「女に権利や自由を与えたら日本みたいになるぞ」
そのうち世界中でこんな言葉が飛び交う日が来ること間違いなしだ!
ハッキリ言おう!
今の女に必要なのは
【権利】ではなく【義務】である!
【自由】ではなく【縛り】である!
【地位】ではなく【男をたてるしたたかさ】である!
今の時代、前者は全て女に十分過ぎる程与えられた。後者は全て女たちが放棄している!
足りないのは後者の事柄である!
旦那に寄生するくせに、旦那を尻にしき、財布と通帳ぶんどり、お小遣い制(笑)などと称し、旦那に雀の涙ほどの日銭を渡してテメーは自分磨きの習い事(笑)ママ友とランチ(笑)
女子教育や女性雇用、男女平等などと、女自らがほざきはじめたから、社会や男性は莫大なコストと犠牲を払い女の社会進出や地位向上を成してやった。
機会の平等が実現した。
しかしながら、女権拡大が始まり半世紀以上が経った今になっても一向に減らない専業主婦や売春婦。
政治家や会社役員の数を男女半々にしろと叫ぶが、原発作業員やホームレスの数を男女半々にしろとはどの女も言わない。
義務や犠牲の平等はイヤだ。
でも、結果や報酬は平等にしなさい!
これが女という生き物だ。
女はクズで、社会の舵取りをするポディションに不適格なことは明白に証明されている。
女は、子供を産める能力を有している。
故に、生物的地位は
女>>>男
なのである。
財やサービス、インフラの生産は男たちに任せて、女は、子供の生産と家庭の切り盛りを社会的使命として全うすれば良いのだ。
確かに、科学文明の発達により家事労働負担が軽減した分、女を怠けさせずに女の労働力を社会的生産へ補填するのは正しい。
しかし、あくまでも男性の補助的な位置づけに留め、出産や家庭の切り盛りなどを第一に成し遂げるべきである。
従って、社会的地位は
男>女
これが正しい。
生物的地位が、出産性という性質上、女が男よりもはるかに優遇されるのは不変の真理である。母体保護の観点からも、肉体的には男が犠牲になるべきである。これは、一生涯に生産できる女の卵子よりも、一度の射精で男が生産できる精子の数が桁違いに多いことからも明白である。
要は、戦で女が死ぬより、男が死んだほうが早期人口回復が実現でき種の存続がはかれるということ。
だから、戦争では男が犠牲になることになっている。過労死も男がすることになっている。ホームレスも男ばかりになっている。
こうした生物的な優遇に感謝が出来る女なら、男性と同等の社会的地位を要求するなどという傲慢な行為はしないはずである。
生物的に優遇される女性特権は捨てたくない。
でも、社会的地位も男並、むしろそれ以上に欲しい。
こんなことをほざく女は人間のクズである。
そんな、クズ女がのさばっているのが今日の日本という国である。
女に自由や権利は不要であることをいち早く証明したのが我が国である。