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こどもの教育コミュの情報を吟味する能力 ← 情報リテラシー

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情報リテラシーは「こどもの教育」を考える上で大事なことと思い、トピックを新しく作らせて頂きます。

以下は、ウィキペディアに書かれている情報リテラシーの説明文です。
この文章を手始めとして議論して行きませんか?

情報リテラシー(じょうほうリテラシー、information literacy)とは、情報 (information)と識字 (literacy) を合わせた言葉で、情報を自己の目的に適合するように使用できる能力のことである。「情報活用能力」や「情報活用力」、「情報を使いこなす力」とも表現する。したがって情報リテラシーとは、情報を主体的に選択、収集、活用、編集、発信する能力と同時に、情報機器を使って論理的に考える能力が含まれている。"情報=IT"との連想やインターネットの利用時において情報リテラシーが要求される等の理由から、しばしばコンピューターリテラシーと混同される。しかし、本来必ずしもコンピュータと直結するものではない。

出典: http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%83%85%E5%A0%B1%E3%83%AA%E3%83%86%E3%83%A9%E3%82%B7%E3%83%BC

-------
2013.8.30
話題が進展して来たので、タイトルの追記を行いました。
 

コメント(43)

>>[2]さん

おっしゃることはそのとおりで、逆は必ずしも真ならず。
書いた人がはっきりしているのに、まったくのデタラメということもありますね。

[1]で言いたかったことは、そのもう一つ手前の段階で、誰が作ったかわからないビデオなどを疑わないひとも増えて来ているように思えるので心配だということでした。
 
>>[3]さん
> 要は「自分の頭で考える(吟味する)ことが一番大事」ということ。

そのとおりだと思います。
それも情報リテラシーの大きな柱ですね。

その自分の頭で考えるときに、そのもとになる情報がどれもとんでもないものばかりだったとしたら、何も判断できない状態になりかねませんから、自分で考えるためのもとになる情報を上手に手に入れる力も大事でしょう?
そういうことも情報リテラシーの大事な部分だと思います。
 
にゃーさんさんは、どのようにして質の良い情報源を確保しておられますか?
もしよろしければ聞かせて下さい。
 
>>[005]

自分は「質の良い情報源を確保する」という考え方自体をしていないのです。

ある情報を正としたときに、他の情報や理屈と不整合が生じないかどうか、それだけしか見ていません。

どこの馬の骨ともわからない情報源からの情報であっても筋が通っているなら有用だと判断するし、権威ある情報源からの情報であっても筋が通っていなければ価値はないと判断します。

ある特定の情報源が良質の情報ばかりを発信するだなんて思っていないので、発信源がどこであるかなんかどうでもよくて、個々の情報ごとに論理性があるかないかを見ています。
そもそも、本当に出典が必要な情報というのは「どんなに理詰めで行っても唯一には導き出せないもの」しかない、と思っていますし。

具体的には、法律文など。

法律文なんかは、絶対的な形が決まっているものではなく、必要に応じて変化しうるもの。

こういうものは、理屈が通じないから、現行法そのものを記載した各省庁のホームページなんかを見るしかありません。


一方、例えば数学の定理のように、誰がやっても同じものが導き出せるものについては、それをいつ誰が導き出したのかなんてどうでもいい情報。

導出の過程を追ってみたときに不備が見つからないならば、その情報は有用だと判断します。
>>[6]さん
> 自分は「質の良い情報源を確保する」という考え方自体をしていないのです。

なるほど、そうでしたか。

でも、「どこの馬の骨ともわからない情報源からの情報」にもいちいち目を通していたら、情報の量が多くなり過ぎて大変ということはないんでしょうか?

それと、もう一つ質問なのですが、権威ある情報源からの情報と質の良い情報との相関も小さいと思いますが、どうして権威ある情報源を引き合いに出されたのでしょうか?
 
>>[2]さん
→→→→→→→→→→→→→→→→→→→→→
そういう意味では、情報を発信した人が誰だとか発信手段が何かだとかよりも、内容を見て論理的に破綻していないかどうか、それを判断するための情報が不足なく提示されているかどうか、という部分をチェックする習慣をつけることの方が大事じゃないかと思います。
←←←←←←←←←←←←←←←←←←←←←

そうそう、ここを読ませてもらったときに書こうとしていた肝心なことを忘れていました。

このトピックで意見交換したり議論したりして、いいアイデアを持ち寄りたかったのは、にゃーさんさんの言われている、まさに
 > (情報の)内容を見て論理的に破綻していないかどうか、それを判断するための情
 > 報が不足なく提示されているかどうか、という部分をチェックする
そのような能力を身につけるためには、こどもの時に何をどうしておいたらいいのかということでした。

よろしくお願いします。
 
>>[008]

>「どこの馬の骨ともわからない情報源からの情報」にもいちいち目を通していたら、情報の量が多くなり過ぎて大変ということはないんでしょうか?

