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SGIコミュの各部代表者会議での名誉会長のスピーチ 〜海外在住の同志のために〜

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各部代表者会議での名誉会長のスピーチ

――誠実で築け!団結で光れ!勇気で進め!――

――青年が輝く人材城を――

◆◆◆戸田先生 「学会を守れ!それが広宣流布への奉仕」

◆◆◆戸田先生 女子部よ幸福に!強き信心で!

 一、「学会は人材をもって城となす」
 これが戸田先生の永遠の指針であった。
 昭和29年(1954年)の4月、私は、戸田先生にお供して、仙台の青葉城址を訪れた。
 当時、私は、いつも戸田先生のお側にいた。
 先生のご指導をひと言も聴き漏らさず、命に刻もうと必死であった。
 いかにして、戸田先生のご構想を実現していけばいいのか。
 どうすれば、戸田先生と「不二」の心で進んでいけるのか。
 若き私は、それを真剣に悩み、祈りながら、わが使命の道を賢明に切り開いていた。
 青葉城址には、有名な伊達政宗の像がある。
 その像に向かって、「伊達君、元気か!」と呵々大笑されていた先生。
 このとき、戸田先生は、堅固な石垣が残る青葉城址に立ち、厳として、こう言われた。
 「かつての日本は、城をもって戦った。学会は永遠に陣座の城でいこう。学会は人材をもって城となすのだ」と。
 今も、その声が耳朶に響いて離れない。

◆人格に触れて後輩は育つ!

 一、大事なのは、人材である。人材の城を築いたところが、未来永遠に勝ち栄えていく。
 ゆえに先輩は、真心込めて、後輩を育てていくことである。
 後輩の成長のためなら、喜んで犠牲になるくらいの覚悟で。
 そして、育ててもらった後輩は、また次の後輩を全力で育てていく。
 このようにして築かれる人材城は、永遠に滅びない。
 反対に、大切な後輩を利用したり、自分が偉くなるための手段にするようなところは、絶対に伸びない。
 一時は栄えているように見えても、最後は必ず滅びていくものだ。
 伸びている組織、伸びている団体は、濁りのない誠実な心で人材を育成し、立派な人格をもって人材を触発しているところである。
 そして正邪の基準をしっかりと持ち、明快に教えているところである。
 先輩は後輩を自分以上の人材に育てていく――これが、牧口先生、戸田先生以来の学会の伝統である。
 私もまた、人材育成を一切の根本に置いて、広宣流布の指揮を執ってきた。戸田先生の指導の通りにやってきた。
 だからこそ、学会は、世界的に賞賛される「黄金の人材城」とそびえ立っているのである。
 学会は永遠に「人材の城」で勝ち進んでまいりたい(大拍手)。

◆人類のために!

 一、創価学会は、広宣流布の団体である。
 「人類の幸福」のため、「世界の平和」のために、仏意仏勅の学会はあるのだ。
 この尊き使命に立って、真面目に信心を貫いている人は、必ず諸天善神から護られる。
 たとえ、だれからも注目されていないようでも、御本尊は知ってくださっている。
 それを確信していただきたい。
 一、私は、いつも「陰の人」を見ている。
 「陰の立場」で、コツコツと広布に戦ってくださっている方々を真剣に賞賛して差し上げたいという気持ちでいっぱいである。
 「表の人」ばかりに光を当てるのは、大きな間違いだ。
 「陰の人」を大切にするところが、本当の意味での底力を発揮していくのである。

◆幸福な人生とは

 一、いつも私は、全国、また全世界から、さまざまな報告をいただいている。
 なかでも、一生懸命に広布に戦ってこられた方が幸福になることほど、うれしいことはない。
 何が人生の幸福か?
 結論から言えば、まっすぐに「創価の人生」を生き抜くことが、最高の幸福である。
 たとえば、裕福な家庭に生まれ、周囲が羨むような結婚をしても、それが幸福かどうかは、だれにも分からない。
 一時の状況で、幸不幸は決められない。
 結局は、自分自身がどうかである。
 立場がどうあれ、また環境がどうなろうとも、揺るがぬ自分自身を築いた人が幸福である。
 他人ではない。自分である。一人の人間としてどうあるかで決まる。
 何ものにも紛動されない「金剛の自分自身」をつくりあげるのが、信仰の目的である。

◆◆信濃町の慶応病院を支えた師弟の誓い

◆◆北里柴三郎“福沢先生の大恩に報いてみせる”

◆慶応病院の淵源

 一、ここで、学会本部のある東京・信濃町の慶応義塾大学病院の淵源について、少々、紹介したい。
 慶応病院の誕生には、福沢諭吉と北里柴三郎の「師弟の歴史」がある。
 近代日本が誇る世界的な細菌学者・北里柴三郎博士(1852〜1931)――。
 博士は、師父と仰いだ福沢諭吉の逝去の際、次のような弔辞を書いている(1901年2月)。
 「(福沢)先生の偉業は依然としてわが眼前に存し、先生の遺訓は歴然として余が脳裏にあり。余不敏といえどもまたその偉業を守り、その遺訓を躰し、切磋研鑽をもって万一の報恩を期せんとす」(砂川幸雄著『第1回ノーベル賞候補 北里柴三郎の生涯』NTT出版株式会社)
 ご存じの通り、福沢は慶応義塾の創立者である。
 北里博士がドイツ留学から帰国し、わが国最初の伝染病研究所を設立する際、全面的に援助したのが福沢であった。
 福沢は「北里は日本の宝だから」と、一貫して守り支えた。
 博士は、その恩に報いることを固く誓った。
 師父の死から十数年後、博士は、慶応義塾の大学部に「医学科」の創設への協力を依頼され、直ちに立ち上がる。
 博士は、構想段階からかかわり、教授の選定、校舎の建築、授業の内容など、細部にいたるまで情熱を注いだ。
 1917年、医学科の授業がスタート。20年には、医学部と大学病院が開設された。
 北里博士は、初代の医学部長と病院長に就任。一切の基盤を築いた。さらに、両役職を辞した後も、生涯の最後まで医学部の顧問として尽力したのである。
 すべて、師の大恩に報いるためであり、博士は給料や報酬を一切、受け取らなかったという。
 師弟に生きる人生は、かくも美しい。
 時がたつほど、燦然と光り輝く。

◆広布一筋の心に永遠の福徳が

 一、仏法の根幹は「師弟の精神」にある。
 第二祖・日興上人は、第三祖・日目上人に対して、こう書き残しておられる。
 付嘱書である「日興跡条条の事」である。
 「日目は十五の歳日興に値て、法華を信じて以来七十三歳の老体に至るまで敢えて違失(=過ち)の義なし」
 58年間、まったく過ちがない――日目上人は、まっすぐに師弟の大道を歩み抜かれた。
 大聖人は仰せである。
 「雪は、極めて白いものであるから、染めようにも染めることができません。漆は、極めて黒いものであるから、白くなることはありません。
 雪や漆と違って移り変わりやすいものは、人間の心です。善にも悪にも染められるのです。
 真言宗・禅宗・念仏宗等の邪悪の者に染められてしまうならば、必ず地獄に堕ちます。
 法華経(御本尊)に染められるならば、必ず仏になることができます」(御書1474?、通解)
 人間の心ほど、変わりやすいものはない。
 わが心を、不幸に陥れる悪知識に染められてはいけない。
 だからこそ、大聖人は「御信心を、純白な雪のように、また、まじり気のない黒漆のように、純一堅固に持つべきです」(同?、通解)と教えられているのである。
 断じて心に油断やスキをつくってはならない。
 広宣流布ひとすじの心に、永遠の福徳が輝くのである。
 戸田先生は叫ばれた。
 「指導者たる者は、学会本部と呼吸を合わせてもらいた。私の一念に触れるよう心がけてもらいたい」
 学会は、すべて「師弟不二」で勝ってきた。「不二の心」から一切の前進が始まる。そこに勝利と栄光がある。

