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無二会コミュの19年前の12月4日(金)

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昭和62年冬2組 時間割より(2日目)
5時半:起床
6時〜7時:勤行 法話
7時〜7時半:清掃
7時半〜8時半:朝食
8時45分:集合
9時〜12時:開講式 
      講話「家元代々について」於 事務局3階
      祖堂参拝
12時〜13時:昼食
13時〜14時半:講話 久田宗也先生 於事務所3階
15時〜16時半:講話 小田栄一先生 於事務所3階
17時半〜18時半:夕食
18時半〜20時:入浴
20時〜21時半:ミーテイング
22時〜:就寝

朝、暗い。半鐘で目が覚めた記憶。
とにかく寒い..。慌てて身繕いをして本堂へ向かう。「寒い」「眠い」「足が痺れる」の三重苦の中、勤行。お経が子守唄に聞こえた。食事当番は2班、残りは掃除。
朝食を流し込むようにして食べ、いよいよ着付け。髪の毛が上手くまとまらない、
寒くて手に力が入らない、鏡がなくて裾が見えない、など等悲鳴のようなざわつきのなか、整った人から部屋をでてゆく。最後を争うように用意された履物で、凍った道を走りながら事務局へ向かった。


9時25分 お家元と関係者が列席され開講式    
      (私はこの時初めてお家元にお会いしました)

9時40分〜 「家元代々について」菅田健三 主任教授講話 
        表千家の冊子を配られ、資料として使用しながらのお話し
 
  珠光(侘び茶の祖)
  利休(侘び茶が完成・天正19年秀吉の命で自害)
  2代少庵(会津へ流されていたが京都へ戻され、長持3個の財産を返され
        現在の地に土地を頂き千家を再興する)    
  3代元伯宗旦(利休の血をひいた孫と考えられる。交友関係は多いが、
           静かに侘び茶を好んだ)
      長男 閑 宗拙(家出)
      次男 一翁 宗守(官休菴へ・四国讃岐松平家)
      三男 江岑 宗左(不審菴へ・紀州徳川家)
      四男 仙叟 宗室(今日菴・加賀前田家)

  4代江岑宗左
  5代随流斎宗佐
  6代覚々斎宗左(将軍吉宗より茶碗を頂く。懐石道具が多くでる)
  7代如心斎宗左(9月13日天然忌。茶事の部分習いが始まる。
     先生と生徒の稽古を確立した。七事式をつくる。)

10時半〜 点出し
      菓子:蕎麦板(尾張屋製)
      茶銘:珠の白
       詰:柳桜園

この後、班ごとに祖堂をお参りした。
暗い中仄かに座する利休像、今も目を閉じれば...。

12時〜妙顕寺へ戻って昼食。その後あたふたとまた事務局へ戻る。

13時〜 久田宗匠の講話
     794年 平安京 団茶(唐)
     1185年 公家(奈良)・武家(鎌倉)の境目
         中世 緑茶・抹茶(宗)
         三尾 栂尾(栄西が茶の葉等を持ち帰る)
            槙尾
            高尾     
     1572年 利休が産まれる
     1591年 利休歿
    
     1987年 現在

紹鴎 利休の先生
珠光 紹鴎の先生(東山時代)

*干支について 
    「丁卯」昭和62年今年
     還暦 60年たってまた干支が廻ってきた事
     十干 甲乙丙丁 殷の時代からある
     十二支 植物の春夏秋冬を獣で表す
     五行
     陰陽
     上巳 3月3日のこと
    「辛卯」1591年天正19年 利休歿の年

*薄茶について
    茶事(炉の正午)について
    心身・身心一如(からだと心を一つにして)
            先に本を読んだら点前はいけない
            とにかく師匠の前でからだを動かす
    所作に区切りをつけること
    しかし切れない流れにのっている。
    (自然であること・流れるように・精神に集中する)

14時半〜 小田栄一先生(大阪より・道具研究家)
   
