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リレー小説を作る会コミュの10話ごとに完結するリレー小説

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またトピック作っちゃいました。

今回は誰でも気軽に参加出来たらいいな、という思いをこめました。

ルール

・ジャンルは自由。このトピ内では、もし違う展開になっても、それはリレー小説の醍醐味ということで、気軽にいきましょう。でも、新しい小説をはじめる時、ある程度の方向性を決めるのは良しとします。
・文章の最初に −1− というように現在何話めか分かるように数字を書いて下さい。
・10話めの人はその話を完結させて下さい。
・次の話の出だしについても誰が書いても構いません。

ではみなさん、小説を書いたことがない人でも気軽に書き込みして下さい。
まったりと行きましょう。

コメント(34)

初回ということで、一回目は私が出だしを書きます。
『 どきどきの修学旅行 』

−1−

どきどき
どきどき
どきどき

ああ、心臓の音がうるさくて眠れない。
もうこんな時間。
早く眠らないと明日がつらい、早く眠らなくっちゃ。



あたしの名前は山田さやか、高校二年生。
明日は待ちに待った修学旅行。
あたしはこの修学旅行に強い思いを持って望もうとしている。
クラスメートの佐藤君、席が離れているからあまり話をしたことはないけれど、この機会をチャンスにお話するつもり。
出来たらあたしの気持ちも伝えることが出来たらいいな、って思っている。
そのためには、今日は早く寝て体調を整えなくっちゃ。



う〜、眠い。
結局あんまり眠れないまんま当日の朝を迎えてしまった。
ここは集合場所の駅。
あ、佐藤君だ、男子同士で集まってるから何か話しかけにくい雰囲気。
でもここであせっちゃいけない、長い修学旅行、きっとチャンスはいくつもある。
緊張するけれど、どこかでふたりきりになれるといいな。



さあ、いよいよ出発。
あたしたちの修学旅行の行き先は、
―2―

京都。
この東京駅から新幹線で約2時間半。
鴨川で佐藤君と手でも繋げないかな。

「京都まで・2時間半の・旅路です」

ふと私の背後から声がした。

振り向くと佐藤君が、二重の目をきらきらと輝かせて私の前に立っていた。

ええ〜話なんてした事ないのに。
ってか何その俳句?川柳?みたいなのは。


「…そ、そうね。2時間半くらいね」
ああ〜私ったら。なんてつまらない事言ってるの。面白い事言わなきゃ。

あ、微笑む佐藤君の後ろで男子達がこっちを見てにやついている。どうしよう。頑張らなきゃ。

そうだ。私も俳句で返そう。

「鴨川で・何か良い事・あるかもね」

それを言い終わると、私は顔が燃えるように熱くなるのを感じた。

きゃあ〜何言ってるの。私。
しかも良い事って…
向こうは良い事と思うかどうか分らないし。でも…でも…

佐藤君は一瞬きょとんとした顔で私を見た。

「すごいな、山田。やっぱりお前短歌一瞬で作れるんや。すごいなあ。ええなあ。」

“やっぱり"??

短歌??

ってか何故京都弁??
―3―

きょとんとするあたしに気づいた佐藤君は、
「あれ、知らんかった? 俺ね、小学校まで京都にいたんだよ、そやし、なんや懐かしくてね」
「え、あ、そうなんだ……」

知らなかった……佐藤君、京都にいたんだ。
佐藤君は流れる景色を見ながら、清々しい顔をしている。
その横顔を見ながら、あたしの胸はちょっぴり痛くなる。
やっぱり、佐藤君って格好良いなぁ。

「それより山田、お前やっぱりすげぇなぁ。ほんまやったんやね、日常会話を短歌でできるって」
「はぁ?」
あたしはぽかんとしてそんなことを言ってしまう。
慌てておしとやかに言いなおした。
「えっと、佐藤君、それってどういう……」
「あいつらがさ、山田に短歌で話しかけてみろって言うさかい、やってみたんやけど、まさかほんまに短歌で返ってくるとは思わなかったわ」

……佐藤君、それ、からかわれてるんじゃ……??
否、からかわれてるのはあたしのほう??

せっかく待ちに待った修学旅行なのに、なんでこんな出だしなの?!
― 4 ―

「短歌とは、五七五と、七七よ」

あっけにとられているあたしを尻目に隣りのクラスの森みどりが佐藤君に話しかけてきた。
げげ、何でこんなところに『盗み鳥』が。
まさか、今度はあたしがターゲットじゃあないでしょうね。・・・うわわ、だとしたらどうしよう。

森みどり・・・女子の間では悪意を込めて『盗み鳥』と呼ばれている。
片思いをしていると思われる女子を見つけると、お相手の男子の方へ行き自分に惚れさせるという最悪の趣味を持っている女だ。
これがまた巧妙なやり方のため、やられた男子は気付かない。
だから彼女は女子の嫌われ者だが、男子で彼女を悪く言うものはいない。男子の前で彼女の悪口など言ったらその女子は総攻撃をされてしまう。
だから彼女にターゲットにされた女子は、おとなしく片思いの相手を盗まれるしかないのだ。

