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絵本創作研究会コミュのえほけんに代々伝わるもの

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えほけんには伝統として上級生から伝えられてきた不思議な風習があります。今は無いものも含め、えほけんのお決まり行事、こういうの始めてみたけど、続いているかな?というお話をご披露ください。

ちなみに95年卒の私の知っている行事
新歓コンパ、新歓展示、合作絵本、夏の合宿、校外展、クリスマスコンパ、追い出しコンパ

など。

コメント(52)

夏の合宿=式根島というのを開始されたのがlifrafさんの代だという書き込みをいただきました。私の代(1995年頃)までは式根島に行っていたのですが、(旅館もいつものところでした。なんて言ったかな)今は変わっているそうです。どこまで式根島が続いたのかご存知の方いますか?それにしても20年くらい続いていたみたいです!
さっそくのコメントありがとうございます。
式根島は気に入って卒業してからも何度も行っています、今でも行く気がありますよ。ボクらの頃はどこへ行っても騒ぎ過ぎて2度と同じところへは泊まれないって調子でした(笑)最近はどこへ行ってるんでしょうね。
現在の様子はいかがでしょう、現役学生はこのコミュにいないのかな?
あ、それからえほけんOB会のサイトを訪ねましたがブログの地色が強くてよく読めません。

余談ですが(えほけんではありませんが)ひとつ上にユーミン、少し下に竹中直人(毎日スクールバスの最終に乗ると勝手に物まねショーをはじめる名物男でした)もう少し下にしりあがり寿などがいておかしな時代でした。しりあがりさんとは今でもつきあいがあります。
lifrafさん、サイトを見て下さってありがとうございます。
ブログの件失礼しました、早速テンプレートを変えてみました。

現役の学生さんもこのコミュに参加しています。今はどんな感じか、私も聞きたいです。式根島は良かったですね。良さに惹かれて、今年も式根島にしよう!という感じでした。
(しみじみと。私とユーミン、奥さんと竹中直人が同期です。)

勢いで。確か‘72に当時の部室の裏窓の外に植えたユーカリが結構頑張っていた・・・と思う・・・んですけど、このユーカリの木をご存知の方いらっしゃいますか?学内のレイアウトがその後どう変化したのかも全く知らないんですが。

そこで突然。「部室」そのものを、えほけんの代々伝わるものと見做してその場所やら間取りやら変遷を辿るのも興味深いように思うのですが。
私の1年のときはもろ飯場のプレハブ状2階建の、2階の半分を使っていました。その後、サークル棟が建てられてその1室に収まったのですが、プレハブも使っていたので時期が判然としません。上記ユーカリの件はサークル棟でのことです。
部室の中に部屋がふたつありました。

上野毛の部室はテニスコート脇のプレハブ2階中央に位置し、部室の中には部屋がふたつありました。それぞれ白と黒のペンキを塗り、片方を「白い部屋」に、もう片方を「黒い部屋」に、当然の如くに白い部屋のテーブル・椅子は白、黒い部屋のテーブル・椅子は黒。女性部員が手作りでそれぞれに似合うカーテンを取り付けてくれました。黒い部屋のコーディネートは「mitさん」がやってくれたと記憶しています。黒い部屋には白い部屋を通らないと行けない構造になっており、黒い部屋からはコーヒーのいい香りが漂っていました。

4年生になると八王子にも部室ができました。
部会のほとんどは上野毛で開かれ、当時は上野毛と八王子を循環するスクールバスが運行されており、2年生・1年生がそのバスに乗って集団でやってくるので、部会が開かれる日はとても目立っていました。
ユーカリの木、私の代もがんばっていました。たしか1995年か、1996年にサークル棟が取り壊され、新しいプレハブになりました。(建物、と言いたいのですが、私にはプレハブか倉庫のように見えました…)そのあとユーカリの木がどうなったのか、確認しておりません。
部室の窓から、いつもユーカリの木が見えて、しかも太い枝がサークル棟の建物の方に、がしっと伸び、ときどき建物にきしる音が聞こえていたような。

上野毛の部室は想像するだけでも素敵ですね。
田中清代さん
思いもよらないお話をうかがって、我子を置き去りにした親のように(大袈裟すぎるな、でも想像を超えて)感激しています。
・・・わたしにも、その音が聞こえそうな気がします。
折角の、部室の変遷話を折るようですが、本館2階正面は、えほけん。

