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こどもの教育コミュの理系離れの原因と対策 (知的好奇心の育成, 「思考レス」現象, 教育力の低下)

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初めて書き込みします。
大学の授業で「理系離れ」をテーマに取り組んでみようかと考えています。
理科や数学嫌いの子供たちは昔からいますが、今はますます増えているような気がします。
実際どのくらいいるのかなど、関連する資料・WEBサイト・書籍などがありましたら教えてください。

皆さんの意見も募集します。

どうして理系科目が嫌いになるのか。
→私は数学は好きですが、理科は昔から嫌いです。生活科が理科になったときから嫌いですが、おそらく、生活科のときはたいしたテストが無かったのに、理科になった途端にカラーテストを受け、先生にテストの成績がはっきり分かるような「金・銀・銅」のシールをテスト用紙に貼られて嫌になった気がします。
実験のときは楽しかったけど…。

どうしたら好きになれるか。

生徒、保護者、教師の立場から、理系科目を学ぶ目的・意義をどう考えているのか。
→最近、ロボット教室とか理科実験教室とか、都心では理科専門塾が増えてます。…あれ、数学実験専門塾は??

日本だけでなく、外国では理系科目の人気はどうなっているのか。
→もし理系科目はそれほど嫌われていない外国があるなら、どんな授業をしているのか。

こんなことを考えたいと思います。よろしくお願いします。

-------------------
このトピックが建てられた日付は、2009年04月19日 23:53 でしたが、
話題が展開しているので、それを分かり易くするために、タイトルを書き
換えました(それにより日付が変わっています)。
 

コメント(757)

>>[715]

論文だから(こどものためのではなく、自分のための研究だから)新規性を要求され、次々にオモロいもんが出て来るのかも知れませんね。
 
エンジニアの論文だと、「それは誰のためのものですか?」「社会の役に立ちますか?」という観点から査読されるんですけどねぇ。
 
>>[715]

学生さんの論文ということで、ちょっと興味を覚えたので、ちょっと読み始めました。

→→→→→→→→→→→→→→→→→→→
1.1 研究の動機
算数・数学教育の問題解決における図の役割については,これまでにもいくつかの研究(例えば,布川,2000;;Van Essen, G.& Hamaker, C,1990)によって述べられ,学習場面においても様々な図が使われて いる.
しかし,問題解決の現状を見ると,筆者が実際に体験したように, 自分の把握した状況を図にかいて操作することができなかったり,図 が提供されても活用することができなかったりしている.子どもが普 段の学習の中で,実際に図を使って解決を行う場面としては,例えば 文章問題が挙げられる.文章問題は,子どもが今後そのような場面に, もしくはそれと類似した場面に遭遇する可能性のある,生活と密接し たものが題材となっている.このような文章問題を解決できること, 解決しようとすることは,生活場面における様々な疑問や問題を,探 求しようとする力に繋がっていくと考える.そこで,筆者は,問題を 解決する際のひとつの拠り所として,適切な図をかけることが解決の 態度を変容させるのではないかと考えた.
だが,ひとことで図と言っても,学校教育で指導されている図には, テープ図や線分図等に始まり,教科書や問題集に掲載されている絵や おはじき図と様々なものがある.それらの中から,実際に学習指導が 行われている図は,やはり解決に有効で指導すべき理由があると考え られる.そこで,学校教育の初期の段階で学習されるため,今後の問 題解決にも大きく影響を与えると考えられる,テープ図に焦点を当て て研究を行う必要があると考えた.テープ図は具体的な操作と関連が 深い反面,子どもにとってテープ図の学習には抽象化の大きな困難も 伴う.そこで,テープ図の役割を明らかにしていくとともに,その有 効性が十分に発揮されるためのテープ図の導入について,明らかにし ていくことが求められる.
←←←←←←←←←←←←←←←←←←←

この「研究の動機」の前半分は素晴らしい問題意識だと思います。

特に「このような文章問題を解決できること, 解決しようとすることは,生活場面における様々な疑問や問題を,探 求しようとする力に繋がっていくと考える.そこで,筆者は,問題を 解決する際のひとつの拠り所として,適切な図をかけることが解決の 態度を変容させるのではないかと考えた.」というところはいいですね。

