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こどもの教育コミュの学力低下とは?

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ひょんなことから,最近自分の日記に教育論を展開したりしているのですが,もっといろんな人の意見を聞きたくて,トピを作らせて頂きます。

皆さん,今盛んに言われている“学力低下”の原因ってなんだと思いますか?


僕の持論を話すと,“ゆとり教育”が“学力低下”を助長しているとか言われていて,だいたい世論の方向もそう傾いてるようだけれど、絶対そうは思わない。
 僕が思う学力低下の一番の原因は、やはり子ども達の学ぶ意欲の低下だ。その意欲を低下させた原因こそが、自分から知りたい!学びたい!という気持ちを育てるゆとりのない中で、次々と与えられた知識を詰め込まれることで、学ぶことに苦痛を覚えてしまったこと、勉強が嫌いになってしまったことだと思う。
 嫌いなことを無理矢理やる時ほどつまらないことはないし、力が伸びるはずもないでしょ。勉強が楽しい!と思わせなきゃ学ぶ意欲なんて湧かないよ。

 日本の教育は昔からそうだったんだと思う、子ども達の主体性をないがしろにしていた。でもそれでも、勉強はそんなに楽しくなかったとしても、頑張って勉強して、いい高校、いい大学に進めばいい就職ができ、将来が安泰するっていう構図があった。だからみんな頑張れたわけよ。学ぶ意欲につながった。
 でも最近はその神話が崩壊した時代が来てしまった。バブルが弾け、長い不況が続き、大企業まで倒産する時代。楽しくない勉強を我慢して頑張ってもメリットがあるのかどうかもわからない世の中になってしまった。だから一気に今までの教育のボロがでて、いろんな問題となって表面化している。学力低下もその一つ。
 ここ最近、急に社会がおかしくなった、教育が崩壊し始めたって言うのは、絶対この日本のつまづきが原因だと思う。でもこれは、つまづくべくしてつまづいたとも言えると思う。いい機会だよ。ここらで気付こうぜ。今までの「教育」の間違いに。

 そもそも、一番大切なのは子どもが自ら学びたいと思うことでしょ。知りたいと思うことでしょ。その気持ちをいかに育てるかにまずは時間を費やしたい。教育者達はまずそうした学びのきっかけ、色んなことに興味を持たせるしかけを作ってやることが重要だよ。それが理想だけど,そんな時間はない?だからそのためのゆとりじゃないの? 
 子ども達の学力を上げるためには、もう大人達が知識を押し付けるだけでは無理があると思う。子ども達自身が勉強を好きになり、楽しみ、どんどん学んでいくしかないんだよ。子ども達が自ら学びたいと思える動機付けの時間が必要だ。だからゆとり教育じゃなかったの?違うのか!?俺はそう思ってたんだけど…。

 ゆとり教育っていう方向性は間違ってないと俺は思う。だけどその姿勢・方法が中途半端で間違っているものが多かった。そもそも今までの教育の方向性を変えてやろうっていう時に、たかだか2年か3年で、世論に振り回されて、ハイなんだか失敗でした、うまくいきませんでした…って弱気な態度の文科省がむかつく!そんなにすぐに結果がでるなんて甘い考えで取り組んでいたのか?本当にバカじゃねえの!?今まで長い時間かけて崩壊していった「教育」を立て直すんだから長いスパンが必要なのは当たり前だろうが。一度やると決めたならフラフラしてんじゃねえよ!! おっと,熱くなりすぎました。すいませんm(_ _)m

 そんな中途半端なら最初からやらないほうがましだった。やるんなら徹底的にやれ!!上が本気にならないで、現場の俺たちに何を求めてるんですか?俺たちにどうしろって言うんですか?室井さん!答えてくれ室井さん!?(踊る〜気分 笑)