これについては、「本当に有用な情報なら、あちこちから発信されやすい」ということもあるかなと思っています。

別トピックの「イソギンチャク」みたいなもので。

例えば「要点が同じ情報はまとめてしまう」という読み方をすれば、案外情報過多にはならないんじゃないかなと。


>権威ある情報源からの情報と質の良い情報との相関も小さいと思いますが、どうして権威ある情報源を引き合いに出されたのでしょうか?

これは「質の良い情報源」と思っているのか、「権威主義」に陥る人も多いと思って書きました。

「質の良い情報」として、「何といっても本が一番」「著者が明確な情報」といった例がありましたが、そういうことを言う人の多くは、「有名な雑誌に掲載されるような情報」「著名人による発言」に踊らされてしまうことも多いから。
>>[009]

これが絶対、というわけじゃないですが…

「これはこういうものだと覚えておけばいい」という教え方を極力避ける、というのも1つの方法じゃないかなとは思います。

「守破離」という言葉もありますが、これを掲げる人たちに教わると、「守」を重視しすぎるあまり「理不尽なものに対する耐性を奪ってしまう」という面もあるんじゃないかなと。

「創造し、改良を重ねる」という体験を、もっと取り入れてもいいんじゃないかな、とは思います。
[010]の補足。

>「どこの馬の骨ともわからない情報源からの情報」にもいちいち目を通していたら、情報の量が多くなり過ぎて大変ということはないんでしょうか?

これについて、情報は多々あれど、ごく浅いところで(読み始めて半分も行かない程度のレベルで)論理的に破綻している場合も多いから、そういうものはどんどん捨てていけば、実際のところ、最後まで読む価値のある情報なんてそんなに多くはない、というところもあるかも知れません。

情報を仕分けてから吟味する、というよりも、吟味しながら仕分ける、というか。
>>[11]さん

>「これはこういうものだと覚えておけばいい」という教え方を極力避ける、
> というのも1つの方法じゃないかなとは思います。

それは「情報を吟味する能力」を身につけるための絶対条件ですね。
具体的には、
 考えて自分の言葉で答を書く記述式のテストの機会を増やす
などといったことでしょうか?


> 「創造し、改良を重ねる」という体験を、もっと取り入れてもいいんじゃ
> ないかな、とは思います。

小中学校で具体化するとなるとどんな方法があるんでしょう?

それで思い出したのですが、昔、僕の小学校の家庭科の授業では、何を作るかを決めたら、複数の代表の生徒を選んで、その生徒が市場に買い物に行って、手に入れて来たものを前にして分量や調理方法を自分達で考えながら調理して、出来上がったものを皆で食べるということを体験させてもらいました。
その日に売っていない食材があったときに、どのように知恵を出して目的の料理を仕上げるか、調理しながら、それでうまく行っているかなどについて、味見をして調整したり、皆で相談しながら和気藹々とやっていました。
この他、全員に四角い板切れとゴム動力のスクリューを配って、そこから自由な形の船を作らせて、プールで競争させるという授業もありました。
どちらの授業も時間がかかり先生は大変だったろうなと思いますが。

形のない「情報」というもので「創造し、改良を重ねる」という体験をすることも必要ですが、いきなり形のないものを扱って、そこから学ぶということには、それなりの難しさがありますから、料理や模型工作のように手で触れるもの、加工すると形が変化して行き、その変化から結果を推測しながら常に「創造し、改良を重ねる」ことを継続できる授業も大切ですね。
 
具体的に、と言えるかわかりませんが。

自分自身、「創って改良する」ということを初めて経験したのは、中学生になってからだった気がします。

たまたま、学校を卒業したばかりの先生が担任になり、学校自体もまだ校舎や寮を建設中、道路も少し前にようやく舗装されたばかりという、そんな環境で。

そんな環境で、例えば「数学をもっと深くやってみよう」というクラブみたいな集まり(いわゆる部活としての集まりではなく、数学好きが集まってみた、というもの)で、あーでもないこーでもないと問題に取り組んだり。

