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lovin' Leicaコミュの本の話。

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このトピックでは、本や写真集、図鑑とか辞書(笑)など、お気に入りの本関連についてお話ができればと思います。

まずは自分の好きな本をひとつ。

これはカメラつながりでもあるのですが、だいぶ前にずいぶん勇気を出して(経済的に)買った写真集です。

タイトルは DON'T THINK JUST SHOOT という写真集。
ロモで撮った写真が2000枚くらい載っているのですが、計算して狙った写真ではなくて、ありふれた街角の風景や、人のカジュアルな表情がたくさん写っています。
ロモにありがちな(笑)、奇跡的に差し込んだ光や、何とも言えない曖昧なにじみかた、そして、撮られている人や景色も、ロモだから油断してないようなところがあって、とても居心地のよい写真集になっています。
ぼくはカメラを構えてからずいぶん考え込んでシャッターを切るようなところがあり、この写真集のタイトルにあるように、「とりあえずとってみ」みたいな風になれたらなあとよく思います。

洋書なので値段は忘れましたが、数千円したような。
でも、ぼく自身はそれ以上にバイブルみたいな気持ちで時々開いてみたりします。

ロモはどちらかというと近景に向いていると思うし、ありふれた日常を素敵に切り取るのに向いているカメラだと思うけれど、世界中で撮られたロモ写真は、どんなカメラよりも広く世界を見ているんだなあと思わされる写真集です。

でも、ぼくが買ったロモはことごとく短命です・・(笑)。

コメント(12)

久しぶりにこのトピックに書き込みします。

最近あまり新しい本(古本も含めて)を物色しにいく暇がなくて、家にある読んでない本をようやく紐解いています。
特に古本は、探していて見つかると、何となくそれで満足してしまってなかなか読まないことがあって、うちの「そのうち読むコーナー」みたいなところに積まれています。
もう20冊くらいはあるかなあ・・。
「最低でも3泊以上のぶらり旅をする時に持っていって読む」つもりでそうやって積んでいるのですが、これがまた。ねえ。

今日はそんな本のうちの一冊を。

柳亮の「黄金分割」という本です。
この本もやたら高かったのですが、数学的な解説のページは読んでいてもよく分からないので、分厚い割には読む部分は少なかったりします。

最近もっぱら巷間で話題になっていた「ダヴィンチ・コード」でもよく登場する黄金分割ですが、それだけではなくて、ピラミッドもミロのビーナスも、法隆寺も、セザンヌもコルビュジェも、およそ「一目で美しいと思えるデザイン」には、きっと黄金分割があるそうです。
ぼくは安藤忠雄のファンなのですが、彼が敬愛する建築家がコルビュジェで、安藤氏は自分の飼う犬にまでコルビュジェと名前をつけているほどのシンパなのですね。コルビュジェの建築物は現存するだけでもかなりの数がありますが、どれもこれも、モダンとだけ評するのはあまりに言葉が足りないくらいの普遍的な美しさがあります。

あまり関係のない話ですが、円周率(π)とか、ピタゴラスの定理(三平方の定理)とか、黄金律もそうですが、およそ揺るがない定理や数式、論理って、例外なくシンプルで、かつ何とも言えない美しさがあるものだと思います。
これもまた別の話ですが、第二次世界大戦の末期に、日本の空軍の研究者が「航空機の揚力(簡単に言うと、航空機が飛ぶのに必要な空気の流れとのつきあい方みたいなもの)」の定理を発見したそうです。この数式は今でもインターネットで簡単に見ることができますが、何とも言えないくらいの美しい数式です。

まあぼくは、数式の美しさを云々できるほど知見があるわけではないのですが、単純に見て美しいと思う気持ちはそれなりに持っているつもりです。
美しいものを見ると、時間の流れが止まるというか、時間がすとんと抜け落ちたような感覚がありますね。
久しぶりにこのトピックに書き込みします。