 例えば,“ゆとり教育”の旗の下、2002年度から新たに実施された様々な取り組みのなかで「総合的な学習の時間」があるが,俺が大学1年生の時に講義の一環で現場の教師への聞き取り調査を行ったとき驚いた。「総合的な学習の時間」はそれぞれの学校の裁量に任せる部分が大きいのはいいよ。その地域やその学校の現状に合わせた独特の取り組みを作り上げればいい。でもさ、「総合的な学習の時間」のための特別な予算さえ割り当てられてないっていうんだよ。新しい取り組みを行いますって時に予算の算出もそれぞれの学校に任せますってそれ、本気でやる気があるのか?文科省!?
 また2004年度からだったかな?高校でも「総合的な学習の時間」がカリキュラムに組み込まれたらしい。さてさて、一応進学校と呼ばれている私の母校ではどんなことをやってるのかな?って調べてみたところ、案の定ですよ。「進路指導」という名の受験対策ですよ。全く生かされていない。
 
 でも、そんなもんでしょ。これが今回の、中途半端にすすめた教育改革の現状ですよ。こんなんで失敗もくそもあるか!!!
 進学校と呼ばれる学校で高校時代を過ごしてきた俺から言わせてみれば、受験制度をまず変えないでいて、新しい取り組みが入り込む余地なんてありません。進学が念頭にあるものは、だいたいそれに関係ないものをやりたがらない。受験勉強に多くの時間を費やすために、いかに他のカリキュラムをごまかすかを考えるからです。
 ゆとりだ、内容削減だ、学校完全週五日制だの言っても、まず高校受験や特に大学受験、この日本の受験制度、教育制度をガラッと変えなければ、教育はなかなか変われませんよ。その受験のために、中学受験、小学校受験?幼稚園受験!?という副産物がついてきているわけだし。
 うーん、そうなるとまず、あれだな。学校の成績がいいからって、学校の勉強ができるからって、いい学校に行けたからって、頭がいい!偉い!!そんな価値観はもうそろそろ捨てたほうがいい。そんなの幻想だ。まずそんな価値観をぶち壊すことが先なのかな?だいぶ日本に根強くはびこっているくだらない価値観だ。 まあ、残念ながらそう言ってる俺の中にさえ存在するけど。東大生だと聞いたらちょっと見直しちゃうし、頑張ったんだなって思っちゃう。
 「バカとブスこそ東大に行け!」って某人気漫画でも言ってたけど(笑)最近だんだん学歴至上のこのくだらない価値観もくずれ始めているようではあるよ。けど、やっぱり根強いと思う。

 つまりは,学力低下の“学力”についてまずはっきり議論しなければいけないと思う。今までのように与えられた知識をより速く正確に吸収していく力,学校の成績がいいってことを学力として,それがさも人間として一番大切な力かのように議論しているんだったら結局昔に逆戻りだよ。何をもってして学力というのか?どんな力を子ども達に身に付けてほしいのか? もう一度そこから議論しなおすべきだと思う。

あまりまとまっておらず,長くなってしまいすいません。よければみなさんの意見を聞かせてください。

コメント(27)

>つまりは,学力低下の“学力”についてまずはっきり議論しなければいけないと思う。

まったく同感です。でも、理想は「今までのような
学力」プラス「正しい答えが与えられてない問題を
総合的に解決していく学力」かもしれません。

ところで、日本の学校の授業日数って、他の「先進諸国」
と比べるとどうなんですかね。多いのかな、やっぱり。
多いとしても見かけだけで、実際は行事(運動会、学芸会、
卒業式)などで授業がつぶれることがある。

個人的には、現行の学校行事(入学式と卒業式は除く)を
全廃して、授業時間を増やして、一つの単元にもっと
じっくり取り組める、いい意味での「ゆとり」を増やすと
いいと思います。特に国語や社会では、このような
「ゆとり」がないと、暗記を超える「思考力」を
育てることはむずかしいと感じます。
はじめまして。
教育に関しては全くの素人で、見当はずれのことを書いてしまうかもしれませんが、お手柔らかにお願い致します。

ゆとり教育なのですが、そもそも、必要だったのでしょうか?
子供達は「ゆとりがない」「ゆとりが欲しい」と思っていたのでしょうか?
「ゆとりがない」「ゆとりが欲しい」と思っていたのは、実は大人のほうではないのでしょうか?
「ゆとり」というのは、時間的なゆとりでしょうか?それとも精神的なゆとりでしょうか?