◆不惜身命の心で

 一、さらに、戸田先生の指導を、いくつか確認しておきたい。
 「経文にも和合僧といって、現代でいうならば、その教団の発展、進歩のために、組織をもっとも大切にしてきている。和合僧――という組織を大切にすることは、現代においては、最高の広宣流布への構築に奉仕している仏道修行である、ともいっておきたい」
 広宣流布を遂行する現代の和合僧団は、創価学会以外にない。
 その広布の道を開く功徳は三世永遠である。だから「戦おう」と言うのである。
 大聖人は、「夜は眠りを断ち昼は暇を止めて」(御書970?)、不惜身命で正法に生きよと教えておられる。
 広布のための努力は、決して惜しんではならない。そこにこそ真の幸福は築かれるからだ。
 戸田先生は言われた。
 「一年先、三年先、五年先、十年先のことを考えると、今の幹部諸君も大いに成長しなければならない。また後続する人材も雲霞のごとく輩出しなければならぬ。私たちが常に心すべきは、この点である。これが最大の責務である」
 学会の幹部は、自ら成長していく責任がある。
 もしも、成長もなく、威張るだけの幹部がいれば、皆で毅然と正さなくてはいけない。
 そして、どんどん青年を伸ばすことだ。そこに、これからの学会の焦点がある。

◆「利己主義の小善人」になるな

 一、また、先生はこのように言われたこともある。
 “「利己主義の小善人」では、改革はできない。悪人を糺したり、追い出すこともできない。正義の人を守るべき時に、頼りにならないだけではなく、非常に邪魔になる。不正義の徒に利用されることすらある”と。
 正しいと信じることを断固、言い切っていくことである。
 戸田先生は、善悪の判断については、本当に厳しかった。その精神のまま進めば、間違いない。それを実行しないのは、自分のほうが偉いと思って、先生の指導を馬鹿にしているのと同じである。「女子部は、一人残らず幸福になりなさい」――これも、先生は一貫して言われた。
 「皆さんは、若くして妙法を持った女性である。もはや宿命に泣く必要はない。そのためには、純粋は、強い信心に生涯を生きるという条件がなければならない」とも語っておられた。

◆永遠に「会員根本」で進め

 一、広宣流布の戦いに臨んで、「力はありませんけれども」と言った幹部に対して、戸田先生は烈火のごとく叱られた。
 なぜ、「真剣になってやります」「命をかけてやります」「最後までやりきります」と言い切らないのか、と。
 ずるい無責任な幹部がいれば、全体に影響を与える。
 先生は喝破された。
 「組織が秩序だってくると、どうしても幹部の惰性が始まる」
 じつに厳しく、鋭い師匠であられた。
 一、逝去の一ヶ月ほど前、戸田先生はこう言われた。
 「阿諛諂佞(あゆてんねい)の輩(口先巧みにへつらう、邪な心の人間)は絶対に気をつけろ。組織を乱してゆく者、信心利用の者も、また同じだ」
 尊き会員の皆さま方の奮闘ありて、現在の学会の大発展が築かれた。
 ゆえに、学会のリーダーは、会員のために全力で戦い、尽くす。
 会員を苦しめる動きは、鋭く責め、断じて打ち砕く。
 これが、万人が納得する道理であろう。
 創価学会は、永遠に「会員根本」で進む――この精神を確かめ合って、「次の50年」の完璧な土台を、ともに築いていきたい。
 
◆慢心が精神を腐敗させる
 
 一、イギリス・ロマン主義の文人ハズリットは記している。
 「威張る者に向かっては、決して怖れることなく攻撃せよ」(中川誠訳『ハズリット戯言集――人さまざま――』彩流社)
 また中国の古典『春秋左氏伝』には、「戦いは勇気なり」との言葉がある。我らの戦いは、平和と文化の戦いである。どんな人間が立ちはだかろうと、青年は勇気で戦っていくことだ。攻撃精神でいくことだ。
 これが戸田先生の教えであった。私は先生から戦いの要諦をすべて教えていただいた。それが一切の根本になっている。
 19世紀フランスの作家ジョルジュ・サンド。彼女は小説の登場人物に、こう語らせている。「人間の精神は慢心へと傾きやすく、慢心は精神を腐敗させる」(大野一道訳『スピリディオン』藤原書店)
 人間は社会的な地位や名声を得ると、簡単に慢心してしまう。これまでも学会のおかげで偉くなりながら、傲慢になり、堕落していった人間がいた。
 慢心が信心を壊す。この一点をよくよく心に刻まねばならない。
 一、以前も紹介したが、イギリスの歴史家ーライルは記している。「虚言を宣伝したとて抑々何の益するところがあろう。その虚言は看破され、破滅的応報がこれに対して課せられる」(老田三郎訳『英雄崇拝論』岩波文庫、現代表記に改めた)
 嘘を許してはならない。虚言をまきちらす悪人とは、断固、戦っていくことだ。

◆◆陰で戦う人に喝采!

◆◆大聖人「私の赦免は尊き弟子のおかげ」
 
◆同志の奮闘に最大の感謝を
 
 一、日蓮大聖人は、佐渡の門下である遠藤左衛門尉にあてた御手紙で、こう仰せである。
 「日蓮はこのたび、赦免を受け、鎌倉へのぼることになりました」
 「遠藤殿の外護がなければ、私の命は永らえることができたでしょうか。また赦免を受けることができたでしょうか。日蓮の一代の修行の功徳は、ひとえに左衛門殿らのおかげです」
 「この経文(法華経の安楽行品)に照らしてみると、左衛門殿は梵天・帝釈天のお使いであられましょうか。霊山浄土へ行く固い約束として、この判形(印となるもの)を差し上げます。
 一つは未来世へお持ちになりなさい。そして霊山で『日蓮、日蓮』と呼んでください。その時はお迎えに出てまいりましょう」(御書1336?、通解)
 遠藤左衛門尉は、佐渡流罪という大難の渦中にあった大聖人を、陰ながら守り支えた人物と推察される。
 厳しい状況の中、赤誠を尽くした門下に対して、大聖人は最大の感謝と賛辞を送られているのである。
 この御心を拝し、広布の李=だ=である皆さmは、同志の奮闘に心から感謝し、賛嘆できる一人ひとりであってほしい。
 「すべての皆さまのおかげです」「お忙しいなか、本当にありがとうございます」と真心の礼を尽くしていくことだ。
 間違っても、傲慢になることがあってはならない。このことを絶対に忘れないでいただきたい。
 一、また、「上野殿御返事」には次のように仰せである。
 「さも味方のように見せかけて退転させ、自分もあざ笑い、人にも笑わせようとする奇怪な者たちには、十分に言わせておいたうえで、『多くの人が聞いているところで人を教訓するよりも、まず自分の身を教訓しなさい』と言って、勢いよく、その場を立たれるがよい」(同1540?、通解)
 大切なのは、敵の正体を見破ることである。味方のふりをして近寄り、退転させようとするような悪人にだませれてはならない。そんな人間に対しては、明快に反撃していくことだ。正義を叫びきっていくことだ。

◆◆未来部躍進月間へ 21世紀使命会に感謝

◆◆一人の未来部員を大切に

◆少子化の時代に

 一、今月28日から「未来部躍進月間」がスタートする(8月31日まで)。
 連日の猛暑のなか、大切な未来部の育成に全力を注いでくださっているすべての方々に心から感謝したい。
 未来部の成長が、学会の命運を決める。
 少子化が進む時代だからこそ、「一人」が大事である。「一人」を徹底して大切にしていくことである。
 後継の一人ひとりが、「一騎当千の人材」に育ってこそ、平和の未来は磐石となるのである。
 そのために私も、教育に全魂を注いできた。未来部の育成に全力で取り組んできた。
 尊き21世紀使命会の皆さん、学会の「未来の宝」であり、世界の「希望の太陽」である未来部をよろしく頼みます!(大拍手)

◆一切は諸君に!
 
