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ヨーロッパの先史時代コミュのフィブラについて教えて下さい!

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 このコミュニティのトップにも採用されている、フィブラについて語り合いましょう。

 まずは管理人さん、トップのフィブラの説明をお願いできますか?よろしくおねがいします。

コメント(17)

 この写真はドイツのバーデン・ヴュルテンベルク州にあるホーホドルフという古墳に副葬されていたフィブラです。いわゆるSchlangenfibel(蛇フィブラ)という型式で、ハルシュタット後期(ライネッヶ編年のD期)の典型的な型式ですね。紀元前6世紀くらいです。

 典型的でないのは、このフィブラが金で出来ている事、そして金の板を丸めた本体で出来ており(フィブラは普通ただの鋳造ですが)、打ち出し細工を施したり、ねじったり、7つの部品を組み合わせたりと極めて精巧な細工技術が駆使されている事です。
 地中海系(西ギリシャ)の遺物を数多く副葬された、ホーホドルフの被葬者の身分の高さを想像させます。

 これ面白いと思ったのは、針が意図的に曲げてある事ですね。ラテーヌ時代の副葬された長剣なんかではよくあるんですが、曲げてもう使えないようにしてある(=被葬者に殉じて殺す)ということでしょうか。

 http://home.bawue.de/~wmwerner/hochdorf/hochdorf_funde1.html 
 細かくいうとハルシュタットD1期です。D2期はPaukenfibel(これなんて訳すんだ?)ですから。

 フィブラはヴァリエーションが多いし型式組列が比較的分かりやすいだけに、編年を組む上で非常に重要な遺物ですね。もちろん出土コンテクストがしっかりしてないと扱いが難しいですが。
>artaxerxesさん

 丁寧な説明ありがとうございます。なるほどSchlangenfibelはハルシュタットD1期のLeittypなのですね。

 初期中世では、GranulationやFiligranなどの高度な技術がいわゆる"貴族"の墓の副葬品によく使用されていて、金の板の打ち出し加工などはどちらかというと技術的にレベルが低く、豪華さに欠ける印象が強いのですが、ハルシュタット期のフィブラの装飾技術でOberschichtを特徴づけるものは他にも特にあるのでしょうか?

 Paukenfibelは私には蛭みたいに見えるのですが、何故Pauke(太鼓)なんでしょうね。

 形式分類による編年というとまず思い出すのが、ラテーヌ期のフィブラです。考古学的手法の基礎を学ぶにはぴったりだと思います。私も昔お世話になりました。
>4 山烏さん

 なんかドイツ語ばかりで、いけませんな(笑)。僕もそうだけど。

 この時代はフィブラといえば青銅製が普通ですから、金製というだけでも十分レガリアになるんじゃないかと思います(そういやイタリアには琥珀を嵌め込んだのがありましたね)。ただこのホーホドルフのにもフィリグランはあるようです。

 この時代の編年研究はハルシュタットなどの墓地副葬品によるものが基礎ですから、フィブラの型式研究にむしろ年代を後付けした面がありますからね。実際はそう截然と分けられるものでもないのではないかと思いますが。
 西アジアなんて層位が怪しいものが多いから、なかなかそうはいきません。鉄器時代についていえば墓も多くは見つかってないからヨーロッパのようにはいかないです。

 そういや山烏さんのメイン画像に使われているフィブラはなんですか。
>artaxerxesさん

 日本語にどう訳せばいいのかわからなくて正直困ってます。考古学専門用語の各国語対比表みたいなもの、ネット上に落ちてませんかね?

