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昔のボクシングの話をしませう。コミュのいままでのあらすじ

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ピントールvs村田を武道館で生で観た。
バンタム級、王者はメキシカン、勝手にホセ・メンドーサvs矢吹丈だと想定し燃えた。
横浜のジムに通った頃はもうジェームス・キャラハンは
練習に来なくなり、スパーリングで12オンスのメキシコ製のグローブを愛用する武藤選手に俺は手痛い洗礼を受けた。その武藤選手も赤井英和の野蛮なパンチで1Rで眠らされた。
1970年代から80年代初頭の朧な記憶を辿って四方山話をするスレ。

自分も記憶が欠落してる部分もあるのでその点はお許しください。






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2005年03月10日
15:33
Mitarquee

うわー!写真のフィギア、凄いですね。
これ、どうしたんですか?

僕が初めて世界タイトルの会場に足を運んだのは、
77年、日大講堂での元日決戦。
グティ.エスパダスVS高田次郎でした。
(ここの記録では1/2になっているんですが、元日だった覚えが...)
暖房が入ってなくて、リングサイドがあまりにも寒く、
2階スタンドの開いている席に座りました。が、
そこも寒くて(当たり前)結局風邪をひきました。

70年代の曖昧な記憶を捕足するのに、このサイトを使ってます。
http://boxweb.hp.infoseek.co.jp/70s/70.htm

2005年03月10日
16:21
偏執長

エスパダスと丘・・・いや高田次郎の試合生で見たんすか!?
それは凄い。
確かに元日決戦でしたね。
試合結果を高幡不動から横浜で移動するカーラジオで
聞いたという鮮明な記憶があります。
多分親戚の家の帰りだったんだと思います。
エスパダスも活きの良いファイターでしたね。
息子が世界王者にまでなるとは時代を感じます。

高田次郎と花形進という横浜のフライ級の両雄は
現役時代の印象があまり無く
81年、協栄河合ジムでシャドーしてたら
知らぬ間に高田次郎さんとマスボクシングのような形になり
終わった後「プロになるなら成りたいってはっきり行った方が良いよ」と言われました。
あの頃の河合ジムは大橋の弟(秀行)も出入りしてて
(高校生なのにプロを子供扱い・・)
恐ろしい世界だと思っていたので私は尻込みしてるばかりでしたが。
丘勇二(?)に改名してから少し頑張りましたが
村田英次郎に倒されたみたいですね(その試合観てないんです)。

写真のフィギュアはその英次郎とピントールを再現しました。
もう8年前の作品なので実物はかなりお粗末なのですが
ピントールの暗い双眸と左フックは感じ出てるんではないかと・・・。

日大講堂も今は無いですね。
円形コロシアムのようなボクシング向きのハコだったと
宮崎正博さんの記事で読んだ記憶があります。



2005年03月10日
17:02
Mitarquee

フィギア、作られたんですか!凄い!!!
両者の特徴を見事に掴んでいて、
(とりわけ村田氏の髪型と背筋)デフォルメが効いてますねー。
驚きました。

協栄河合と言う名前がまた、時代でしたね。

日大講堂と言えば、大場ですね。
子供の頃、チャチャイ戦、テレビで見ました。
ヒョロヒョロの男が足を引きずりながら、
物凄い形相でラッシュする姿は印象的でしたね。
その僅か3週間後のニュースに、子供心に驚いた記憶があります。
新聞の一面に載っていた、事故現場の潰れたシボレーの写真は
ショッキングでした。


2005年03月10日
19:31
偏執長

実をいうと意識してボクシングを見たのは
石松の最後の防衛戦なんですよ。
輪島が柳にゴング後の加撃でKOされたりしたのも
なんとなく見てはいたんですが。
するとそれよりかなり前からMitarqueeさんは
観戦してますね。
昔は夕刊に「両者計量パス」なんか必ず載ってて
試合までの時間が待ち遠しかったですね。
しかしhttp://boxweb.hp.infoseek.co.jp/70s/70.htm
このサイトに掲載されてるボクサー、試合それぞれが
印象深い事項の連続で。
今の時代が薄くなってしまったとは言わないですが
良い時代だったなぁとつくづく・・・・。

