だと言ってるではないですか。

ちなみに立正安国論に置いては大般涅槃経からの引用が実に多いです。

涅槃経に云く「菩薩悪象等に於ては心に恐怖すること無かれ悪知識に於ては怖畏の心を生ぜよ・悪象の為に殺されては三趣に至らず悪友の為に殺されては必ず三趣に至る」已上。

涅槃経に云く「我れ涅槃の後・無量百歳・四道の聖人悉く復た涅槃せん、正法滅して後像法の中に於て当に比丘有るべし、持律に似像して少く経を読誦し飲食を貪嗜して其の身を長養し袈裟を著すと雖も猶猟師の細めに視て徐に行くが如く猫の鼠を伺うが如し、常に是の言を唱えん我羅漢を得たりと外には賢善を現し内には貪嫉を懐く唖法を受けたる婆羅門等の如し、実には沙門に非ずして沙門の像を現じ邪見熾盛にして正法を誹謗せん」已上。

其の上涅槃経に云く「若し善比丘あつて法を壊ぶる者を見て置いて呵責し駈遣し挙処せずんば当に知るべし是の人は仏法の中の怨なり、若し能く駈遣し呵責し挙処せば是れ我が弟子・真の声聞なり」

即ち涅槃経に云く「仏の言く唯だ一人を除いて余の一切に施さば皆讃歎す可し、純陀問うて言く云何なるをか名けて唯除一人と為す、仏の言く此の経の中に説く所の如きは破戒なり、純陀復た言く、我今未だ解せず唯願くば之を説きたまえ、仏純陀に語つて言く、破戒とは謂く一闡提なり其の余の在所一切に布施すれば皆讃歎すべく大果報を獲ん、純陀復た問いたてまつる、一闡提とは其の義何ん、仏言わく、純陀若し比丘及び比丘尼・優婆塞・優婆夷有つて■悪(そあく)の言を発し正法を誹謗し是の重業を造つて永く改悔せず心に懺悔無らん、是くの如き等の人を名けて一闡提の道に趣向すと為す、若し四重を犯し五逆罪を作り自ら定めて是くの如き重事を犯すと知れども而も心に初めより怖畏懺悔無く肯て発露せず彼の正法に於て永く護惜建立の心無く毀呰・軽賎して言に過咎多からん、是くの如き等の人を亦た一闡提の道に趣向すと名く、唯此くの如き一闡提の輩を除いて其の余に施さば一切讃歎せん」

涅槃経に云く「今無上の正法を以て諸王・大臣・宰相・及び四部の衆に付属す、正法を毀る者をば大臣四部の衆当に苦治すべし」と。
又云く「仏の言く、迦葉能く正法を護持する因縁を以ての故に是の金剛身を成就することを得たり善男子正法を護持せん者は五戒を受けず威儀を修せず応に刀剣・弓箭・鉾槊を持すべし」と、又云く「若し五戒を受持せん者有らば名けて大乗の人と為す事を得ず、五戒を受けざれども正法を護るを為て乃ち大乗と名く、正法を護る者は当に刀剣器仗を執持すべし刀杖を持すと雖も我是等を説きて名けて持戒と曰わん」と。
又云く「善男子・過去の世に此の拘尸那城に於て仏の世に出でたまうこと有りき歓喜増益如来と号したてまつる、仏涅槃の後正法世に住すること無量億歳なり余の四十年仏法の末、爾の時に一の持戒の比丘有り名を覚徳と曰う、爾の時に多く破戒の比丘有り是の説を作すを聞きて皆悪心を生じ刀杖を執持し是の法師を逼む、是の時の国王名けて有徳と曰う是の事を聞き已つて護法の為の故に即便ち説法者の所に往至して是の破戒の諸の悪比丘と極めて共に戦闘す、爾の時に説法者厄害を免ることを得たり王・爾の時に於て身に刀剣鉾槊の瘡を被り体に完き処は芥子の如き許りも無し、爾の時に覚徳尋いで王を讃めて言く、善きかな善きかな王今真に是れ正法を護る者なり当来の世に此の身当に無量の法器と為るべし、王是の時に於て法を聞くことを得已つて心大に歓喜し尋いで即ち命終して阿閦仏(あしゆくぶつ)の国に生ず而も彼の仏の為に第一の弟子と作る、其の王の将従・人民・眷属・戦闘有りし者・歓喜有りし者・一切菩提の心を退せず命終して悉く阿閦仏(あしゆくぶつ)の国に生ず、覚徳比丘却つて後寿終つて亦阿閦仏(あしゆくぶつ)の国に往生することを得て彼の仏の為に声聞衆中の第二の弟子と作る、若し正法尽きんと欲すること有らん時当に是くの如く受持し擁護すべし、迦葉・爾の時の王とは即ち我が身是なり、説法の比丘は迦葉仏是なり、迦葉正法を護る者は是くの如き等の無量の果報を得ん、是の因縁を以て我今日に於て種種の相を得て以て自ら荘厳し法身不可壊の身を成す、仏迦葉菩薩に告げたまわく、是の故に法を護らん優婆塞等は応に刀杖を執持して擁護すること是くの如くなるべし、善男子・我涅槃の後濁悪の世に国土荒乱し互に相抄掠し人民飢餓せん、爾の時に多く飢餓の為の故に発心出家するもの有らん是くの如きの人を名けて禿人と為す、是の禿人の輩正法を護持するを見て駈逐して出さしめ若くは殺し若くは害せん、是の故に我今持戒の人・諸の白衣の刀杖を持つ者に依つて以て伴侶と為すことを聴す、刀杖を持すと雖も我是等を説いて名けて持戒と曰わん、刀杖を持すと雖も命を断ずべからず」と。