今日の本は、赤瀬川原平の「正体不明」です。
「ライカ同盟」でおなじみの人。だったら最初に書けばよかったじゃん、と今さらながら後悔を。

この本は、赤瀬川氏がいろんな街をあるいて撮った、半分芸術、半分変なもの図鑑、な本です。サブタイトルは「読む写真集」。写真と一言コメントが延々一冊続きます。よく「VOW」と一緒くたにされたりしますが、「VOW」は被写体そのものがギャグで、「正体不明」は、被写体の読み方が素敵なのだと思います。

この本を買った時には「コメントを読むのね」と安易に受け止めていたのですが、今になって開いてみると、「君ならこの写真をどう読む?」と問いかけられているような気持ちになります。

例えば、一枚の写真を見て、人によっては「きれいなモデルさんだね」と言う人もいるし、「構図がいいよね」「背景の景色がいいね」「なんでこの写真を撮ろうと思ったのかな」「使ってるカメラは何だろう」・・いろんな受け止め方があるのだと思います。
同じように、同じ自分でも、その日の気持ちや、若い頃と今、もしかしたら付き合う女性によっても、同じものを見て感じることは違うのでしょう。

赤瀬川氏の著書で「イギリス正体不明」という本も本棚の奥から出てきました。この本も、次の機会に「読み直し」をしようかなと。
「トマソン」の話とか、ちょっと分野は違うけれど「experimental architecture」などの話も書きたいのですが、それはそれで大いに語りたいので、また別な時に。
久しぶりにこのトピックに書き込みします。

今日は昔々の少女漫画でごめんなさいなのですが、池田理代子の「オルフェウスの窓」です。
もう発表されて30年くらいにもなる作品ですが、「ベルサイユの薔薇」と併せて、この人の作品はほんとに古さを感じなくて、読むたびに発見があります。

ぼくは姉が一人いて、いつも本や漫画は姉のお下がりでした。
で、本はともかくとして、漫画は常に少女漫画。今思うと姉はマーガレットもフレンドもりぼんも花とゆめも、おおよそ当時のメイン雑誌は必ず買ってもらえていた気がします。その一部でもぼくの少年誌に使ってくれたらいいのにね。やはり子供時代は年上の方が物心両面で恵まれているよね。

それでぼくは、少年漫画はあまり知らなかったのだけど、少女漫画にはやたら詳しくなりました。
オルフェウスの窓はぼくがお下がりで読んでいた時代には既に終わっていたけれど、増刊号みたいなのでダイジェスト的に昔の作品がリバイバルしてたりする中にそれがあって、その当時は全然理解できなかったのだけど、先日ふと立ち寄った古本屋で見つけて、ちょっと読んでみようと。
そしたらハマりました。

1900年代になる前後のドイツ、ロシアが舞台なのですが、音楽的な要素と歴史的な要素があって、その中にいびつな恋愛物語がある。
史実と創作が混じって、本当にこういう話があったかのような気持ちになります。

絵の好きずきはあるかもしれませんが、とても綺麗な切ない気持ちで読み終わることでしょう。

大の大人が、30年前の少女漫画?と馬鹿にされるのも覚悟でここに書いたのは、それだけ感動したからこそ。
騙されたと思って、ぜひお試し下さいませ。
少女漫画つながり、というわけではないのですが、ちょっと前に「日出処の天子」という漫画をまた大人買いしてしまいました。

言うまでもなく、聖徳太子が主人公のお話ですね。
この間のオルフェウスの窓に比べると、少しファンタジックな要素があります。
聖徳太子が眉目秀麗な少年、そして女性を愛せない人物だったことや、その当時の天皇のこと、所領地制度、そして歴史に名を残している蘇我馬子や蘇我蝦夷などのこと、少女漫画としての性質を残しながら、歴史漫画でもあり、いわゆる「インサイドストーリー」でもあり。
とても奥の深い作品だと思います。