例えば文化祭のときに、たまたま委員になって委員会に出席したときに、暇で窓から外を眺めて落書きしてたら、それが上級生に見つかり…なんとその絵が文化祭のマスコットキャラクターになってみたりw衝撃

歴史も伝統も一切ない、まっさらな世界で、「何も無いのが当たり前、欲しければ自分たちで創ればいい」という雰囲気だったからこそ、色んなしがらみもなく自由な発想ができたのかも知れません。

守るべきものが何もない、そんな環境もいいものですウッシッシ
まぁ自分が受けた教育というのも極端だったのかも知れませんが。

中高では校則もなく、「校則を作らざるを得ない状況になること自体を恥と思え」と教えられてきましたし。

先輩後輩の妙な上下関係もなかったですし。

成績が良ければ上の学年と同じ模試に参加したりも。

規則や上下関係、伝統、歴史といったものがなく、純粋に各個人の実力や思いだけで物事を決められる、そんな環境。

こういう環境が合わない人もいるでしょうが、少なくとも自分には合っていたと思います。


ただ、そういう環境もあるけれど、保育園児のころから、他の人が怖がって近づかない相手にも物怖じせずに近寄って行ってたらしいので、環境だけじゃなく、生まれ持った性格なのかもしれませんが。

もしくはそれ以前の親の接し方、兄弟の存在あたりが何か影響したのかも知れませんが。

2つ上の兄と、よく血みどろの闘いを繰り広げていたので…w炎

小さいころの2歳の差って大きくて、年下が喧嘩に勝つためには何か工夫しないと、純粋な力勝負じゃ勝ち目なかったですしダッシュ(走り出す様)
>>[15]さん

小さい頃に兄弟で血みどろの闘いを繰り広げた経験、
年下が喧嘩に勝つための工夫、
校則を作らざるを得ない状況になること自体を恥と思う環境での生活、

そういう経験が、実は情報リテラシーの土台として大切なんだという事例ですね。
 
>>[016]

何かをやるとき、「昔から続いているから自分たちもやる」「周りがやっているから自分もやる」という感じで、その行為が何のために必要なのかを考えないままやってしまう、というのを避けることが大事だと自分は思います。

「歴史や伝統がない」という環境は、そういう意味ではプラスかなと思うのです。

逆に、歴史や伝統を重んじる人たちは、どうやってその罠から逃れているのかは気になります電球
>>[17]さん
これは文化的な話であるならば、日本では家元制度というのがあります。
家元制度はあまり進化するような方向ではないですが、師匠がいるのでやってることのレベルはあまり落ちていかないという長所があります。
>>[018]

家元制度には詳しくないので、ご存知でしたら教えていただければと思うのですが、家元制度のときに、>>[017]にも書いたような、

>「昔から続いているから自分たちもやる」「周りがやっているから自分もやる」という感じで、その行為が何のために必要なのかを考えないままやってしまう

という弊害から、どのようにして逃れているのでしょうか?
>「昔から続いているから自分たちもやる」「周りがやっているから自分もやる」
ふつうはなんらかの行為は意味があるからやっているわけで、その意味がわからないままやるのではナンセンスです。
その意味はけっこう伝えるのに困難なものの場合にこそ、家元制度が生きるわけです。したがって、むしろ、その弊害から逃れるために家元制度があるといってもいいと思います。

くりかえしですね。
「どのようにして」という問については「家元制度を用いている」わけです。
ようするに家元制度というのはある家元を通じて正しい作法なりを伝えるものです。

どうやら、にゃーさんはもっと具体的な「どのようにして」が欲しいようですが、具体的な例は華道茶道いろいろあると思いますよ。

Shinさんみたいに親切でないので悪しからずです。
>>[19]さん
>> >「昔から続いているから自分たちもやる」「周りがやっている
>> から自分もやる」という感じで、その行為が何のために必要な
>> のかを考えないままやってしまう
>
> という弊害から、どのようにして逃れているのでしょうか?