わわわわ、やばいやばい。
『盗み鳥』にターゲットにされたら今回の修学旅行はもうおしまいだ。
ここは何とか彼女に気付かれないように振る舞うしかない。

「ほ、本当だ。き、季語も入っていないし、こ、これってせ、川柳だね。」

「いやあ、基本型が五七五七七なだけで、現代短歌はもっと自由でええんや。俵万智の例もあるし」

「・・・ふうん。でも五七五で会話をするって楽しそうね。ねえ、あたしもその仲間に入れてよ」

「もちろんええよ。ええよね、山田さん」

え、あたしはもうその五七五仲間に入っちゃってるんだ。
嬉しいような、困ったような。

でも、ここではっきりしたことがある。
この修学旅行での『盗み鳥』森みどりのターゲットは多分このあたしと佐藤君だ。


そうこう言ってる間にあたしたちは最初の目的地に到着した。
―6―

「あれを見て!ここは保津川、亀岡市。川を下って、いざ嵐山」
わ、我ながら完璧だわ! やればできるじゃないのサーヤ!
「あ、私……舟って、ちょっと苦手なの。タクシーじゃダメ? トロッコじゃダメ?」
出た! 『盗み鳥』のおねだり作戦。
説明しよう、『盗み鳥』こと森みどりはこうやって己のか弱さ、不器用さ、愛らしさをさりげなくアピールしつつ、ターゲットof女子(あろうことか今はあたしorz)の意見をやんわりと否定。そうするとともにターゲットof男子(信じたくないけど佐藤君)に選択させることによって親密度を高めようという卑怯かつ巧みな心理作戦!!
あーっ!! しかもちゃんと五・七・五・七・七になってるよ、ちくしょう! って、はしたないわ、私ったら……

「そっか……じゃあ山田、俺たちだけで下ろうか。森はあとから合流しろよ」
うわ、佐藤君も何気に五・七・五・七・七になってる!
けっこう本格的な戦いなのね、これ。遊びじゃないのね。
だけど、ちょっと待って。いくらなんでも、後から一人で来いって言うのは、ちょっと冷たいんじゃないの……?
だって、森さんだって初めての京都なんだよ。それなのに……

だけど、あたしは何も言えなかった。
だって、こんなチャンス、もう二度とないかもしれないし。
森さんは大きな目を見開いて更に大きくすると、驚いたように顔をしかめ、回れ右をして走り出した。
あたしに背を向ける間際の森さんの目には、涙が滲んでいたみたいだった。


けっきょく、保津川下りでは何の進展もなかった。だってそうでしょう、舟には他のクラスメイトだって何人か乗っていたし、普通の観光客だっている。
それに何より、あたしはなんだか、気分が乗らなかった。
途中トロッコのレールが頭上に通っている谷間があったけど、
あれに森さんが一人で乗ってるのかと思うと、なんだか自分がとても卑怯者のような気がして、とても短歌で会話どころではなかったのだ。

その夜、消灯間際、あたしは森さんに呼び出された。
そしていきなり、頬を叩かれたのだ。
「あなたも、あたしのこと、『盗み鳥』なんて思ってるの?」
あたしは何も言えない。
目の前の森さんは『盗み鳥』なんかじゃなくて、普通に恋する女の子の顔をしていたから。
「私、佐藤君のことが好き。山田さん、あなたは、どうなの?」
― 7 ―

あたしが佐藤君を好きになったのは実にたわいもない出来事からだった。

その日の国語の授業では俳句を取り扱っていた。
先生は教科書にのっている俳句について説明をする。
退屈な時間だ。
ても、ひとつだけあたしの心の中に残った句があった。


万緑の 中や吾子の歯 生え初むる    中村草田男


草木がしげって緑いっぱいの中で、わが子がにっこり笑ったひょうしに白い歯がのぞいた子どもの成長ぶりを喜んでいる句らしい。
先生がその句を読み上げた時、あたしの頭の中にぱあっとその情景が浮かんだ。
きっとかわいい子なんだろうなあ。後ろ一面に広がる綺麗な緑色、そしてきっとそれを見ている父親こそが満面の笑顔なんだろうなあ。
幸せいっぱいの情景、それを想像するだけであたしは幸せな気持ちになった。

そんなことを考えてた時、たまたま隣りに座っていた佐藤君がぽつりとつぶやいた声があたしの耳に入ったのだった。

「この句ええなあ、俺、好きやなあ」


なんだか、嬉しかった。
あたしが好きになった句をこの人も好きになったんだ。
あ、この人もあたしと同じ気持ちになったんだ。
そう思うととても嬉しくなった。

きっかけはすごくたわいもないことだった。
今も佐藤君とあまり話をしたことはないけれど、あれからあたしは佐藤君を意識するようになった。
佐藤君がいるとどうしてもそこに目がいってしまい、顔を見ると心臓がどきどきしてしまい顔が赤くなる。