 一、未来のすべては、青年の手の中にある。
 私は、創価の青年の健康と勝利と活躍を心から祈っている。
 社会的にも偉くなってもらいたいし、人間的にも立派になって、周囲の人々を平和へ幸福へと糾合していく存在となってもらいたい。
 そのような力がある青年が、さらに増えていけば、広宣流布は、一段と大きく広がっていく。
 戸田先生は、「青年の時代だ。青年に一切を託す」と言われ、私を中心とした青年部に後継のバトンを渡された。
 私も今、同じ心で、新しい青年部に学会のすべてを託したい。
 一、私たちは、一人ひとりが「広宣流布の闘士」である。
 愚痴や文句を言って、戦わなければ、後悔を残すだけである。やった分だけ自分が得をする。これが信心の世界である。
 どうせ戦うならば、学会の歴史に永久に残っていくような、痛快なる栄光の劇を勝ち飾ってまいりたい。
 一、また、家族が信心していないという方もおられる。しかし、たとえ一人であっても、その一人が信心を貫いていけば、功徳は、一族すべてに、そして子孫末代にまで伝わっていく。
 そのように、大聖人が御約束なのである。何の心配も必要ない。
 ともあれ、広宣流布の人生ほど、偉大なものはない。
 楽しく有意義な勝利の人生を歩みましょう!
 一緒に頑張りましょう!
 お体を大切に。長時間ありがとう!(大拍手)


(2005・7・20)

――

コメント(2)

各部代表者会議での名誉会長のスピーチ

――我らの友情は全世界! 万年の未来へ壮大なる「平和革命」の基盤を築け!――

――日本列島に創価の旗堂々と――

◆◆◆素晴らしき全同志に心から感謝


 一、創立75周年を飾る大勝利、まことに、おめでとう!(大拍手)
 全国の素晴らしき同志の皆さま方の大奮闘を、心からねぎらい、私は讃えたい。
 有名な日蓮仏法の真髄の一つに、「法華経に勝る兵法はなし」とある。
 法華経を弘める道を少しでも広げ、少しでも私たちが前進していくことは、それ自体が、広宣流布である。全部、法華経につながる行動である。
 広宣流布のために行動したことは、すべてに意味がある。一つも無駄がない。一切が必ず報われる。
 日蓮大聖人は、「皆我が一念に納めたる功徳善根なりと信心を取るべきなり」(御書383?)と仰せである。
 どのような結果が出たとしても、全部、未来のために意義がある。
 今、順調であっても、それで油断して、あとで崩れてしまえば、何にもならない。
 未来永劫に崩れることのない、広々とした大地を、私たちは創っているのである。
 一つももれなく、三世永遠に輝きわたる仏道修行なのである。

◆偉い人は誰か?

 一、炎暑の中、広宣流布の勝利のために崇高な汗を流してくださった、尊き皆さま方のご苦労を、大聖人は、すべて、お見通しであられる。
 本当に偉い人とは、華やかなスポットライトを浴びるような有名人でもなければ、高い地位について威張っている権力者でもない。
 広宣流布のために戦う人、すなわち、全人類を完全な「善」の方向に向かわしめる人が最も尊貴である。
 ゆえに、学会員の皆さまこそ、本当に偉大な方なのである。
 皆さまこそ、一番、讃えられるべきである。
 そのことを私は、未来のために明快に叫び、残したい。
 これは大聖人が仰せであり、師・戸田先生の厳然たる叫びであられた。

◆大変だからこそ大きな功徳が!

 一、仏法とは、仏と魔との闘争である。
 現実社会の上で、仏の陣列と魔の軍勢が「とられじ・うばはんと・あらそう」(同1224?)のが、広宣流布の実像である。
 だからこそ、激しい攻防戦の中で、広布の地盤を少しでも広げていくことが一番大切なことだ。
 大変な環境で戦うからこそ、創造もできないような、大きな功徳を受けるのである。
 「極楽百年の修行は穢土の一日の功徳に及ばず」(同329?)
 この「報恩抄」の一節を、晴れ晴れと拝していきたい。
 大聖人は、この「報恩抄」に、「日蓮が慈悲曠大ならば南無妙法蓮華経は万年の外・未来までもながる(流布)べし、日本国の一切衆生の盲目をひらける功徳あり」(同?)と仰せである。
 広宣流布とは、この妙法の絶大な功力をもって、末法万年尽未来際にわたる民衆救済を目指しゆく、壮大な「平和革命」にほかならない。
 御義口伝にも、「今日蓮が唱うる所の南無妙法蓮華経は末法一万年の衆生まで成仏せしむるなり」(同720?)と記されている。
 目先の勝利を超えて、さらに永遠性の次元から、今の何倍もの力をもった「正義の地盤」「幸福の地盤」「平和の地盤」を、深く広く築き上げていくのが、広宣流布である。
 これこそ、私たちの偉大な方針である。
 この最も確かなる、そして、最も崇高なる栄光勝利の道を邁進しているのが、皆さま方である(大拍手)。
 今また、日本列島の隅々に、偉大なる“創価の旗”が堂々と翻った。いかなる時にも、未来を見つめ、将来を見据えて、悠々と、また悠々と、現実社会のまっただなかで、勇気ある行動を貫き通していく。これが透徹した「立正安国」の哲学である。
 これが広々とした「広宣流布」の人生観である。
 これが恒久平和を目指す「令法久住」の信念なのである。

◆同志と連帯して

 一、世界55カ国・地域から、250人の若き求道のリーダーがはつらつと来日して、SGI(創価学会インターナショナル)の青年研修会が行われる。
 創価学会は、一閻浮提すなわち全世界に友情を広げ、末法万年すなわち遠大な未来へ向かって進んでいる。
 使命深き私たちは、健康で、そして朗らかに、また朗らかに、堂々たる人生を、同志との連帯を組みながら、前進してまいりたい。

◆未入会のご家族の協力に深謝!

 一、広布の活動を推進するにあたり、ご家族の皆さま方には、大変にお世話になりました。
 とくに、未入会のご家族の方々のご協力、ご理解に、深く深く感謝申し上げます。
 大変にありがとうございました(大拍手)。
 家族こそ、一切の営みの基盤である。
 どれだけ民主主義を論じ、平和や教育を論じても、その議論が、人間の幸福とか、家庭の繁栄に結びついていかなければ、結局は、空理空論になってしまう。
 戸田先生は「一家和楽の信心」と言われた。
 麗しい「一家和楽」の姿の中にこそ「信心の勝利」があり、「仏法の智慧」が光ることを忘れないでいただきたい。