大場の死にもリアルタイムで立ち会ってたら
凄いショックだったでしょうね。
ミリオン出版のボクシング狂、比嘉編集長も
大場の事を語ると熱を帯びるので当時のファンの
思い入れたるや凄いものがあるんだなぁと
実感します。
「大場ほどカッコイイボクサーはまだ出てきてない!」
とか、「コンビニでバイトするボクサーは駄目だ
二木の菓子でバイトしろ!」とかもう滅茶苦茶です(笑。

スター・大場のライバルが
地味な花形会長だったのも面白い対比だったと思います。

2005年03月11日
02:19
Mitarquee

>それよりかなり前から..

いや、父親がスポーツ好きだったので、
お茶の間の景色としてボクシングがあったんですよ。
輪島が柳にリベンジして、両親が抱き合って喜び、
キスをしたのを冷やかしたら、
それが発端で夫婦喧嘩になんて事もありました(笑)
「もうこれで引退して良いよ!」
日本中のお茶の間の声だったんじゃないでしょうか?
良い時代ですよね。

自分から興味を持って見出したのは、
アリVSフレージャーのスリラー.イン.マニラとか、
「がんばれ元気」や、具志堅とロイヤルが連日のKO奪取からでした。
具志堅がフローレスに滅多打ちにあったその夜は泣き明かし、
三日くらい食欲なくしましたね。
ジョー.ルイスを失った日の黒人たちの気持ちが、
なんとなく理解出来ます。

コンビニよりも二木の菓子!!
素晴らしいですね!

このスレ、なんだか、昭和の景色が目に浮かんできます。

2005年03月11日
07:31
偏執長

やっぱりあの頃はボクシングも
お茶の間の風景の一つだったんですね。
だから平均的日本人だったオヤジもボクシング観てたわけだ。
とりあえず世界タイトルならどの番組よりも優先される
良い時代でした。

突然シゲ福山!なんて聞いた事の無いボクサーが
一躍ヒーローになれるチャンスが有った訳です。
(彼の試合1Rだけが凄く良かったの凄く憶えています)。

輪島VS柳のリベンジ、燃えましたね〜
1976・2・17、忘れませんよ。
再放送までありましたもんね、今では信じられない。

スリラインマニラも普通に東京12チャンネルで見れた、
ランブルインジャングルも!
12チャンネルの貢献は大きかったと思います。

具志堅の着てた美津濃スーパースターのトレーニングウエア、
(★がいっぱい)
元気も着てましたね。
私は完全!あしたのジョー派でしたが(笑。

話がアチコチぶっ飛び申し訳ない。

2005年03月11日
15:53
Mitarquee

いや、もちろんジョーにはハマりましたよ。
今や交差点として存在する泪橋って、
ジョーの時代には実在したと思ってたら、
明治時代頃にはすでに道路だったらしいですね。

2005年03月12日
07:20
偏執長

私も『泪橋』の標識を見たさにあそこまで行きましたよ。
まさに「山谷ブルース」の世界でしたね。
蛇足ですが「山谷(やま)やられたらやりかえせ」なんて映画も観たりしました。

ソウル・マンビー(風貌が好きでした)がデュランやセンサクと戦っていたのか・・・。
今更ながらあのサイトで過去を紐解いてます。

2005年03月12日
13:18
アキラ

最高の会話ですね!
やっぱボクシングを取り巻く環境が、当時と現在とでは様変わりしてしまったんだと改めて感じてしまいました。まだ「拳闘」と言ってるオヤジたちも多かったし(バイク=単車とも通じる)、小〜中学生が学校で世界戦の話題で盛り上がったり・・・。良かったなぁ〜あの頃。

2005年03月12日
13:40
偏執長

>アキラさん、はじめまして。
昔話ばかりすると疎まれる昨今
ここで思い切りタイムスリップして下さい。
今の小学生は世界戦の話とかするんだろうか・・・?
「石松と柴田のサインなら目白のヨネクラジム行けばもらえるぜ」
なんて同級生の誰かが言ってましたが
怖くて行けませんでしたよ。