これが「恋」なんだ、とあたしは初めて自覚した。
「恋に落ちた」って、きっとこういうことなんだ。

森さん
あなたもきっと恋に落ちてしまったんだね。
今までは遊び半分で人の彼氏を奪っていたんだろうけれど、今度はあたしと一緒で恋に落ちてしまったんだね。

そういう意味ではあたしと森さんは仲間だ。
でもね、

「森さん。あたしも佐藤さんのことが好きよ」

森さんは少し意表をつかれたような顔をする。
普段内気なあたしがこういうふうにはっきりと言い返すとは思っていなかったのかもしれない。

「だからあたし、森さんには負けないから」

あたしは森さんに対して高らかに宣戦布告をしたのだった。




―8―

「いきおいの 宣戦布告 勇ましや 乙女の意地に 感心しきりなり
字余りっ、と」
孝夫(たかお)ははそう言うと、ニヤニヤしながら試食の八つ橋をほうばった。孝夫とは幼稚園からのつきあいで、いわゆる幼馴染。家が近所で学区も同じ。だから、中学校までは一緒なのもわかるけど、まさか高校まで同じになるとは。つくづく腐れ縁なのだ。昨日、思わず宣戦布告などしてしまったものの、朝になってから「なんであんなこと言っちゃったのかなー」と少しへこんでいた私は、京都名物がならぶ土産物屋の店先で孝夫を見つけ、森さんとのやり取りをつい愚痴ってしまったのだ。案の定、奴におもしろがられてしまった。

「他人の恋 茶化す男は もてぬなり」
横目で孝夫をにらみながら一句。なんていうか、孝夫と話すときは妙にすらすら詠めちゃうのよね。
「ひとの恋より 自分の恋 だ ろ!」
まったく、男には乙女の淡い気持ちの揺れ動きなんかわからないのよね。孝夫に恋の相談なんかしても仕方ないと、土産物屋を立ち去ろうとすると
「あ、お、おいっ、悪かった ちょっとふざけた だけなんだ」
振り向くと、困った顔で孝夫が頭をかいている。ふーん、なんだよ、妙に素直なんだから。私が無言で見返していると
「森さんのこと 気にすんなよな」
そう言ってさっさと友達のところへ小走りで行ってしまった。なんだ、あいつ、もしかして元気づけてくれたのかな・・・。だけどちょっと元気がでたみたい。  

よーし、今日はお楽しみの自由行動があるぞ。お寺巡りをしながら佐藤君に急接近しちゃおう!森さんのことは、まあ、どうにかなるさ。

恋こそが 真に人を 強くする 乙女の根性 あなどるなかれ !
―9―

「おかしいな。集まったのは、俺らだけ。他の奴らは、一体どこに?」
佐藤君がポツリと呟いた。ここは、清水寺の本堂。
そして、この場にいるのは、あたしと、佐藤君と、森さんの3人。

自由行動とはいっても、好きな人と好き勝手に京都を見て回っていい…というわけではなくて。7〜8人で構成された班に別れ、あらかじめそれぞれの班で決めたルートに沿って、京都を観光する決まりになっていた。

あたしと佐藤君と森さんは同じ班。
既に、「金閣寺」「三十三間堂」「銀閣寺」と有名どころのお寺を巡ってきて、ここが、自由行動最後の観光場所。

清水寺の近くはお土産屋さんが多いので、30分間の自由行動のあと、本堂に集合する約束になっていたのだけれど。
もう、約束の時間を5分過ぎているにも関わらず、ほかのメンバーが誰ひとりとして来ないのだ。

「待っててね、今班長に、電話する。携帯電話、繋がるかしら。」

自由行動の間中、あたしたち3人はこんな調子で短歌での会話を続けていた。
おかげで、班行動にもかかわらず、ほとんどの時間を佐藤君と一緒に過ごす事ができた。
これで森さんがいなければ、班員に隠れて手を繋ぐくらいできたかもしれないのに…と何度か思ったけれど。
彼女も本気で佐藤君のことが好きなんだから、仕方ないよね。

…なんて、今日の出来事を振り返りながら携帯を開くと、同じ班の友達から、一通のメールが届いていた。

(集合場所には、他の班員はいかないから!盗み鳥に負けないで、佐藤君をものにするんだよ!)

想定外の内容に、あたしの思考は固まった。
顔が燃えているように熱い。

「どうしたの?班の誰かの、メールかな。俺にもメール、来ているのかな。」
私の様子をみた佐藤君が、自分の携帯を手に取った。
どうやら彼にもメールが来ていたようだった。しかし、少し確認しただけで、すぐに携帯をポケットにしまった。
さっきより、顔が赤くなっているように見えるのは、私の気のせいだろうか。

一体佐藤君には、誰からどんなメールが来ていたんだろう?
気になるけど、怖くて聞けない。


「二人に届いていたのって、他の班員は、ここには来ないっていう内容のメールでしょ?」
沈黙を破って、森さんが言った。
「“清水の 舞台の上の 三人の 恋の行方を 友は知りたい”…なんちゃって。」
恥ずかしそうに笑う、その笑顔は、悔しいけど、女の私から見たって可愛い。
−10−


でも森さん今なんて言った?
3人の恋の行方って
え
え
そんなはっきり・・・


たったったったっ


森さんはそんなとまどっているあたしを尻目に舞台の奥まで駆けて行った。
そして舞台の端っこで振り返り、
軽く深呼吸した後、
森君に向かってこう言い放った。


「 あたしたち 清水寺を 飛び降りる くらいの気持ち 伝えますから 」


それはまるで舞台の主人公みたいに堂々とした宣言だった。
森さんは挑戦的にあたしを見つめる。
そう、その『あたしたち』のなかにあたしも含まれているんだ、あたしだって何か言わなきゃ、
「あの、 」
「ちょっと待って」

