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脳腫瘍との共生コミュの脳腫瘍発症5周年

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2005年11月28日に癲癇発作で意識不明で運ばれてグリオーマが発見されてから、ついに5年ちました。今月の12日NOMRIでも再発なし。正式には来年の1月31日をもって5年生存率クリアだが、次回のMRIは早くても来年の5月まで撮らないので、実質5年生存率もクリア

5年経っても何かが具体的に変わる訳ではないが、やはり5年というのは一つの区切りだ。

病を得て持った心持となどは2年前の日記と変わりはない。暇な人は読んでみて見てください。
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1007303010&owner_id=7244498

今回は、これまでの記憶を辿って5年間の自分なりの軌跡(術後の症状やその後の身体の成長過程)を振り返ってみようと思う。そんなたいしたことじゃないけど

その前に、脳腫瘍のことを考える時、やはり頭に思い浮かぶのが、広島の炎のストッパー津田恒美だ。やはりこの人を抜きには語れない。
自分は巨人ファンで他の球団の選手などほとんど知らなかったが、この選手は何故か好きだったんだよな。

http://www.youtube.com/watch?v=Y5NULN8BjUQ

当然、津田さんはアスリートであり、俺なんかと比較するのも失礼だが、津田さんは亡くなっても、俺みたいな凡人は何故か生かされている。

思えば5年前、手術直後は後遺症で真っすぐ歩くことも出来ないで、歩いているうちに左の方に寄っていたり、左手の内側がずっと痺れたような感覚が抜けないままだった。ただ、これらの後遺症は直ぐに治った。腕の痺れは半年か1年くらいは断続的に続いたが。


しかし、カルテというのはちょっとオーバーというか、考えうるすべてのリスクを記載してあって、こんなに重病じゃなかったよな、とは思う

先生が一番心配していた嚥下障害は一切なかったし。やはり食べるという人間にとって一番大切な機能に障害が残るかどうかは先生にとって一番気がかりだったんだろうな。

今でも残っている後遺症は構音障害、分かりやすく言えば呂律なのかな。今は人から指摘されることはあまりないけど、やはり自分の中では一番治っていないなぁと感じる。とっさに言葉がでないことも未だによくある。後は目眩だ。これは脳の浮腫みが原因らしい。5年も経ってるんだから、浮腫みも治って良いはずだろうと素人は思うのだが、先生曰く一生治らないものと思ってくださいとのこと。

でも後遺症としてはこれ位で、後は酒もガンガン飲んでるし普通の人と変わらない生活を送っている。本当に感謝しなければ。煙草は止めたけどね。

酒を飲む、普通のことだけど、普通のことえを普通に行えることは、実は普通じゃないことは、同じ境遇を味わった人には理解してもらえると思う。
まぁ、この辺の心理的な葛藤は日記じゃ書ききれないし、同じ病を味わった人には言わなくても分かることだと思う。後遺症やらなんやらの後ろ向きのの話はこの位にしておいて、5年間の俺の身体の成長ぶりを語りたい。
胸囲が入院前は100?位だったと思うが、現在は107?、年に1?ちょっとづつ増えたことになるかな。
ベンチプレスはMAX115キロまで去年の今頃の時点で挙げられるまでになりました。勿論ピンとかない人の方が多いでしょうけど、ベンチプレス115キロは、鍛えている人から見れば大したもんじゃないけど、だからといって普通の人では絶対に上がらない重さです。

要するに脳腫瘍を患った後でも、これ位のレベルには十分に達する事が出来て、健常者よりも体力的には勝ることが出来るということが一番伝えたいことです。そりゃ、そりゃ、脳腫瘍と一口で言っても腫瘍の出来た部位やグレード、浸潤度で全く別の病気と言っても良い位に差があるから、脳腫瘍の人が皆、俺のように元気になる訳じゃない。
でも、不治の病に罹ったように絶望的な気持ちを持ってもらいたくもない。