もし、教える人がこういう考え方であれば、丸暗記のためのツールのような「みはじ」の図は出てくるわけがないですよね。
 
この論文、「研究の動機」の後半が「実際に学習指導が 行われている図は,やはり解決に有効で指導すべき理由があると考え られる.」と、そこを疑わずに、なんでも全面肯定みたいな「まえがき」になっているのが、とても気になりますが、続きを楽しみに読もうと思っています。
 
話題となっているテープ図というのは、これなんですね。
 
>>[719]

Hiroさんがご指摘になっていることは、現在の教員養成課程における最大の問題点を浮き彫りにしているような気がします。

Hiroさんが仰る通り、この学生の書き出しから始まる論理の流れは明快で、この学生がある程度以上頭が良いなと思わせるものです。

しかし、Hiroさんがご指摘の通り、「現状行われている公教育」に対して根本的な疑問を持つ姿勢が欠けています。

私が主張している「一部変更で、それで良し」とする姿勢と共通しているように思えます。

このように「ある程度以上優秀な学生に対してすら、『現状の公教育に対して疑問を持ってはいけない』という『洗脳教育』を行うことによって、元々は優秀な学生だった人までをも『感性が鈍った教師』に取り込もうとする基本姿勢」が、日本の教育界にはあるのではないでしょうか。
>>[702]

今読み返して、このコメントにお礼を言うのを忘れていました。ありがとうございます。

>ボルタ電池は分極しますから、運用上は厄介とは聞きますが、そんな話ではなかったようです。
話を教えてくれた子の授業が今日あったので訊いてみたのですが、「水素は2で割って計算するものだから」というような説明があったようで…

え〜と、つまり、その理科の先生は理解していなくて、とにかく水素は2で割る、と・・・

う・・・ん、あまり深く考えるのはやめておきます。
>>[718]

>自分のための研究だから)新規性を要求され、次々に

そういう面はあるかもしれません。

「美味しい秋刀魚料理を考えろ」と言われて、「塩をまぶして焼いて大根下ろしをかけて、スダチを絞ってハラワタごと食べる」と答えるわけにはいかないでしょうね。



しかしそれが、学生の論文で収まっていればいいのですが、どうも算数教育界全体がそうなっているようです。


>>[708] で指摘したように、指導書が段々分厚くなっている。

教科書も同様

http://mixi.jp/edit_diary.pl?id=1888445644の日記でマイミクのみやたけ氏が指摘しているようなことがあるのかもしれない。


私が思い描く理想の算数・数学教育というのはものすごく単純で、「教えないで、問題だけ出して考えさせる」ということ。


これでは、算数教育研究論文・算数授業指南書としてはあまりにシンプルすぎて、様にならない。




結局、派閥とかヒエラルキーだとか権威が維持されるためには、何らかの中身が必要。

 「謙虚に神に祈りなさい」というシンプルな教義では、神殿も教祖も教典も祭司も不要で、各自が祈ればいいのだから、教団の組織拡大は望めない。

 だから、宗教団体は組織維持・拡大のための仕掛けをあれこれ作る。教義やら偶像やらなにやらかにやら・・・

 算数教育の世界も同様に思える。

蛸壺の中で、かけわり図だ、さくらんぼだ、百ますだ、なんとかメソッドだとやっているように思える。

 TOSSと数教協は仲が悪いようだけど大石寺と信濃町の争いみたいなもので、、端から見たら似たようなことをしているように見えてしまう。

 
 算数教育外の人が関心を持ち声を上げていくという外圧でしか変わり様がないように思います。ただそうするとさらに蛸壺の中に篭もってしまうのだろうか?
>>[720]

それですが、問題点がいくつかあります。


 130円と答えが分かった子に、テープ図の必然性がない。

 答えが分からない子にはテープ図は有効なのかもしれないが、テープ図なしで答えを出せない子にテープ図を使いこなすことが出来るのか?