あたしがしゃべろうとした時佐藤君の言葉が遮った。
「僕から先に言わせてよ」
そう言うと佐藤君は私に向かってこう言い放った。


「 朝霧の おほに相見し 人故に 命死ぬべく 恋ひわたるかも 」


・・・
しばらくあたしはぽかんとしてしまった。
なんか授業で聞いたことがあるけれど、それがなんだか思い出せない。

ゴツン
あたしに駆け寄ってきた森さんに軽く頭を小突かれた。
「馬鹿、もっと勉強しなさいよ。万葉集の恋歌よ。・・・前からあんたに一目ぼれだったって言ってんの」
「・・・え?」
「あ〜あ、今回はあたしの負けね。・・・あんたたちが両想いなことはクラスのみんなはとっくに知っているわ。はなから両想いのくせに二人ともうじうじしてるから、ちょっとからかっただけよ。佐藤君のことなんかあたし何とも思ってないからね。

・・・お邪魔虫のあたしはそろそろ退散するから上手くやんなさいよ」

そう言うと森さんはあたしたちから離れていった。
表情がうまく見えなかったけれど、きっと泣いていた。

そう
もう後戻りはできない、あたしもちゃんと気持ち伝えなきゃ
ええと
短歌なんてもうどうでもいい。
雅とかわびさびとか言っている場合じゃない。
あたしの気持ちを伝えるんなら、もう、きっとこの二文字だけでいいはずだ。


「佐藤君、・・・あたし佐藤君のこと ・・・す

好き

・・・です」


森さんの言う通り、あたしは清水寺を飛び降りるくらいの気持ちを佐藤君に伝えた。


あとのことはよく覚えていない。
告白した後、後ろのほうで悪友たちの歓声が聞こえたこと、佐藤君が受け取ったメールは孝夫からの応援メールだったこと、森さんが以前より他の女子たちに嫌われなくなったこと、そんなことをぼんやり覚えている。

今、あたしは帰りの電車の佐藤君の横でほんやりと座っている。
色々と話をしたいことがあるけれど、何も浮かばない。
二人ともなんだかぼんやり座っているだけ。
でも今はそれでいい、なぜならこの先ずっとあたしは佐藤君の横でいられるのだから。

あ

あと
あとちょっと
短歌の勉強しなきゃなあ。


おわり

―1―

「君には本当にすまないと思う。でも、今はまだ、そういうわけにはいかないんだ。」

彼の愛人になってから、もうじき3年。
「妻とは近いうちに別れるつもりだから」…なんて台詞を、そのまま鵜呑みにして付き合ってきたわけでは、ないけれど。
全く期待していないといえば、嘘になる。

予想外の事とはいえ、流石に今回ばかりは、いつもとは違った反応をしてくれると期待していたのに…。

(ごめんね。)
私は、自分のお腹に宿る小さな命の事を思った。
まだ膨らみのない、いつもと何も変わらない自分の身体に、赤ん坊の卵が入っているのだと思うと、なんだか、不思議な気持ちになった。


今年でもう、30歳。
仲の良い友達は、続々と結婚し、家庭を築いている。

私の恋愛事情を知る友達は口を揃えて、「アンタも早く、いい男みつけて幸せになりなよ!」と言うが、黒田さん以上の人が、この世にいるとは到底思えない。
そりゃ、私にだって暖かい家庭への憧れはあるけれど、彼との幸せを失う事への恐怖の方が、遥かに勝っていた。


「費用に関しては、私がなんとか都合する。しかし、非常に申し訳ないんだが、病院へは…その…。」
「大丈夫よ。一人でいくから。同意書のサインも友達に頼むから、黒田さんは何も心配しないで。」

私は、精一杯の笑顔を作り、
「さ、せっかくのお料理が冷めないうちに、食べましょ。」
と言った。
−2−

この女、何を言っているのか理解に苦しむ。
このご時世で、俺の子を産みたいとか言ってきやがった。
なんとか堕ろすことに話を持っていけたが、ひょっとしてまだ俺が妻と別れるとか絵空事を思っているんじゃないのか?

なぜ俺が金の面倒までみなくちゃいけないんだろう。。。
だらしないのはこの女なのに。。。

俺は今年で39歳。
すでに小学生になる2人の娘がいる。

「そうだね、ここのシェフはあいかわらず腕がいい。」

たいして上手くもないラタトゥーユにスプーンを付ける。

「うん。美味しい。」

この女、味も分からないのか。俺が言ったことを肯定するだけだ。
だから毎回の密会でも、肯定だけしてればこうなることはわかっていたのに。

やはり世間を知らないお嬢さんだと改めて思う。

「ところで、萌は今日はどうしたいんだ?明日は休みなんだろ?」

たいして美味くないパンをスープで流し込み、ちょっとの期待と悪意を込めて聞いてみる。

答えはわかっているが。

「朝まであなたの側に居たい。」

ほらな
−3−

「結局さあ、萌はさあ、自分から『都合のいい女』になろうとしてるのよ。それがさ、それがさあ、男をダメにしてんのよ!」

黒田の寝顔を見ながら、萌は友人の言葉を思い出す。
やっぱり私が悪いのだろうか。

・・・もうすぐ4時だ。
黒田と一夜を共にした後は4時前に黒田を起こすことが定例になっている。
黒田が言うには、朝5時前に家に入れば、奥さんは昨晩泊まったことに気づかないらしい。
夜遅くまで仕事して、夜中に自分が寝ている間に帰ってきたと思うらしい。