お茶の先生は「その行為が何のために必要なのか」をきちんと教える方が多いようですよ。
例えば、この文書

茶道の所作
http://www.google.co.jp/url?sa=t&rct=j&q=&esrc=s&source=web&cd=1&ved=0CCsQFjAA&url=http%3A%2F%2Farchives.bukkyo-u.ac.jp%2Frp-contents%2FDO%2F0031%2FDO00310L281.pdf&ei=H0QkUp-PA8XtkQXYhIHgAQ&usg=AFQjCNGRl3E675EQ0Jq1kVFluIJkf5d2Sw&bvm=bv.51495398,d.dGI&cad=rja

などを読まれたらいかがでしょう?

抄録を引用しておきます。

→→→→→→→→→→→→→→→→→→→
茶道とは何かという問いに答えるためには多くの方法がある。文化としての茶道、
芸術としての茶道、礼儀作法の一つとしての茶道、遊びとしての茶道などがそれであ
る。ここでは茶道を所作という点にしぼって社会学的に考察したい。なぜ所作に注目
するかというと、茶道はまず茶を点て、それを飲むという行為から始まるからであり、
茶会はこのような行為を重視する人々が集まって行う社会的・社交的な行為であると
いえるからである。このような社会性・社交性に重点を置く場合、茶道を社会学的に
考察することは自然であり、そこから茶道を見ることも新しい茶道の見方に通じるの
ではないかと考える。まず「飲む」という行為は生活のなかで一般的であり、普通の
行為である。茶を「飲む」という行為も生理的な渇きを潤す行為である。つまり、茶
と飲むという行為は、日常的であり生理的な欲求を満たす行為である。しかし茶の湯
の点前で「飲む」という行為は、単に生理的欲求を満たすものではない。それは文化
的、社交的な行為である。
ではどのような点で文化的、社交的なのか。そのことを所作という動きを通して論
じたい
←←←←←←←←←←←←←←←←←←←

Google検索で引用されている文は以下のようでした。
→→→→→→→→→→→→→→→→→→→
所作が単に受け身的な行為でなく能動的な行為であることを意味する。 第二に所作は技能的な行為であり、知的な認識行為である。またそれは茶道の伝統的な所作. を知的に理解した上で、日々修行を重ねることにより習得できる技能である。
←←←←←←←←←←←←←←←←←←←
 
自分が気にしていたのは2点だったのです。


(1)
教える側と教わる側とでの受け取り方の違い。

教える側はそれが必要だと思ってやらせることでも、教わる側にしてみれば「みんなやってるから自分もやる」という受け取り方をしてしまうことがあるんじゃないかということ。

教える側は、何のためにそれをやるのかを、1人1人に毎回説明しているものなのかな?と。

先入観かも知れませんが、「師匠につく」というと、特に最初のうちは、「いいから言われた通りにしなさい」とか、「きっと深い考えがあってのことだろう」とか(この台詞を吐く人自身には理由がわかっていないということじゃないかとも思いますが。)、そういう感じになることも多い気がして。


(2)
そもそもその「作法」は有意義なものなのか?という点。

古い時代にはそれが意味のある「行為」だったかも知れないものでも、生活様式や環境、文化が変化した後にまで、果たして本当に適切なものであり続けるものばかりなのか?と。

その「行為」がその流派の根幹をなすようなものであればあるほど、そのやり方を続けることは時代に合わない行動になってしまうんじゃないかということ。

「家元制度」では、その「家元」の根幹そのものに関しての見直しも随時行われるものなのでしょうか?
>>[23]さん
 > 先入観かも知れませんが、「師匠につく」というと、特に最初
 > のうちは、「いいから言われた通りにしなさい」とか、「きっ
 > と深い考えがあってのことだろう」とか(この台詞を吐く人自
 > 身には理由がわかっていないということじゃないかとも思いま
 > すが。)、そういう感じになることも多い気がして。

そういう人が無視できないほどの数で存在するということについては、どなたも異議のない所だとは思いますが、世の中の師匠は皆そういうひとばかりなのだという調子で論を進めてしまうと、少し偏見があるということになりませんか?

偏見を可能な限り排除して、真っ正面から情報を吟味するということも、情報リテラシーの大事なひとつの要素なのではないでしょうか?
 