2005年03月12日
18:46
Mitarquee

先日、Ray Sr.さんの集まりにて、
アキラさんと「あしたのジョー」の話題が出たとき、
ジョーを読んでない若者もいて、時代を感じましたね。

自分は14才の時にヨネクラの門を叩き、
石松の現役最後の試合も見ました(新井容日に判定負け)
石垣仁と吹打竜のスパーリングには、ジムに報道陣がつめかけました。
日本フェザー級王者の岩本弘行さんは優しかった。
中島成雄さんが世界チャンピオンになり、凄く誇らしかった。
でも、飽きっぽいので、通う回数もどんどん減って行き、
フォークギターを購入とともに、ジムからは足が遠のいてしまいました。

2005年03月12日
19:25
アキラ

好みのボクサーとなると、クレイ(アリじゃなくって!)を筆頭に
スタイリッシュな選手達のはずなんだけど、心に沁みるとなれば、
森安竜也だったり、磯上秀一だったり・・・。
ライオン古山のファンを焦らしに焦らす試合振りも良い思い出。

段平の「明日のために」は熟読・実践しておりました。




2005年03月12日
22:37
偏執長

自分も見てましたよ石松ー新井。
TVで、だけど。
石松も柴田も最後はキチンと限界を露呈して引退してきましたね。
しかし米倉は号令で始まるという規律正しいジムなのに
選手は個性派揃いでしたね。
フォークギターと共にジムを去るというのがまた
時代を・・・(笑。
中島茂雄VSサパタの第1戦目は中島の右の有効打をとって
中島の勝ちだったと今でも思っています。

自分も好きなボクサーはアリ(クレイとなるとリストン第1戦までなので)にアルゲリョ、サムエル・セラノ(この人も風貌が好きでした)等スタイリッシュなボクサーなんですが(REYさんには悪いんだけどアルゲリョがプライヤーに二度続けて負けたときは辛かった・・・)。
ジャッカル丸山には一瞬矢吹丈を感じてしまいましたね。
(ルックスではなくダウンしてからが強いエリートキラーというところに)。
また話が飛びますが英次郎VS磯上・・・・
見てないんですよ。
何故か記憶が欠落。
見た感想があったら教えて下さい。

2005年03月12日
22:47
Mitarquee

英次郎VS磯上、自分も記憶が飛んでますね。
アキラ兄さん、お願いします。

先日、呑みの席で、バトルホーク風間の話しが出たのですが、
(風間氏の冥福を祈ると共に....)
セラノ戦ではで、歯が立たなかったですね。
風間が突然サウスポーになって、更にセラノの思うツボでした。
上原が旋律のKO勝ちのニュースに、驚きましたね。

上原と言えば、フリッパー。
沖縄にてラファエル.オルテガに挑んだ試合、
解説席の具志堅が、熱い客になってしまい、
「フリッパー、ボディーから!」
「フリッパー、足使って!!」と叫ぶ姿が忘れられません。

2005年03月12日
23:02
偏執長

セラノー風間
ルハンー磯上
二日続けての惨敗春の悪夢。
が蘇りますね。
風間氏は勝ったあと「スター千一夜」に出ることまで考えて
いたそうですが・・・・。

上原の奇跡(失礼)の一発はハーンズ戦の前座で
解説者等もセラノの安全運転で判定試合という
展開に試合内容と関係ない話に終始。
気がつけばセラノが倒れれててビックリ!
というTV放送の様相だったと聞いた事があります。
それだけ不意な一発だったんでしょうけど。

フリッパーVSオルテガ
チャンネル権を持っていなかったので
知り合いの家に見せてもらいに行った日曜日の昼下がりを
思い出します。

2005年03月13日
01:02
アキラ

アルゲリョ強かったですね。ハワイ(フィリピン人だけど)のアンディ・ガニガン(名前間違ってるかな?)にダウンを喫して立ち上がった時の表情の凄まじいこと。静かに殺意を燃やしているといった感じで、アルゲリョの本質を垣間見たような気がしました。