・・・そんなはずないのに。
きっと奥さんは気づいている。

・・・そして、きっと私と奥さんが黒田さんをダメにしているのだろう。



黒田がいなくなった後、萌は小さなため息をついた。
今日一日仕事は休み。時間はたっぷりある。

「・・・病院に、・・・行かなきゃ」

自分のおなかを軽くさすってみる。
このおなかの中に小さな生命が宿っている。
もし、このままだったら・・・

萌はお気に入りのクマのぬいぐるみを上着の中に入れてみた。
妊婦になったら、こんな外見だろうか。
そしてこれぐらいの重さなのだろうか。

ぬいぐるみをしっかりとストッキングでまいて、上から大きめの服を着てみた。
姿見の鏡の前に立ってみる。
思ったより、妊婦に見えるものだ。

ふと、
思いたってみる。

「ちょっと、この格好で散歩してみようかな」
―4―

「昨日は何時頃、家に帰ったの?」
朝食を並べ終えると、黒田の妻、優子は問うた。
「あ…ああ、2時か3時頃だったかな。」
少し、あいまいに言葉を濁す。

「遅くまで大変だったのね。二人とも〜。二人がこうやってご飯を食べられるのは、パパが遅くまで頑張って、お仕事してくれるおかげなんだから、パパにお疲れ様、ありがというっていうのよ。」
妻の関心が、子供に向かい、黒田は安堵した。

優子は「良妻賢母」の言葉通りの女性だった。
子供の面倒はよく見るし、家事もしっかりやる。
ご近所づきあいなども、うまくこなすし、夫が仕事で遅くなったからと言って文句を言うようなことはない。
それどころか、いつも夫を立ててくれている。


…俺と二人で生活していたころは、もっと、嫉妬深く、面倒な女だった気もするんだが。


彼女が変わったとすれば、それは、子供を持ってからだろう。
娘たちに学校の様子を聞きながら一緒に朝食を食べている優子。
その言葉の一つ一つには、彼女のわが子への細やかな心遣いと、強い愛情がうかがえた。

「あなた!あなたはそろそろ、会社に向かわないとじゃない?」
妻に言われてはっとなった。
ゆっくりしている時間は、もうない。

「すまん、ボンヤリしてた。それじゃあ、行ってくる!子供たちのこと、頼んだぞ。」
あわてて鞄を手に取り、玄関へと向かう。
「疲れているのね。今日は早く帰れるといいのだけれど。子供たちのことは…貴方に頼まれなくったって、あの子たちは私の宝物だもの。…ほら、急いで急いで!遅刻するわよ。」
見送りの妻に急かされながら、黒田はバタバタと家を後にした。




通勤電車に乗り込んでしまってから、ふと考える。

…はたして、萌は、本当に病院へ行くだろうか?
母性というものは、俺たち男からは想像できないくらい強い感情らしいからなぁ。
後になって、「やっぱり産むことにした!」なんて、言い出しはしないだろうか。

自分の妻がわが子に向ける優しいまなざしと、家を出る直前の「あの子たちは私の宝物だもの」という言葉が、妙に頭に残っている。
言いようのない不安が沸き起こった。

とりあえず、黒田は、萌にメールを送り、探りを入れてみることにした。

―5―

「 病院には行きました 」

萌からのそっけない返信メール。

だが、これぐらいでちょうどいい。

「おろしました」などの直接的な言葉が返ってこられては滅入ってしまう。
萌とは大人の関係、その辺は萌だってわきまえているはずだ。これ以上は追及しないでおこう。

どうやら優子の方も二人の関係にまだ気づいていないようだし、まだしばらくはこの関係を続けても良さそうだ。

黒田は安堵の中、会社へ向かった。

 
・

・

・・・気づいていないとでも思っているのかしら。

優子はふとそんなことを思う。

しかし、もうそんなことは大きな問題ではなくなっていた。
黒田の女癖は今に始まったことではない。
つきあう前はそんなところが魅力であったことも確かだ。

だが、家庭人となった今、もう少し落ち着いて欲しいとも思う。
しかし、もうそんなことを言っても始まらない。
夫としての、子供の父親としての建て前さえしっかりしていれば構わない、と今は思うようになっていた。

私を上手く騙してさえもらえば、もうそれでいいわ、と。



夕飯の買い物の帰り道、何の気なしに立ち寄った公園で見覚えのある女性がベンチに座っていた。

・・・彼女は確か、萌さん だったはず。

優子は黒田と萌の関係を知っていた。

黒田は上手く隠しているつもりだが、優子にはしっかりと気づかれていた。
別に萌に対して嫉妬心などはない、大人の関係を続けているのであれば、何も口出しはしないつもりだった。


ベンチに座って日向ぼっこをしている萌の姿は何か異様だった。

何か憑き物がとれたような、スッキリとした穏やかな笑顔。
愛おしそうにおなかに両手を添え、だだただベンチに座っている。

そのおなかは大きくふくらんでおり、
まるで


まるで



妊婦のようだった。
―6―

「こんにちは、萌さん。」
にこやかに声をかけてきた女性をみて、萌は驚いた。

…この人は、黒田さんの奥さん!!