私は現在31歳です。
私が小・中学生のころ、時間的にも精神的にも「ゆとりがない」「ゆとりが欲しい!」と思ったことはありませんでした。
学校の勉強が大変だったという記憶はありません。
成績は良い方でした。

すると、仮に子どもが「ゆとりがない」と感じていた場合、
成績の悪い子がそう感じていた、ゆとりを必要としていたということでしょうか?
それで、成績の悪い子のレベルに全体を下げてあげたということでしょうか?
そうすれば、全体の”学力”は低下して当然ではありませんか。
この場合の”学力”はいわゆるテストの点ですよね。

”ゆとり教育”の見直し、大いに結構だと思います。
なんでもやってみなけりゃわかりませんから、やってみてダメだと思ったらやり方を変えればいいではないですか。
文部科学省は別に弱気なわけではないと思いますよ。
どうやらやり方が間違っていたらしい・・・ということに気がついただけなのではないでしょうか。

”ゆとり教育”もいいですが、要はその内容ですよね。
ただ単に時間的なゆとりが増えても、その時間に家でテレビゲームやってたら意味ないですしね。
子どもの学ぶ意欲の有無とゆとりの有無はあまり関係がないような気がしますよ。
ゆとりがあっても、なくても、面白いモンは面白いし、面白くないモンは面白くないですもん。
今晩は。
まさきさんのトピ。とても良いです。
熱く語ってるので、楽しいです。

ゆとり教育についての、私の意見は
「必要ない」です。
マヨさんと同じく、私もゆとりが欲しいなど、思ったことは
一度もありません。
勉強もそれなりに楽しかったです。
土曜の半ドンも、夏休みの前の半ドンも、飛び石連休も、楽しみだったし、嬉しかった。
それを励みに学校に行ってましたから。
なにしろ、学校が嫌いだったもんで。

週休2日制になり、そういう楽しみもないし。。。
何が一番困るって、週休2日制のせいで、平日が大変になったんです。
しわ寄せが当然ながら、平日の授業時間数に来るわけです。
1年生で、学校生活に慣れたか慣れないころから、5時間目までの授業。
3年生からは6時間目まであります。
学校から帰ってくるのは、4時、4時半過ぎくらいになるのですよ。
子供にとって、遊びも勉強と同じくらい大切なのに、学校から
帰るのがおそいから、遊ぶ時間も、あまりないのが現状です。
いらんこと、週休2日制や、ハッピーマンデイとかふざけた
休日の持っていき方をするから悪いんだ。
3連休。
それは、官公庁だけが喜ぶもの。
サービス業の多い世の中。土日が絶対休み。祭日も休みって
家がどこにあるでしょうね?

ゆとり教育も、立ち上げたはいいけれど、失敗ってわかってたこと。
でも印刷物など、もうできてたから、遂行したってのが現状
でしょう。
机上の空論で決めたお役人の決定事項ってきがしますね。
確かに、偏差値教育の行き過ぎも確かにあったのですが。

それにしても、教科書のページが減ったり増えたり、実にいい加減。
来年辺りから増えるんじゃなかったですか?
円周率を3にしてみたり、3.14に戻したり、いい加減すぎる。
子供の身になってみろ!と言いたい(小学生の母だけに怒り
炸裂です)

そもそも、勉強は何のためにするのか知ってますか?
いい点数取るためじゃないですよ。
想像力や、夢を持つため、考える力を育てるためですよ。
昔から、読み書き ソロバンっていうじゃないですか。
計算できなきゃ、買い物できませんよ。
読み書きできなきゃ、コミュニケーションに支障をきたしますよ。
生きていくうえで、必要なことを学ぶのです。
パソコンなる、便利なものだって、考える力のある人が
考えたのでしょう?
すべてそうなんじゃない?