 結局、テープ図なしで答えられる子だけが、「正しいテープ図」を描くことが出来て、この現象面だけ見て、「テープ図を正しく描ける子は正しい答えを求められる」という相関関係を、「テープ図を正しく描けるから答えを求められる」という因果関係に解釈して、

 正しいテープ図を描くことが目的になってしまいかねない。
 

 「正しいテープ図」というのは、結局「教師が意図したテープ図」となりかねない。□が50円でなければならない必然性がない。大人の目からしたら、左側のテープ部分が求める130円で、□は50円だろうと推測するが、□が求める値で左側のテープ部分が50円と解釈してはいけない根拠は曖昧。

 この論文執筆者も、このあたりのことに気づきつつあるように見えながら、イデムリンさんが指摘しているように、根本的批判にはいたらず、改良主義的手法を提示してお茶を濁している。

 しかもそれが、前テープ図なる、複雑でややこしい算数教育界の流儀をさらに複雑にする代物。

 この手の手法をあれこれ考案して足し算するのではなくて、引き算が必要だと思う。

まさに、逆思考。
テープ図でまとめた算数の文章題12パターン
http://method.zushiki-edu.com/article/367477227.html

たし算1)合併タイプ
たし算2)増加タイプ
たし算3)引元タイプ
たし算4)全体タイプ(順番と後方)
たし算5)全体タイプ(異種対応)
たし算6)全体タイプ(自身と前後)
ひき算1)求残タイプ
ひき算2)求補タイプ
ひき算3)求差タイプ
ひき算4)求引タイプ
ひき算5)求増タイプ
ひき算6)求元タイプ(増加元型)


こういうのを見ると、まともに数学や理科を学んだ人であれば、「何か妙なことになっている」と思うと思うのですが、どうでしょうか?

算数教育界では、この手の「分類」が盛んなようです。

http://www.morinogakko.com/classroom/sansu/nen1/tasizan1/tasizan1.html
>足し算は、合併・増加・求大・現象前推論の計算という種類があります。このほかに、順序数の足し算も、あります。
これを一つ一つ、足し算だなと理解して文章題ができるようになっていきます。
引き算は、もっと多くて、求残・求部分・求差・求少・増加前推論・増加量推論・減少量推論と、たくさんの種類があるのです。
おとなになると、どれを見ても「これはひきざん。」と分かる。引き算の種類の区別はしなくてもすぐできる。でも子供たちは、これも引き算これも引き算と一つずつ理解して、どれも引き算という大人の境地に達するのです。

銀林浩の量の分類とかもその類。
http://8254.teacup.com/kakezannojunjo/bbs/t3/82-90
http://8254.teacup.com/kakezannojunjo/bbs/thread/detail/thread_id/2/thread_num/66

内包量は度と率、率はさらに度的率と率的率にわかれ・・・・

    存在型   位差型
空間量 密度    勾配   → 場
 時間 流量    速度   → 時系列
     ↓     ↓
    スカラー  ベクトル

「誘導外延量」「誘導内包量」「外延量的内包量」「基底外延量」「逆内包量」「蓄積量」「分布量」「輸送量」「1次の内包量」「2次の内包量」



いくら何でもこれらを子供に区別させるなんて馬鹿なことはしてないだろうけど、杞憂とは言い切れない。「増加と合併を子供に区別させる」などという馬鹿げたことはしていないだろうと思っていたら、教科書会社が積極的に奨励しているのだから。


子供に区別させないにしても。熱心な教師がこれらを一生懸命勉強している姿を想像すると、やはり気持ち悪い。 「こんな事細かに分類するなんて、意味があるのか?馬鹿らしい」と思ってほしいのだが。
子どもはどこでつまずくか 著者: 銀林浩
http://books.google.co.jp/books?id=GTW7KvD_fDIC&pg=PA25&lpg=PA25&dq=%E6%95%B0%E6%95%99%E5%8D%94%E3%80%80%E3%83%86%E3%83%BC%E3%83%97%E5%9B%B3&source=bl&ots=c4sRoVGEEs&sig=u0h8dybicZrGvQ0ujN23v5I_Hco&hl=ja&sa=X&ei=ayxeUuHdN4ykkwXAlIHgBw&ved=0CEwQ6AEwBQ#v=onepage&q=%E6%95%B0%E6%95%99%E5%8D%94%E3%80%80%E3%83%86%E3%83%BC%E3%83%97%E5%9B%B3&f=false

p25に、数教協がテープ図を考え出したとある。

そんなものなしで、あるいは、自分で考案して、試行錯誤して苦労してとにかく答えに行き着く、という経験の方があとあとの財産になるのに、

「こうすれば解けるよ」という提示になってしまっている。そうすれば当面の問題は解けるわけで、教える側も教わる側もそれで満足するのだろうが、後々その代償を払うことになる。
>>[723]