お茶入 : 掌中の珠・宝物
      唐物(中国から)は足利氏が売り込んだ
  
室町〜天正 : 茶壷から茶入へ興味が移る

桃山 : 芸術の目覚めの時 美濃(瀬戸物・黄瀬戸)ができる

天正中頃 : 志野・織部ができる・歪みの出現

江戸 : 御本(日本からの完全注文)
    彫三島・御所丸・金海が日本からの注文で朝鮮でつくられる

幕末 : 遠州七窯(高取・膳所・上野・朝日・志土呂・赤膚・古曽部)

*遠州の指導したもの(丹波・薩摩・信楽・伊賀)
*利休好み ゆがみがない
*六大古窯(瀬戸・常滑・備前・丹波・信楽・越前)
*室町時代(井戸・三島系・呉器・高麗・熊川)
*桃山時代に朝鮮から輸入(斗々屋・蕎麦・柿の蔕)
*唐津・萩について
*京焼について

16時50分〜 午前中の続き 菅田健三 主任教授

  8代啐啄斎宗左 天明八年千家消失し再建・反古張りの茶席を好んでつくる
  9代了々斎宗左 紀州徳川治宝候が千家にお越しになり総門を建てる。
            芸術を好んだ(お庭焼・お庭織)
  10代吸江斎宗左 元旦に少庵召出し状・徳川秀忠へのお礼状をかける
  11代碌々斎宗左 徳川家から明治維新へ・明治13年北野天満宮で
             初めての献茶(神様をお茶でおなぐさめする)
             明治39年70歳の時、家元より失火。
             残月亭復興して一年後歿。
  12代惺斎宗左 お茶の流行で婦女子が増える
  13代即中斎宗左 同門会の発足
             (表流の和のなかで皆手をつなごうということ)
  14代而妙斎宗左 当代

18時〜夕食(妙顕寺)
   講話が伸びていたため時間がおしてはじまる。頭の中が歴史年表や
   道具の話しで熱を帯びたような感じを覚えている。食後に慌しく入浴。

20時〜ミーテイング 「水屋について」 吉田舜二先生

   置き水屋は開き・吊戸棚がない。水屋の棚の意味と、それぞれの道具の
   置場所を絵に書いて説明してくださる。

*相手に美味しく飲んで頂く為にはどうするのかを考えて動く。
*短期講習会としての稽古の行い方
 ・先生に挨拶をする
 ・客の席入り
 ・服さをつける
 ・手を洗う
 ・水屋甕を開ける
 ・こぼしを洗い雑巾で拭き、雑巾を二つくらいに折っておく
 ・竹の蓋置・柄杓を清める
 ・水指を近くに寄せて8分目まで水を入れ、雑巾の上に置く
 ・好きな茶碗を清め、布巾で拭き水屋棚の中段へ置く
 ・茶せんをすすぎ、水切りをしておく
 ・茶布を畳み、茶碗に仕組む
 ・茶せんを仕組む(必ず左手で茶碗を持つ)
 ・茶杓をとって茶碗に仕組む(〃)
 ・水屋の中段の棚に仕組んだ茶碗を置く
 ・黒文字を清め、手元のみを布巾で拭き、菓子器の上に置く
 ・水指の濡れているところを拭き、雑巾掛に雑巾をかける

片付けの時は、まず道具を置いてから。
 ・建水の水を捨て清め洗う
 ・拭かずに左に伏せておいてよい
 ・茶杓を置いてから片付ける
 ・茶布から始末する(もみ洗い)
 ・茶せんをおく
 ・茶碗を洗う

こげぶち:炉縁を桐のもので覆い、炭がこぼれてもいいようにする。
箱炭斗:うら用の炭斗

君たちは何のためにお茶をするのか。
「常が茶か 茶が常か」

この日最後の吉田先生の言葉は、私を混乱の境地へ導いた。
言葉は頭の中をぐるぐる廻り「何のためにお茶をしてきたのか」、この問いに答えられない自分が情けなくて哀しくて、そして驚いた。考えたこともなかった。
短期講習会を通して最大の収穫。この問いこそが財産。
今は亡き吉田先生、その声はお茶と関わる私の真ん中にいまも息づいています。忘れられない夜から19年です。

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