>>[23]さん
> そもそもその「作法」は有意義なものなのか?という点。

先にも抄録を紹介した文献ですが、今度はその末尾の文を紹介させてもらいます。
興味を持たれましたら、是非、全文を読んでみて下さい。

→→→→→→→→→→→→→→→→→→→→→
以上茶道の所作を中心に考察してきたが、結論的には、茶道を支える基本は所作そのものであり、それを行う人々であるといえる。したがって所作を抜きにしては茶道は理解できない。しかし、いままでは所作の仕方、その習得が主であり、なぜ所作が茶道において重要であるかという点に関する理解は浅かったといえよう。その重要性は茶道は自由勝手な行為でなく、カネワリという一定の規範に基づいて行われる行為であるからである。そしてその規範は宗教的であり、またその行為は審美的であり、知的、技能的、社交的であるという多くの側面を持っているからである。したがって所作という点からそれぞれの側面を照射することが可能である。その作業は今後の課題に残すこととし、ここでは所作がその中心的意味を有するという点を社会学的に明らかにしようと試みたのである。
←←←←←←←←←←←←←←←←←←←←←
出典: 茶道の所作
   http://archives.bukkyo-u.ac.jp/rp-contents/DO/0031/DO00310L281.pdf
 
>>[024]

世の中の師匠が皆そうだと言っているわけではありません。

そうではなくて、こういった「師匠」が無視できないほどいるときに、「周りがやるからやる」という状況は「家元制度」によって改善できるのか?むしろ増長してしまうんじゃないか?と思うのです。

別の言い方をすると、家元制度によって「周りがやるからやる」という状況を改善できることもあるが、家元制度によって状況が悪化してしまうことも多いのではないか、ということ。

比率の問題ですけどね。
>>[025]

>>[022]で紹介頂いたページは、自分の端末環境から見ると白紙でした衝撃

そしてPDFは開けずたらーっ(汗)

ただ、茶道の世界に何かヒントがありそうだということなので、ベタ打ちしてあるページを探してみます。
>>[26]さん
> 別の言い方をすると、家元制度によって「周りがやるからやる」という状況を改善できることもあるが、家元制度によって状況が悪化してしまうことも多いのではないか、ということ。

了解しました。
それなら私も同感です。


ところで、PDFファイル、変ですねぇ。 [25]番で書き直しておいた
 http://archives.bukkyo-u.ac.jp/rp-contents/DO/0031/DO00310L281.pdf
このURLでもダメでしたか?
 
>>[028]

あ、PDFに関しては、アドレスが悪いのではなく、いま使っている端末ではPDF形式のファイルを開けない、という意味です。

フレームなどを使わずHTML文ベタ打ちのページなら見れるので(字数制限もあるみたいですが)、そういうページを探そうかなと思ったのです。
>>[028]

リンク先に直接行くのではなく、「茶道の所作」で新規に検索をかけてみると読めました。
(この方法だと、この端末でも読めるように自動変換機能が働くみたいです。)

で、一読してみた感想としては大きく2つ。


1つは、「茶道の所作」というものは、「カネワリ(曲尺割)」という規範に則っているとのことだけども、その所作の1つ1つが本当に普遍的な価値を持つものなのかどうかを考えているのか、という点は疑問に思いました。

「決まり事に従うのが美しい」的な印象を受けて、その「決まり事」自体の是非を問う意識が薄いような気がしたのです。


もう1つの印象としては、エスペラント語や標準語ではないけれど、ああいうものに近いことを実現しようとしているのかな?とも。

つまり、「なぜそうするのか」はさして重要ではなく、「そう決めたことをみんなで共有する」ことで、それを知っている人たちの間では通用する文化空間というものを作り上げようとしているのかな、と。


そういう意味では、「情報リテラシー」に関しては、この文章だけだとちょっと弱いかな、と思うとともに、「そもそも情報リテラシーってどの程度必要なのか?」という新たな疑問もわいてきました。

別トピックで出た、トムやこんにゃく屋の話にも通じるものがあるかも知れませんが、「情報発信者の意図を違えて受信したとしても、それが受信者にとって有益であればそれでいいんじゃないか?」とか。

「個々の『ルール』に意味はなくとも、全体としてそれを共有する集団がいる場合、『ルール』を変えることでその社会が壊れてしまうなら、無意味な『ルール』にも、『接着剤』的な役割はあるのかもしれない」とか。

ちょっとまとまっていないですが、そんなことを思いました。
ちょっと目に留まったブログの紹介をさせて頂きます。

http://ameblo.jp/135215/entry-11610711879.html
<緊急拡散>!秘密保全法案のパブコメわすか2週間!9月17日締切!

