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東方正教会: オーソドクスコミュの高橋保行著『ギリシャ正教』を読んで

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獅子座
イェール大学の教理史の大家であるペリカン教授がルーサランからギリシャ正教へ転会され、英国聖公会の神秘神学者ラウス博士がアングリカンからギリシャ正教会へ転会されたことを知らされてから、ギリシャ正教に関心をもつようになった。

そのような状況下で高橋保行著『ギリシャ正教』を読むようになり、いろいろと教えられるところがあった。と言うよりは、これまでのキリスト教の教えに関して自らが疑問に思う事柄について同様な異議を示しておられる諸点に接して、もしかして歴史的かつ聖書的にみて、ギリシャ正教の教えの方が聖書全体の教えにより近いのではないか(?)と感じるようになってきた。

それは以下のような諸点である。

?「奉神礼が、新約聖書の書かれる前からあり、新約聖書の下地にもまっていることはあまり知られていない。聖書よりも前に伝統があり、その伝統を保持する器として奉神礼があった。聖書は、伝統と奉神礼を親として生まれてきた子のようなものである。」(160頁)

?「東のキリスト教の目には、西のキリスト教とその文化は、錯誤の上に成り立ち、精神性を失った文化のように写る。その錯誤とは、西欧に入って西欧文化を育て上げた西のキリスト教が、みずからを唯一のキリスト教文化と誤って考えた事から始っている。」(52頁)

?「神の意志と考えに背を向けるところから、悪が生じるようになった。」(248頁)「人が堕落するのは、つねに自分の意志により、神に背を向ける行為や生き方に自分をゆだねるからである。」(261頁)

?「アサナシウスをはじめとする聖師父たちがくりかえし唱えている、「神が人となったのだから、人も神になれる」という言は、・・イエス・キリストにある神化された人間性を前提にしているものであり、神が人となったことにより、人間性が完全に神と交わりをもち、神の命にあずかれるようになったことを意味する表現である。」(275頁)

?「ギリシャ正教は生活のあらゆる面で神を正しく把握し、讃美できる人間となることがクリスチャンの本義であるとしている。・・クリスチャンになることは、生涯の仕事(リトルギア)となる。」(168頁)

?「異端の多くは、キリスト教の祈祷儀式の中で、その存在が明らかとなった。・・神を正しく讃美する者が、正しい教義を保持する者である。・・オルソドックスの名称は、正しい教義が正しい祈りの中にあるということをあらわしている。(25頁)

もっとも、次の点については、どの原罪説が正しいのかについて未だに確信がもてないでいる。どなたか、ねんごろにお教えください。げっそり

?「ギリシャ正教の思想では、人が自分の意志と力で似姿を脱いでしまうことを堕落という。・・堕落の罪は人の行為により生じるとするので、アダム以来人の性質に本来あるという西のキリスト教の原罪の考え方はギリシャ正教の思想にはない。」(260頁)
牡羊座

コメント(16)


獅子座
トム爺の悩みは次の諸点にあります。

?原罪に関する各教会の理解の内、一信徒として、どれを受入れれば良いか?

?原罪に関する理解が教会によって異なるとき、それらを比較検討する姿勢があまり見られないのは何故か?

?各教会の歴史的伝統の中で、その正統性を相互に論証できないとき、どれを受入れるべきかに関する基準は何か?
牡羊座
トム爺の言いたいこと、僕もプロテスタントなのでわかります。
若いとき、1年間ニコライ堂の伝道会に通いました。
講師は現在京都の教会の神父さんをされている方でしたが
著者の高橋神父も時々、講師として来て下さいました。

とにかく、高橋神父も、別の講師の神父様も
正教会の教えに『確信』をもっておられるんだな
という印象を受けました。
プロテスタント出身の僕にはナンセンス、お笑いにしか
思えないような教えが沢山ありましたが、
神父さんの側からしたら
プロテスタントの教えもご存知でしたでしょうから
いくらでも、論破、説得、議論のチャンスがあった
にもかかわらず
ラジオやテレビのチャンネルを変える様に
淡々と、地味に、オーソドックス・チャンネルの教えを
語っていました。
プロテスタント、西方教会の教えを論破することを
試みようともせず。