萌と黒田は、同じ会社の上司と部下の関係だった。
萌は、今はもう別の会社に勤めているが、一緒に仕事をしていた頃、忘れ物を届けに来た黒田の妻を、一度だけ見たことがある。

「…こんにちは。」
顔が強張る。
小さな声で挨拶を返すのがやっとだった。

「以前、会社でお会いしたことがあるのだけれど。覚えていらっしゃらないかしら?」
一見、親しげな笑みを浮かべる優子だが、目が笑っていない。

「お互いにきちんと自己紹介をしたわけではなかったから、仕方ないわね。私、黒田です。主人がいつもお世話になってます。」
優子は、萌の隣に腰掛けた。

「私こそ…一緒にお仕事していた頃は、お世話になりっぱなしで…。今は…別の会社で働いているんですが、色々教えて下さった黒田さんには…本当に感謝しています…。」
上手く言葉が出てこない。
お腹に当てている手が、じっとりと汗ばんでいる。

「まぁ!転職されていたなんて。知らなかったわ。ごめんなさい。急に声をかけたからびっくりさせちゃったかしら?」
優子に顔を覗き込まれ、萌は反射的に身を引いた。

「いえ…。でも、なんで私の名前を…?」
「随分可愛らしい方だったのと、皆が『萌さん』って、下の名前で呼んでいたのが印象的で、覚えていたのよ。」

確かに萌は当時、下の名前で呼ばれていた。
同じ名字の社員が何人かいたので、混乱を防ぐためだ。
しかし。

…絶対に嘘だ。2年以上前に、たった1回見かけただけの人間を、そんな理由でここまではっきり覚えてるわけがない。

優子は相変わらずニコニコしているが、心の内に別の感情があることは、明らかだった。

「妊娠8ヶ月…くらいかしら?ご主人も、さぞかし我が子の誕生が待ち遠しいでしょうね。」
そう問われて、青ざめていた萌の顔が、一気に赤くなった。
妊娠8ヶ月だなんて、とんでもない。
お腹の膨らみは、ぬいぐるみによるものだ。それに、我が子の誕生を待ち望む「ご主人」なんていない。

「あの、私、用事があるので…!」
優子が自分のお腹に触れようとしたのに気付き、萌はとっさにその手を払って、立ち上がった。


・

・


…まさか、子供まで産ませようとしているなんて。

確信した優子は、遠ざかる萌の背中を見送りながら、静かに決意した。

―7―

たまには土産でも買って帰ろうか・・・

会社の帰り道にふと思う。

多少の罪悪感からなのか、心配からなのか。

「俺がか?」

笑えてくる。

あの女房には、ちょっとだけ気を使っているようにしていればなんてことは無い。

いつもどおりの平和で退屈な家庭がいつまでも続く。

そう思っているし、確信もあった。

優子は俺よりはるかに劣っている人間だ。生活力も頭のキレも。

唯一負けているのは家事育児くらいなもんだ。

そんな優子を愛しているのか・・・

昔は自分に問答したもんだったが、今は違和感が無い。

妻には女を求めない。

女は外に求めればいい。

今は萌だが、、、アイツももう三十路だ。

俺は若い女が好きだ。水を弾くくらいがいい。

「これは一生妥協出来んな」

多少ニヤケながら1人呟き、適当に選んだ高価なネックレスの入ったラッピング箱をジャケットのポケットに突っ込み店を出る。

「まだ少し冷えるな。」

少し前かがみになり足早に駅に向かう。

そう、平和で退屈なハズの黒田家へ向かって。
―8―

黒田が異変に気付いたのは、自宅の前についた時だった。
いつもこの時間に帰宅すると、庭に面した窓のカーテンの隙間から明かりが漏れているのだが、今日は電気が消えている。

…子供が出来てから今日まで、あいつが俺に黙って夜出かけるようなことがあっただろうか?

玄関の鍵を開けながらふと考える。 そんなことは、一度だってなかった。優子はいつだって、良き妻、良き母親であった。
家の中に入り電気をつけると部屋は明るくなったが、静まり帰った我が家の空気はどこか冷たく感じられた。
ジャケットのポケットから綺麗に包装された箱を取り出す。

…まったく。せっかく買ってきてやったのに、一体どこで遊んでやがる!?

自分の日頃の行為はすっかり棚にあげ、イライラとジャケットを脱ぎ捨てた。
黒田が“ソレ”を見つけたのは、ふとダイニングテーブルに目をやった時だった。


・


・


…早まったことをしてしまったかしら。

優子は、ぐったりと椅子の背もたれに寄りかかり、ため息をついた。
さっきから、小学1年生の下の娘が、「パパは?」「なんで急におじいちゃんの家に来たの?」とぐずっている。
何とも言えない罪悪感にかられた。

萌と黒田の関係が今も続いているのは、間違いのないことだ。
つい先日、ロックもかけずにリビングに放置された黒田の携帯を覗いたところ、萌との関係がはっきりとわかるようなメールが沢山あった。
夫の携帯チェックは、結婚前…恋人同士だった頃からの優子の癖みたいなものだ。
最初は嫉妬心からの行為だったが、今ではそれほど大きな意味はない。
悪いことだとは思うが、無造作に携帯を置きっぱなしにする夫にも責任はある…と優子は感じている。