この作品を読んだことのある方がいたら、「自分が男だったら誰を愛する」「自分が女だったら誰を愛する」というような話をしたら楽しそうです。

半年ほど前に法隆寺に行ったのですが、今もう一度行くとまた違う感慨がありそう。

そういえば、法隆寺でいろんな場所で写真を撮ったのだけど、1カ所だけ、何度シャッターを切ろうとしても絶対に切れなかった場所があります。
その時はLeicaで撮っていたのですが、デジカメだったら撮れていただろうか、撮れていたら何が写っていただろうか、と思うと少し寒々しい気がします。
もしかするといにしえの聖徳太子が隠れた場所なのかもしれません。

そういうことも思い出したりして。
久しぶりにこのトピックに書き込みします。

今日の本は「フレディ・マーキュリーと私」という本です。著者は、長年フレディの「恋人」だったジム・ハットン。

言うまでもなく、Queenのボーカリスト、フレディ・マーキュリーのインサイドストーリーです。
フレディは男性を愛する種類の人間で、フレディをよく知らなかったジムは、その奔放性と感性、繊細な面に惹かれ、時に猫のようにやさしく従順になり、時に暴君にもなるフレディと、時には自由の空へ羽ばたくように、時には暗い石の部屋に閉じ込められたように、深く関わって行きます。

ぼくはQueenの作品の多様性、美しく、狂気を含み、純粋な珠玉の作品に愛着をおぼえますが、この本を読んでから、なぜあの時に彼はこんな曲を作ったのかということがだんだん分かるようになり、Queenを深く理解することができたように思います。

最終的にフレディは、自ら歌う「バルセロナ」をオリンピックの場で歌うことなく世を去ったわけですが、臨終に向かうフレディが何を思い、恋人であるジムが何を思ったか、ほの白い光が消えるようにフレディが旅立って行く様子は、さながらゲーテの臨終の逸話のように描写されています。

意に反してジムは、後に「売名行為」「でっちあげ」などと誹りを受けることになるのですが、こうした書き方は本当に心も体も人生さえも共有した人にしかできないと思うのです。
今日の本は、チャールズ・ブコウスキーの「町でいちばんの美女」という本です。

バロウズやケルアックなど、ビート文学(人によっては単にカルト文学と言う)というような分類をされることもありますが、日本で言うとかつて石原慎太郎が書いたような「太陽族」みたいなイメージでしょうか。(でも、太陽族ほどお金持ちな感じではないけど)

「町でいちばんの美女」は、美しい顔と体を持つがために自分の内面を見てもらえないと思い込んでいる繊細な美女と、そんな彼女を大切に思うさえない男の恋物語で、作品としてはわずか10ページにも満たない短編ですが、映画化されるほどに、その繊細さと刹那的な心の交わりにあふれる名作です。

どの作品にも似ていない、ブコウスキーでなければ書けないような話。

彼は他にも同じようなトーンの作品を生み出し続け、今から10年あまり前に70代半ばで亡くなるまで、奔放で繊細な人生を歩きました。
他にも「ありきたりな狂気の物語」「ポスト・オフィス」などなどの名作(ぼくにとって)があります。

ちょうどぼくは10代〜20代前半あたりに彼の作品や彼の生き方みたいなものに触れて、その世界観に少なからず憧れ、ちょっとした放浪や飲んだくれみたいなことをしたりするのですが、それはまた別の話。(笑)
今日の本は、山川力という人の監修した「アイヌは主張する」という本です。
消え去りゆくアイヌの言葉や文化、生活、そして迫害と言っていいような苦悩の日々をまとめた本で、大の大人が涙なくして読めないような内容です。

ぼくは学生の頃に言語学を学んでいて、方言研究をテーマにあちこちを歩いたことがあります。
その中でもちろんその土地土地の風俗やなんかも触れるわけですが、どうしても沖縄と北海道には足が向きませんでした。日本の端と端。かつて沖縄は琉球王国があり、北海道はアイヌ民族が生活していました。けれど、どちらも本土からの侵略を受け、言葉や文化をはじめ、一つの国、日本になるために全てを歪められた悲しい歴史があります。方言研究などという浅いテーマではそこまで踏み込む勇気がありませんでした。