 私のメイン画像は、青銅に金メッキしたZwiebelknopffibel(玉葱ボタンフィブラ?)の一部で、コンスタンティン大帝とリキニウス帝の名が彫られているのが特徴的です。この遺物は、トリーアでのコンスタンティン大帝に関する特別展における目玉の一つだったようです。
 Zwiebelknopffibelは紀元後4世紀に典型的で、ローマ軍の中でも比較的位の高いゲルマン系兵士の階級章として解釈されることが多いようです。また4世紀にはキリスト教がローマ国教化したこともあって、キリスト教の印が彫り込まれたものも見つかっています。
 
 出土状況については、調べてはみたのですがよくわかりません。やっぱり資料は手元にないと駄目ですね。インターネットでの情報も限られてますし。
うー、考古学のことは何も知らないので読んでもチンプンカンプンでスミマセン。私がここに参加した理由について書きます。私がやっている踊りはバレエや日舞など色々ある踊りと違い、自分の体と内面に向かい合うことにより、内部から動きを創造していくものです。死者とかかわりの深い霊的な踊りと言えます。しかしこの内部というのが曲者で、実際やってみると、内部って何なのよ、という問いに突き当たります。それは「心理」ではないのです。そもそも自分の生存をささえている根拠は何かと考え出すと、近代とか現代とかの時間感覚ではどうにもなりません。非常に苦しんでおります。いくら本を読んで知識を集めても、指一本動かせるものではありません〜 悪あがきしていたらこのコミュに行き当たりました。まず、ヨーロッパの先史時代というタイトルにずきっときました。
もともとヨーロッパから西アジアにかけての、火が燃えているような区域にひかれていたのと、ケルトとかネイティブ・アメリカンとかの言葉をきくと背中がぞくぞくしていたのと、宝飾品の血の匂いにひかれていたのと、考古学が実際の「物」を相手にしていて、言葉を駆使するだけの他の「知」と違うのと・・ 色々な要素がごちゃまぜになって私を捕まえてしまったわけです。先史時代の舞踏者はどんな踊りをしていたのだろう、とよく考えます。バレエが確立する前の西洋には全く違った踊りがあったはず。踊りというのはナマ物なので形が残りません。想像力を総動員しつつ、自分の体の欲望に耳を傾けつつ、もっとも深い踊りにたどり着きたい。考古学に無知ですが、このコミュを時折のぞくことで、空気感で伝わることがあるかも・・ と勝手に利用させていただきます・・
画像を見ると血が騒ぎ、あー、このコミュに参加してよかった、と思ってしまいました。こんな場違いな私ですが、よろしくお願いします〜〜
>山烏さん

 考古学専門用語は、英独ならあるかもしれないですね。日本語はどちらにせよ学問語としてはローカルですから(東アジアでは強いでしょうけど)、日本人がそういうのを作らない限り出来ないでしょうし、英語で済むから必要とも思われてないのでしょう。大正時代の日本の考古学者はドイツ語文献を原書で読んでたんですけどね。

 Zwiebelkopffibelを見ると、ベーメ先生の授業を思い出します。あの人の退官記念論集が出たので、買っちゃいましたよ。
 それにしてもいつも思うのですが、ベーメ先生のように遺物型式で民族帰属を確定しちゃっていいんですかね?(クラウディアなんかはかなり批判的でしたよ)。
 このフィブラの場合、出土状況や他の遺物とのコンビネーション(共伴関係)でゲルマン系(フランク族?アレマン族?)のものと推測されるのでしょうか。

 ここなんか詳しそうね↓
http://www.museobiassono.it/italiano/schede/A08/index.html

 「青銅に金メッキ」は日本考古学の用語では「金銅製」という便利な言葉があります。古墳時代の金ピカ製品のほとんどはこれです(同時代の大陸部では本当の金製品のことが多いのですが)。奈良の大仏も巨大な「金銅製品」でした。
>6 イーグルさん

 済みません、ちんぷんかんぷんな話をしてしまいまして。
 でも御安心を、この会話を理解出来る日本人はおそらく10人もいないでしょう(笑)。ヨーロッパの考古学(特に先史時代や初期中世)は、日本ではそれだけマイナーな話題ということです。