◆◆◆96歳で逝去されたロードブラット博士 核兵器のない世界へ 私の武器は言葉 いつも青年の心でいたい


◆対談集が遺稿に

 一、私たちが心から敬愛してやまないロードブラット博士(バグウォッシュ会議名誉会長)が、8月31日にロンドンで逝去された。
 享年96歳。天寿を見事に全うされた生涯であった。
 核廃絶、戦争廃絶に戦い抜かれた不世出の大指導者に、私は懇ろに追善回向を捧げた。
 博士からお話をいただき、私たちは「ラッセル・アインシュタイン宣言」50周年を記念して、月刊誌「潮」の7月号から対談を連載していた。
 「地球平和への探求」と題しての語らいに、博士は、それはそれは真剣に取り組んでくださった。対談をすべて終え、この8月上旬に博士の推敲も終了したところであった。
 まさに、この対談が博士の“遺稿”となったのである。
 人間の都。大阪で、そしてまた、平和の天地・沖縄で、博士と語り合ったことも、忘れ得ぬ歴史である。
 博士は語ってくださっていた。
 「私は仏教徒ではありませんが、池田会長と『世界平和』という同じ目的に向かって、同じ信条を共有しています。そして、深い友情で結ばれているのです。お話していると、私たちの波長がピッタリ合っているのに気付くのです」
 上辺だけのつきあいではない。胸襟を開き、心を通わせて、世界の平和のため、人類の未来のため、有意義な交流を広げ、具体的な行動を進める。
 これが、私たちの歩む「友情の道」であり「連帯の道」である。

◆多宝会の皆さん どうかお元気で

 一、ロードブラット博士は、自らも製造に参画した「核兵器」という巨大な凶器の根絶のために戦い続けた。
 その戦う“武器”は、何であったか。
 博士は述懐しておられた。
 「バグウォッシュ会議は……何か特別の手段をもっていたわけではありません。
 私たちの武器は、人間同士の理性に基づく討議によって導かれる『言葉』だけでした。その言葉をもってあいてを説得する。それが、私たちが続けてきた平和運動の根幹だったのです」
 仏法でも、「声仏事を為す」(御書708?)に説かれる。
 「声」の力で、「言葉」の力で、「対話」の力で、正義と幸福を拡大していくのだ。
 博士は、90歳を超えても、背筋をピンと伸ばし、さっそうと世界中を飛び回っておられた。
 広島・長崎の被爆60年の今年も、「ぜひ訪日し、対話を続けたい」と強く希望されていた。
 博士は、清々しく言われていた。
 「私自身、自分が年寄りだと思ったことはありませんし、いつも青年の気持ちでいます。
 ただ、人間の体には限度があって、このごろは肉体的な老化は感じるようになりました。
 しかし、それは肉体だけであって、精神的にはそうではありません。私自身、まだ若々しいと感じています」
 わが学会においても、「多宝会」の皆さま方、「宝寿会」の皆さま方、「錦宝会」の皆さま方、さらに「太陽会」「敢闘会」などの皆さま方が、生き生きと、若々しく、広宣流布の勝利と前進のために戦ってくださっている。
 皆、広宣流布の大英雄であられる。また最高無二の総仕上げを生き抜かれる模範であられる。
 さらに「不老不死」の妙法を持つ人生の長者であられる。
 そして、「常楽我浄」の生命を光り輝かせゆく大勝利者であられる。
 どうか、お元気で! いつまでも、お元気で!――とお祈り申し上げたい(大拍手)。

◆世界の良識が私たちに期待

 一、ロードブラット博士は、4年前の「9・11」の同時多発テロの直後、ロンドンからアメリカ創価大学を訪問し、1期生に講演をしてくださった。
 本年、その1期生たちが立派に成長して卒業していったことも、心から喜んでくださっていた。
 博士は、アメリカ創価大学をはじめ、創価の青年たちへの期待を、こう語り残されている。
 ――「いつも、世界のために尽くす美しい青年であれ!」
 「自分の行動に責任を持て!」
 「いつでも、誰にでも、私は人類のために全力を尽くしていると心からそう言えるように生き抜け!」
 博士は、創価の人間主義の連帯に全幅の信頼を寄せてくださっていた。
 <博士は、逝去の直前に完了した、名誉会長との対談で、遺言のごとく語っている。
 「5年前に、沖縄でお会いした時に申し上げたことを、今もう一度、繰り返したい。
 私たち人類は、現在、非常に厳しい『閉鎖状況』に置かれています。この状況から、なんとか抜け出さなければなりません。
 池田会長に、ぜひ、そのためのリーダーシップをとってもらいたい。
 それができる指導者に、未来を託す以外にないと、私は考えているのです」>
 ともあれ、人類の最高の知性と良識が、私たちに期待している。勝利を祝福してくれている。
 「創価の勝利」こそ、「平和と人道の前進」なのである。

◆悪と戦わなければ悪と同罪に

 一、ここで御書を拝したい。
 大聖人は「南部六郎殿御書」で、天台大師の師匠である南岳大師の次の言葉を引いておられる。
 「もし菩薩がいて、悪人をかばって、その罪を罰することができないで、そのために悪を増長させ、善人を悩乱させて、正法を破壊させるならば、この人は実は菩薩ではない」(御書1374?、通解)
 仏法は「行動」が魂である。
 いくら立派な菩薩といわれる人であっても、現実に謗法と戦わず、見て見ぬふりをして、正法が破られるのを許すのであれば、その人は菩薩ではない。
 それどころか、「その人は死後、諸の悪人とともに地獄に堕ちるであろう」(同?、通解)と結論しているのである。
 悪と戦わなければ、悪を増長させ、結果的に悪と同じ罪を背負うことになってしまう、ゆえに徹して悪を攻め抜け!――これが、牧口初代会長の正義の叫びであった。
 悪を滅してこそ、善の世界は広がる。
 ゆえに、強い「破折の心」で祈りに祈り、わが正義を語り切っていくことである。
 大聖人は仰せである。
 「忍辱は寂光土なり此の忍辱の心を釈迦牟尼仏と云えり」(同771?)と仰せである。
 現実の社会の中に飛び込んで、苦しむ人々を救うために、いわれなき批判や悪口に耐えながら、生き生きと、妙法を弘め続ける――この“忍辱の心”こそが仏であるとの御断言である。
 この心を心として、意気揚々と前進している勇者こそ、わが誉れの同志なのである。

◆師子身中の虫を責め抜け!

 一、また「生死一大事血脈抄」には、次のように仰せである。
 「日蓮が弟子の中に異体異心の者之有れば、例せば城者として城を破るが如し」(同1337?)
 広宣流布の組織は、決して「外」からは壊されない。
 怖いのは「師子身中の虫」である。
 学会のおかげで偉くしてもらいながら、その恩を忘れ、学会員をばかにし、私利私欲のために学会を利用する。こうした悪い人間は、絶対に広宣流布の“本陣”の中に入れてはならない。悪い人間は、断固、叩き出すことだ――このように戸田先生は厳命された。
 広宣流布の指導者は、どこまでも「一騎当千」にして、「異体同心」の精鋭であらねばならない。


◆◆広布の行動は永遠に輝く! 誉れの名は後世に


◆広宣流布は「広く宣べよ」

 一、創価学会は、戸田先生が常々、“私の命より大切な広宣流布の組織”と言われた仏意仏勅の団体である。
 その学会を守り、同志を守るため、新しい発展の道を開くために、私はどんどん人に会った。
 正義を語り抜いた。
 大胆に!
 誠実に!
 いかなる権威も恐れずに!
 その実践がなければ戸田門下生ではない。
 大聖人の仏法を奉じた広宣流布の闘士とはいえばい。
 「広宣」とは「広く宣べる」と書く。
 ゆえに私は、世界の指導者と、平和への対話を幾重にも広げてきた。
 語るのだ。人間の王者として、痛快なる劇を残していくのだ。
 そして、ひとたび結んだ友情を大事にし、広げながら、一生涯の宝としていっていただきたい。
 一、真剣に戦った思い出は永遠に輝く。
 広布のための行動こそ尊い。
 私はやり抜いた!
 きょうも前進した!
 その積み重ねが、勝利の人生を開く。幸福の宮殿をつくる。後世に誉れの名が残っていく。
 それを強く確信していただきたい。
 どうか、価値ある一日一日を! わが黄金の日記帳を晴れ晴れと綴っていただきたい。

◆最後には正義が必ず勝利する!