子供の頃からスキーをやっていたぼくは、北海道の有名なスキー場、たとえばニセコとかトマムとかといった名前は知っていて、自分の生活にあるどの言葉とも違うその響きに魅力を感じていました。中学生になると地図を開いて、よく北海道の地名、山や川の名前、岬の名前などを見ては楽しんでいました。本土から多くの人が移住した場所、例えば札幌や苫小牧なども、漢字の地名を与えられていますが、もとはみなアイヌの言葉です。

話を元に戻して。文字を持たないアイヌの言葉は、戦後になって文化保存というような意味合いで、日本語に変換されて多くの書物が発表されました。
この「アイヌは主張する」にも、そうして世に出た多くの詩や文章が載せられています。

「チユク」
ラペンペエチセ シット。ラエチカップ タプカシノヌカレ
パナケウン ウヌクナケ シキナ ナイクスン
ゴンダシ シノ サパハ オッタスマコイキ
ニスコト。ク キミバチャクプシ ユウタニエウポポ
ポロホライエプヤラ ウヌパ イヤイライケレ カムイ
エ チエッポ

(ト。は、トに○がついたもの)

和訳「秋」
茅葺きの家 迷子の鳥が舞を見せ
川下へ 母とガマを取り 籠を頭に石を拾い
臼でつく きびがはじける 杵の唄
東の窓 母が受け取る 神の魚

こんな感じです。
言葉全体としてはロシア語にかろうじて近いかなと思ったりしますが、この詩のように、写実的な部分と感覚的な部分の入る内容にはとても興味深いものがあります。

ぼくは別にアイヌの学者になりたいわけではないのですが、日本語、言葉を大切に思っているので、沖縄の言葉も併せて、もう少し勉強してみたいと思います。
今日の本は、夏目漱石の「それから」です。
何不自由なく暮らしているのに、不自由な、いびつなものを好きになる。
放っておけば光の差す道を歩いているのに、有象無象がうごめく暗い脇道に魅力を感じる。
そういう経験って、誰しもあることなのだと思います。

主人公の代助は、あろうことか兄の妻を愛し、裕福な家族から勘当されてもその想いを断ち切ろうとしない。
質素で凛としてどこか影のあるその人をどうしても愛してしまうのです。
最終的には、何もかも失って、どこへ行くともなく歩き出す。
そんなお話です。

そんな彼を愚かと思うか哀れと思うか、あるいは共感するものがあるか、それは人によって違うし、それぞれを少しずつ持っている人もあるかもしれません。

けれど、彼は何も後悔せず、愚かな道へ転落して行く自分を少し好きになったりもする。
そんな退廃的な物語に、未来の今、同じような気持ちで生きている自分がいる。気がする。

ぼくは裕福でもないし兄さえいないから、同じような経験はできないけれど、自分のすぐそばにあるもやもやした暗い場所をいつも感じていたいなあと思っています。
久しぶりに書き込みを。

今日はミヒャエル・エンデの「モモ」という本です。
「時間貯蓄銀行」というあやしい名前の銀行によって、人々の時間がだまし取られ、人々は時間と心の余裕がなくなっていき、その銀行の正体を見破った少女モモがそれを救うというようなお話です。

もう30年以上も前の本ですが、日本では人気があるようですね。
忙しい毎日の中で、生きることの本質みたいなものを問うようなところもあって、今読んでも考えさせられます。

できるだけゆっくりのんびり、ゆるやかに穏やかに生きたいと思うけれど、生きているとなかなかそんなわけにはいかないですね。
でも、時々は、ふうっと空を見上げて深呼吸したい。海を見つめて寄せる波の音に目を閉じたり、土の匂いをかいだり。

そんなことを思う本です。

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