 踊りの件ですが、これは考古学でもなかなか難しい問題です(考古学で扱うのはいわばゴミ箱の中のゴミやお墓の中身の遺物が普通なので)。しかし、当時の人々が遺した絵や像(壺絵・壁画・人物像)などから、かつての踊りを想像することは出来るかもしれません。
 ちょっと探してみますので、見つかりましたらットピックを別に立てます。
フィブラに直接関係ないのですが、青銅の加工に関して質問があります。
ヨーロッパで青銅に金メッキがいつぐらいから、いつぐらいまで一般的にされていたか、具体的な区分があれば、教えてください。
ギリシア時代は、彫刻では、金メッキをされたものと銅色のままのものがあったと聞きました。確か。
> AKI さん
 大雑把ですが、お答えいたします。

 メッキの技術は紀元前1500年頃の西アジアで始まったとされています(同じ時代にガラスの製造が始まっています)。
 西アジアと交流の深いギリシャ、そして西アジアとギリシャ双方の影響を受けた騎馬民族スキタイ(今のウクライナ辺り)では比較的早く(紀元前700年前後)から金メッキが始まっているようです。
 ヨーロッパにいつ金メッキが定着したのはよく知りませんが、1世紀のローマ時代には既に存在していました。ローマ帝国の外(アルプス以北)だともう少し遅くなるでしょう。

 山烏さんの得意とするヨーロッパの初期中世時代には金銅製品が特に多いように思いますが、これはいわゆる「民族大移動」の起点となった東方のステップ地帯(かつてスキタイが栄えた地域)の影響ではないかと思うんですが、どうでしょうか。同時期の東アジアも内陸アジアの騎馬民族文化の影響を強く受けていますから、話が大きくなって面白いんですが。

 この水銀を使ったアマルガム法は19世紀まで金メッキの主流でした。メッキに関しては技術的な進歩はそれ以前はほとんどないのではないでしょうか。ドイツでは1403年に詐欺行為を防ぐため金メッキ製品の販売が禁止されたこともあったそうです。

 
>artaxerxesさん

 なるほど「金銅製」というのですね。勉強になります。

 ベーメ先生の退官記念論集、私も欲しいです。どんな人が書いているのかが気になるところです。城郭研究関連の論文も載ってるんでしょうか?

 民族帰属の問題、つっこみがあると思ってました(笑)。
 そもそも考古学における「文化」の概念と、歴史学や言語学における「民族」の概念を同義として使用していること自体問題なのでしょう。これは学問的手法の誤りとの批判を受けて当然ではあります。
 また、H.J.エッガースが著書「先史学入門」の中で、考古学の目標は一に遺物形式による編年、二に民族帰属の確定である、と明記していますが、この考え方は戦前のG.コジナから続く伝統だといえます。クラウディアが嫌がる理由は、このあたりにもあるのでしょう。
 上に述べたように、一番の問題点は手法にあると私は思うのですが、Fruehgeschichte(初史学?)のように文献資料が多い時代の場合、歴史学の概念に飲まれてしまうのは、仕方がないのかもしれません。それは、我々の文字信仰が非常に強く、最初から言葉で自己主張する文字資料を優先せずにはいられないからではないでしょうか。そういう意味で、初史学における表現方法は、歴史学によってかなり制限されていると思います。
 
あ、別のトピックたてたほうがいいですかね?
>山烏さん

 ベーメさんの退官記念論集は二冊組で、二冊目が城郭研究特集です。そっちは正直あまり面白そうでなかったので一冊目だけ買いました(40ユーロくらいだったかな)。アレクサンダー・コッホさんとかマールブルクの教え子とかが書いています。
http://www.vml.de/e/detail.php?ISBN=3-89646-423-X

 考古学と民族帰属の話は別トピでやりましょう。
 先史時代でも、ケルト人関係で考古学的な文化と言語学的な民族の混用があるように感じています(特にKeltenwanderungなどの話題において)。
 考古の方としては、例え中世を対象にしていても、文字に記されない歴史を復元したり、政治史では無い独自の時代区分を樹立出来ればいいと思ってるんですがね。もちろん文字史料は強力であります。