情報リテラシーを考える上では、こういう問題もきちんと自分で情報を入手して自分の考えを持てるようにする必要がありますね。
 
情報が正しいかどうかを吟味する上では、「誰がどこで発信した情報か」といったものに振り回されずに、1つ1つの確認作業をサボらないことが大事じゃないでしょうか。


大学の教授が学会誌で発表した内容だったら必ず正しい、というわけではないはず。

そっちが間違っていて、一般人がブログでつぶやいた内容の方が正しいこともあるでしょう。


情報を鵜呑みにせず、1つ1つの裏を取りながら吟味する、という作業は、情報源というよりも情報そのものに対して行うべきだと思うのです。
どのトピがいいのか迷いましたが、ここに書きます。
ネット上で、別人に間違われて対応されるのを、別人だと証明するいい方策はありますか?
http://blog.livedoor.jp/jounetsu_kuukan/archives/6796334.html#comments
のコメント欄や
http://www.kitamon.com/cpek/
のご意見板などです。
色眼鏡かけて見られて、話が進まないうちに、アクセスブロックです。
ネットを使った会話で、ここまでおかしくなったことがなく、どうしたらいいのか分かりませんでした。
別人だと証明できたら、まだ、ましになったんじゃないかと思うと、残念な気持ちになりました。
>>[33]

そんな問題が起きるようなところであれば、そんな場所に居続ける必要などないのではないかと思いますが、どうでしょう?
 
 
>>[33]

Hiroさんも書いてますが、「相手を説き伏せようとしない。話にならない相手とは早々に
『キレイにすれ違う』」というのも、「ネットリテラシー」の1つだと思いますよ。^_^;
>>[34]
>>[35]イデムリンさん
そうですね。
自分の力量も顧みずに、感情だけで突っ込んでいっちゃった自分のせいと言えます。
静かに、ウォッチしておきます。
スルー力を身につけたいと思います。
>>[36]

いや、あれはSZKさんの力量云々ではなく、初めから「仲間内の出来レース」で、SZK
さんを「ちょっと頭のおかしい『例の人』」にでっち上げて葬り去ろうという策略なんじゃ
ないですか。

そんなめんどうくさいことをするくらいならば、コメントを削除してオシマイにすれば良い
のに、「あの手の人達」はそれじゃ気が済まないみたいですね。^_^;
>>[37]
仲間の方の登場というか役割分担というか、そういうものは感じました。
他の記事の時に、捨てハンの人がたくさん出てきて、それをさらしものにした時は、自作自演?とも思っちゃいました。
ちょっと変わった人たちと言うことで、生温かくウォッチしてみます。
SZKさん、

このトピックのテーマに沿って「情報を吟味する能力」という意味から考えると、そこに居続けて何か自分に得るものがあるのかというところにポイントがあるのではないかと思います。
 
社会の縮図を見ることができるとか、そういうことなのでしょうか?
 
>>[39]
一個人のブログであれば、ウォッチすることもなく離れればいいのですが、
教育行政にかかわる人々の運動を発するブログであり、
議会での報告や他自治区の訪問の情報、教育に関するその自治区での活動報告等が載っているので、そういったものがどういう方向を向いているのかをチェックしておきたいというのが一番の理由です。
コメントするにいたったのは、それはあまりに自分の理屈とかけ離れているというものに対して、どういうことなのかを聞こうと思ったからです。
理由は聞けずじまいだったのは前に書いたとおりです。
なので、今は、教育行政に対する運動の方向性をチェックするのが目的です。
>>[40]
そういうことでしたか。
「自分の理屈とかけ離れている」情報を目にしたときに、それを吟味しようとしたら、質問したり自分の意見を述べてみることなども、(お互いにとって)有用な方法であるはずなのに、そういう吟味のされ方を快く思わない人達もいるということですね。
 
>>[40]

>教育行政にかかわる人々の運動を発するブログ

私の目には「私塾の経営者が寄り集まって作った団体で、もったいぶって権威づけしている
けど、実際には何の実体もない団体」のように見えます。^_^;

>議会での報告や他自治区の訪問の情報、教育に関するその自治区での活動報告等が載っている

この「議会」っていうのは、県議会とか市議会のことでしょうか?
あのブログに「議事録」として載っているのは、単に「私塾経営者のオヤジ達が、定期的に
集まってクダ巻いてる様子」しかないように見えるのですが…。^_^;
>>[42]
「釧路市議会議員 月田光明氏」と言う方が関係していてよく登場してるのでそうかなあって思ってます。
後、ラジオ番組で発信してるってのも、気になるので、ウォッチしてきました。

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