芸術祭では本館2階に上がった正面の教室を画廊喫茶にしました。
その教室は各クラブが手をあげて取り合いになります。えほけんが頑として譲らないため、芸祭実行委員長がじゃんけんで決めたいと提案。他のクラブはこれに応じました。じゃんけんで諦めがつくならえほけんに譲って欲しい。画廊喫茶にするのでどうしても水道口が近場に欲しいと説得・・・本音は、なんてたって一番の特等席をとりたかったのです。それ以来その教室はえほけんの定位置となりました。
芸術祭には、案内を出せば名の通った人たちも見に来てくれました。
当時は、谷内こうたさんの「夏の朝」という絵本が評判になっていた時代ですが、彼もやってきて、その喫茶でいろんな話をしてくれ、よく人の集まるところになりました。
僕の絵本「てんてんてまり」(1ページがA2サイズの屏風型の絵本でモノクロの版画)は、北沢杏子さんの目にとまり、いまつくろうとしている絵本にオブザーバー参加して欲しいと申し込まれお手伝いをしました。日本初の性教育の絵本で「おちんちんとわれめちゃん」というタイトルで、絵はやなせたかしさん。とてもデザイン的な構成で綺麗なものでした。サンデー毎日の巻頭のグラビアページで紹介され評判になりましたが、今、なぜその絵本を持っていないのか悔いています。
私の認識している最初の部室at八王子。
「2階建プレハブの2階の半分」を窓側から写したものです。
(人物はも〜ろ〜としているのでそのままにしています)
1972年11月末、と記してありました。

あいまい極まりない平面図を添えておきます。
夏休みに帰省したところ、面白いものが出てきました。

僕が3年生時の芸術祭に参加した折の「えほけん案内パンフ」です。
親が芸術祭に出てきて手に入れたと言っていました。

1、芸術祭へのお誘い文。
2、部長の挨拶。
3、活動(近況)報告。
  3月2〜4日   春の合宿(山中湖)
  4月19〜24日 田島征三講演・討論会
  6月2〜4日   春の絵本展(八王子校舎)
  6月7日     谷内こうたを囲んで座談会
  6月20日    季刊誌「ゆめのき」発行
  9月8〜11日  夏の合宿(鬼怒川温泉郷)
            芸術祭企画
            各自絵本概念の交換
            部員相互の親睦を深める
 いろんな人がいるんです。いろんな人。
            絵本に興味のある人・・・
            絵本が好きで好きでたまらない人・・・
            絵本を通して何か感じ、言いたい人・・・
            恋人のための絵本をつくりたい人・・・
            絵本の可能性を探って生きたい人・・
 そんなあつまりなんです。

・・・とあり、
4、部員33名のメッセージカード33枚(15cmの正方形)がはいったパンフでした。

るみちゃん、えっちゃん、Tさん、T君、Y君、Sさん達のカードがないので、数枚が紛失しているようですが、面白く読みました。「へえ〜!」「あいつこんなこと」「そうだったのか」と・・・。懐かしいあの顔も浮かんできました。

パンフは、mitさん、るみちゃん、ひとみちゃん、M君たちが中心になって作成されたと記憶しています。
数種の色紙にガリ版で印刷された手作りのもので、白い菓子袋にはいっていました。 袋には「ありす」とピンクの色でステンシル印刷が施されています。
いまの模擬店の伝統は「チョコバナナ」だそうですが、当時は「ありす」でした。
第二のたまり場。

上野毛時代の古くて新しい話です。
二子玉川にあった「さふらん」という喫茶店で「えほけん」の第二のたまり場がありました。オーナーは、僕らよりちょっと年上で、お姉さんのような存在で、多摩美のファンでもありました。過日、近所に行った折に寄ってみたところ、お店に入ったとたん「くらさん!?」と。30年もたっているのに、何もも変わってなくて、みんなのことをよく覚えていてくれて、昨日のことのように話し込んでしまいました。本人は多摩美の生涯学習センターにいっているといっていました。いまでも、多摩美のファンの様子。
僕らの時代には、まわりに多摩美のファンがいて、そういう人達にも、励まされ支えられて育っていったように思います。近所に行ったら、必ず寄ってみたい喫茶店です。
いいお話ですね!