村田VS磯上・・・国内のライバル対決にワクワクしましたが、結果はあっけなく村田のKOでケリがつきましたね。2〜3ラウンドどっちだっけ。ちょっと記憶があいまいですけど、序盤からスピードとリードブローに勝る村田がペースを握り、最後は右カウンター一発で磯上を沈めました。あの我慢強い磯上に粘る展開に持ち込む事を許さない完勝。久々のカミソリ英次郎でした。それにしても磯上のルハン戦は哀しかった・・・。
磯上って、勝っても負けても同じ表情でリングに佇んでるイメージでした。


2005年03月13日
02:45
偏執長

アキラさん磯上VS村田の記述有難うございました。
磯上に良いところ無しだったんですね。
チャンドラーを吹っ飛ばした右は世界に通用する武器だったんですが今一つ何かが足らなかったのも村田の哀しいところでした。
戦った相手がピントールにチャンドラーと超一流だったというのものもありますが。(サラテに勝った直後のピントールは未知数だったんですが)。

磯上ってあのポーカーフェイスは作ったものではないですね。
所属ジムが物凄くスパルタでボクシングを楽しいものとは
絶対思えない空気が漂っていたのではないでしょうか。
それはそれでアリなんですが。
多分血の滲む特訓をする前の磯上は天性のモノは何も無い
選手だったと思います。

ルハン戦の時の磯上・・・
少しズリ落ちたwinning製のトランクスからはオヘソが覗き
靴下も下がって・・・
そんなところを凄く憶えています。
物凄く飾り気が無いなぁと。
ボクシングメーカーの老舗だけど
なかなか世界の晴れ舞台にWinning製の何も刺繍の入っていない
買ったままの青トランクス穿く選手って居ないですよね。

俺は磯上は好きなのか?嫌いなのか?
多分対戦は物凄く対戦したくないタイプの選手だと妄想の中でシミュレートしてたと思います。


2005年03月13日
02:48
偏執長

アルゲリョはボクシングマガジンで
ロスのジムで練習を目撃した記者が書いた
「シャドーがぎこちなく下手に見えた」
という一節を読んだのを憶えているんですが。
それがかえってアルゲリョの独特なリズムを喚起させられ魅力的に感じた記憶があります。

2005年03月13日
07:46
Mitarquee

アキラ兄、アンディー.ガニガンて懐かしい名前ですね。
アンドリュー.ガニガンだから、アンディーで良かったはずです。

磯上、無表情で地味な印象が強かったですねえ。

地味と言えば、触沢公男も。
世界タイトルマッチでも、ガウンを羽織らず、
タオルだけでの入場。
エスパダスがワンサイドでストップした後、
涙を流しながら触沢を抱き締めるシーンにジーンと来ました。

2005年03月13日
08:31
アキラ

うっ!触沢公男ときましたか。磯上とくれば触沢がくるのは必然ですね。2度の世界戦よりも小熊正二に勝ったときのインタビューにマジで驚かされました。不謹慎ですけど、一時物真似してました。(モノにはできませんでしたが)

ストップ後のシーンとしては、具志堅対ハイメ・リオス第2戦で、コーナーに戻るリオスがセコンドに迎えらると同時に気を失ったように崩れ落ちた場面が忘れられません。死闘でした。

2005年03月13日
10:45
偏執長

小熊に勝った後どんなインタビューだったんですか?
試合後のクリスチャン触沢の発言とは?
小熊VS触沢も何故か見落としてしまった一番でした。
結果だけ知って「小熊も変なところでつまずくなぁ」
と思ったものでしたが触沢も一発屋では終わらなかったでしたね。
大熊として朴賛希(グティを倒したんだから凄い王者なんですよね?この人あの夜は腹の調子が悪かったようですが。)を戒厳令のソウルに眠らせる事が出来たのもこの黒星があったからこそなのでは?と結果論ですがそう思います。



2005年03月13日
12:27
アキラ

確か勝ち名乗りを受けた直後にリングにヒザまづき十字をきってました。その後インタビューとなったんですが、いきなり「私が勝てたのは全てイエス様の思し召しです」とか「神はいつも見守ってくれています」などと言ってましたね。
当時ビデオを持ってなかったのと、物真似の際にアレンジしすぎたため記憶が曖昧ですが、衝撃的でした。
小熊は、負けた後にヒステリックな表情になるのが印象にのこってます。これは大熊になっても直んなかったですね。