学生の論文に収まっていると思ったのではなくて、この学生を指導しているひとたちの頭の中が
  > 論文だから (こどものためのではなく、「自分のための研究」だから)
  > 新規性を要求され、次々にオモロいもんが出て来る
という構造になっているんでしょうねぇ、という皮肉のつもりでした(笑)。
 
>>[727]

 そういうことでしたか。まあ、色々新規性を要求されて、「数学教育学」なるものができあがっているのでしょうね。

 しかし、新規性だからといって、これまでの算数教育学を根底から覆すようなことはしてはいけないのでしょうね。そんなことしたら、諸先輩の顔を潰すことになる。

 実際はどうか知らないけど、算数教育の現状がまずいという危機感が本当にないならそれはそれで問題だし、それに気づいてもしがらみなどで言えないのなら、それも問題。
先の論文ですが、「児童の思考過程の枠組み」の表のところまで読み進みました。

→→→→→→→→→→→→→→→→→→→
01 指導者:「答えが出ているのなら,ここのしかくも埋められるね.」
02児童 :空白に2の答えとして求めた130を入れる.
03 指導者:「図をもう一度よく見てみて.ここが 180 円だから,チョコレートのお金を表わしているよね.それじゃあ,ここは?(空白で示されている部分を指しながら)」
04児童 :「キャラメル.」
05 指導者:「それじゃあここは?(下のテープ図全体を指しながら)」
06児童 :「・・・.」
←←←←←←←←←←←←←←←←←←←

「児童がなぜ問題1の解答欄に 130 と入れ(02 児童),その 解答欄が示すものとして「キャラメル」と答えたのか(04 児童)が明ら かになると考え」るのであれば、ここで、考えている仮説が一つ抜け落ちていると思います。
「なんでこんなテープ図なんてものを書くんだろう? 馬鹿だなぁ」と考える生徒もいると思うのです。そういう視点も必要なのではないでしょうか?
そう思いながら、上に引用した指導者と自動のやりとりを読み返すと、とてもオモロいです。
空白に130を入れたら、当然、04の答は「キャラメル.」ですよね。
06の「・・・.」は、なんでそんなこと訊くのかと絶句。
 
>>[724]

729を書いてから、724を読み返してみました。
多分、積分定数さんが言われていることのかなりの部分と、私が感じたこととは同じことですね。
 
>>[730]

 算数教育の専門家・研究者がここを読んだら、「それは違う」とか「それはこれこれこういうことで」とか反論するでしょうね。

 しかし、いくら「先行研究の論文」や「データ」や、あれこれ持ち出そうが、

長方形の面積を横×縦だとバツ などという馬鹿な授業が現実に行われているわけで、

これを放置しているどころか、「式は状況を表す」などといってそういう傾向を助長している算数教育の専門家というのは、アホではないかとさえ思います。

http://8254.teacup.com/kakezannojunjo/bbs?M=JU&JUR=http%3A%2F%2Fblog.livedoor.jp%2Fnabekichi32%2Farchives%2F51954501.html
>周囲のベテラン先生はコレ(直方体の体積の求積に順番があるコト)を金科玉条のごとく当たり前の価値観として教えていた。

長方形の面積は縦×横でないと駄目、直方体の体積は縦×横×高さでないと駄目、というのが極めて希なケースならともかくこういうのを見ると、割とありがちなのかもしれない。



この手の話はちょっと検索すればヒットする。


http://oshiete.goo.ne.jp/qa/6747086.html
小学5年生の算数のテストで、直方体の面積を求める問題がありました。
公式は縦×横×高さとなっていますが、横×縦×高さの順で式を書きましたら、×でした。
もちろん答えはあっており、答えの方は○でした。
子供が先生に聞いた所、「そんなことも分からないで、、、」と、しかられただけとの事です。
はっきりした理由をお分かりの方、どうぞお教え下さい。
宜しくお願いいたします。

「直方体の面積」は「直方体の体積」の誤植



算数教育の専門家というのはこういう現状を知らないのだろうか?
>>[729]

>「なんでこんなテープ図なんてものを書くんだろう? 馬鹿だなぁ」と考える生徒もいると思うのです。そういう視点も必要なのではないでしょうか?