ボクらの場合は八王子移転直後で周囲に何も無い殺伐とした山の中。八王子や国立辺りに居場所を求めましたが、地域に根ざす感覚まではいたりません。
今はどうなんでしょうね?
多摩美の生涯学習教室には私も通っていた時期がありました。片道2時間もかけて…。「さふらん」私も行ってみたいです〜。
今は橋本や八王子に住み続ける卒業生が意外と多いのかな?と思います。藤野も多摩美人口が多いですよ。
初めて書き込ませて頂きます。
ワタクシは'72年生です。卒業や入学ではなく、'72年に生まれました。そんな頃から連綿と続くえほ研に在籍出来た事を嬉しく思っております。ジーンとします。ユーカリの話に涙が出ました。

八王子に住み続ける卒業生は確かに多い様ですね。かくいう私も足掛け10年住みました。学生時代〜会社員1年目が子安町2丁目、その後3年だけ横浜の社員寮に移り、フリーになってから緑町に戻りました。
その理由は、家内が八王子(高尾)出身だからなのですが…。今は私の故郷横須賀に越しておりますが、今年は丁度出産等も重なったため比較的頻繁に八王子に「里帰り」しております。

えほ研の皆さんとは行った事ありませんでしたが、今でも飲み仲間と「訪八」する際には必ず行くお店は、八王子南口の焼き鳥「小太郎」です。その近くの食堂「シーパレス」は、学生時代は八王子組のちょっとした社交場でした。
そして、八王子の学バス乗り場近くの郵便局の並びの雑居ビル1階に輸入雑貨店(リトルハウスといいました)が在ったのですが、そこのオーナー夫婦は何を隠そう私の義父義母です。今は隠居して店は在りません。

部室長屋は私が卒業した翌年度、'96年に取り壊されてしまいましたね。掘りごたつが懐かしいです。そして置き忘れてきた数十冊の「こどものとも」…残ってないよなぁ…。妹から無断で借用したので今でもたまに叱られます。
しでみさん、
こどものとも>そんな貴重なものがあったの!!私は真面目に見てませんでした〜。現役生で知っている人がいるかもですよ。

八王子のシーパレス>懐かしい。よく憶えております。

橋本の喫茶店「檸檬」このまえ芸祭に行った時に見かけました。ラーメンがおいしいお店でしたね。木版画の先生がマッチのデザインをしてました。
コラボレーション。

「コーラス部」と「えほけん」は、仲が良くて互いに行き来がありました。
(もっとも、コーラス部にも属したえほけん部員がいたせいもありますが)

当時、コーラス部は徒党を組んでキャンパスを歩いていましたが、僕らが3年になるとコーラス部は部員が極端に減ってしまい苦戦していました。
芸祭の模擬店では、えほけん部員が模擬店づくりの手伝いに行ったり、男子部員は夜の警備を引き受け模擬店に泊り込んであげたり、だから、えほけん部員はコーラス部の模擬店ではタダでお酒が飲めました。(=知っているのは卒業するまでの2年間)。更には、どの模擬店でも文連委員を務めていたせいかおカネを払ってお酒を飲んだ記憶がありません。
彫刻科の模擬店だけは、クラブではなく学科が開いていたのでお金を払いました。彫刻科がやる「??たろう」は多摩美伝統の本格的な居酒屋で人気のお店でした。
コーラス部には俳人の中原道夫さんがいました。
お花見も人形劇も、なんと合宿までも、このコーラス部をさそって出かけていました。部会のあった日などは、上野毛駅の脇にあった「小川軒」でコーラス部と一緒にお茶を飲んで帰るのがコースでした。これは、コーラス部が、えほけんを、誘いにきました。小さなお店でしたから、僕らだけで満席になりました。こと左様に仲が良かったのです。
卒業後を知りませんが、きっとコーラス部は廃部になってしまっただろうなあ?