前述の磯上もセンスはなかったと思いますが、中〜高校と野球をやっていたらしく基礎体力はあったんだろうと思います(真面目そうだし)。
それに較べて触沢は、「この人運動出来んのぉ〜!?」「こんど触沢に腕立て伏せやらせてみようぜ」「明日のクラスマッチ、触沢が入ったら負けじゃ〜ん!」とか言われそうなタイプでしたね。

冗談はさておき、きっと二人とも、本物の努力が出来る人だったからこそ、胸を打つような試合が出来たのだと思います。



2005年03月13日
13:02
偏執長

なるほど
冗談で(冗談じゃないんだけど)
クリスチャン触沢なんて書いたらホントにまんまな
言葉を発した訳ですね。
オリバレスと死闘を演じた金沢も出家したと聞きましたが
日本のボクシング界の仏教、基督教の代表格ですね。
この二人は。

2005年03月14日
03:19
Mitarquee

恐らく、エスパダスが流した涙は、
触沢の、そんな朴訥な姿に胸を打たれたのでしょうね。

蔵前国技館にて、小熊がカントに挑んだ
(何度目の対戦だったか忘却しました)試合では、
15ラウンド闘った後、赤コーナーのポストに、長蛇の列が出来て、
防衛したばかりのカントが、疲れているにも関わらず、
全員にサインをしていました。
あんな光景、後にも先にも見たことがありません。


2005年03月14日
09:12
偏執長

試合直後のコーナーでサイン会とは凄い光景っすね。
現場に居たんですか?というかMitarqueeも貰いました?
吉野を倒した直後のコッヒ(コッジ?)がサインしまくってるのは
TVで見た記憶がありますけど(これは90年代の話ですが)。
考えてみればボクサーのサインってリック吉村のしか
持ってない。
花形会長に週に3日くらい会ってた期間もあったのに
貰ってない・・・・。
協栄河合でケン・ノートンの直筆サインが入った白いTシャツで練習してた人が居たのを思い出した。
きっと今頃は無いと思いますねそのシャツ。
でもいいのかな、戦わずしてチャンプになった男だから。
あ、アリには明らかに勝ってた試合あったんだ・・・。
フォアマン戦以降のアリの試合には怪しい試合、結構
多かったですね。
チャック・ウエップナーにチャンスを与えなければ
映画『ロッキー』も生まれなかった訳だけど。
(今日も話がアチコチ飛び申し訳ない)。





2005年03月14日
09:33
アキラ

チャック・ウエップナーといえば「ロッキー」。
「ロッキー」といえばロッキー・グラジアーノ。
ロッキー・グラジアーノといえば「傷だらけの栄光」
「傷だらけの栄光」といえばビル屋上での伝書鳩エピソード。
伝書鳩エピソードといえば、キャツキル時代のタイソンの伝説。
クリソツ・・・。
怪しい、怪しすぎる・・・。

※ロッキーはポール・ニューマンで観たかったなぁ。(映画会社はポール・ニューマン主演で、と考えていたそうですけどネ)
※ボクサーのサイン、何故か私も持ってないですなぁ。


2005年03月14日
10:01
偏執長

>映画会社はポール・ニューマン主演で、と考えていたそうですけどネ。
え!そうなんですか?ライアン・オニールが候補だったという話は聞いた事あります。
あの頃だとちょっとポール・ニューマンは年食い過ぎだったんではないでしょうか?彼にはもう既にボクシング映画の代表作もあったし。ミドル級が適役ではないのでせうか?
「スラップショット」というアイスホッケー物をやってたのでまだ動けてたかも知れませんが「30歳のうだつの上がらない4回戦ヘビー級ボクサー(しかもイタリアの種馬)」という点ではスタローンが適役だったと思います。でもスタローンが演じてしまったから『?』まで作られてしまうという感動が醒める展開になってしまったのは残念でしたが(笑。



2005年03月14日
10:16
アキラ

>ポール・ニューマンは年食い過ぎ〜

そうですね。
きっとそうなれば、イタリア系のチンピラじゃくて、チャンスを逃し続けた年老いたアイリッシュ系ボクサーとか、設定(もちろんミドルあたりで)が変ってたんじゃないでしょうか。
ライアン・オニールも同時に候補にあがっていたようですね。