 一、私は、歴史上の人物から、人間学を学び、人生の糧としてきた。
 戸田先生のもとで学んだ青春時代を懐かしく振り返りながら、私の好きな言葉を申し上げさせていただきたい。
 18世紀に活躍したドイツの思想家リヒテンベルクは語っている。
 「惟うに、誹謗文を書かれなかったひとが、多少なりと価値のあるひとだったためしはかつてない」(国松孝二訳「わが箴言」、『世界人生論全集12』所収、筑摩書房)
 価値ある人だから、嫉妬され、誹謗される。それが歴史の常である。
 アメリカのグラハム・ベルといえば、電話の発明で知られている。
 彼にも、「中傷家の一群」が襲いかかった。
 陰湿な攻撃が続いた。
 そのなかで、彼は家族に、こう書き送った。
 「結局は、正義と真実が勝つことになるのです」(ロバート・V・ブルース著、唐津一監訳『孤独の克服――グラハム・ベルの生涯』NTT出版)
 多くの先駆者は、いわれなき中傷を受けてきた。しかし、最後は正義と真実が勝つ。否、断じて勝たねばならない。わが信念をを敢然と語り抜くのだ。
 ドイツの哲学者カントは喝破した。
 「高慢なひとは常に心の底では卑劣である」(樽井正義・池尾恭一訳『カント全集11』岩波書店)
 高慢とは醜い名誉欲である。優れた人間を、不当に貶めようとする。人間性を侮辱する。愚かで卑劣な心である。そんな人間は、だれも尊敬しない。最後は、だれからも相手にされず、敗北の坂を転げ落ちていく。
 昔も、今も、変わらない方程式といえよ。


◆◆御聖訓 日蓮の弟子に臆病者なし 社会の中へ人間の中へ 苦悩する人々を救う忍辱の人たれ


◆大慈大悲を我らは世界へ

 一、きょう9月12日は「竜の口の法難」の日である。
 この時、大聖人は御年50歳。乱れた世を救うには、正しい思想を打ち立てよ!――そう厳然と叫ばれた。そして、狂った権力者である平左衛門尉頼綱らの理不尽な弾圧によって、死罪に処せられようとしたのである。背後には邪悪な坊主の謀略があった。
 文永8年(1271年)9月12日の午後、頼綱は、武装した多くの兵を率いて、大聖人の草庵に襲いかかった。
 大聖人御一人を捕らえるのに、数百人もの兵士を引き連れて、狼藉を加えたのである。さらに、大聖人に暴力を加え、罪人として連行した。
 そして、権力者たちは、正当な取り調べもなく、夜半、竜の口へ連れ出し、闇に乗じて命を奪おうとしたのである。
 しかし、いかなる凶暴な権力をもってしても、いかなる邪悪な陰謀をもってしても、御本仏を傷つけることができなかったことは、厳然たる歴史の事実である。
 戸田先生は常々、言われた。
 「『大聖人は、あれだけの大難を忍ばれたから偉い方である』と言う人がいる。
 そうかもしれないけれども、もっと偉大なことは、ありとあらゆる大難を忍ばれながら、一切衆生を救おうとされた大慈大悲の戦いをなされたことである」
 「御本仏が、こういう御苦労をされたのだ。門下である我々も、何があっても辛抱していかなければならない。大聖人の大慈大悲を世界に宣揚しなければならない」
 これこそ、、学会精神の真髄である。
 ともあれ、大聖人は、この竜の口の法難にあって、お供して殉じようとした誉れの弟子・四条金吾に対して、悠然と言い放たれた。
 「これほどの喜びを笑っていきなさい」(御書914?、通解)
 この大境涯にまっすぐ連なっているのが、わが創価学会である。あらゆる難を不惜身命で勝ち越えてきた。
 一番、大事なのは、広宣流布のために戦う学会員である。
 大聖人は仰せである。
 「法華経を持つ人は、男性ならば、どんな身分の低い者であっても、三界の主である大梵天王、帝釈天王、四大天王、転輪聖王、また中国、日本の国主などよりも勝れている。
 ましてや、日本国の大臣や公卿、源氏や平家の侍、人民などに勝れていることは、いうに及ばない。
 女性ならば、憍尸迦女(帝釈天の妃)、吉祥天女(インドの女性神)、あるいは漢の李夫人(武帝の夫人)、楊貴妃などの無量無辺の一切の女性に勝れている」(同1378?、通解)
 まさに、妙法を弘めゆく学会員の皆さまのことである。
 いかなる権力の人間も、学会員の尊貴さにはかなわない。
 同志が功徳を受け、希望と自信と喜びに満ちあふれて前進していく。それこそが、何よりも大事である。
 幸福の連帯を拡大する――これが我らの勝利であるからだ。
 最後に、次の御文を拝したい。
 「がうじやう(強盛)にはがみ(切歯)をしてたゆ(弛)む心なかれ、例せば日蓮が平左衛門の尉がもとにて・うちふるまい(振舞)・いゐしがごとく・すこしも・をづ(畏)る心なかれ」(同1084?)
 たゆむ心なかれ!
 恐るる心なかれ!
 この御聖訓を深く拝しながら、さらに勇敢に、正義と勝利の大前進をしゆくことを、ともどもに朗らかに決意し合って、私のスピーチとさせていただく。
 重ねて、広宣流布のための全国の同志の皆さまの奮闘と労苦に、心から感謝し、最大に賛嘆申し上げたい。
 どうかお元気で! くれぐれもお体を大切に!
 ありがとう!(大拍手)


(2005・9・12)
創立75周年記念各部代表協議会での名誉会長のスピーチ


――一日の勝利は朝の勝利から! 広布のリーダーは生き生きと進め!――

――新しい歴史を! 新しい友情を! 新しい劇(ドラマ)を!――

◆◆もっと上へ! 無限の向上を

◆◆◆戸田先生 どんな人にも長所と短所が 長所を活かせば皆が人材に


 一、わが学会は、全同志の歴史的な大闘争によって、創立75周年を、過去最高の拡大をもって飾ることができました。
 全国の同志の皆さま方に、改めて深く感謝申し上げます。
 大勝利、本当におめでとう! ご苦労さまでした!(大拍手)
 今、海外からも、学会の平和・文化・教育の運動に大きな賞讃が寄せられていることは、ご承知の通りである。
 そのうち、ロシアの安全保障問題などを総括する最高峰のアカデミーから、このほど、教育・学術分野の最高勲章である「ロモノーソフ勲章」の決定通知が届いたことを、最初に、皆さま方に報告したい(大拍手)。
 世界の一流の良識が、創価の人間主義の大行進に惜しみない工ール(声援)を贈っている。
 「ここに、人類の希望の未来がある!」と絶大な信頼を寄せているのである。
 いよいよ、仏法の共生の哲学が、生命尊厳の思想が光り輝く時である。
 私たちは、最高に価値ある人類貢献の大道を進んでいることを、最大の誇りとしてまいりたい(大拍手)。

◆戦う人は美しい

 一、仏法の目的は、どこまでも、広宣流布である。
 今世において、広宣流布に戦う姿ほど、尊く美しいものはない。
 一家一族がそろって広布の第一線に立ち、学会のため、同志のため、けなげに尽くしてくださっているご家庭もある。
 本当に尊い。決して当たり前と思ってはいけない。
 陰(いん)に陽(よう)に、広布に尽力してくださる方々を、私は、あらゆる点で見つけ出して、深く感謝し、何かの形で顕彰し、その尊き労苦に報いて差し上げた
い。その気持ちでいっぱいである。
 ともあれ、一段と見事なる信心の団結で、次の50年へ、仲良く、朗らかに、生き生きと、心一つに出発してまいりたい!(大拍手)

◆わが体験を語れ 自信をもって!