私の甥っ子が、東京の小学校に行ってた。このたび、九州に戻ってきた。
彼が言ったこと、
こっちの学校は、色々教えてくれるから楽しい。
だって。
これは、東京を非難してるわけではありません。

子供は、知りたいって気持ちをたくさん持ってるの。
それを教育者、保護者がいかに導いていくかなの。
点数じゃなくて、知りたい結果が、点数に出ただけ。
算数でも簡単にすればいいわけじゃない。
それこそ、子供を馬鹿にしてる!
子供は、たくさんの知りたいを持ってるもの。それを妨げる
教育は、教育とは言わない!
と、思うわけです。

私も、熱くなってしまいました。。。
あの・・・・何で世界では学校は週5日が殆どなので日本は週6日がイイのでしょう?
週5日は親とのコミュニケーションや色々な生活力を付ける為じゃないでしょうか?
それなのに社会は何でしょう?
働け働け、残業にサービス残業に休日出勤、自費で接待なんて当たり前。
先進国で土曜日に保育園開いているのって早々ないんじゃないですか?
ゆとりですか・・・・
私は小学校の時かなりお馬鹿だったので付いていける授業と付いていけない授業がありました。
でも普通に先生が職員室で教えてくれるし、友達も放課後教えてくれたし。親も教えてくれたし。今ないんですか?

小学校の時、予習して分かっている事を発表した時に「まだ教えていないのに言わない!」と予習より復習を重視されて予習する気がなくなったのも事実です。するとお馬鹿なので予習しないと授業についていけないんですね。落ち込んでいくのです。

その時悟ったのは先生も人間だぁ

先生達はお上から輝かしい理想と現実のギャップに苦しいでしょう。またコロコロ変わるお上の指導はどっかのイイ大学出た現状を知らない人。
海外視察に行く先生は英語も現地の言葉もつたなく何見ているか聞いているか温度差に気付かない。
実際NZでボランティアした幼稚園が結構日本の視察団を受け入れていたのですが「何故?」と聞くと「お金がイイから。それに日本の人は見ているだけで質問もしないから楽。でも何で聞く事もないのに来るの?」「さて、分からない」「あなたは質問攻めね!面白い日本人だわ!」ですよ。
たまに質問があったら「見りゃ分かるだろ?」って事ばかりらしい

まぁ世の中この程度です。
恐竜の事を質問攻めにした私は図書館で正座した事もあります。
あと行事変じゃないですか?
卒業式するのに練習するんですよ?
親が感謝する場面作りでしょう?卒業生は二の次?
私今だによくその意義が分からないです。
運動会もしつこい位練習しません?
あんなお遊戯覚えたから何なんですか?友達とダンスしてかけっこしてじゃダメなんですか?応援合戦は好きだけど。押し付けられて教えられるお遊戯って楽しくないでしょう?
皆で考えてする応援合戦は楽しいでしょう?
止めちゃえ行事!!!

それでゆとり教育っちゃ・・・
まぁゆとり教育で地域のコミュニティー回りとか海岸のゴミ掃除とか、遺跡回りとかはイイと思いますよ。
家庭では出来ない事多いから。
興味深くお話を読みました。下に要点かなと思う箇所をマークしました。

皆さんのポイントは、『「ゆとり教育」とかのキャッチフレーズは横に置いておいて、どういう子の力になる教育を行うか、そしてどういう内容で?』

そして、今までの基礎的な学習の継続+「正解のない問題を発見し解決する力」を養う学習、それは面白い学習、が皆さんのお考えかなと思いました。いかがですか

私は、3点、言いたいです。
1.ヨミカキソロバンは、日本の学校は比較的うまくやっている。だから、ここは強調しない方が良い。逆に、これがいつも創造的な学習開発をしない隠れ蓑になる。

2.「海岸のゴミ拾いとか」がいやです。もっと時間の効果を高める授業にしたら?ただ体験をすれば、考える力がつくものではないから。

3.「考える力」の教育内容はキチンと設計・準備する方が良い

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

まさきーチェーンさん:「どんな力を子ども達に身に付けてほしいのか? もう一度そこから議論しなおすべきだと思う。」

もきちさん:「理想は今までのような 学力プラス正しい答えが与えられてない問題を総合的に解決していく学力かもしれません。・・ 特に国語や社会では、時間をかけないと、暗記を超える思考力を 育てることはむずかしい」