この話は、スタローンが「自分が主役でなければ」と首を縦に振らなかったらしい。全くの無名時代なのに骨があるなぁ。

最後のロッキーは、いつリングに上がるのかと思ってるうちに終了。ただの内輪モメ映画でしたね。





2005年03月14日
12:05
偏執長

ロッキー?の良いところはコスチュームが?に戻ったところですね
監督もアビルドセンに戻ったし。
ちょっとボクシング描写が劇画チックになり過ぎなのが残念でしたけど。
1作目のアポロの動きがアリを彷彿させて
カッコ良かったです(小学生の感想か!?(笑。
トミー・モリソン・・・・まだ存命なのでしょうか?
とんと話を聞きませんが。
老いたとはいえモーラーを倒す前のフォアマンから逃げ切ったのが
唯一のベストファイトでしたね。

売れる前のスタローンの頑な態度見習いたいですが
自分がやると「あ、んじゃあイイよ」となりそうで
怖いっすね(笑。




2005年03月14日
13:04
アキラ

私なんか「ポールさん・・・、いや、私もそう思ってたんですよ。でもオニールさんもサイコーっすね」なんて言いそうです。(笑)
アポロ氏は「ソォ〜〜〜ル・トゥレイン!」のソウル・ダンサーですね。例の「ビューッテホォ〜、ジュン・アンド・ロペ」が提供してた番組。

いきなり現実に戻っちゃいますが、今月号のボクマガに異邦人ボクサーの特集があり、久々に「友伸ナプーニ」を思い出してました。
レナードっぽいしぐさで相手を苛立たせるナプーニに対し、テレビ解説の矢尾板さんが「ふざけてますよ」とか「ボクシングをなめてます」的な事を話してました。(その時の対戦相手は忘れちゃいました)
今ああいうスタイルの選手を見ても同じ事を言うのか、多少興味がありますね。(矢尾板さんは特定ジムや視聴者に媚びないので尊敬してますけど)

2005年03月14日
16:07
偏執長

ナプニとイコニ、懐かしいっすね。
ええとどっちがどっちだったか・・・(笑。
凄くパンチが無い方が・・・イコニさんでしたっけ?
パンチが無いといえば石井幸喜も悲しいほどパンチが無かった・・・。
テクニックはあるのにパンチが無い・・・というのも
ある意味危険ですよね。

>「ポールさん・・・、いや、私もそう思ってたんですよ。でもオニールさんもサイコーっすね」
自分もそう言って目先の金を頂きそうで怖いです(笑。



2005年03月14日
16:48
Mitarquee

ナプニとイコニも見に行きました。
沼田さんがヨネクラでふたりのコーチをしてましたね。
輸入ボクサーで印象深かったのは、ジェッシー三追とか、
クオーリー.フジとかが格好良かったですね。
自分は人形町の生まれなんですが、石井幸喜、
現役時代によく見かけました。

2005年03月14日
17:14
偏執長

クオーリーフジとバッファロー鈴木の試合。
凄く憶えています。
あれも日曜日の昼の生中継でした。
後楽園ホールの隣にあったホールで開催されたんで
ボクシングマガジンにその記事が載っていたのが印象的でした。
あそこって「田辺ジム」といって「あしたのジョー」の
プロテスト会場にもになったボクシングの歴史が染み込んだ場所
なんだそうです。

クオーリーフジが後のブルース・カリーで弟がドン・カリー
・・・でしたっけ?

2005年03月14日
17:40
アキラ

パンチのあるのはイコニさん。パンチの無いのがナプーニさん。
そういえば沼田さんも「イコニは良いけどナプーニは調子にのってる」とかコメントしてませんでした?(ナプーニさん、違っていても私の周りをサークルしないように)

クオーリーフジ強かったですね!でも、あのレベルを連れてきてしまうと結局後が続かないですよね。
弟のドン・カリーは抜群のカッコ良さ。「ローン・スター」という異名(もはや死語?)もビビッときました。強く美しいボクシングだったけど、ロイド・ハニガンにつぶされちゃいましたね。
敢えて例えれば、ティトとホプキンスみたなものでしょうか。