 一、創立75周年を総仕上げする大事な時期でもあり、学会の根本の活動について、何点か確認しておきたい。
 一つは、「折伏」の実践である。
 大聖人は、御書に明快に「折伏せよ」と仰せになっている。
 「諸宗の人法共に折伏して御覧ぜよ」(御書504?)
 「万事を閣(さしお)いて謗法を責むべし是れ折伏の修行なり」(同494?)
 また、次のように言われている。
 「邪智・謗法の者の多き時は折伏を前(さき)とす」(同235?)
 「日蓮は折伏を本とし摂受を迹と定む法華折伏・破権門理とは是なり」(同867?)
 末法の根本の修行は、折伏である。
 大変だけれども、やった分だけ自分が得をする。それが折伏の実践である。
 大事なことは、相手の幸福を真剣に御本尊に祈っていくことである。
 そして、自分自身の体験を、学会の真実を、誠実に、自信満々に、語っていけばいいのである。
 早く結果を出そうと焦る必要はない。勇気をもって語った分だけ、仏縁は広がっているのだ。
 粘り強く、自分らしく、師子の心で、挑戦していってもらいたい。

◆無冠の友に感謝

 一、「聖教新聞」の拡大についても、リーダーが率先して取り組んでまいりたい。
 「聖教」とは、「仏の説いた教え」という意味である。
 現代における聖教新聞の拡大は、妙法流布の拡大、人間主義の拡大に通じていく。そこに、聖教拡大の意義がある。
 また、来る日も来る日も、無冠の友の皆さま方には、本当にお世話になっています。
 皆さまのご無事を、ご健康を、心から祈っています。また皆で祈ってまいりたい。
 「いつも本当にありがとうございます! ご苦労さまです!」と重ねて申し上げたい(大拍手)。


◆◆◆教学が信心を強固に 11月 任用試験に挑む友を全力で応援


◆教学で勝て!

 一、今秋(11月20日)には、教学部の「任用試験」が実施される。
 学会の伝統は、「信・行・学」の錬磨である。
 教学こそ信仰の“背骨”である。
 教学が疎(おろそ)かになれば、どうしても、根本の信心が弱くなり、日々の実践も惰性に流されやすくなる。ゆえに、毎日、少しずつでも御書を拝してまいりたい。
 毎回、任用試験には、求道心あふれる数多くの老若男女が、勇んで挑戦している。
まさに、哲学不在の時代をリードする精神革命の大運動といっていい。
 受験する皆さんのご健闘を祈るとともに、担当者の方々を中心に、全カで応援してまいりたい。
 剣豪の修行のごとき真剣な研さんをやってきたからこそ、学会は勝ち続けてきたのである。

◆「学会のおかげで御本尊様の力が」

 一、思えば、戸田先生の発願(ほつがん)で、学会が『日蓮大聖人御書全集』を発刊した際、編さんの労をとってくださったのが、当時、伊豆の畑毛に隠退しておられた堀日亨上人であった。
 堀日亨上人は、60年余にわたって、大聖人に関する文献等を学ばれた大学匠であられた。
 仏法哲学に関する当代随一の学者として知られていた方である。日顕などは、到底、足元にも及ばない。
 この堀日亨上人が、次のようにおっしゃっている。
 「御本尊様も本当に日の目を見たのは、学会が出現してからだ。
 学会のお陰で御本尊様の本当のカが出るようになったことは誠にありがたい」と。
 この言葉は、最晩年の堀上人にお仕えした、日蓮正宗改革同盟の渡辺慈済氏が書き残したものである(『堀日亨上人の御遺徳に捧ぐ』第三文明社)。
 御書編さんの難事業は、戸田先生をはじめ、学会の教学部の手で連日、深夜にわたって続けられた。不明な点が出るたびに、畑毛の堀上人のもとに通った。
 そして、戸田先生の発願から10ヵ月後の昭和27年(1952年)の4月、立宗700年の大佳節に完成したのである。
 一、さらに、同じ年、学会は、独自の宗教法人として発足した。
 これも戸田先生の英断であった。
 戸田先生は、宗門について、「金がたまれば、必ず威張り、贅沢をする。それどころか、広宣流布を断行しゆく正義の団体である学会を、切り捨てていくだろう」と鋭く喝破されていた。
 その言葉の通りに、嫉妬に狂った日顕が、大恩ある学会を、非道にも切り捨てる暴挙に出たことは、皆さんがご存じの通りである。
 「正義の柱」を失った宗門は、惨めに衰退の一途をたどっている。
 一方、「御書根本」で広宣流布の大道を進む学会は、世界190カ国・地域へと広がり、仏法史上、未曽有の大発展を遂げているのである(大拍手)。

◆ナチスの猛爆に耐えた英国首相

 一、広宣流布のリーダーは、いつも、生き生きと、輝いていなければいけない。
 リーダーが、いつも元気で、にこやかであってこそ、わが同志に勇気の風を送り、希望の光を届けていくことができるのである。
 冷たい感じのする幹部であってはいけない。
 第2次世界大戦中、ナチスの雨あられのような猛爆撃にも、まったく臆することなく指揮を執ったのが、イギレスのチャーチル首相であった。
 彼は、廃墟と化した口ンドン市内を回っては、人々を励まし、迅速に救済の手を打っていった。
 このままでは、いつナチスが上陸するかも分からない――そんな中で、彼は、悠然とVサインを掲げ、師子のごとき堂々たる姿をもうて、イギリス国民に訴えたので
あった。
 “戦いは忍耐だ。勝負はこれからだ”
 “我らは、絶対に勝つのだ”と。
 この指導者の不屈の心と行動が、苦境にあったイギリス国民を、カ強く奮い立たせた。
 “チャーチルがいれば大丈夫だ”
 “イギリスは絶対に勝つのだ”と。
 大事なのは、指導者の勇気と信念である。それが勝利の原動カであることを忘れてはならない。

◆好かれる人に

 一、また、身近な同志から好かれるリーダーであっていただきたい。
 同志に嫌われ、皆の心が離れてしまうことほど、リーダーにとって辛いことはない。
 当然、人間だから、好き嫌いはあるだろう。
 それはそれとして、広宣流布にともに進む同志として、いかに団結していくかが大事だ。
 そのためには、指導者が本気になって、同志に尽くし、広布に尽くしていくしかない。
 「どうしたら皆が喜んでくれるのか」「今、皆は何を求めているのか」――それを真剣に考え、祈り抜き、実践していくなかで、リーダーへの信頼が深まっていく。そこに、リーダーの人間としての成長もあるのだ。
 「あの人は、感じのいい人だな」「話をしてみたいな」と思われた人が勝ちである。
 一、これからの学会のリーダーは、「信心も人格も行動も一流である」と言われる人でなければならない。
 もはや、幹部が威張るような時代ではない。
 後輩にも、礼儀正しく接する。また、後輩を大きな心で包み、長所をほめて、持てる力を存分に伸ばしてあげられる人が、立派な先輩である。

