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自由を考えるコミュの「自由」「自由意志」「主体」の定義

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広辞苑から

自由
1、心のままであること。思う通り。自在。
2、(freedom; liberty)他からの拘束・束縛・強制・支配を受けないこと。「物体の自由落下」というように自然現象にも適用されるが、人間の場合には、行動の自由、選択の自由、必然性の認識にもとづいて自身および自然を支配する積極的な自由、意志の自由、倫理的自由などのように、人間をとりまく諸条件を制御することをも意味する。

自由意志(free will)
他から束縛されないで自由に決定した意志。

主体的
1、ある活動や思考などをなす時、その主体となって働きかけるさま。他のものによって導かれるのでなく、自己の純粋な立場において行うさま。能動的。
2、主観的に同じ


自由意志 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%87%AA%E7%94%B1%E6%84%8F%E5%BF%97

コメント(4)

高校倫理の用語集から
一切皆苦(いっさいかいく)
人生のすべては苦しみにほかならず、自分の思うままにならないものであること。


他所で書いたもの
世の中誰でも自分の思う通りにはいかないから、1の意味での自由は否定されます。
全ての意思決定は自然法則や快苦に隷属しているので、他からの拘束・束縛・強制・支配を受けていると言えて、2の意味での自由も否定されます。

一切の意思決定は他のもの(過去、環境、適応度を上昇させようとする遺伝子のプログラムなど)によって導かれていて、自己の純粋な立場というものは存在しない(無自性、空)ので、主体的な意思決定というものは存在しないと思います。

内的欲求というものも真に主体的とは言えるものではない、というのが私の考えです。


他所での他者のコメント
><自由>=欲求の達成が邪魔されないこと

> 一般的には別に過去の状態によって思考や行為が決まっている(因果律が成立している、支配されている)としても、自由とされます。

>一般的には、「主体的に働きかける」=「恐怖に基づく強制に盲従するのではなく、自分の内的欲求(金、愛情、名誉、安心、安全、快楽、良い成績・・が欲しい)に従って、より自覚的に、因果関係を考えて動く」といった意味に使います。

> ある状況で、本人が、「Xが欲しい」という欲を抱き、その結果「Xが手に入り思う通りになって満足!」であれば「X(喫煙)の自由」を実感しているし
> 一方「X無しでいたい」という欲を持ちつつも「X無しではいられず、自分はX(ニコチン)の奴隷だ!」という思考に囚われて自己嫌悪や憂鬱になっているなら、その時は「Xに支配される不自由=X無しでいたい欲求の阻害」を実感します。
自由 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%87%AA%E7%94%B1
消極的自由 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B6%88%E6%A5%B5%E7%9A%84%E8%87%AA%E7%94%B1
決定論 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B1%BA%E5%AE%9A%E8%AB%96
竹田青嗣「哲学ってなんだ」から
ルールを少なくするほど、各人の自由は増す。しかし各人の自由をそのように解放すればするほど、それは結局、「強い者の勝利」ということに帰着するからだ。簡明な原理だがこれに気づかない人は多い。
人間は「自由」になった。しかし社会的ルールなしには、それは普遍的な「強者の自由」と「弱者の犠牲」、ということに帰する。またとうぜんのことだが、ルールはただ実力によってのみ保証される。この公的なルールを確保する実力が「権力」と呼ばれる。
そこで各人が自分の「自由」を確保するための正しい方程式は一つだけだ。全員で自分の「自由」を一つの政治権限に委託し、この権限によって権力を設定し、全員が対等の「自由」を確保できるようなルールを作ることである。それ以外にどんな方法もない。
考えてみればその通りで、他にはどんな方法もない。でもこれをぴたりと言い当てるのは至難の業だったと思う。立ち止まって考えるほど、感服するしかない。ともあれこれがルソーの「社会契約」の考え方の骨子である。
■ハンナ・アレントの「自由」
「自由は、思考の属性や意志の属性となる前に、自由人の状態(ステイタス)、つまり、人々に移動を可能にさせ、家を後にして世界のなかに入り、行ないや言葉において他者と出会うのを可能にさせる状態として理解された。この自由には明らかに解放(リベレイション)が先立っていた。自由であるためには、人は、生命の必要から自ら自身を解放していなければならない。しかし、自由であるという状態は解放の作用から自動的に帰結するものではない。自由は、たんなる解放に加えて、同じ状態にいる他者と共にあることを必要とし、さらに、他者と出会うための共通の公的空間、いいかえれば、自由人誰もが言葉と行いによって立ち現れうる政治的に組織された世界を必要とした。」

■ハンナ・アレントの「自由意志」批判
「哲学者が自由の問題に初めて関心を寄せたのは、自由がもはや行為することや他者との交わりのうちで経験されず、意志することや自らの自己との交わりにおいて経験されるようになったとき、要するに自由が自由意志となったときである。それ以来、自由は第一級の哲学的問題となり、自由はそのようなものとして政治の領域に適用され、政治の問題ともなった。哲学によって、自由の理念が、行為から力としての意志へ移動し、行為のうちに具体的に明示される状態としての自由から選択の自由(リベルム・アルビトリウム)へと移動した結果、それは、前述の意味での至芸(ヴァーチュオシティ)であることをやめ、他者から独立し、しかも最終的には他者を圧倒する自由意志の理想、すわなち主権となった。」

(ハンナ・アレント「自由とはなにか」(『過去と未来の間』みすず書房)より)

長文引用、失礼しました。

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