これって意外と重要だと思います。


https://twitter.com/genkuroki/status/276539155461337088より

たとえば「数の保存」とピアジェが呼ぶ有名な課題について。まず、ビンとコップを6個ずつ、横2列に等間隔で2×6の形に配置して、子どもに「ビンとコップ、どちらが多い?」と聞く。子どもは「同じだよ」と答える。

続けて、コップの列の間隔を広げてビンの列よりも長く見えるようにして同じ質問を繰り返すと、3〜4歳の子どもは「ビンよりもコップの方が多い」と答えるのだそうだ。あたかも「数の保存」を理解していないかのように見える。

しかし、その後の研究によれば、ピアジェによる「数の保存」の課題は子どもが数の概念をいつ理解し始めるかを知るためには駄目な問題の出し方になっていることがはっきりしている。

3〜4歳の子どもに言葉で聞くのではなく、好きな方のお菓子を取ってすぐに食べても良いことにすると、子どもはお菓子の間隔に惑わされずに多い方をすぐに取る。まあこれは3〜4歳児の相手をしたことがあれば納得できる結果でしょう。

面白いのはここから!なんと年齢を下げて2歳の子どもにオリジナルのピアジェの「数の保存」課題をやらせると正解するのだそうです。実は3〜4歳の子どもがピアジェの課題に失敗するのはより賢くなったからなのです!

もしもコップの列の間隔を広げても個数が変わらないことを3〜4歳の子どもが当然だと思っているならば、「この大人は何で馬鹿な質問をするんだろうか?質問の真の意図は別にあるのだろうか?」と不信に思うはずです。

実際、3〜4歳頃はちょうど他者の意図などを推測する能力が立ち上がって来る時期でもあります。そこで不信に思われないように工夫した質問の仕方をしてみるとほとんどの3〜4歳児もピアジェの課題に正解するようになるのだそうだ。

要するにピアジェの「数の保存」課題の結果を理由に「4〜5歳にならないと数の概念が生まれてこない」とするのは完全な誤り。

>>[732]

> 実際、3〜4歳頃はちょうど他者の意図などを推測する能力が立ち上がって来る時期でもあります。そこで不信に思われないように工夫した質問の仕方をしてみるとほとんどの3〜4歳児もピアジェの課題に正解するようになるのだそうだ。

興味深い話ですね。
 
http://homegrown.jugem.cc/?day=20130713

算数のテストで、教科書の文言をそのままの文字通り、教科書的回答を要求。

いくら算数や数学が苦手だからと言っても、これはそういうレベルの話ではないと思います。

かつてであれば、こういう教師が教壇に立っていること自体が信じられないと思ったのですが、長方形の面積を横×縦だとバツという教師もいるからあまり驚きませんが、酷すぎるし、こういう教え方が是正されることがないとしたら、システムとして欠陥があると言わざるを得ません。
こういう馬鹿教師はどうにかならないものか・・・
http://takatori-na.jugem.jp/?eid=1879
>>[736]

読ませて頂きました。

  > 「今日、学校で『小腸の壁にある柔毛の役割』を答える問題で
  > 『表面積を大きくし、養分の吸収の効率をよくするため』って
  > 解答したら×にされたんですよ」
  >
  > 「大きく」じゃなくて「広く」にしろ

こういう話なんですね。

後半に書かれている

  > 大きい…外からの視点
  > 広い…内からの視点
  > という話が出てきました
  >
  > 例えば、ある家を外から見て「この家、大きいね〜」という
  > のはあり「この家、広いね〜」というのはダメ(広いかどう
  > かは、入ってみないとわからないから)
  >
  > 家の中に入ってからなら「この家、広いね〜」が正解なんだそうです
  > なるほど
  > ということは、小腸の表面積は「広い」が正しいかもしれませんね
  >
  > きちんと、上に書いたように説明すれば生徒は納得してくれましたよ

こういう調査と説明をこどもにしてくれる先生はいいですね。
もっと増えて欲しいです。

ちなみに、私の中学校(大阪市立)の先生は、この大きいと広いの使い分けを
 広いと言えば面積であることがはっきりする
 大きいは、面積の説明にも使うが、ふつうは体積を意味する
という風に教えてくれました。
なるほどと思ったので、今でも覚えています。


