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ヨーロッパの先史時代コミュの関連ニュース・トピック

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 ちょっとコミュニティを放置気味なので、新たにヨーロッパの先史時代に関するニュースを貼り付けるトピックを作ります。
 皆さんの投稿をお待ちしています。

 早速ニュース第一号。

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20070131-00000030-mai-int
(引用開始)
<ストーンヘンジ>4600年前の木造家屋跡発見 英国
1月31日10時46分配信 毎日新聞

 【ワシントン和田浩明】英国南部の先史時代の環状巨石遺跡「ストーンヘンジ」近くで、約4600年前の木造建築物8棟の土台が発掘されたと全米地理学協会が30日、発表した。考古学者らはストーンヘンジの建設者の住居や儀式用施設と推測している。他に25棟前後が建てられていたと推測され、小規模な集落があったようだ。
 発掘チームのリーダーであるマイク・パーカー・ピアソン英シェフィールド大教授(考古学)は、今回発見された集落とストーンヘンジが「複合的な宗教施設を形成していた」と述べ、ストーンヘンジは従来考えられていたより大規模で重要な場所だったと指摘した。
 木造家屋跡はストーンヘンジから北東に約2.8キロ離れたダリントン・ウォールズで06年9月に発見された。放射性炭素年代測定で紀元前2600〜2500年ごろのものと判定された。
 8棟のうち6棟は約23平方メートルの正方形で、粘土の床に暖炉が配置され、壁際にはベッドや収納用家具らしきものも置かれていた。床からは動物の骨や土器の破片、矢じりや石器なども多数見つかった。
 残りの2棟は離れた場所で木さくと堀に囲まれていた。他の住居跡で見つかった生活ごみなどは見当たらなかった。集落の長(おさ)か司祭の、住居か儀式用施設だった可能性があるという。

 この集落は近くを流れるエイボン川につながる石畳の道沿いに建設されており、木造の環状構造物跡も見つかっている。この川にはストーンヘンジからも道が通じている。ピアソン教授は両者の構造に対称性があると指摘し、「石造のストーンヘンジは死者に、木造のダリントンは生者にささげられた施設だったのでは」と推測している。
 ダリントンの集落付近から発見された人骨(約4300年前)を調べたところ、ヨーロッパ・アルプス付近の住民だった可能性があるといい、この地域に英国南部一帯だけでなく欧州各地から人々が訪れたとみられる。
 ストーンヘンジは「天文台」「太陽の祭祀(さいし)場」など諸説がある世界遺産(86年指定)で、高さ7メートルの組み石5組を中心に、高さ4〜5メートルの立て石約30個が直径約100メートルの円形に並ぶ。約4500〜4600年前ごろから巨石の建立が始まり2000年間にわたって建設されたとみられる。
(引用終了)

コメント(14)

ラインラント(ドイツ)で12万年前のキャンプ・サイト発見 

http://www.spiegel.de/international/0,1518,464574,00.html

 発見されたのはインデン近くの褐炭鉱で、同地では昨年夏にも12万年前の柱穴を伴う3基のテント址や2つの炉址、石器・剥片600点が発見されている。
 当時(サンガモン間氷期)のドイツ北部の気候は、現在の地中海並だったとのこと。
(引用開始)
「永遠の抱擁」、5000年前の男女か=イタリア発掘調査
2月7日14時37分配信 ロイター

 2月6日、イタリア北部のマントバ近郊で5000─6000年前に埋葬されたとみられる抱き合った男女の遺骨が見つかった。提供写真(2007年 ロイター/Enrico Pajello)

 [ローマ 6日 ロイター] イタリア北部のマントバ近郊で、5000─6000年前に埋葬されたとみられる抱き合った男女の遺骨が見つかった。発掘調査チームの責任者、エレナ・メノッティ氏は、「これまで新石器時代に2人一緒に埋葬された例はもちろん、こんな風に抱き合った形で発見されたことはなく、驚くべきケースだ」と語った。
 同氏によると、埋葬されていた2人は男女にほぼ間違いなく、彼らの歯がほとんど原型のまま磨耗もしていないことから、未確認ではあるが若くして死亡したとみられるとの見解を示した。
 同氏はまた、ロイターに対し「遺骨を発見した時、われわれ全員がとても興奮しました。私はこの仕事を25年間続けており、ポンペイをはじめあらゆる有名な遺跡の発掘に携わりましたが、これほど感動したことはなかった」と述べ、今回の発見がこれまでの発掘をしのぐほどの特別なケースだと説明した。
 発掘調査チームでは、今後発掘された遺骨の死亡時の年齢や埋葬された時期の特定を進めることにしている。
(引用終了)