ニックネームと言えばハーンズ。シンプルな「ヒットマン」が定着する前の「デトロイト・ヒットマン」「モーター・シティ・コブラ」なんて、プロレスラーの肩書き並みにカッチョイイ。

2005年03月14日
18:39
Mitarquee

>田辺ジム
そうでしか。
今年1/3のトラッシュと川嶋のダブルタイトルに父親を誘い、
米倉健司の現役時代以来の生観戦だったらしいのですが、
その話しをライターの丸山幸一さんにしたところ、
「その頃はまだ、ホールがなくて、後楽園ジムでの興業だった」
と仰ってました。

デトロイトの暗殺者、石の拳、マーベラス。
レナードはなんて呼ばれてましたっけ?
ボクシングマガジンには、
シュガー.レイ.レオナードと記してありましたね!

あと、民放でアルゲリョの試合があった時に、
新聞のテレビ覧に大きな宣伝が昔は必ずありましたが、
そこで、アレキウス.アルゲリョとなってましたね。

2005年03月14日
19:02
偏執長

レナードは「スーパー・エクスプレス」では?
ドン・カリーも「コブラ」って呼ばれてませんでしたっけ?
アルゲリョの「ニカラグアの貴公子」も
もう少し気の利いたニックネームを付けてあげたかったですね。
「戦慄の貴公子」とか(駄目?)。
「微笑みの貴公子」とか聞くとアルゲリョのパンチをお見舞いしたくなります(笑。

2005年03月14日
22:03
アキラ

ドン・カリー、「ロン・スター・コブラ」でしたっけ?
アルゲリョは「ボクシング界のクラーク・ゲーブル」なんてのもありましたね。『「戦慄の貴公子」とか(駄目?)。』もう殆ど子供状態(笑)一番好きなのは「スモーキン・ジョー」かなぁ。

>シュガー.レイ.レオナード〜
ボブ・ディランをボブ・ダイランって記してたようなものですね。レオナルドというのもありました。殆ど相棒がいそうです。

2005年03月14日
22:57
偏執長

レオパルド鶴田という方もいませんでした?
いまならレパードと読むのだろうか?
すると玉熊とダブってしまう。

2005年03月14日
23:02
Mitarquee

偏執長さん、他の三人に比べ、「スーパー・エクスプレス」って
凄く知名度が低いですね。
「戦慄の貴公子」はプリンスの曲の邦題ですねW

>レオナルド...殆ど相棒がいそうです。
激ワラ!

輸入ボクサーと言えば、ワルインゲ中山がホームレスになったって、
悲しいですね。

ここの話題をずっと考えてると、断片化した記憶の欠片がちらほら
電車の中とかで浮かび上がってきますね!

2005年03月14日
23:11
アキラ

>レオパルド鶴田
うわぁ〜わからない。何だか悔しいなぁ。(笑)
アトム畑井とかハッタリ小畑、タートル岡部にマルシアーノ関山なんて人達もいましたね。(ほとんどヤケクソ)
アトム畑井って人は「自分を捨てた母親に自分が殴られる姿を見せたい」などと語ったらしい。(むろん事実未確認)


2005年03月14日
23:18
偏執長

戦慄の貴公子・・・・そうか!どっかで聞いたフレーズだと思った(笑。

レオパルド鶴田・・・・たしか三迫ジムで
大久保(確かブレーザー大久保?)、三原正選手の頃だと思うんですが。

私は日曜の昼にいかにボクシングを数多く観てたか・・・・
を思い出します。
それだけ番組があった、ということなんですね。



2005年03月14日
23:34
アキラ

ブレーザー大久保、確かにいました。
今月号のワールドにも、テレビの撤退がらみの記事が
掲載されていましたが、今の少年ボクシングファンが
大人になったとき、ネタの幅が狭まるのが心配。

ワルインゲ氏なんて、かつては母国の英雄なのに・・・。
トレーナーへの道などはなかったのかなぁ。



2005年03月14日
23:39
Mitarquee

ハッタリ小畑以外わかりません(泣)
タートル岡部は聞き覚えある様な。。
ハッタリ小畑って、結局勝利を挙げる事が出来たのでしょうか?