 実はエガース持って無いし読んで無いんですよ(恥)。この夏再版が出てました。日本では佐原・田中訳があまりに有名ですね。
 代わりといっちゃなんですがエガートの本を何冊か買ってきたので、読み次第引用してみます。
 Fruehgeschichteは適当な訳語が無いですね。「原史」と訳したこともありますが、なんだか「原始」と混同しそうで語感がよくないです。
どーも。踊るイーグルです。論議内容分からないながらも面白く読んでおります。へー、なるほど・・と言う感じです。又画像が素晴らしく、胸が震えます。なぜだか自分でも分かりません。金属が好きだからでしょうか。私の踊りのひとつの目標は、武器を持って儀礼としての剣の舞をすることなんです。踊る姿は見ることができなくても、ここにある画像の材質感や形で伝わってくるものがあります。考古学者ってこういうことをやっているのか・・ 確かに相当の変わり者だなー、私の踊りもすごいマイナーだけど・・
>イーグルさん

 「剣の舞」ですか。ハチャトゥリアンの曲を思い出しますね。
(カフカス方面もこのトピックの範囲内とします)
 踊りの画像をまだアップしていませんが、剣舞の画像とかに絞って探しテ見ます。ただ、戦いの場面か剣舞かは図像資料ではなかなか判別しにくいかと思いますが。
 中国には剣舞があるみたいですが(鴻門の会の逸話とか)、ヨーロッパはどうなんでしょうね。

 考古学というのは浮世離れしているような学問ですが、研究内容は(昔の)ゴミ箱を漁ったり墓を掘り返して遺体(持ち物から栄養状態・疾病まで)を探ったりと結構現実的なんですね、これが。
artaxerxes さま

お気遣いありがとうございます。私のために特にエネルギーを使わなくて、このままで満足ですよ〜 
ゴミ漁りに墓の掘り返し・・ すごいなー。私流に言うとそれこそ「死にとりつかれた人々」です。他界との交流をめざす私に似てるぅ。踊りと違って具体的にモノを相手にしているところが又すごい。地味な仕事をしている人、尊敬します。貴重な画像の数々ありがとうです。
踊るイーグルです。考古学と関係あるのかないのか分かりませんが。ヨーロッパは無理ですが、日本の東京の遺跡、神社などの異界スポットで稽古をかねて踊る、という計画をたて来年から実行します。中沢新一さんの「アースダイバー」などを参考にして、都市生活者の盆踊り(盆踊りの本質は他界との交流)、東京の聖地巡礼、といったものです。踊ることで土地の地霊を起こそうというだいそれた企画です。と言っても地味で小規模なんですけどね。死ぬまでにはヨーロッパの遺跡で踊りたいですね。手始めは東大構内の縄文遺跡の予定です。では〜
>イーグルさん

 中沢新一の「アースダイバー」、ちょっと立ち読みしただけですが、なかなか面白そうでした。

 私は霊とかに疎いので、霊というと地縛霊とかそんなのを連想してしまうんですが(笑)、そういうのとは別に、地霊みたいなのはなんとなくありそうに感じます。
 私の場合、茨城県の台地の間の低湿地とかでそれを考えたことがあるんですが(やはり遺跡・古墳で、今は神社になっています)、縄文遺跡というのはそういう立地にあるのかもしれません。

 実を言うとヨーロッパではあまりそういうものを感じたことがないのですが、それは私が余所者だからか、それともキリスト教世界だからか・・・・。ただ、ケルト人の信仰とかを見ていると、日本の縄文的なものを感じることがあります。
 いつかケルトの遺跡で踊ることが出来るといいですね。

(写真はデンマークで出土した「グンデストルップの大釜」にあしらわれた、鹿の角をもつ精霊あるいは獣神ケルヌンノスの像です。紀元前2世紀頃?のケルト人の遺物と言われていますが、製作地も用途も分かっていません)

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