…そもそも、萌さんのお腹の子供は、本当にあの人の子供なのかしら。頭に血が上って、つい決めつけてしまったけれど。

盗み見たメールの中に、赤ん坊の話は一切なかった。
冷静に考えてみれば、少し不自然な気もした。

「ねぇ、パパは?」「いつお家に帰るの?」と、相変わらずぐずっている次女。
優子が何も答えずにいるので、余計に不機嫌になる。

…何か、答えてあげなきゃ。

そう思うが、言葉に詰まる。
そのときだった。

「今日は、おじいちゃんの家にお泊りだって、ママ言ってたでしょ?今日はもう遅いんだから。お姉ちゃんと一緒にねよう?」
やや納得が言っていないようではあったが、姉に手を引かれて、寝室に向かう妹。
優子はホッとした。

…でも、この先、どうしよう。子供たちにはいったい何て説明したらいいんだろう。

考え出すと、また、ため息が漏れる。

「ねぇ、お母さん。」
声がしたほうを見ると、長女がいた。
妹を寝かしつけて来たにしてはずいぶん早いな…と思いつつ、「どうしたの?」と返事をする。

「あたし、知ってるよ。お父さん、浮気してるんでしょう?」
優子はギョッとして、娘の顔をまじまじとみた。
小学5年生になる長女は、年に不似合いなほどませた口調で言った。
「パパもバカだよね。気づかないと思ってるのかな?しょっちゅう朝帰りしてさ。それに、あたし、この前友達に、うちのパパが知らない女の人と二人でご飯食べてるとこ見たって、言われたよ。ママが傷つくと思ったから、ママには言わなかったけど…。」

子供というのは、親が思っているよりもずっと、色んなことをわかっているものなのだと、優子は改めて思った。

…自分の父親の不倫現場を目撃したと友達に言われたとき、この子はいったいどんな気持ちだったのだろう?

父親の不倫に気付きつつ、母親に気付かせまいとした幼いわが子の気遣いが、嬉しくもあり、少し可笑しくもあり、そして、何より愛おしくて、優子は思わず涙ぐんだ。

「ママはさ、ママのしたいようにしたらいいと思う。パパは酷いよ。ママはいつだってパパを愛してたのに。あたしはこのまま、おじいちゃんの家の子になるのも、嫌じゃないよ!」
どうやら長女は、何かのきっかけで、優子が夫の浮気に気付き、怒って家を出たものと思っているらしい。

「あたしは絶対にママの味方だし、ママがどんな道を選んだって、ママについていくからね!」

優子はたまらなくなって、長女のもとへ駆け寄り、思い切り抱きしめた。
―9―

冷静に考えろ。

自分に言い聞かせ、動揺を隠す。

これはこれでいいじゃないか!

自分方の親戚一同には、優子のわがままで出て行ったことにすれば大義名分。この退屈な暮らしとも決別出来る。

そう、俺は刺激のある人生を望んでいる。

確かに昔は違った・・・一流大学から大手会社に就職、地味目の慎ましい女と結婚、2人の娘。悪くはなかった。

娘は2人とも優子が引取るだろう。親権もくれてやる。いや、少しごねれば慰謝料を減らせるな。

養育費と慰謝料の問題さえクリアしてしまえば、後は今より金のある状態で若い女と遊べる。

今は萌がいるが、それ以上に若くていい女も寄ってくるだろう。

俺は自由だ!!



ただ一つわからない。

なんで俺は泣いているんだ??

そうつぶやくと同時に携帯を手に取った。
―10―


優子の携帯に電話をかけたが、どうやら電源を切っているようだった。

…今は俺とは話をしたくないって事か。

優子の実家に電話をかけようかとも思ったが、優子の父親に怒鳴られるだけなのが目に見えていたので、辞めた。
続いて、萌の携帯に連絡した。しかし、何度かけても通話中のツーツーという機械音が流れるだけだった。

「こんな時に長電話してやがって!」

思わず、声に出して悪態をついた。どうにも落ち着かない。携帯電話を持つ手が小刻みに震えている。
黒田は力無く、ソファーにもたれ込んだ。

…俺は、恐れているのだろうか?この涙は…不安?

初めて抱く感情を持て余し、そのまま、ソファーの上で眠りについた。


・

・


…ふぅ。

携帯電話を握りしめ、大きなため息をつく。
黒田が萌に電話をかけた時、萌は通話などしていなかった。
優子から逃げるように帰宅したあと、萌は産婦人科に行った。妊娠2ヶ月目だと言われた。
幸せそうな顔をした妊婦に囲まれながら萌が出した答え。

…子供は、おろさない。だからもう、黒田さんとは会えない。会わない。

下手に連絡をとれば、未練になる。気持ちがブレる。だから、黒田の電話番号とアドレスは、すぐに拒否設定にした。
黒田一家がすぐ近くに住むこの街に、居続けるわけにもいかない。