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20070207-00000154-reu-ent
http://www.spiegel.de/wissenschaft/mensch/0,1518,464805,00.html

 ヨーロッパの新石器時代(北イタリアでは紀元前5500〜2200年)としては初の合葬例とのこと。

 ドイツでは1914年にオーバーカッセルで1万年以上前(後期旧石器時代)の男女の合葬例が発見されている。
 今年1月にもザクセン・アンハルト州カルスドルフで女性と10歳以下の男の子の合葬が発見され、同時に死んだ母親と息子と推測されるが、DNA分析の結果が待たれる。
http://www.spiegel.de/wissenschaft/mensch/0,1518,466395,00.html

(リンク先のニュースの概要)
 フランス・ノルマンディ地方のエヴルーでローマ時代(3世紀)の墓地群が発見されたが、その特異さが古学者の注目を集めている。

 通常ローマ時代の墓は、死者の頭位も揃い整然と埋葬されているのだが、計40体が発見されたこの墓地ではかなり乱雑に埋葬されていて頭位もばらばらである。しかし戦闘による死者を処理したことを示す証拠(傷跡)などはない。

 さらに特異なのは、馬骨が一緒に副葬されていたり、人骨が二頭の馬の頭蓋骨に挟まれて埋葬されている例である。
 この時代に馬食の風習はないので食料としての副葬は考えられず、むしろ紀元前のガリア(ケルト)人の風習に見られた騎馬戦士の墓への馬の副葬、あるいはエポナ(ケルト人の女神で、馬に乗った姿あるいは二頭の馬に挟まれた姿で表現される)信仰を連想させる。

 ガリアは紀元前50年頃までにローマ帝国に征服され、ガリア人たちはローマ化されている。
 ローマによる数百年の支配を経てもなお紀元前のガリアの伝統が残されていたのか、それともこの特異な埋葬には疫病などといった何か特別な理由でもあるのか、その解明は今後の調査を待たねばならない。

・・・・・・・
 まあ馬の副葬はスキタイなどの騎馬民族やゲルマン人でも行われていて、そうした人々がローマ軍の傭兵や奴隷としてガリアに居たことは十分考えられるわけで、この墓を「ガリア人の伝統」と決め付けるのは早急な訳ですが。あとケルト人の墓への動物骨の副葬というと、むしろ豚骨のイメージがあるが。
 他に副葬品はなかったのだろうか。
http://www.spiegel.de/wissenschaft/mensch/0,1518,466195,00.html

(概要)
 1951年、ドイツ北部ヴィンデビューの泥炭湿地で、二体のミイラ化した遺体が発見された。現在はシュレスヴィヒにある州立博物館に所蔵されている。
 発見当初、この二体は不義密通の罪で処刑された2世紀頃のゲルマン人男女の遺体と推測され、その後定説となった。ローマ人とは対照的に、ゲルマン人は不義密通を最も嫌う、というタキトゥス著「ゲルマーニア」の記述を裏付ける貴重な発見例とされたのである。

 ところが発見から半世紀、C14測定の結果、この二人は同時に死んだのではなく、3世紀ほどのタイムラグが存在することが明らかになった。
 しかも法医学の専門家の鑑定により、男女ペアとされていたものが実は二体とも男性で、しかも一人の死因はおそらく歯槽膿漏に起因する感染症と考えられ、殺害されたものではないと推測された。以前に行われたDNA鑑定でも同じ事実が指摘されていたのだが、考古学者たちはコンタミ(資料の混同)の疑いがある、としてその結果をなかなか受け入れなかったのである。
 一方で考古学研究のほうからも、当時発掘を担当した人物の調査記録を疑う声も挙がっていた。またこうした泥炭地遺体の全てが処刑や生贄によるものではなく、単に貧しい人物の遺体を泥炭湿地に沈めて処理(埋葬)しただけではないか?という意見も提出されていたのだが、発見当時の「伝説」が疑われることも無く、半世紀もの間、学会に受け入れられていたのである。
http://de.news.yahoo.com/23022007/336/laquo-sensationellen-raquo-zustand.html
リンク切れに備え転載↓

In einem «sensationellen» Zustand
Freitag 23. Februar 2007, 13:23 Uhr

Herne (ddp-bay). Die rund 1000 Jahre alte Moorleiche «Rosalinde» aus dem oberbayerischen Peiting ist seit Freitag im Archäologie-Museum in Herne zu sehen. Die Leiche der etwa 25-jährigen Frau wurde 1957 beim Torfstechen im Schwarzlachmoor bei Peiting gefunden, wie der Landschaftsverband Westfalen-Lippe (LWL) mitteilte. «Rosalinde», wie die «Frau von Peiting» von den Forschern genannt wird, starb um 1100 nach Christus wahrscheinlich am Kindbettfieber.