マヨさん:「要はその内容。・・面白いモンは面白いし、面白くないモンは面白くないですもん」

ゆんたさん:「勉強は何のため?点数じゃなく、想像力や、夢、考える力のため。読み書き ソロバン、読み書きできなきゃ、生活に支障。生きていくうえで、必要なことを学ぶのです」

MASAKOさん?:「小学校、予習して分かっている事を発表した時に、まだ教えていないのに言わない!で、予習する気がなくなった」
MASAKOさん?:「まぁゆとり教育で地域のコミュニティー回り、海岸のゴミ掃除、遺跡回りはイイと思いますよ」・・・MASAKOさんはきっと評価しておられないのだと推察しますが。
教育の現場に近い立場からコメントさせていただきます。

>子ども達の学力を上げるためには、
>もう大人達が知識を押し付けるだけでは無理があると思う。

学力低下の原因の1つには、価値観の多様化があると思います。
運動能力の低下にしても、遊び方にしても、
引きこもってゲームをしていたり、
自分たちで何か智恵をしぼって遊びをつくりだす…なんて世の中ではなく、
ほしいものは、経済的にゆとりさえあれば手に入ってしまうし、
大人もそれを与えてしまいます。
大人たちの知恵さえなくなっていき、時代は流れきたんだと思います。
学力を上げるだけなら、大人が持てる力を押し付けるだけで充分だと
思います。
ただ、もうすでにそれをできる大人さえ少ないのではないでしょうか。
そして社会じたいが価値観の多様化により、押し付けることさえを
させていないのだと思います。
だから学校より塾。公立より私立…という現状なのではないでしょうか。

>子ども達が自ら学びたいと思える動機付けの時間が必要だ。
>だからゆとり教育じゃなかったの?違うのか!?
>ゆとり教育っていう方向性は間違ってないと俺は思う。

全くその通りだと思います。
ただそれを実行できる大人がすでに少ないのです。
私も方向性は何も間違ってはいないと思います。
けれども、
昔なら、生徒が何か問題を起こしたとき、
親が先生のところへ足を運び、頭を下げて謝っていました。
けれども、現代ではどうでしょうか…。
例え子どもが起こした問題でも、教師が叱りでもすれば、
校長先生だのPTAだのに訴えて、
飛ばされたり辞めさせられたりと、教師側は権威を持っていませんよね。
何も教師の言うことが絶対だとか、体罰がまかり通ってもいいなんて
思いませんが、
やはり「先生の言うことはしっかりと聞きなさいよ」程度の尊敬は
子どもたちに持たせておかなければ、
どうしても教師側は立場的に社会の普遍的な秩序を伝えていくには
厳しいでしょう。


>だけどその姿勢・方法が中途半端で間違っているものが多かった。
>そもそも今までの教育の方向性を変えてやろうっていう時に、
>たかだか2年か3年で、世論に振り回されて、ハイなんだか失敗でした、
>うまくいきませんでした…って弱気な態度の文科省がむかつく!

それは違うと思います。
もう文部省も分かっているのではないでしょうか…。
大人にもうそれを実行するだけの力がないことが…。
このゆとり教育をうまく活用し、子どもたちに夢を与えられるような
実例がいくつも取り上げられました。
けれども、それが全てではありません。
いや、むしろほとんどが失敗に終っているのです。
しかしそれは今後実行しつづけても無意味なんです。
それをやりきれる環境と能力を教師が持ち合わせていないのですから。
であるのにもかかわらず、それをずっとやりつづければ、
後後なんでもっと早くに止めなかったんだと逆に非難されるでしょう。
今やめておいて正解だったと私は思います。
あくまでゆとり教育賛成派での意見です。
私は小学生の子を持つママです。
学力低下は確かにあると思います。
これは「ゆとり教育」と称してお休みは増えたものの
お休みの日は親子のふれあいを狙っても
実際には家庭教育はあまり進んでないように思います。
お仕事を持っているお母様方も多く
弟や妹の世話をしたり、留守番している子が
増えているように見られます。

私の子供の頃は物も少しづつ増えている時代だったから
結構新しい物に興味を抱いたりしていたけど
今の子供は物に満ち溢れ、興味を抱くとしても
ゲームだったり、漫画だったり。
なぜ?どうして?という気持ちはかなり薄れているように
思います。
なぜ?どうして?という気持ちが学ぶ意欲につながるのでは
ないのでしょうか?