…仕事を辞めて、どこか遠くに引っ越そう。実家には、流石に戻れないなぁ。

不安がないといえば嘘になるが。

…この子と二人、幸せに生きよう。

そっとお腹に手を当てると、不思議と温かな気持ちが込み上げてきた。


・

・


優子と黒田は、結局離婚した。
浮気相手に子供を産ませようとしていたわけではないことは、すぐに明らかになったが、優子にとって、長女の言葉は大きかった。

…私は良くても、これから思春期を迎える子供には、悪影響になる。

優子が離婚を決意した、最も大きな理由だった。

二人の子供は、優子が引き取った。
養育費や慰謝料についても、取り決めはしたが、黒田がきちんと支払うかは、わからなかった。
調度、離婚が成立した少し後。黒田は、会社のお金を不正に利用していた事が発覚し、解雇されたのだ。黒田は女遊びのために、会社の金に手をつけていた。
会社の意向で、使い込んだお金を返済するならば、刑事事件にはしない…との事ではあったが。
分与した財産も、仕事も、黒田は、全てを失った。

しかし、そんな事はもはや、優子にとっては、どうでもいい事だった。
手に入らないもの、働きかけても無駄なものに期待するより、今は自分の手で、子供達二人を育てていく事に専念したい。
生活のために始めた仕事も、だんだん面白くなってきた。

…しっかり者の長女と、可愛い盛りの次女。
二つの宝物に囲まれて、優子は今までになく、幸せだった。


・

・


その後、萌は、仕事を退職し、しばらくは貯金を切り崩しながら、新しい就職先や引っ越し先を探した。その間、何度か、黒田が自宅を訪れてきたことには気づいていたが、全て無視し続けた。
しかし、妊娠した女性を雇う職場も、定職についていない人間に部屋を貸す不動産屋もそう簡単には見つからず、最終的には親元に帰った。

当然親は激怒したが、お腹の子供は既に中絶できる時期などとうに過ぎ、出産間近となっていたし、仕方なく、しばらくの間実家に身を置くことを許した。

気まずい空気のなか出産を終えた萌は、やがて仕事を見つけて親元から独立。
苦労しながらも、育児に仕事に…と、頑張っているらしい。

今後、萌が幸せになれるかどうかは、すべて、彼女次第だろう。



おわり

―1―

 その頃になると皆、勝手気ままに自分自身のことを話すようになっていた。まるで言葉が無尽蔵に溢れ出てくるとばかりに、容赦なく、それは消耗されていくのだった。ある時、形町(かたまち)の横田という男がこんな乱暴なことを言った。
 「言葉というやつはとても便利にできていて、上手く心をごまかせるし、それに消費するのにコストがかからない」
 私は当時これを聞いた時、思わず寒気がして両肩を抱えたものだった。――言葉を使って心をごまかすと言ったわ。それに消費するのにコストがいらないって!!

 しかし、私の悪寒とは無関係に、多くの人は横田に同調していった。皆が皆、自分の弱い心を取り繕うのに便利な言葉を求めて、辞書屋さんを訪れては、安価な言葉を買って行った。言葉の威厳はまるでボーリングの球が階段を転がり落ちて行くように失われていった。始め緩やかに見えた言葉の堕落は、みるみるうちに加速して、誰にも止められない不気味な威力を伴うようになっていったのである。

 やがて、欺瞞だとか虚飾だとかいう小難しい言葉で自虐するようになっていった形町から、優しい人間は悉く消えていった。
―2―

 そもそも、一体いつから「辞書屋」なんてものが出来たのだろう。確かに、横田の言ったとおり、言葉の消費にコスト…つまり、金銭は必要ない。しかし、現在ここ、形町においては、言葉を使用するためには、辞書屋にて、その言葉の価値に見合った対価を支払い、「言葉を使用する権利」を手に入れる必要がある。

 勿論、すべての言葉が使用権販売対象となっているわけではない。日常会話に使用するレベルの言葉であれば、誰でも自由に使うことができる。しかし、使用権を持たない言葉に関しては、使うことが許されない…のではなく、使おうとすること自体が出来ないのだ。例えば、その言葉を使おうとしても、思い出せない、声に出来ない、文字に出来ない…といった具合に。

 こんな現象が起こっているのは、日本全国でも、この町だけだというから、さらに不可解だ。しかも、ここ、形町に住む人間は、それに関する自覚が全くと言っていいほど、ないのだ。
 
 ちなみに私は、今までに一度も、辞書屋を利用したことはない。言葉を使って心をごまかすことにも、興味はない。むしろ、そんな行為には恐怖さえ感じる。形町の人間としては、異常…なんだろう。しかし、こんな私だからこそ、この町の「異常」に気付くことができたのだとも思う。


 形町は、過疎化の進んだ田舎町だ。何とか町の体裁を整えるだけの民家や人、施設は揃っているが、町の周りは田畑に囲まれ、田畑が途切れた先は、山。完全に他の市町村とは切り離されている。しかも、閉鎖的な町民のほとんどが、自分の生まれ育った町から一歩たりとも、出ようとしない。せいぜい、日用品や食料品の販売業に携わっている数少ない者たちが、仕入れのために日々、町を出たり入ったりしてはいるくらいのものだ。

 もし、今この町に起こっている現象が、国家ぐるみの何かしらの策略…もしくは、宇宙人による洗脳のようなものだとしたら。これほど、実験台としてふさわしい町は他にないだろう…と、私は思う。


 

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