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自由を考えるコミュの自由についての自分の考え

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引用文を組み立て改造したくらいですが…。

人間がみずからの自由意志で自分自身を形成してゆく所に、人間の尊厳の根拠がある。自由の下での他者とのコミュニケーションと試行錯誤によって承認を獲得する過程で自尊心は培われる。最初の承認は親から無条件で与えられる包括的な受容でそれが尊厳の初期値となる。
親からの承認や愛も利己的遺伝子の産物とすれば無意味化される。コミュニケーションは物理的世界に還元する事で無意味化される。自然界では、結果はそれに先行する原因によって決定され、すべてが因果法則によって必然的に支配されている。法や人間の尊厳が持続可能であるためには、自由意志があらねばならず、彼は人間も全て因果的に決定された機械人形にすぎないとして法と人間の尊厳の基盤の不在を説いた。

近代国家の市民は学校教育などの規律訓練によって監視の視線を内面化させ、自分で自分を監視するようにする事で多様な価値観を方向付けられ、国家的な目的に自発的に従っていくような行動様式を作り上げられた存在である。ベンサムは試験の原理をパノプティコン(一望監視装置)として建築的に示した。この装置では中央の監視塔に監視者が常駐している必要がない。監視される可能性があることで、監視される者の心の内側に第二の監視者が生まれる。この「残酷さと学識に満ちた檻」は、規律社会において監獄、病院、学校、工場など様々な用途に応用できる。〈自由な社会〉が形成されるのは、自由な個人によってではなく、身体を調教され、精神を監視する大きな〈眼〉を魂の内部に埋め込まれた主体である。従順な身体の形成と個人の身体に注ぐ〈眼〉によって、道徳的な主体を形成させる。この監獄という監禁施設を中心にして、近代の社会は〈監禁都市〉を形成する。
鎖の一つの環としての個人は、自らの意志をもたずに、自発的に鎖に奉仕するのである。個人は国家を自己の意図に従ったものと考えているが、別の視点からみると、個人とは国家の付属物にすぎない。そして逸脱者への罰と社会からの承認という褒美につられて、国家に自分の力を捧げているのである。国家は、個人の死後も残り続ける存在であり、社会の中の個人とは代替可能な操り人形に過ぎない。
自尊心のある人間は、国に縛られる事はない。祖国なぞ監獄のようなものなのだから。

コメント(1)

無秩序の中に自由はない

自由とは一定のルールの下で獲得して初めて自由を実感出来る

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