◆戦うことをやめれば敗北

 一、古代ローマの哲人皇帝マルクス・アウレリウス(在位161〜180年)。
 彼の時代、大帝国ローマは、天災、外部からの侵略、内乱など、相次ぐ危機と戦乱にさらされた。
 本来、戦争を嫌い、読書と思索をこよなく愛するマルクス・アウレリウスだったが、ローマを守るために、終生、東奔西走しなければならなかった。
 現実というのは、本当に厳しいものだ。つねに戦いの連続である。
 勝つか、負けるか――戦うことをやめれば、すぐに敗北が待っている。
 人生も、またあらゆる団体も、その厳しき法則を逃(のが)られない。
 いわんや、仏法は勝負である。
 一、マルクス・アウレリウスは、“乱世”とも言える厳しき時代状況の中を懸命に戦い、ローマの安定と繁栄を守り抜いた。その要諦は、どこにあったか。
 古来、さまざまに議論「されているが、一つには「人材の登用」が挙げられよう。
 マルクス・アウレリウスは、伝統を踏まえつつも、古い慣習にとらわれず、カある人材を、どんどん登用していった。「実力主義の人事」で勝ち抜いていったのであ
る。


◆◆◆人材の力で乱世を勝ち抜け ローマの哲人皇帝は「実力主義」で難局を打開 


◆信頼されてこそ本当のリーダー

 一、マルクス・アウレリウスに登用されたある人は、皇帝の片腕として、いかなる困難の時も皇帝を厳然と守り、勇敢に戦った。
 またある者は、遠方の国境地域に派遣され、皇帝の分身となって、ローマを守り、栄えさせた。
 遠くに離れていても、心は一つ――異体同心の結合こそ、発展の原勤カである。
 マルクス・アウレリウスは、人材を深く信じ、心から大事にした。
 責任を任された人は、厚い信頼に応えようと、懸命に働いた。
 “あの人は、自分の戦いを、すべてわかってくれている。一生懸命やれば、必ず報いてくれる。よし、頑張ろう!”――こう固く信じることができた時、人は最大のカを発揮するのである。
 「固い信頼の絆」こそ、マルクス・アウレリウスが治めたローマの強さの源泉の一つだった。
 創価学会もまた、この絆の強さで勝ってきた。
 どうか学会の幹部の皆さんは、一人ひとりのことを心から大切にし、本当によくわかってあげられるリーダーであっていただきたい。
 口先だけではいけない。真の誠実のリーダーに、人々は信頼を寄せる。そういう人のもとでこそ、同志は喜び勇んで広布のために戦っていけるのである。

◆どんな時も弟子として振る舞え

 一、マルクス・アウレリウスは、皇帝という最高の権カの座にあっても、哲学を求め、実践していった。
 これは、非常に重要な一点である。
 哲学のない闘争は、野心の闘争にすぎない。
 哲学がなければ、正義はない。人道もない。善悪もない。そのような戦いに明け暮れるのは、いわば、畜生の世界である。
 マルクス・アウレリウスは、皇帝としての激務に打ち込みながら、わずかな時間の合間を縫って、静かに自己と対話し、自らの思索の跡を書き綴っていった。
 そうした思想の断片は『自省録』としてまとめられ、今日にいたるまで、多くの人々に読み継がれている。
 『自省録』の最初には、自分をこれまで育ててくれた親や教師たち一人ひとりの名を挙げながら、ことこまかに、感謝の思いが綴られている。
 偉大な人物は、恩を決して忘れないものだ。恩を知ってこそ、人間として一人前といえるだろう。
 とくに彼は、自分の養父であり、先代の皇帝であり、ローマの平和と繁栄を築いたアントニヌス・ピウス(在位138〜161年)に対して、深い感謝を捧げている。
 彼は、この先代皇帝を「師」とも仰いでいた。
 「あらゆることにおいてアントーニーヌスの弟子としてふるまえ」(神谷美恵子訳『自省録』岩波文庫)――こう、彼は記している。
 先代を深く敬う彼の姿に、周囲の人々も、粛然と襟を正したに違いない。
 創価の三代の師弟を貫く精神もまた、この精神と同様である。
 戸田先生は、いかなるときも牧口先生の弟子として振る舞われた。私も、どんな迫害の嵐があろうと、勇敢なる戸田先生の弟子として生き抜いてきた。
 それで創価学会は、世界的になつた。後は皆さんの責任である。

◆陰で戦っている人は信頼できる

 一、16世紀のフランスの思想家・モンテーニュは、こう言っている。
 「人に知られるだろうからというだけで、また、人に知られればいっそう尊敬されるだろうからというだけで善人である人、自分の徳が人に知られるということがなければ善をおこなわない人、こういう人には大事を託すことはできない」(原二郎訳『エセー』岩波文庫)
 まったく、その通りである。
 私は、だれが見ていようといまいと、戸田先生に仕え切った。学会に尽くし抜いてきた。
 陰の戦いに徹してきたがゆえに、私には、陰で戦っている人の苦労がわかる。見えないところで真剣に戦っている人こそ、最も信頼できる。

◆名を上げるか名を下(くだ)すか

 一、日蓮大聖人は、法論に臨む門下に対して、次のように御教示してくださっている。
 「(このたびの戦いこそ)名を上げるか、名を下すか、人生を決するところなのです」(御書1451?、通解)
 「『釈迦仏、多宝仏、十方の仏よ。来集してわが身に入り替わり、私を助け給え』と深く祈りなさい」(同?、通解)
 広宣流布の戦い、人生の大事な戦いに挑む我々が、つねに拝すべき心構えである。
 一、法華経の薬王品には、次のように説かれている。
 “あなたはよく妙法を受持し、読誦し、思惟(しゆい)し、他人のために説いた。
そのために得たところの福徳は無量無辺である。火も焼くことはできない。水も流し去ることはできない”
 “あなたは今すでに多くの悪魔の賊を破り、生死の迷いの車を破壊し、その他の多くの怨敵を皆、摧(くだ)き、滅した。百千の諸仏は、神通力をもって、共にあなたを守護する。すべての世界の、天界・人界の衆生の中において、あなたに及ぶ者はいない”
 御本尊を受持し、妙法を唱え、広宣流布に生き抜かれている皆さんは、人間として、最も正しき道を歩んでいる。
 信心ある限り、絶対に崩れることのない大福徳を積んでいる。諸天・諸仏の守護も、絶対に間違いない。
 このことを確信して、晴れ晴れと前進していただきたい(大拍手)。

◆信心の狂いから生活の乱れが!

 一、戸田先生の指導は、じつに厳しかった。
 その厳しさがあったからこそ、学会は、栄光の創立75周年を迎えることができたのである。
 朝、遅刻する青年がいたならば、先生は、烈火のごとく叱られた。
 「朝の出勤が乱れている時は、信心が狂っている」
 全部、信心につなげて指導された。
 その狂いを正さなければ、どうなるか。
 「いつも弁解ばかりして、それが高じてますますウソツキになったり、ズル賢くなって、人々の信頼を失う。そして悪事に手を染め、ついには退転していく」
 まさに先生のおっしゃる通りであった。
 「朝の勝利」から「一日の勝利」が始まる。小事が大事だ。信心即生活である。
 世間的な栄華に溺れ、退転した反逆者たちは、皆、生活が乱れきり、だれからも信用されていなかった。皆さまがご存じの通りである。
 また、ある時、戸田先生は、時間に遅れた人を一喝された。
 「時間に遅れることが同志を心配させる。戦いであったならば、すでに敗戦である」
 その人の未来の勝利のために、あえて厳しく叱咤されたのである。