日常生活の中、遊びの中には興味を抱くものが沢山隠れている
と思います。お手伝いなんかは良い例と思います。
お手伝いをやらせるなら、勉強をやってもらった方が
親は安心するだろうけれど、家庭生活の中から導いてやれば、もっと興味を抱きそれが学力向上に繋がるのではないのでしょうか?

子供たちが今やらなければいけないことは勉強の他にたくさんあるのではないでしょうか?
私は目的を持った子供たちに「遊べ」とは言えないけれど(お受験グループ)、
自分の娘らには「今は沢山のお友達と遊びなさい」と話しています。
外で遊ぶことで自然とふれあえる。
お友達との友情を育むことで横のつながりができてくる。
こんな当たり前だったことが失われている世界で、時間が足りないために詰め込む勉強が良い成果をだすのでしょうか?
追伸:
学校の懇談会で言われるのが
「子供のレベルがあまりにも開きがある」ということ。
レベルも空洞化してる。

塾に行ってる子らは予習が主流だから、できて当たり前。
やらない子は小学4年の時点で足し算も指でやってしまう。
掛け算なんてまだまだ。なんて話しておられた。

算数に力を入れているようで、先生が2人ついて進めているが
こんなに開いた差はなかなか埋めれない。
果たして小学校卒業時に割り算まで辿りつくのだろうか?

学力の差はもう歴然。
あたしは学力の差=経済格差になっているようだな〜って
毎日思ってるんですが〜
学力の差というよりも、個々の家庭の価値観の差が
歴然にでていて
単純にその子の遊び方とか、発想の差が
あるような気がする。

個々の家庭の価値観を否定してしまうと
その家庭を完全否定してしまって
もっとわるくなっちゃうんで
そんなことはしませんけど。(´〜`ヾ) ポリポリ・・・

そのへんと学力評価の観点が曖昧でちょっと
不毛だな〜っておもいまつ。
私は働いていて子どもと接する事が出来ないと仰る事に強く不信感があります。
ゆとりで週5になった。何故、会社に働きかけないんでしょうか?
全て人のせいにする大人にまっとうな子どもが育ちますか?
それは大変な苦労です。
私も会社員の時に子どもの居る人が休む権利を獲得するのに2年かかりました。私は子持ちでないのに。
ひつこく言いました。行政にも相談して色々な労働者の権利を知りました。その旨を言い続けて確立しました。社員でもなく臨時雇いなのに。
労働者がいないと会社は成立しないので、労働者>会社なのに、大人は間違った見解を持っています。
会社に働きかけて子どもを育てやすくする環境を作るのは大人(働く人)の役目です。待っているだけでは誰もしません。して欲しい、誰かがするのを待っているだけで、ゆとり教育が・・・って言うのはちょっと観点ずれている様に思います。
私が特別だとは思わないで欲しいです。
ちゃんと筋を通さないで泣き寝入りを繰り返すのはご免だと思ったからです。何度もそれを味わっていますから。

発想の差や学歴の差はよく聞きます。
私の姉は身体が弱く一週間まともに学校に行った事のない人です。塾も行けない状況ですが、国立大学に行きました。院も出ました。ちなみに理系です。しかし私との口喧嘩には負けます。新聞やニュースにあまり興味のない人だからです。
学校ではないのではないかと思います。
毎日学校に行って塾も行って・・・私は文系短大でお終いです。
つまり勉強は本人の興味次第ではないでしょうか?
教科書で足りなければ本を読めばいい。
先生が教えなくても自分で教科書見たら書いてます。
参考書見たら書いてます。
人のせい、社会のせい、ゆとりのせい。簡単でしょう。
でも自分の足元を見て子どもを育てないとどうにもならなくなるでしょう。
学力もつけたい、生活力もつけたい、これもあれもしたい。

人間はひとりにつきひとつの身体しかありません。
仕事の替えはあっても子どもの替えはいないです。

そして自分を守る法律はあります。活用しないのは誰でしょう?