涅槃経に云く「善友を遠離し正法を聞かず悪法に住せば是の因縁の故に沈没して阿鼻地獄に在つて、受くる所の身形・縦横八万四千由延ならん」

全て挙げるとざっとこんなもんですね。
当然これは日蓮のオリジナルでもなんでもない。
日蓮が立正安国論内に置いてこれほどまでに大般涅槃経を多く用いたと言うのは
対告衆に当たる存在が一闡提に当たると言う判断の上でしょう。

で、この後に
では妙法蓮華経とはどう言った教えなのかと言う事も理解しなきゃいけないですね。
なんせ日蓮と言う人は「南無妙法蓮華経」を広めようとした人であり
「南無大般涅槃経」などとは言ってはいないのですから。

大般涅槃経は妙法蓮華経の立場に立てば方便の教えです。
この方便の理を真実と捉えれば
真実でないものを真実であると見る事に。

妙法蓮華経を理解せずに大般涅槃経の理だけを追い求めると
慶神子さんがお考えになるまでも無く
これではカルト化は進むでしょうね。

正に昨今の日蓮信者を自称する人たちの考えは
日蓮が用いたこの方便があたかも真実であると思っている人が多いという。

人から聞いた立正安国論の感想ではなく
こう言った涅槃経に書かれる断片だけではなく
全体を通して立正安国論を読み直してみれば
日蓮が本来言わんとしている事は見えてくるのではないかと思います。

おそらく慶神子さんがお考えになる日蓮の思想像は
単なる日蓮信者を自称する人たちから又聞きした思想でしかないと思いますよ。
平安末期から鎌倉時代にかけて多くの名僧達が無学の民衆に布教したが、識字率の低い当時では仏教の簡素化、並びに一宗一教・一仏一経・一修一行の教えが最も適切であったのであり現代では多くの教義や経典・行法を広く修めるべきで、「四箇の格言」は法華経信仰を弘めようとした日蓮の「方便」ととらえるべきである。法華経薬王菩薩本事品第二十三には「もし末法の世に女人がこの経を聞きその教えの通りに修行すれば、命尽きてのち阿弥陀仏の世界に行き菩薩たちに囲まれ、蓮華の法座の上に生まれるだろう」とあり、明らかに阿弥陀仏と極楽浄土の存在を肯定している。このように法華経とその他の小乗・大乗諸経典並びに各種の仏門は互いに「切っても切れない関係」である。
> 法華経薬王菩薩本事品第二十三には
> 「もし末法の世に女人がこの経を聞きその教えの通りに修行すれば、命尽きてのち阿弥陀仏の世界に行き菩薩たちに囲まれ、蓮華の法座の上に生まれるだろう」
> とあり、明らかに阿弥陀仏と極楽浄土の存在を肯定している。

そうですね。
法華経では阿弥陀仏と極楽浄土の存在を否定などしていません。
これを否定しているのは
日蓮信者を自称する人たちと言う事ですね。

そもそも日蓮は阿弥陀仏と極楽浄土の存在を否定などしてません。
法華経の信者である日蓮が何故にこれを否定しようかって話です。

日蓮が「四箇の格言」等で指摘しているのは
阿弥陀仏や極楽浄土の存在ではなく
阿弥陀仏のみに"もっぱら専念"している法然の念仏に対してです。
ここを取り違えている日蓮信者を自称する人たちは実に多いですけどね。

日蓮の念仏に対する指摘は「選択集」に書かれる「捨閉閣抛」にあり
それ以上でもそれ以下でもありません。

日蓮信者を自称する人たちは日蓮がまるで
浄土三部経を否定しているかのように思い違いをしている人が多いですが
そんな事はありません。

妙法蓮華経嘱累品第二十二にはこうありますね。
「若し衆生あって信受せざらん者には、当に如来の余の深法の中に於て示教利喜すべし。」

つまり法華経を受け付けない人がいるならば小乗や法華経以外の大乗経を用いて
法華経に導けと言うこと。
要するに如来の余の深法である浄土三部経を否定してしまっては
法華経に背いてしまう行為とも言えるわけですね。

さて、日蓮はどうなのかと
立正安国論を読んでみますと
念仏の破折の際に
「近くは所依の浄土の三部経の唯除五逆誹謗正法の誓文に背き、」と
浄土三部経の一文から文証として提示しています。

これ明らかに浄土三部経の否定ではなく
浄土三部経に背いていると言う念仏への対する指摘と言う事が解ります。

さて、法然が提示した浄土三部経に背いてまで行おうとする
「捨閉閣抛」の根拠とは如何なるものなのかと言うところですね。
「真言亡国」というのは「仏教始祖の釈迦が一番偉く尊ぶべきである」という日蓮の方便ととらえるべきである。日蓮の尊師最澄は中国で様々な仏法を学んだが密教に関しては素人で空海に灌頂を受けてまで東密を学び台密を完成させた。これらのことから真言が国を滅ぼすというのは大袈裟で日蓮が釈迦を如何に大切に扱っていたのか推測出来る。この視点から見れば日蓮本仏論は誤りで日蓮は「上行菩薩」とへりくだって自称していたことが良くわかる。

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