どうでしょうか?・・・今は、特定のクラブとの交流はないのでしょうか?
何か、他のクラブと合同でやるとか、コーラス部、アニメクラブや演劇部とコラボレーションによる表現イベントをやるとか?・・・おっと、うまくやると、面白いことができるような気がします。

もはや、「えほけん」は30年以上の歴史をもつクラブとなりました。
多くの素晴らしい絵本作家がここから育っていきました。うれしい限りです。
えほけんに代々伝えたいもの、伝えたいこと。

伝統とは、決して過去のものではなく、現在のものなのです。

例えば、伝統芸能保存会なんてのがあります。
あれ、今、生き生きとしていないから守ろうとしているだけです。
したがって、形式だけ、スタイルだけを保存ぜねばなくなってしまうからです。
言ってみれば空蝉です。中味がありません。悲しいですね。
古くても、いまだに新しいカタチがあります。歌舞伎や文楽です。
これらは保存会を必要としない。今でも生き生きとしていて、新しいからです。
えほけんは、いつも生き生きとしていて欲しい、と願う今日この頃です。
それが伝統です。

僕の飲み友達Kさん(時々このKさんは僕の話に登場しています)と、
伝統とか文化について話します。
彼は、「何かを心の底から愛するということは、その何かが持っている「歴史」をリアルに愛することではないだろうか。刹那的に、今的にしか生きられないとしたら、将来は確実にないように思う。」・・・と言うのです。

えほけんらしさとは、えほけんが積み重ねてきた時間ではないでしょうか。
縦軸でえほけんをみてみませんか?
えほけんメンバーがどんな時代に、どんなことに向き合ってきたか、そして今は?
そんなことが少し見えてくると、ますます発展していくと思います。
わ〜 懐かしい話が盛りだくさん,しかも,結構先輩方がおられるので,ビックリです!

式根島にも毎年行きましたっけ。。
懐かしいな。。。
他のサークルとの交流について。

私の頃(1991年〜)は、演劇部とかけ部をしている人が多かったので、演劇部に行ってもえほけんの人が常にだれかしら居るという感じでした。私が掛け持ちしていたのは、演劇部もなのですが、ほかにダンス部。あとはやはりコーラス部(クリスマスキャロルに参加)、版画部、の人との交流があったような。
僕らの時は部室にえほけんノートっていうのがあって、
みんなの面白いコメント(日記風みたいなものや詩みたいなものもあった。)や、
落書きや時には気合の入った絵なども描かれていました。

あれどうなったのかなあ。一冊欲しかったけど、今でも誰かが持っているのかな。

僕は2004年度卒業です。
あ、テンションがあがっていて、前のコメントをあまり読まずコメントしてしまいました。ごめんなさい。

えほけんの歴史を知れてよかったです!!
こんにちは。

>33田中清代さんのコメント
清代さんは、演劇部とかけ部だったんですね!
えほけん→ロリータ男爵(演劇部から派生した劇団)へ移行した
自分には、気持ちの通じるお話です。

当時おなじく、えほけん在籍でロリダンの作曲・チラシ作成を
していたn林さんがいました。ロリダンの人気作で再演もしている
『信長の素』では、n林さんの名曲がたくさん聴けます。
すごい人だったなあ。いま何してるんだろう。

くらさんのコメント興味深く読みました。上野毛にもえほけん部室が
あったのかー。プークと繋がりがあった! ってことにも感動。

部室にあった古ーいテレビ、もう使ってないかな?
手回しのチャンネルで、電源を切るとき、ぴちょーーーん、と光が
ちいさく消えていく姿に、えもいわれぬ風情がありました。

上映会

って、やりませんでした?
部室のテレビはビデオなかったと思うんで、誰かのおうちで。

私の代は学年を超えて仲良しな感じで、橋本在住率も高かったんで、
ひとり暮らししてる部員の誰かの家でビデオ(当時DVDやらブルーレイ
はまだ普及してなかった)を見る機会がけっこうありました。

シュワンクマイエル、ノルシュテインのアニメとか
えほけんらしい類のモノを持ってる部員もいれば、
おもしろPVを録り溜めて披露する部員もいて、
お酒飲みながらダラダラと珠玉の映像作品を楽しんでました。

絵本つくって発表する企画展はもちろん素敵だったけど、
みんなに見せる作品を選ぶセンスが問われる上映会も好きでした。
クリコンテープ作りと同じ感覚の遊びだったんだろうな。
またああやって上映会したいなー。
上映会は僕らの時もやっていました。

ピングーなんかをみんなで観たり。

あと、えほけんといえば。
毎年春になると、自己紹介の冊子作ってましたね。
新入部員が入ってきたら、いろんな人と仲良くなれるように。

その冊子は似顔絵描くところもあったりして。

でも別に絵ならなんでもよかったり。

あれを見るのは楽しみでしたよー。

今はきっとないだろうなf^_^;
現役のみなさん。

毎年、新入生がはいってくると製本講習会を開いているようですね。
展覧会を拝見するたびに、みんな上手に仕上げているので感心しています。
手作りなんでしょ?しかも、マニュアル化して、代々引き継がれている様子。
どんなものなのか、どなたか、披露してくださいませ。

