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起業家支援by工藤和則事務所コミュの工藤和則プロフィール

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突然、プロフィールを書きたくなったので
公開いたします!

工藤和則プロフィールの公開(2006年11月28日現在)

経歴
1988年4月千葉県立柏中央高等学校入学
1991年3月千葉県立柏中央高等学校卒業
1992年4月法政大学経済学部経済学科入学
1996年3月法政大学経済学部経済学科卒業
1996年4月鈴茂器工株式会社入社
1998年10月鈴茂器工株式会社退社
1999年4月株式会社アリガ入社
2000年4月株式会社アリガ退社
2000年5月株式会社ミスミ入社
2003年8月聖パウロ国際大学大学院起業学研究科(MBAコース)入学
2006年3月聖パウロ国際大学大学院起業学研究科(MBAコース)卒業
2006年4月産業カウンセラー養成講座入学
2006年11月産業カウンセラー養成講座卒業

保有資格
2005年8月労務管理士2級取得
2006年3月聖パウロ国際大学大学院起業学研究科経営学修士号取得

やってきた事
鈴茂器工株式会社
営業、新規事業提案
寿司ロボット販売(営業)
宅配すし店舗の設計施工販売(新規事業提案)
当時寿司ロボットを中心に扱っていた我々が、
お客様のニーズを具現化するために新しい販売スタイルとして
店舗の設計施工販売を設計会社と組んで実現。
この時のプロジェクトの中心として、私が陣頭指揮をとらせていただく。

株式会社アリガ
新規事業営業
環境関連機材の販売(新規事業営業)

株式会社ミスミ
岡山事務所新規開設から参加
新設事務所において、新人でも業務ができ
業務効率があがる施策を実施。
新規事業の提案(提案は実現ならず)
新商品開発提案(商品化となる。現在も販売中)
名古屋事務所では責任者として参加
業務効率を上げて、安定運営をするための
業務マニュアルの作成
結果、業務効率は上がり安定運営実現

得意分野の仕事領域
営業業務改善・改革、営業、新規事業関連

ビジネスの理論に関して
聖パウロ国際大学大学院起業学研究科経営学修士号取得
きっかけは、新規事業の提案が実現できなかったこと
原因として、お客様のニーズを重視することが全てで
それが、たとえ利益が少なくても良いという考え方であった。
実現する為には、お客様にとって絶対必要である商品を提供して
そして、自社も継続利益を得ないといけないということに気付き
勉強不足を痛感。そして、新規事業の起こし方、起業の仕方を
学びたいという気持ちから、当時起業学研究科があった
この大学院に通信制があったので入学。
そして、卒業論文として
「日本における早くて強い事業の立上・改善」を作成
ここでは、私の社会人の経験から作り上げた
「Build Business 理論」をベースに作成
名古屋事務所での実証例をもとに卒論作成

影響を受けた理論
三枝 匡さんの文献に書かれている経営理論
TOC(Theory of Constraints)制約条件理論

メンタルヘルスについて
名古屋事務所の責任者時代に躁うつ病&不安障害を発症
当時は、自律神経失調症とだけ診断されていましたが
カウンセリングを受け始め、自分の内面を話す場所が出来たこと。
このことが、私がカウンセリングを勉強しようと思ったきっかけ
私は、カウンセリングに助けられた想いが強く
今後の自分の自己管理のためと、私と同じように苦しんでいる人に
対してカウンセリングをすることで、私と同じような状態になる前に
助けることが出来ればということから勉強をスタート。
そして、産業にかかわっているということから
産業カウンセラー養成講座にて、知識の取得を開始
そして、得た知識は、自分でのカウンセリングで効果があることが
身をもって体験。

ビジネスの理論を構築したのも、メンタルヘルスを学んだのも
「人の役に立ちたい」という強い想いからきている。

躁うつ病&不安障害の遍歴
2003年6月名古屋事務所へ異動
      部下0人の私が、いきなり部下50人を持つことに
2003年10月ぐらいまでは無我夢中で周囲の目は気にならず
2003年11月ぐらいから突然周囲の目が怖くなる。
      また、心臓の痛みも出だす。
2003年12月心臓の痛みがひどくなり、動けなくなる。
      初めて心療内科に受診。自律神経失調症と診断
      実は、この時には躁うつ病&不安障害は発症していた。
      また、朝、体が動かないこともしばしば
      1週間単位で休むことも
2004年7月心臓の痛みがひどく、救急車で病院へ運ばれる。
      心臓などの異常は認められず。
      この時も自立神経失調症と診断
      1回目の休職へ
      今思うと、この時の休職は辛かった。
      特に復帰直前は、うつ状態がひどかった。
      ちゃんとした休養は出来ていなかった(今だから分かる事)
2004年10月復職。
      その後も、体の調子は好転せず、無理やり出勤している状態
2005年3月責任者から退く(ドクターストップ)
      大阪事務所へ異動
      その後も体調は好転せず
      朝、体が動かない。心臓が痛い。こんな状態の繰返し。
      名古屋・大阪時代を通してうつ病と診断されることはない。
      日常生活では、うつ病と判断することは出来ないくらい
      普通にしていられる自分がいた。
2006年2月結局、体の調子は悪くなり2回目の休職へ。
      休職してから本社への異動を伝えられる。
      この休職も本当の休養は出来なかった。
      休養の仕方が分からない自分がいたが
      この時は気付かず。(今だから分かる)
2006年5月本社にて復職
      仕事は、普通にこなしていたが、体調が良くないこともしばしば
      ここで初めて、躁うつ病&不安障害と診断
      プライベートで自宅を購入。
      この時の業者の対応に問題があり、そのやり取りに疲れる
      状態は悪くなる一方。
      この間、住宅業者は交渉窓口を自社から弁護士へ移管
2006年7月体調危険状態へ
      薬の多量服薬&朝の徘徊(自殺未遂)
      この時の心境・・・
      別に僕が死んでも、家は家族のものになるし、保険金は入るし
      子供保険で、子供は大学出るまで学費も出るからいいかなぁ
      家族の気持ちまでは汲み取ることは出来ず。
2006年7月精神状態が危険という事で入院へ。3回目の休職。
      この入院が一つの転機。
      僕より大変な人でも頑張っている。僕は何をしているんだ・・・
      情けない。命の大切さも痛感。とにかく生きていこう。
2006年8月退院
      今後の生活のことを考え、復帰のためのリハビリを考え
      会社の面接を受ける。行動的になる自分がいた。
2006年10月忙しく自分に対して、カウンセリング中に、「不安で焦っている」
      自分に気付く。あなたには休養が必要なのと指摘される。
      私は、また同じ失敗をする所だった。
      過去2回の休職では、休養が出来ていないうちに復帰。だから失敗。
      今回も、同じ過ちを犯すことになりかねなかった。
      それからは、休養が下手な私は、毎回カウンセリングの先生に
      あなたは相変わらず休養ができていないねぇと言われながら
      少しずつですが、休養が出来るようになってきました。
2006年11月産業カウンセラーの仲間に恵まれ、やっと自分の本音を話せる
      仲間に出会えて、話が出来たこと。
      うつ病患者の会に参加して、自分の本音が話せたこと
      家族にも、その時の感情を気兼ねなく
      本音を話せるようになったこと
      今までは、負担をかけたくないという思いから
      本音は、カウンセリングでしか話していなかったが
      今では、いろいろな場所で本音が話せるようになった。
      そして、現在は、非常に安定状態に入り復帰時期も見えてきました。
      胸のうちに溜めずに、本音で話すことはとても大事だと
      今さらながらですが、やっと気付きました。

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