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学校嫌いの学問好き。コミュの本からの引用

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トピがないので、勝手に作っちゃいます。
(わーい、一番だ。)

コメント(15)

本を読んでいて、共感できる文章があったので、そのまま載せます。皆さんはどう思いますか?

オレの大学生活はつまらなかった。面白い授業など皆無だった。大学教員なんてたいしたことないやとなめていた。周囲の学生もそろいもそろってバカばかりで、相手をする気は全然なかった。
 オレの考えはこうだ。本屋や図書館に行けば数え切れないくらい本がある。単に勉強したいなら、片っ端からそれを読んだほうが、大学へ通うよりよほど手っ取り早い。勉強などというものは自分でするべきものである。人にあれこれ指図されてするようなものじゃない。
 ただ、優秀な人間からは刺激が受けられる。それは授業中だろうが飲み会だろうが、どこでもいいのであって、必ずしも、決められた枠組みの中である必要はない。もちろん、大学でなくて一向にかまわない。本当はソクラテスみたいに、教室なんか必要じゃなく、道端で立ち話でもいいのだ。
 「大学がつまらない」「大学ってこんなものですか」といってくる学生はいる。大体そういうやつらは、人並み以上に優秀な連中だ。オレは「大学なんておもしろいわけないじゃん。我慢するのを勉強するところだよ」と言ってやる。大学をおもしろいと思うようでは、人間が小さいし、きわめて凡庸と言うほかない。要するに、オレが大学で働いているのは、給料欲しさと同時に、「学校なんてくだらないんだよ」と教えるためなのだ。
 ついでに言うと、俺は優等生が嫌いである。毎回欠席しないで全ての授業を受け、ちゃんと勉強してテストでいい点を取る。こんなことをするのは「この先生は優秀だ」「この先生はダメだ」「この授業はくだらない」「明日は休んでデートに行っても大丈夫」「この科目は大事じゃないから成績はCでもいい」という何が大事、何が大事でないかという自分の判断ができないからなのだ。自分の判断で休む勇気がないからだ。

「オレのクラシック」  許光俊  青弓社

僕は、特に最後の文章が好き。
トピック作成ありがとうございます。
まさにその通りです。本来、学業というものは自らの意思により孤独に行うものだと解釈しています。

大学(特に文系)は一元的な知識を植えつけるだけであり、受講者はそれを覚えるだけで知識を知恵に変えることを行おうとしません(もちろんそんな生徒ばかりでなく、私の通う3流大学だから目立つ光景かもしれませんが)。そんな現状であるにも関らず馬鹿な教授はテストを行い成績をつけるだけでさも責務を果たしたかもような顔をし、生徒はそんな成績に一喜一憂するだけです。
私にとって現在の学校はただの社交の場にすぎないと感じています。

上記の文はまさに私の考えと一致(恐れ多いですが)します。
暇なので、追加です。これも、許氏の意見と似ています。

「俺の大学時代の経験と感想をいくつか述べておきたい。大学に入ってまず感じたのは、自らが設定した確固たる目的なしに社会や回りの人間に導かれるままに進んできた学生たちが、一流大学と呼ばれるところにはたくさんいるということだった。彼らの多くはぜんぜん悪い人間ではなく、むしろある意味で非常に素直で純粋であると感じた。そして彼らはまもなく同じようにして社会に組み込まれていくのだろうと思った。それは俺が学生たちと接していていつも感じていたことだ。そして、驚いたのは、早稲田でも東大でも学生たちが大挙して大教室や中教室に座り、朝から晩まで黙々とノートをとり続けているということだった。おれもっ最初の内は大学というものに興味津津だったので、いくつかためしに聴講してみたが、とてもそんな長時間そこにいることはできないと思った。知識を得るためだけならば、教科書でも読んだほうがはるかに効率がよかった。また、小教室での授業も対話は一応あるものの、本質に触れるような議論は皆無であり、どれも面白いとは感じなかった。
 大学の試験についても同じような感じだった。そのような講義で教授から放り投げられた知識を頭にできる限り詰め込んでいき、うまく試験でまとめられるかどうかが単位をとる最大の鍵だった。それはまさに、たんなるやっつけ仕事だった。逆にオリジナリティ溢れる独自の意見などはたいして行かされなかった。
 要するに、大学でなされていることは扱う題材に多少の変化はあるにせよ、小・中・高でなされていることと本質的にはたいした差がないということだ。そこに、社会に対する問題点を喚起させるようなものはほとんどないと思う。教養を学ぶことの大きな意味のひとつはそのようなことであるはずだが、俺の経験ではぜんぜん感じられなかった。

俺は大学にいることに魅力と意義をほとんど感じなかった。なぜならば、単に知識を得て単位をとるという目的のためには講義に出る必要などなく、他の合理的な手段に頼ればいいし、本当の知識を得、また思考を磨くためには、読書や他の方法をとるほうが明らかに有用かつ効率的だからだ。 」

「東大に入る」ということ 「東大を出る」ということ  中島敏  プレジデント社

僕はといえば、この二つの文章に共感して、大学なんぞ行ってません。(許光俊氏に言わせれば、これは勇気ある行動だそうで・・・)
すばらしいです。
学校など行かずとも更なる目標があれば、単位なぞおのず付いてきます。

