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法哲学コミュの刑法の基礎概論として

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1、孝経における、「自己棄損禁止原理」を是とする。

2、論語における「恕」つまり、「おのれの欲せざること人に施すことなかれ」を是とする。

3、それに基づく、「他者危害原理」を把握する。

4、それでもって初めて、刑法原理になり、そこからはじめて、罪刑法定主義が、ようやくでてくるのではないか、と思いますがいかがでしょうか?

J

コメント(10)

この場合でも、他者からの犯罪をどの程度許容するかは、また別問題ですけどね。
なぜかというと、孝経の論理は、あくまでも、自己に対する、自己からの棄損であるので、事故から棄損しえないものなどは、論理の枠外になりえるし、他者からの侵害を許容したからと言って、論旨に影響はないんです。
割とこれら(孝経・論語)ができない人って、この世にいなくていいって言われてるんですかねぇ。
一応、殺人は駄目になると思うけど、、、
孝経も論語も不案内ですけれど、最初の2つはカントっぽいですね。他者の危害原理はミルでしょうか。
「自分に危害がおよぶことは本当に嫌だ。他人だって、きっと同じ気持ちだろう。ならば私たち皆の共同体の約束事としてお互いを傷付け合うのはやめよう」というのは、東洋に限らず案外、人類共通の原理ではないでしょうか。
いや、これが、わたくし、自分にさえ来なければそれでいいと思わんでもないんです。
確定的原理として、認めるほどに、自らは努力しきれないことは自明なので。。。
平川宗信さんは仏教思想で刑法を再構成してるみたいです(衆知のことか?)。
あと、これあくまで、論語までは道徳原理なんですよねぇ。刑法原理っていうと細かい間違え追及勢がうっさいんですよ。なんか、その主張の連中は、死ねと言ったら死ねというんです。死ねといっただけなのに、かれらはまさか、生き残るつもりなんでしょうか?あんなんで。その言い返せばいいみたいな論点はどっから出てくるんですかねぇ。その彼らっていうのは大概、死刑になるような判決を受けるレベルの被告死刑囚とかなのに、まさか、彼らは死ねと言ってはいけないとでもいうんでしょうかねぇ。適当に死ね死ね死ね死ね死ね団といったとして、何のサンクションも努力義務法令すら設定されていないのに。さっさと死ぬべきやつにさっさと死ねと言ったら死ねといわれてやらなくちゃいけない理由は全くないんですがねぇ。。。その連中は常に法律論の時に何か違う論点で来る。こっちゃいそがしいのですけども。。。なんで、その連中さっさと死なず生き残ってられてるんでしょうか?わたくし、その彼らの幼稚な弁論うけてやらなければなりませんかねぇ。苦痛なんですが。
しかも脳内回線で無理やり死ね死ね聞かせてくるのはなんなんですかねぇ。彼らだけ勝手に死んでればいいのではないかと思うんですよわたくしその時。
さっさあと、その連中の首に縄付けて、とんと押してやるべきですよ。(この例えすら彼らは反発するんです。そりゃーぼたんポン、踏板パタンという噂ですけどねぇ、実際の死刑は。)正直、反発する価値のない部分ってあると思うんですよ。論説において。
彼ら犯罪者というものは、そこの部分(細かい雑論で鬼の首をとったかのようにふるまう)で根本的にダメなんじゃないかと思います。すっごい、その辺がだめなんではないかと、いつも彼らの弁論を見るにつけ思いましたので主論とは関係ないですが書いておきました。なんか彼らは彼らの人生に価値があったと思いたいようです。せめて全否定しさえすれば来世があったときいい経験及び大達成できるのに。。。部分否定でなく、死刑囚なんて人生を死ぬ前に完全否定すれば、大儲けなのではないかと思いますね。
ちなみに、彼らに対するわたくしの弁論は、常に背中をポンと押してあげてます。
彼ら、あれで、人生楽しいらしいですからね。まずそこがだめなんでしょう。

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