In einem zwei Meter langen Sarg wurde die Tote im damaligen See versenkt. Sowohl Haut und Haare als auch große Teile der Bekleidung sind erhalten. Ihre Schaftstiefel aus Ziegen- und Rindsleder wirken den Angaben zufolge nach der Konservierung mit einem Gerberfett fast unwirklich neu.

Der grob gezimmerte Kiefernsarg war vermutlich mit Steinen beschwert worden, um ihn zu versenken. Der See vermoorte und die Frau, die kurz zuvor ein Kind bekommen hatte, wurde konserviert. Über die Umstände, die zu der Bestattung im See führten, gibt es nur Vermutungen. «Offenbar war es nach damaligen Wertmaßstäben nicht möglich, die Frau auf einem christlichen Friedhof zu bestatten», sagt LWL-Archäologin Svea Rathje.

Den Erhaltungszustand der Leiche schätzte Rathje als "sensationell» ein. Außer einem hellen Kleid aus Wollstoff fanden die Wissenschaftler auch Reste einer Unterbekleidung aus Leinen. In ihrem kinnlangen Haar trug die Frau ein gewebtes Haarband.

Vor der Schau in Herne wurde die «Frau von Peiting» im Textilmuseum in Neumünster archäologisch untersucht. Nach dem Ende der Ausstellung am 30. Mai wird «Rosalinde» für weitere wissenschaftliche Untersuchungen nach Bayern zurückkehren.
(ddp)

 ドイツのヘルネ(Herne)にあるウェストファリア州立考古学博物館での展示の記事。
 ボッフム近郊にあるこの博物館は斬新な展示と研究博物館としての機能を備えた、ドイツでは新基軸の考古学博物館です。
http://www.lwl.org/LWL/Kultur/WMfA_Herne/

 この記事は5月30日まで同博物館で展示される、バイエルンのパイティンク湿地で発見された12世紀の泥炭湿地遺体に関するもの。「ロザリンデ」とあだ名されたこの女性は25歳くらいで産褥熱のため死去し、何らかの理由(教会の墓地への埋葬が許されなかったものと見られる)で、重石をした木製の棺に収められて湿地に沈められた。
 毛髪や皮膚、皮製の靴、ウールの衣類、麻の下着などが良好に残存した状態で1957年に泥炭の採掘中に発見された。
http://www.spiegel.de/wissenschaft/natur/0,1518,469403,00.html

(概要)
「ドイツで初めての遺丘発見」
 「遺丘」とは主に西アジアに分布する、長年にわたる居住により形成された丘状の集落遺跡のことで、現地ではテル(アラビア語)あるいはホユック(トルコ語)、テペ(ペルシア語)、マグーラ(ギリシャ語)などと呼ばれる。乾燥したこの地域で使われる建材の日干しレンガが崩れて堆積し、高い丘になる。イラクでは高さ40mにもなったものがある。

 西アジアに特徴的と思われているその「遺丘」が、ザクセン・アンハルト州(ドイツ東部)のオーバーレープリンゲンで発見された。
 高速道路工事に伴う緊急発掘調査で発見されたこの遺跡は自然の土砂ではなく、堆積した粘土で形成されており、紀元前5000年頃の新石器時代に居住が始まり、円形の住居が建設され1500年ほど継続した。その後紀元前1000年頃(青銅器時代)に短期間(300年間?)居住されて祭祀が行われたらしく、馬や犬の骨を伴う、頭のない二体の少年の遺骨が発見されている。
 ここの他にもドイツに遺丘が存在した可能性は高いが、風雨や川の流れによる浸食で流れてしまい、発見するのはきわめて困難である。そもそもアルプス以北のヨーロッパでの建材は木材や石が主で、日干しレンガのように崩れて大量の土が残され堆積するということがない。
<7

 7の記事と同内容。より大きい写真あり。↓

http://www.archaeologie-online.de/magazin/nachrichten/artikel/die_frau_von_peiting_jetzt_in_herne/?tx_ttnews%5BbackPid%5D=40&cHash=aeb285a1e3

 よく考えたらこのニュースは「先史時代」じゃないですね。
http://de.news.yahoo.com/06062007/3/laquo-oetzi-raquo-forscher-eismann-verblutete-innerhalb-minuten.html

«Ötzi»-Forscher: Der Eismann verblutete innerhalb weniger Minuten
Mittwoch 6. Juni 2007, 16:06 Uhr

Zürich (dpa) - Der Gletschermann «Ötzi» ist Forschern zufolge innerhalb weniger Minuten verblutet. Der Mann wurde vor 5300 Jahren von hinten von einem Pfeil getroffen und starb so rasch, weil dabei eine große Arterie der linken Schulter verletzt wurde.