ターザン桃原とかコング斉藤とか。。。
いつの間にかリングネーム特集にW


2005年03月15日
00:17
アキラ

ターザン桃原(とうばる)、結局伸びませんでしたね。
このリングネーム特集に登場する人達って試合を殆ど観てないなぁ。タートル岡部は2〜3試合観てますが、兄貴がこいつキライ」といったので対抗上好きだっただけだし。

それにしても、こんなに面白い店なのに、マスターと客二人だけとは解せない。


2005年03月15日
00:46
Mitarquee

ボクシングコミュにこのトピが立ってたら、
お客さんもっと入りそうですよね。
呼び込み行きましょうか(笑)

2005年03月15日
07:24
偏執長

そうですね、考えていたんですよ
「ボクシング昔話」コミュ作ろうかどうか。
でもこうして一つのスレ内であっちいったりこっちいったり
するのが楽しいのかな?とかも思ったり。
国内外にトピが分かれたり、トピがあれこれだと興味も分散してしまうかな?
とか。
でもコミュ内のトピだと画像も付けられるので
ハッタリ小畑の画像とかも載せられるのは魅力的だなぁ、と
ここはあくまでも日記の一日分を間借りしているので
いつ消滅するのだろうか?という恐怖もありますね。
御両人、如何いたしませうか?
=========================
という経緯からコミュ立ててしまいました。
このままこのトピで話を続けて行きたいと思います。
また良いアイデアがありましたら
新しいトピもアリかと。
ではよろしくお願い致します。

コメント(18)

うっかり立ててしまいましたのでよろしくおねがいします。
いきなりクイズですか?
ユカタン半島の小さな巨人たち
(カント)
クーヨ.エルナンデス門下のバンタム
(Zボーイズ)
いたこの口寄せによるガゼット座談会
(サンチェスとヒルベルト・ローマンの座談会ですか?)
という感じでしょうか?

TOP画像もクイズにしましょう。
大場は正解です(良かった)。
ともう一人は当日朝まで39度の熱でうなされてた挑戦者です。
気がつかなかった!
ロイヤルVS根本のチケットだ!すげえ!。
チケットだけは今のぴあチケットよりも遥かに味わい深い!
と断言できますね。
俺・・・・今美味しい画像・・ストックにないです、すみません。
トピもじゃんじゃん立てて下さい。
このトピ下までスクロールするの疲れるかも知れないので(笑。
ミカドジム・・・あったなぁ、亀田、、いたなぁ。
いまだにシゲシゲとチケット眺めてます。
私もピントールVS村田のパンフなら持ってるかもしれない。もし万が一出てきたら見たいですか?
それとももう珍しくないのかな?
昔のチケットってそのままTシャツにプリントしてもオシャレかもしれないですね、再度チケットをシゲシゲ・・・・。
根本ーロイヤルのは
髭男二人の構図がオシャレで若者に大ブレイクでは!?
パンフ探してみます!
ではでは!
ニックネームネタで忘れちゃいけないのがあった。
「壊れた風車」いかに原田が恐れられてたか
判る表現ですね。
あのラッシング戦法だけはテキストでは学べないものだと
思います。
そうです彫りましたキングピッチ倒した時の原田。
あの時は燃えたなぁ。



って流石に生まれていない。
「壊れた風車」「狂った風車」って原田の回転の速い連打を
「ありえね〜!」と海外の方々がつけた愛称だったとか。
原田といえば対照的なこの人のニックネームもそのまんまです。
とにかくワンサイドを不可解な判定で捻じ曲げられた!というのが
大筋の見解ですね。
が原田もダウン喫したりしてたらしいです。
さらに判らないのがスコア集計の前にジャッジが裁定を下してしまいそれがまかり通ってしまった事です。
もう聞く話全部地球上で起こった事なのか!?
というくらい信じられない試合だったみたいですね。
ジュニアクラスの無い時代の三階級はウエイト振幅の幅が広かったと思います。
というわけでこのトピ?が長過ぎて使い勝手が悪いと思うので
今一度トピ立てて見ました。
内容は思いつくまま気の向くままという今までと趣旨は変わらず
健忘防止の四方山話で行きましょう。
年代別トピも是非やっていきたいです。

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