「家を外から見て広いかどうか分からないだろう」というこの話も面白いですね。
ものすごく分厚い壁の家なんでしょうか?
わーい(嬉しい顔)
 
>>[737]

たとえば

隣隣隣 家 隣隣隣
隣隣隣 家 隣隣隣
塀   家   塀
塀 家家家家家 塀
塀 家家家家家 塀
塀       塀
塀塀塀塀塀塀塀塀塀

みたいな家とかw


あとは、地上部は入口だけで地下に大きな部屋があるとかw
(「普通の家」ではまずないでしょうが、自分が関わっているような公共施設では地下の方が広いのはちょくちょく見ます)
>>[738]さん

京都にはそういう家、結構あります。
ウインク
>>[737]

ただ、私の感覚としてはどちらかというと「面積は」「広い」よりも「大きい」ですね。面積というのは、そのもの自体じゃなくて、数値・値だから、「大きい」「小さい」。数学でも「どちらの面積が大きいか」というのが普通で「どちらの面積が広いか?」というのは余り聞かないです。

 このあたりは感覚や慣習の問題であって、「面積が広い」というのも全然違和感ないし、「こっちの方が長さが長い」「こっちの方が長さが大きい」、前者の方が違和感が少ない。

 まあどちらでもいいのであって、件の教師は論外ですね。
>>[740]

おっしゃるとおりです。
算数や数学、あるいは工学分野の話であれば、感覚はどうあれ、ロジカルに判断して誤解の恐れがあるかないかだけで判断するという姿勢が必要だと思います。
 
>>[737]

>> きちんと、上に書いたように説明すれば生徒は納得してくれましたよ
> こういう調査と説明をこどもにしてくれる先生はいいですね。もっと増えて欲しいです。


いや、全然納得しないでしょう。くだらないことをやっている駄目教師としか言いようがありません。こういうのが増えると困りますから、いなくなってほしいですね。

>>[742]

あれ?
増えて欲しいのは、この説明をした塾の先生ですよ。
 
>>[743]

> 増えて欲しいのは、この説明をした塾の先生ですよ。

 外からの視点がドータラコータラ とろくでもないことを言っていたのは塾の先生でしたか。
 失礼しました。 「まなびや むげん」 と書いてあるのを見落としてました。

 この塾講師は全然駄目ですよ。

 この問題の核心は、 「デコボコをつけると表面積が増えることを理解できているか」 ということなんですよね?
 「外から見て広いのかどうか分かるのか?」 っていう話じゃないでしょう。
 こんな的外れなどうしようもないことを言われて納得するわけがありませんよ。
>>[744]

疑問をこどもと一緒になって調べて、その解釈について、あれこれ一緒に考えてみることは大事なことではありませんか? 素晴らしいことだと、私は思います。
 
もともとの出題の核心である「デコボコをつけると表面積が増えることを理解できているか」ということについては解決済みなわけです。そして、それとは独立の問題として「面積を大きいというか広いというかには、どんな違いがあるのか」という疑問が生じたのですから、それは「的外れなどうしようもないこと」ではないと理解すべきではありませんか?
 
>>[745]

一緒に調べるのは良いのですが、だからといって今回の問題が「解決」しているのでしょうか?

核心を理解した解答に対してつけられた×は、訂正されることなく×のままなわけですよね。

つまり、「核心の理解ができていても、表現方法が違うと×になる」という状況には変わりないわけで。

子ども心には、こういうのって、「一緒に調べてくれた」ということよりも「中身は合ってるのに結局×にされたままだった」という思いが強く残るものではないかと。

言ってみれば、塾講師は「×にする正当性」を主張しただけですし。

それに、積分定数さんが提示してくれたページにいま行ってみましたが、
> きちんと、上に書いたように説明すれば生徒は納得してくれましたよ

という一文はありませんでした。


ということは、この説明では生徒は納得していないかも知れないのでは?