Das berichtete die Universität Zürich am Mittwoch. Die Verletzung der Arterie sei mit Hilfe der Mehrschicht-Computertomographie von den Wissenschaftlern aus Zürich und dem italienischen Bozen ermittelt worden. Das in Hamburg erscheinende Magazin «National Geographic Deutschland» hatte bereits im Oktober vergangenen Jahres über dieses Ergebnis berichtet. Nun ist die Arbeit im «Journal of Archeological Science» erschienen.

Vor 15 Jahren hatten Wanderer den «Homo tiroliensis» in den Ötztaler Alpen entdeckt. Er trug grasgefüllte Schuhe aus Bärenleder, eine Mütze und einen Fellmantel sowie eine Art Leggins aus Pelz. Über seinen Tod kursieren verschiedene Theorien - bis hin zur rituellen Opferung. Als sicher gilt inzwischen, dass «Ötzi» mit etwa 47 Jahren starb. Er hatte Spuren fremden Blutes an den Händen. In seiner linken Schulter steckte ein 21 Zentimeter langer Pfeil.

 1991年にオーストリア・イタリア国境のアルプス山中の氷河の中で発見され話題となった5000年前の「アイスマン」(オェッツィ)に関するニュース。
 最近の法医学的調査で、彼が凍死や事故死したのではなく肩に命中した矢で死んだことが判明しているのですが、新たに出血多量によるほとんど即死に近い死だったと判明したとのこと。
 また彼の手には別人の血がついていたことも判明。氷河も残るあのような高山で、いったい何が起きたのか。謎は深まります。
 
 今ドイツでは、実際にアイスマンが歩いたと思われるコースを、当時の服装や装備で歩いてみる再現実験を記録した番組が放送されています。↓
http://www.swr.de/steinzeit/html/ALPEN.html
エトルリア人の祖先は小アジア出身か
http://www.dradio.de/dlf/meldungen/forschak/636939/

 ニースにおける国際遺伝子学会で、トリノの遺伝子学者がエトルリア人のDNAを分析してイタリアをはじめとするヨーロッパ各地の人間(現代人か?)のDNAと比較したところ、小アジア(現在のトルコ)人のそれが一番近く、古代ギリシアの歴史家ヘロドトスが記しているように、エトルリア人の起源は小アジアにあると推測される、と発表した。

 ・・・とのことだが、DNA分析でそこまで分かるものだろうか。イタリアにしろトルコにしろ、現代までにいろいろ人間の往来があって、そんなに簡単に比較できるとは思えないのだが。
 この報道が本当なら非常に興味深いことなので、発表内容そのものについて詳しく知りたいところ。

 エトルリア人だけでなくて、ローマ人の始祖も小アジア出身ということになってますね。
 現存する世界最古の象牙細工の小像を発見(ドイツ)

http://www.spiegel.de/wissenschaft/mensch/0,1518,489660,00.html
 
 チュービンゲン大学の調査隊はドイツ南部シュヴェーヴィッシェ・アルプの洞窟における発掘調査で、3万5千年前の象牙細工を発見したと発表した。現存する世界最古の象牙製小像となるこの遺物は、長さ3.7cm、重さ7.5gのマンモスを象った小像など。
 出土した層の年代から2万8千〜3万6千年前のものと推測される。この時代は人類史上初めて「芸術」と呼ぶに値する精巧な彫刻が出現したことで知られており、この像も最古の部類に属する。

 この像を彫ったのがネアンデルタール人か現生人類かは議論が分かれているが(両者が居た可能性があるため)、発掘を担当するニコラス・コンラート氏は現生人類ではないかと推測している。
 発掘調査は2009年まで継続される予定。 
11のニュースに追記。
http://www.journals.royalsoc.ac.uk/content/v50r388136231511/
http://www.ntv-online.de/815441.html

 この発表を行ったのはトリノ大学のアルベルト・ピアッツァ教授で、試料として用いたのは古代エトルリア人そのもののDNAではなくて、かつてのエトルリアの中心地とされるトスカナ地方のムルロとヴォルテッラ、カセンティーノに代々住んでいる住民のDNAだそうだ。なあんだ。
 この地方の住民のDNAは、イタリア内の他の地方の人よりも、トルコ人のそれに近いという結果が出たとのこと。トルコ人にしかない特徴を共有するという。
「イギリスでケルト人ドルイド(ケルト社会における神官のような存在)の墓を発見か」
(ドイツ語記事)

http://www.spiegel.de/wissenschaft/mensch/0,1518,536011,00.html

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