大学は出会いと遊びの場でありそれ以上の価値はありません。
(それに命をかける人もいますが)
 2,3点コメントしたいです。さきほど、コミュニティーに参加したばかりです。今大学2年生で栄養学科です。わたしは、基本的に大学生活が楽しくて仕方がありません。勉強も部活もプライベートも充実しています。
 まず、大学の勉強は小・中・高でなされていることと本質的に違うと感じます。今までは、暗記・受験勉強が主でした。しかし、今は、暗記することではなく自分で考えることが大事だと思える授業が多いです。実験などでも、方法は教えてもらいますが、結果・考察は自分でまとめます。さらに深く考えたい人は、さらに書籍で調べ考えます。
 次に、私はおそらく「毎回欠席しないで全ての授業を受け、ちゃんと勉強してテストでいい点を取る」優等生にのうちの一人です。でも、休む勇気がないのではなく、学校に行くより有意義なことがないだけです。他に有意義なことがあれば休みます。現に、来月海外にボランティアにいくため数日間学校にいきません。
 いくつか述べさせていただきましたが、私の大学はキリスト教系女子大で、いわゆるリベラルアーツカレッジなので、一般的な大学とは少し質が異なっているかもしれません。ですが、私の思っている大学についての感じ方があまりにも違うので書き込みさせていただきました。
 
>柳沢どうした?さん 全部本に書いてある。とのことですが、教科によっては(衛生学など、)教授自身が執筆した本を使います。私は栄養学科ですが、「栄養学雑誌」などに教授の研究論文が載っており、それを使って授業をすることもあります。
 教授は研究の傍ら、私たちに講義をしてくださるのでとても勉強になります。
めぐちゃんさんのように、その環境を好いていらっしゃる方、それはそれで素晴らしいと思います。けれどいつまでも学校にいられるわけではありませんよね。私は自分の好きな勉強を、自分の力だけで学んでいくという力が、卒業後も積極的に学問に向かっていけるかどうかの決め手になると思います。学校に行くのが楽しい方も、そうでない方も、いずれにしろ自分で調べて学ぶ力はあった方がいいように思います。

その点で、柳沢どうした?さんのおっしゃったように、論文を手に入れて勉強するということはかなり有効です。アメリカの学生はインターネットから情報収集しリサーチペーパーを書くことは日常です。インターネットなどには最新の研究が載せられていることも多いですよ。教授だけしか知らないことがあるかどうかは、私も疑問です。

たぶんお話に関係あると思うんですが・・・
教授の授業というのは、その学問で大事なこと、時事で大事なことなどを彼らが取捨選択し教えてくれる。ある意味楽にそういうことを、知り得ることが出来ます。けれどそれは限られた情報とは感じられないでしょうか。何が大事でそうではないか、教授の考えは一個人の意見であることを忘れてはいけないです。だから書物を読んだり、多くの情報を集め、その中から自分にとって必要なものを引き抜くということは大変でもやる価値のあることですよ。学校に満足しているときにはあまり気付かない落とし穴です。
> 柳沢どうした?さん
訂正ありがとうございます。私もいくつかコメントをしたいと思いました。

>研究の傍ら、教えてくれる。といいますが、その様な授業が世間にありふれていると思っているのでしょうか?

思っていません。というか、「私の学校ではこうだ」ということを伝えるつもりで書いたので、他の学校のことは意識していませんでした。

>さらにいえば、研究論文を使って授業といいますが、その論文独自に手に入れ、独自に勉強することは不可能ですか?

 私の場合は不可能です。そもそも、教授に教えられるまでたとえば「栄養学雑誌」のような論文雑誌の存在を知りませんでした。また、論文についての解説をしてくれる人も、私のような学生の身分では教授しかいません。一人で読む力はありません。私は今大学2年生ですが、「栄養学の基礎がやっと身について、少し応用が利く」ぐらいなので。そういう意味で教授の授業は私にとって大変有意義なものです。

>そもそも、その教授以外誰も知らない事実があるのか。

 その教授以外誰も知らない事実があるかどうかは私は特に気にしません。別に他の誰かが教えてくれるならそれでもいいですが、今の私は学生ですので、その教授しか教えてくれる人がいません。もちろん自分で学習する方法はありますが、効率よく、かつ最新の学会などについての情報を容易に知ることができる場は教授がやってくださる講義だと思います。
 しかし、あえて言うなら。その教授以外誰も知らない事実はあると思います。今教授とゼミ生がやられてる研究は「ある食品(ここでは言いませんが)の成分が及ぼす体への影響について」といった内容だったと思いますが、どの成分が体に影響を及ぼしているか、研究されてる教授の頭の中にしか研究結果はありません。
 また、教授はただ「衛生学」なら「衛生学」のことしか講義でしゃべらないというわけではないですよね。たとえば、「最近やってる研究について」とか、関係ないですが「教授の大学時代」の話とか。研究についての話はもちろん、「大学時代」の話は、人生の先輩としての話はためになります。そして、そういうことも含めると、その教授の授業でしか学び得ないこと葉あると思います。そして私はのような講義を求めています。
>blancheur70 さん
>教授の授業というのは、その学問で大事なこと、時事で大事なことなどを彼らが取捨選択し教えてくれる。ある意味楽にそういうことを、知り得ることが出来ます。けれどそれは限られた情報とは感じられないでしょうか。

 そうですね、確かに限られた情報といえるかもしれません。しかし、私も、授業で満足しているというわけではけしてありません。授業をただ聞いていたからといって自分にもどんどん知識や応用力がついていくとは思っていません。何事も自分でやって、失敗したり新しく学ぶことがあってこそ成長できると思っているので。
 さらに付け加えると、よく、講義後レポートなどの課題がでます。それらは関連のある文献や論文雑誌を読んで自分なりに解釈しないと書けないものが多いです。また、講義を聞いているそばから次々と自分の中で「ほんとうにそうだろうか」「他にはどんな情報があるだろうか」などの疑問がわいてくることがあるので、そういう時は自分から情報収集をして、考えます。大学の講義はただ受身で聞いてるものではないんです。

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