単に「あぁ、学校の先生の肩をもつのか」と思って面倒くさくなって追及を止めただけかも。
>>[746]さん

にゃーさんさん の読み落としです
再読下さい
「掛け算の順序」に象徴される算数教育の問題は、算数教育界の中枢はアホが牛耳っているというのがある。
誇張ではなくて、本当に文字通り、算数教育界中枢にはアホしかいないと思われる。
ホンの一例を鰹節猫吉さんが報告している。
http://8254.teacup.com/kakezannojunjo/bbs/t21/1409


 それとは別に、おかしな教師というのがいる。どんな業界でも、立派な人もいればおかしな人もいるだろうから、教師の世界だけが例外ではないと言うだけのことであって、立派に教えている人もいると思う。

 しかし、おかしな教え方をしてもそれで通用してしまって、改まる機会がないというのは、制度的な欠陥だと思う。

 教育委員会指導主事は「教師の教え方に疑問があれば、まず教師に言うべき」というが、話の分かる教師であれば、そもそも問題にならない。

 結局、泣き寝入りか、教師に直訴してもうやむやになるか、最初からそのことが分かっているのでテキトーにやり過ごす術を身につけるか、

 そんなのがせいぜいだろう。

 批判の声を肥やしにして、全体化して教師全体のレベルを上げるなどとはならない。

 
 そんな難しい話じゃないし、メディアに出てくるようなすごい授業を要求しているわけじゃない。

「面積が大きい」というのは何もおかしな表現じゃないよ
長方形の面積は横×縦でもいいんだよ

そんなごくごく常識的なこと。「指導力アップ」などという大げさな話じゃない。

 735で紹介した事例もそうだけど、「小学校教師は全科目を教えるのだから、至らない面もある」とかいうレベルの話じゃない。教科書の文言を、文字通り「文字通り」暗記させるなど無意味だと分からないものなのか?一体全体この教師はそれまでの人生で何を学んできたのか?

 教師全体の中ではごく少数の事例だと思いたいし、このことで教師全体をどうこういうつもりはない。

 しかし、こういう教え方が是正されることなく罷り通ってしまうのは、やっぱりまずいと思うよ。
>>[747]

すみません。

…「中略」がなかったので「改行して連続して書いている」と思い、該当箇所を読んだら違う文章が始まっていたので誤解してしまいましたが、間に別の文章を挟んで、下の方に記載されていたのですね電球
>>[745]

> もともとの出題の核心である「デコボコをつけると表面積が増えることを理解できているか」ということについては解決済みなわけです。

> そして、それとは独立の問題として「面積を大きいというか広いというかには、どんな違いがあるのか」という疑問が生じたのですから、それは「的外れなどうしようもないこと」ではないと理解すべきではありませんか?


 独立な問題として扱ってないではありませんか。
 「表面積を大きくする」でも「表面積を広くする」でもかまわないわけです。
 ところが、この塾講師は「外側からの視点と内側からの視点が云々」というのが、バツをつける理由として通用すると思っちゃったわけですよ。

 しかも、この塾講師の判断基準というのが、きわめていいかげんです。

 最初、「大きい」が正しいと思っていた。その理由は、ワークや参考書にそう書いてあるから。
 「外側からの視点が云々」という話が出てきてから「広く」が正しいかもしれないと思うようになり、生徒を説得した。
 でも、やっぱり自信がないので、自分のブログで 「どう思いますか?」 と他人に聞いている。

 かなり駄目な人だと思いますが…
話の流れに無関係ですが、理科離れについての私見で、失礼いたします。

現在の教育方針というのは、本質を知ることではなく、鵜呑みして信じることをさせることです。

たとえば、公式を与えてこれがエネルギーであると覚えさせる。エネルギーとはどういう概念かなどは不要なのです。これほどつまらない勉強もないですね。数学でも教科書はすべてを説明しているのですが、それは公式を与えることと同じで、説明の意味を理解するだけでは知ることはできない、ということがわかっていない人が教科書を作っています。
(もちろん、これは理科系に限りません。英語はひどいものです。takeを「取る」と覚えさせるのですよ。二つの言葉の示す概念は似ていますが、微妙に異なります。嘘を信じさせていることになります。)

理科離れの原因は、大人の知性の低下にある、のです。主たる原因がわかれば、要は取り除けばよろしい。知性の低い、教育のわからない連中に教育制度を作らせないことです。大学入試を変えようとしている人々は、本当の意味でプロかどうか、ゆとり教育の反省もなされていませんし、やはり文部科学省、その上の大臣などの知性の低さがまず重要な直接の原因です。排除すればよろしい。根は深いですね。現場の先生の知性に頼るしかないでしょう。
>>[750]