古すぎるOBより。
ああ〜。
こないだの芸祭でさりげなく、製本マニュアルが置いてありましたよ。
写真撮れなかったのですが…。
私の頃にはB5サイズくらいの、厚い表紙を特につけないものでしたが、
芸祭で見たのはB6かA5くらいのハンディな大きさで、ちょっとした表紙がついていたので、やるなあ〜と思っていました。
内容はほぼ図解。結構シンプルに作れますね。
歴代のものが手に入ったら面白いかも知れません。
えほけんクリエイション。

えほけんは、来年創立40周年を迎えます。

伝統とは、現実の連続であって、伝承ではない。
伝統とは、過去への問いを通じて、今という時代における直接的な問いである。
そこから生まれるデザインは、その歴史の投影であり、また反逆でもある。

伝統とは、決して過去のものではなく現在のもの。
記憶というのは、その時その時の現在のなかで語られます。
もろもろの記憶の集積がえほけん。
えほけんというのは実体ではなく共通の記憶の象徴。
その記憶の秩序のようなものが、えほけん文化をつくります。
個性の共存ということは論理上ありえない矛盾ではあるけれども、
その矛盾こそが運動を生み、そこに空気が通い合います。
そこに、えほけんらしいリズムが生まれます。

人生の岐路にたったときに、一緒に悩み苦しみ共闘した仲間はいいものです。
共に命をかけて戦った仲間というのは、いつになってもかけがえのない特別な同士なのだろうと思います。
今、現役部員によって新しい記憶が積み重ねられつつあります。
そして、OBのみなさんの応援が、新しいえほけんを育てていることも確かだろうと思います。
伝統とは、創造の出発点であって、決して回帰点ではありません。
えほけんが滅びる時に、記憶も同時に途絶えるのでしょう。

大切にしてほしいことが、ひとつあります。
絵本づくりにおいて、
いちばん大事なのは、どんなお話しをつくりだすかではなくて、どんな意味をつくりだすかです。
そこから、深く豊かに生きるための知恵が育まれていくといいですね。
えほけんという場が、そういう構想に挑む場になっていってほしいと思います。

そして、なによりも、なによりも、貴方らしい絵本をつくってほしいのです。

いいぞ、えほけん!もっと、えほけん!
来年、40周年ですか!わ〜。
くらさんの文を読んでわくわくしてきました。
もっと、えほけん。
いいですね〜。
時代というのは、平坦に流れているわけではなく、でこぼことしたり、とどまってしまったり、
場合によっては、あとずさりもするものですね。
世の中にすっかり新しいってことはあり得ない。
古いこと、伝統の上に初めて新しいことが生まれます。
60年代なかばから70年代なかばくらいの10年間は、社会のありとあらゆるものが、徹底的に吟味され、破壊され、打破され、その後、再価値化、再生産されました。その主役は若者でした。おそらく人類の歴史の中で若者が覇権を握ったのは、この10年間だけかもしれません。
「えほけん」は、こうした時代に生まれました。

世の中というボードにボールをぶつけてみよう。世の中を戦友にしよう。
アイデアは、世の中に合わせようとする姿勢からは決して生まれません。
アイデアは答えの中にはないのであって、問いの中からしか生まれせん。
幸せな驚きを世の中につくること。
その驚きの結果、ムーブメントをつくりだせるのが本当のアイデアです。
ムーブメントをつくりだすということは、未来の伝統への現代の革新です。
新しいモノではなくて、新しいコトづくり。新しいという世界観をつくりだしていって欲しいと思います。

絵本と読者、絵本と出版社、あるいは出版社と読者との新しい関係をつくろう。
古い関係ではなく新しい関係です。
そのためには、「絵本って何だろう?」を問いつづけることです。
新しい関係とは、新しい意味づくりです。新しい意味は、新しい価値を生みだします。
新しい価値は、新しい土壌(市場)をつくります。
新しい土壌ができたら、本物として育てていきましょう。
このプロセスを仕切っていきましょう。