あの、蚊帳の外的態度、西方教会の信仰な悩み、
新旧の宗教戦争、リベラルとエヴァンジェリカル
ファンダメンタル、カリスマ派
の外にいる立ち位置
それはそれは
“翁”って印象をうけました。

原罪がどーのこーのと騒いでいるようじゃが
とにかく、そんなもの、無いものは、無いのじゃ。
馬鹿らしい議論じゃ。

キリストの十字架が全ての信じる人の罪の購い?
カギどもは、まあ、よくも、色々と
後から余計なものをくっつけるものじゃ。

イエスは、殺されて『復活』したのじゃ!

罪がどうのこうのじゃなく
死からの復活が
とにかく重要なのじゃ。
原罪はあろうが無かろうが、“僕が”罪を犯したのは
間違いないので、結局同じ罪びとであることには
変わりが無い。

むしろ、原罪だからということで、アダムとイブや
遺伝のせいにしない、あくまでも自己責任とする正教会は
いさぎよいともいえる。


それより、十字架ですよ!問題は。
西方教会と、東方正教会では
イエス・キリストの十字架のの死の意味が
違います。
これは、重要です。
僕も、まだ、その部分について
良く理解していません。
正教会が十字架を
どう、とららえているのか。

少なくとも、プロテスタントが言う
『2000年前に、“私”の罪の為を赦すあがないとして
十字架で殺された』
という考え方はしていないように感じられます。

プロテスタントでは、それを信じることが
信仰の中心のはず。
その我々プロテスタントが当然と思っている教えが“ない”。

なぜ無いのか?
たぶん、原罪にしろ、
十字架の“私”の罪のあがないとしての死にしろ
無いものは、無い。
イエス・キリストもそんなことは言ってないし
教父たちも、そんなことは言ってなかった。
後世の西欧の人間が、あとから、そのような教えを
創ってしまった。

オーソドックスは
その様な西側の思いつきに、毒されてない。

そんな感じでしょうか?


プロテスタントから正教に改宗された方
どうぞ、教えてください。
正教徒になった理由を。
#4 月光婦人さん

読んでみました。恐らく、とっても深い事をいっているんだと
思うのですが、まだ、正教の教えの大切な部分が理解できていません。

紹介いただいた文章から色んなものをそぎ落として
最も大切な事のみをいうとどうなるのでしょう?



イエスは黙って十字架刑に従うほど身を低くされた。
それほど謙遜だったイエスの生き方をまねて生きていこう。
そのへりくだった生き方は救いのあずかる為の道。
やがて神であるイエスのあわれみによって救われるだろう。


ぜんぜん違いますか?
>とにかく、神はイエスを通じて人との回路を回復され、イエスを死に赴かせて『復活』させることで「死」を滅ぼし、人々に永遠の命を賜ったのだから、みんなうじうじ小難しく考えず、その栄光の内に迎え入れられればいいではないか、奉神礼を通じてその扉をいつでも開いているよ、っていう感じです。

復活大祭で繰り返し歌われてた歌を思い出しました。

「ハリストス 死より復活し
死をもって死を滅ぼし
墓にある者に 命を賜えり」

ここにすべてがあるような気がします。
獅子座
ジャン様、月光夫人様、SAVOY様、竹婦人様へ

貴重なコメントをいただき有難うございます。目がハート
今度とも宜しくお願いいたします。ウインク
もし、お差支えがなければ、mixiの友として、ご交流くだされば嬉しいです。クローバー
取り急ぎ、心からの感謝とお礼を申し上げます。揺れるハート

アンクル・トムより
牡羊座
キャンパス・クルセードの【4つの法則】は
学生向けの伝道で良く使われている
キリスト教をものすごくシンプルに説明したテキストです。
http://www.japanccc.org/

正教の教えの重要ポイントを
このくらいシンプルに説明してくれる
そんなテキストは無いものでしょうか?

それと、正教の方が、この4つの法則を見て
内容が明らかにおかしい!
正教ではこんなことは教えられていない!
というところがあれば
ぜひ、指摘していただきたいです。

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