> ところが、この塾講師は「外側からの視点と内側からの視点が云々」というのが、バツをつける理由として通用すると思っちゃったわけですよ。

なるほど、鰹節猫吉さんはそう読まれてしまったのですね。
話が噛み合ないわけがわかりました。
 
私は、そうではなく、何故そのような学校の先生がいるのか、その理由を分析すること、そして、この「広い・大きい」の使い分けという問題をどう理解したらいいのかということをこどもと一緒に考えられたのだと理解しています。
だから「もとの問題の正解は何か」ということとは独立な問題だと考えています。
 
面積が「大きい」という表現に×をつける教師が何を考えたのかを推察したとして、「その考えは本当に妥当なものなのか」というところまで行かないと中途半端で、「次からどうすればいいのか」がわからなくなるような気がしますが、どうなんでしょう?

別の言い方をすれば、今回の件においては、「元の問題の正解は何か」ということと「広い・大きいの使い分けはどうするのか」ということとは、独立に考えるのではなく2つセットで考えるべきではないかと思うのですが、どうなんでしょう。


ちなみに、辞書での表記や、公的機関の表記を見ると…。

複数の辞書において、「広い」という単語の説明文として「面積が大きい」と書かれています。
(デジタル大辞泉、大辞林など。)

また、複数の公的機関のHPにおいても「面積の大きい○○」という表現がされています。
(外務省、国土地理院など。)

ということは、「面積」を「大きい」と表現することは、間違いであるとは言えないほどには市民権を得た表現である、ということではないかと。


一方で、国土交通省の関東地方整備局のHPでは「流域面積の一番広い川」という表現を使っていたりもするので、「面積が広い」という表現もありうるのだろうと。


ということは、「面積が大きい」でも「面積が広い」でもどちらでも良い、というのが結論であり、次にこういう問題に遭遇したときもどちらを書いても間違いではない、と教えるところまで行かないと、中途半端かなと思うのです。
>>[753]さん

> 「面積が大きい」でも「面積が広い」でもどちらでも良い、というのが結論であり、次にこういう問題に遭遇したときもどちらを書いても間違いではない、と教え

そう教えたと理解したので、
  > もともとの出題の核心である「デコボコをつけると表面積が増える
  > ことを理解できているか」ということについては解決済みなわけで
  > す。そして、それとは独立の問題として「面積を大きいというか広
  > いというかには、どんな違いがあるのか」という疑問が生じた
と書きました。
言葉足らずでうまく伝わらなかったようですね。
 
http://takatori-na.jugem.jp/?eid=1879

この塾講師は、「大きいは間違い、広いが正しい」として理科教師に対して、最初は「その採点はおかしいんじゃないか?」と疑問に思ったけど、調べてみたら、「広いが正しい」という結論になって、生徒に説明したら納得した。「理科教師も単に間違いとするのではなくこうやってきちんと理由を説明したらよかったのに」

ということで、バツにしたこと自体は批判していないと思います。


>で、ちょっと引っかかったのは、学校の理科の先生の説明
「日本語がおかしいから」とだけ言って、ワークの模範解答にも「大きい」と書いてあると食い下がる
生徒に対して「俺がダメだと言ったらダメなんだ」と言ったそうです(笑)
それは酷い…ジャイアンですか?(笑)
きちんと、上に書いたように説明すれば生徒は納得してくれましたよ
もう少し、調べてみたらどうだったんですかね?

批判の対象は理科教師の説明であって、採点そのものではない。
 掛け算の順序でもこの手の人は多いです。

 掛け算に順序があると教え込むこと自体が批判されているのに、「無碍にバツにするのはよくないと思う。(自分はちゃんと説明するから、批判の対象ではない)」と勘違いしている数教協のケース
http://ameblo.jp/metameta7/entry-11474142528.html#main
>「順序が違うからといって×にして済ませるのではなく,1あたり数を子どもが理解しているかを確認することが必要」
>>[755]

その塾講師さんの文面の中に
 > ということは、小腸の表面積は「広い」が正しいかもしれませんね
と書かれているので、断定はしないで、どちらもありだと生徒に説明されたのだと理解していましたが、そういう説明をされたのではないのかも知れませんね。

積分定数さんの御意見、理解できました。
ご説明有り難うございました。
  

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