◆今日より明日へ

 一、広宣流布の前進のために、戸田先生は大切な将軍学を教えてくださった。
 「どんな立派な人間でも、短所がある。また、どんな癖のある人間でも、長所がある。そこを活かしてあげれば、みな、人材として活躍できるのだ。人を見て、その人にあった働き場所を考えることがホシだ」
 あらゆる人を活かせ!――幹部は、この点を絶対に忘れてはならない。
 先生は、こうも語っておられた。
 「南無妙法蓮華経の信仰は、向上を意味する。
 無限の向上である。
 朝に今日一日の伸びんことを思い、勇躍して今日一日を楽しむ。しかして無限に向上して行く」
 「まだまだ、その上へその上へと向上して行く法である」
 大聖人の仏法は「無限の向上」の大法である。
 飛行機が離陸して、上へ上へと飛んでいくように、今日より明日へ、明日よりあさってへと、どこまでも向上していく力が、妙法なのである。
 一、人間の偉さは、どこにあるか。
 戸田先生は言われた。
 「本当の偉さとは、たとえ人にしてあげたことは忘れても、してもらったことは一生涯忘れないで、その恩を返していこうとすることだ。
 そこに仏法の光がある。また人格の輝きがあり、人間の深さ、大きさ。昧わいがある」
 人にしてあげたことは忘れても、してもらったことは一生忘れない――すごい言葉である。
 「それは、えらく損ですね」(笑い)という人もいるだろう。大ていの人は、この言葉の反対をやっている(笑い)。
 しかし、私は、先生の言われることは正しいと思う。報恩こそ仏法の魂であるからだ。
 一、富山県出身の信念の政治家、松村謙三氏はこう述べている。
 「“国民とともにある政治”――これはまことに平凡な言葉かもしれぬ。しかし本当に政治を清潔にし、国民の利害に一致する政治を行なうためにはわれわれ政治家はこの“国民とともにある政治”を片時も忘れてはならないのである」(『花好月圓――松村謙三遺文抄』青林書院新社)
 国民のために。
 国民とともに。
 それを貫かれた氏であった。
 松村氏とは、かつて都内で語り合ったことが懐かしい。〈1970年3月〉
 氏は、若い私に「日中友好」という悲願を託してくださった。
 日中の国交正常化はもとより、私は、ソ連と中国の和解、キューバとアメリカの関係改善にも、一民間人の立場で、力を尽くしてきた。
 冷戦終結の立役者ゴルバチョフ元ソ連大統領、またアメリカの元国務長官キッシンジャー博士とも何度も語り合った。
 世界の指導者と対話を重ねた。文化で民衆の心を結び、平和の潮流を広げてきた。
 ともあれ、人類の未来は、人間主義しか道はない。
 今、創価の哲学を、世界が求めている。支持している。大きな期待を寄せている。
これも、すべてSGI(創価学会インタナショナル)の同志の皆さまの偉大なる奮闘の証である(大拍手)。

◆偉業を成し遂げる力は勇気

 一、19世紀のイタリア統一の英雄、マッツィーニは述べている。
 「短気と人間の高慢とは、巧妙な悪事よりも、甚しく魂を邪道に導き陥れる」(大類伸訳『人間義務論』岩波書店)
 これが歴史の教訓である。
 自分が偉いと思って、傲慢になる。私欲に走る。そこから一切が狂っていく。
 これまでの反逆者も、傲慢な人間ばかりであった。
 著名な教育者であり、農政学者の新渡戸稲造(にとべいなぞう)博士。国際遵盟の事務次長も務め、最後はカナダで亡くなった人物である。
 博士は綴っている。
 「人間の交際上最も邪魔になるものは、且つ日常生盾を最も不愉快にするものは、威張る癖である」
 「日本人ほど威張りたがるものは類が少いかと思われる」(「人生読本」、『新渡戸稲造全集』第10巻所収、教文館。現代表記に改めた)
 鋭い指摘である。
 かつて日本は中国や韓・朝鮮半島の人々を見下して、侵略し、いじめ抜いた。
 少しでも自分が上だと思うと、すぐに威張る。それでは真の友情を結ぶことはできないし、信頼を勝ち取ることもできない。結局、皆から嫌われてしまう。
 また、新渡戸博士は、こうも記している。
 「世の中に出て、名を揚げ仕事を成した位な人は必らず勇気がある。勇気のない人に仕事の出来る筈がない」(「修養」、『新渡戸稲造全集』第7巻所収、教文館)
 勇気こそ、偉大な事業を成し遂げる原動カである。私たちは、勇気を胸に進みたい。

     
◆◆苦悩があるから成長の喜びが

◆◆◆中国の教育者 第一に大切なことは「持ち場にしっかり立つ」こと


◆迫害は我らの心を強くする!

 一、さらに、スイスの哲学者ヒルティの言葉を紹介したい。
 「侮辱はかえってわれわれの心を堅固にし、確信を強めるものである」(草間平作・大和邦太郎訳『眠られぬ夜のために』岩波書店)
 くだらぬ中傷や誹謗など、歯牙(しが)にもかけないことだ』むしろ、そうした迫害こそが、自分を強くしてくれる。そう決めて、堂々と進むことだ。
 ロシアの文豪トルストイは述べている。
 「苦悩なしに精神的成長はあり得ないし、生の拡大も不可能である」(原久一郎訳『愛の暦』三笠書房)
 仏法では「煩悩即菩提」と説く。
 悩みがあるから成長できる。苦悩があるからこそ、大きく境涯を開いていけるのである。
 また、中国の大教育者・陶行知(とうこうち)は、仕事に臨むにあたっての心構えについて、こう語っている。
 「第一に大切なことは、『持ち場にしっかり立つ』ということである。
 直接に一人一人の負っている責任は同じではなく、一人一人にはそれぞれ持ち場がある。
 各人が、自分の持ち場にしっかり立って、職務をよくおこなうこと、これが責任をはたす第一歩である」(斎藤秋男訳『世界教育学選集15民族解放の教育』、明治図書出版)重要な言葉である。
 自分の持ち場で全力を尽くす。責任を果たす。そうした一人ひとりであっていただきたい。
 それが全体の勝利にも通じていぐのである。

◆強き祈りで前へ

 一、皆さんの中には、ご両親やご家族が病気の方も、おられると思う。
 私は、全同志の健康を、いつも真剣に祈っている。題目を送っている。
 病気といっても、さまざまな事情や状況があり、一概に言えない部分もあるかもしれない。
 しかし大切なことは、まず自分が、しっかりと家族の健康を祈っていくことだ。必ず病気を治すのだと決めて、本気で祈ることだ。
 自分が死にものぐるいで祈る。必死になって広布へ戦う。
 その功徳は全部、親に通じていく。家族に伝わっていく。
 どこまでも強く、強く進むのだ。
 また、例えば、病気のお母さんに対しては、「私が、お母さんのために真剣に祈っているから! 絶対に治るよ!」と声をかけて、励ましていってほしい。
 人間は、だれでも病気になる。大切なのは、病気の人が少しでも元気になるように、激励していくことだ。心を砕いていくことである。
 どうか、よろしくお伝えください(大拍手)。

◆親孝行の青年に

 一、大切な皆さまである。全員が、各職場、各地域で、勝利の歴史を綴っていただきたい。
 何があっても、題目をあげ抜いて、愉快な人生、朗らかな人生を生きていただきたい。
 青年部の皆さんは、少しでも親孝行をしてほしい。自分を育ててくれた親の恩に報いていく――仏法では、そうした生き方を教えている。
 根本は、自分がしっかりと信心に励んでいくことが、最高の親孝行である。その上で、感謝の気持ちを何かで表していくことだ。言葉でもいい。何でもいい。それが親にとって、どれほどうれしいか。
 親子であれ、夫婦であれ、真心の言葉と聡明な振る舞いが、和楽の家庭を築いていくのである。
 それでは、お元気で!
 きょうは、本当にご苦労さま! ありがとう!(大拍手)

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