デザインは生活というポジションから見る社会批評であり、デザインは生活から生まれてくる感受性である。 ・・・といったのがアートディレクターの原研哉さんです。
人間にとって、今までになかった人間の体験をくり拡げていくこと。それも絵本の役割ではないかと思います。

時間は流れない、時間は積み重なる。 ・・・といったのがコピーライターの秋山晶さんです。
私達は未来と過去の間に立っています。
伝統をただの過去にしてしまわないで、伝統を生きて欲しいと思います。

貴方らしい「問いかけ」をしていって欲しい。そこから新たな道が開けるものと信じています。
コンセプトを説明して、それを絵に置き換えることができるのがイラストレーターです。
コンセプトで仕事をすると、例えば、絵本作家よりもイラストレーターの方が圧倒的に機能する。
コンセプトは、モチーフとは違います。
絵本は、自前のモチーフがないと、世の中に完璧に見透かされてしまいます。
モチーフというのは文字通り動機ですから、その人の内面に濃密な動機がないとつくれません。
これは、イラストレーターを否定的に見ているわけではなくて、
イラストレーターは、商業美術ですから自分の名前を看板に出しません。
しかし、絵本作家って、デカデカと名前が入っていますよね。
あれは、いみじくも、絵本がコンセプトを必要としていないことを言い当てているのではないでしょうか。
絵本であるというだけで出発点たりうることを意味しているのではないでしょうか。
逆の言い方をすれば、こんなテーマでも絵本にできる。絵本にしにくいもの、する必要がないものを意識的につくっていく。これまで絵本にはならなかったものを、故意に追いかける。
そういう情熱がないと、絵本はつくれないのではないでしょうか。
昨年、9月の原宿デザインフェスタギャラリーでのえほけん有志5人によるグループ展を見て、
感心した事がありました。
「英語を勉強」するではなく「英語で勉強」すると英語が上手くなるといったのが、料理家の栗原はるみさんです。
この5人にも(勝川るるこ・神山歩・ほうやさゆり・土屋友絵・片桐大地 敬称略)、そんなところがありました。
「絵本を研究」するのではなく「絵本で研究」することで、自分がかかえている表現を育てていっている。
絵本を自分の表現としてものにしているところが素晴らしいと思いました。
「絵本を考える」ではなく「絵本で考える」。「絵本をつくる」ではなく「絵本でつくる」。
そうすることで、新たな絵本の有り様、新たな絵本の可能性さえも見つけている。
絵本づくりにおいて、いちばん大事なのは、どんなお話しをつくりだすかではなくて、どんな意味をつくりだすかです。 そこから、深く豊かに生きるための知恵が育まれていくといいですね。
いい伝統にしていってほしいと、願っています。
OB会で、lifrafさんが学生に展示の詰めが甘いと指摘したことがありました。
創ったら後はどうでもいいのではなく、絵本の見せ方、読まれ方を考える。
絵本は、コミュニケーションを生み出すメディア。
絵本は、読者が参加してやっと成立するという性格を持っています。
創った後のところことから考えることが、とても大事だとlifrafさんは助言をしていました。
それから、ここ5年、その影響が、今のえほけんに現れています。
これまた、伝統になりつつあるのではないでしょうか。

今夏、8月20日〜28日、いたばしボローニャ子ども絵本館にて、
昨年の芸術祭での展示が、そっくりそのまま再現されると聞いています。
未来の伝統への現代の革新。

東日本大震災以降、不安な日々が続くなか、えほけんの有志が、「たんぽぽ絵本箱」を立ち上げ、震災地へ絵本を届けるボランティア活動を始めています。
改めて、絵本の力や、絵本の果たす役割について考える良いきっかけにもなっているのではないでしょうか。
絵本は、子供の心に直接はたらきかけることができるメディアです。
子供の気持ちをやさしく包みこんだり、親子が共有する時間をつくることができたり、
子供達に夢や希望や笑顔をもたらす絵本の力。
一方では、子供達が乗り越えなくてはいけないこと、知らなくてはならないこと、突然やってくる親しい人との別れ、戦争や平和について絵本の中で考えることも、絵本の役割のひとつではないかと思います。
真実は、時には辛く、なにかやりきれない感情を引き起こします。しかし、どうして辛いのだろうと考えることも大事なのではないでしょうか。

たんぽぽ絵本箱は、えほけんの歴史(年表)に載せておきたい活動ですね。

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