俺のように元気で能天気にぐうたらに生きている脳腫瘍患者もいることを知ってもらいたい。

筋肉とういか身体って嘘をつかないです。鍛えれば、鍛えたほど結果が目に見えて分かるし、逆にさぼってたりすると、身体なんてどんどん衰えます。
筋肉は絶対に裏切らない。自分のやってきたことが、そのまま身体に出る。
ゴルフ何かだと、ちょっとしたアドバイスで真っすぐ飛ばなかった球が、真っすぐ飛ぶようになったりするけど(あくまでアマチュアレベルでの話)。
筋肉はちょっとしたコツを掴んだとか、どんなに優秀なトレーナーがついても、すぐに効果が出るわけじゃない。地道に努力して少なくとも1年くらいは経たないと、効果なんて分からない。
少なくとも、俺は脳腫瘍を患った後も、こうした地道な努力を続けられる位には回復することが出来ました。

だから、今脳腫瘍を患っている人やあるいは家族に脳腫瘍を患っている人がいる方たちには、俺みたいに悪性脳腫瘍になっても元気な奴がいるということを知ってもらいたいです。脳腫瘍って全部が全部不治の病ではないです!!!。

後は死にざまの事を語りたいけど、長くなってちゃったので、また別の日記に書きます。


コメント(6)

あっ、あと後遺症にはてんかんがあります。ここ1年位は発作いはないけど、この辺の所は正確に伝えないといけないからね。
すみません。
勝手に書かせていただきます。。。。


私は小学3年生の時、脳腫瘍を発見し、手術し、成功しました。

手術後放射線をガンガン当て、髪の毛は30になった今でも
まだ一部生えてきません。

丸坊主で鬘の時は学校での生活も毎日大変。
体育は全て見学、貧血だったし、手術した国立がんセンターに通い
輸血をしまくっていました。

でも、毎日の生活に精いっぱいで、大変だと思ったこともありませんでした。


小学校−中学校−高校−予備校

記憶力が手術のせいで無くなった(と決めつけていた)為
美大を受験し一浪。
それでも大学に入りたかったので、中国に留学。


中国、上海で一人の生活をし始めました。

その際には、何回も発作になりました。
記憶が飛んで、自分が何をしていたのかわからないことがありました。

でも、みんなが、助けてくれた。
ストレスは感じなかった。


それに比べて現在はどうでしょう。

大学を卒業し、日本料理屋のアルバイトから始めた
責任を持って行う、「仕事」

日本料理−会社の受付−航空チケット販売

ここまでは良かったのですが
今務めているテレマーケティング会社では、

毎日のように、軽い発作(気持ち悪くなります。)が連発。
ひどい時には、お客様からの電話で会話の最中に記憶が飛び、
そのあと私は一体何をしたのか覚えてません。

その発作、私の警告サインに
「この仕事は無理だよ、お前には重すぎる!」
と言われているような気がします。

発作、記憶が飛んでしまうこと、
それが仕事にさまざまな害を及ぼしてしまう。
それがみんなに影響するほどになったら・・・・


と毎日びくびくしながら仕事をしています。


変なことずらずら書いてしまいすみません。
私自身の頭の中がぐちゃぐちゃになってしまったので、ちょっと記入させてもらいました。
ななさん
コメントありがとうございます。

同じ脳腫瘍でも、自分とはその後の症状にかなり違いがありますし、分からないことも多いですが、もしななさん自身が現在のお仕事に限界を感じているのなら、違う仕事に就くのも良い選択肢じゃないんでしょうか?
病気に関係なく、人間には得手不得手、好きなこと嫌いなこと、向き不向きはあるかと思います。自分に向いていること、自分の好きなことを仕事にできれば、これ以上のことはないと思いますしね。そのための努力をすればいいんじゃないでしょうか?
まぁ今のご時世なかなか難しいことではありますが。
ありがとうございます。
でもまあ、限界を感じるまで挑戦してみようと思います。

私の特技は、裏声。
ブタ女で、地声はちょっと怖いぐらい。
でも、裏声を出すとブリブリ、萌え萌えになれます。

この声を使って仕事をこれからも頑張っていきます!
ガストン様

5周年おめでとうクラッカー私も7年目に入りました。MRIは3月なので、再発してるかはわからないけど(笑) 身体を鍛えてすごいですよね!私は、この六年で体重増加一直線ですよ(^^;)なんとかせねば…。
お互いに生きていることの素晴らしさをかみしめながら、一年一年を楽しみましょうね!今年もよろしくお願いしますm(_ _)m
くまさん

あけましておめでとうございます。こちらこそ宜しくお願いします。
7年目も無事であることを祈ってますわーい(嬉しい顔)

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