日本人特有の性質からして社会に男女雇用均等や育児協力・ワークシェア・雇用促進をするのは学校週5にするのが一番の近道でしょう。
銀行が週5になった時に一気に週休2日が進んだのと同じ考えが副産物としてあったのではないかと思えます。
逆説的に考えてみては?
学力低下のメカニズムとしての意欲低下はよくわかります。
しかし、なぜ子どもの意欲が低下するのか?
それは、「できない」、「わからない」からです。
決して目先のおもしろさ、楽しさではないです。

試しに今の小学校、中学校の教科書を見てみてください。挿絵や写真を使ったり、はてな形式?を取り入れたり、昔の皆さんの教科書よりもはるかに興味をひくようなつくりになっています。にもかかわらず、なぜ子どものたちの意欲は高まらないのか?
今の教科書ははっきり言って「絵本」です。幼児ならまだしも、小学生の高学年、中学生になって、絵本を読んで喜ぶでしょうか? また、絵本を読んだだけで、数学や英語ができるようになるでしょうか?答えはノーです。今の教科書は、見た目絵本で、内容はさっぱり理解できないような作りになっています。事実上の絵本ですから、読んでもわからないし、できるようにならないんです。

ゲームでも、遊びでも、スポーツでも、少しずつでも先に進める、やって上達するから面白いんです。もちろん、上達したからと言って好きになるとは限りません。

しかし、これだけは言えます。上達しないもの(できない、わからないもの)がおもしろいはずがないということを。

「考える力が大切」とか「自ら学ぶ力が大切」という意見にも疑問があります。確かに考える力や自ら考える力は大切ですが、問題は考える力や自ら学ぶ力をどのように子どもに身につけさせるかということと、実際どれくらい子どもに身についたのかということをちゃんと確認しているのかということです。
残念ながら国際調査の結果では、考える力も自ら学ぶ力もついていませんでした。それどころか、理科や数学が嫌い、楽しくないと思う子どもたちが増えていたのです。90年ごろから、「自ら学び、自ら考える力」を育てていたはずなのにもかかわらずです。

結局、こうした興味や思考力というのをどのようにしたら子どもに身につくのかということをしっかりと吟味してから実践してこなかったツケが今になって現れたのだと思います。教科書が読めない、漢字も書けない、分数や九九の計算も満足にできないのに、どうして国語や数学や理科に興味がもてるでしょうか?国語や英語や数学ができるようになるでしょうか?

今まで論じられてきた教育論は、一見子どものためを思ってのことのように思えますが、実際には教える側である大人の勝手な理屈だったんです。読み書き計算を子どもに強制するのは良くない、子どもの主体性に任せれば良いとか、参考書的・ドリル的教科書をやめ、イラストなどをふんだんに使った教科書にすれば、子どもが興味を持って勉強するなどというのは単なる幻想だったんです。

今っこそ、教育の本質に目を向けるべきでしょう。
>ゆとり教育なのですが、
>そもそも、必要だったのでしょうか?
とはいえ、詰め込み教育とか管理教育と批判された1960年代の教育には明らかに問題がありました。「だからゆとりが必要」だった。ここまでは正しかったんです。しかし、こうした論調で、勉強する内容をどんどん減らし続けた結果が、2002年度から始まった本格的なゆとり教育なんです。受験競争云々。だからゆとりが必要だったという話の大半は、私たちがマスメディアによってまんまとはめられたんですよ。

>私は現在31歳です。
ということは、実はあなたはホントは最初のゆとり世代なんですよ。みなさんがゆとり教育と呼んでいるのは2002年度からのカリキュラムのことですが、実は、1980年度からゆとり教育路線のカリキュラムが始まっていたのです。

>”ゆとり教育”の見直し、大いに結構だと思います。
ゆとり教育がたるみ教育になるのは、実はわかっていてやってたんです。学力低下が怒ることはわかっていてわざとたるみ教育をやっていたんです。審議会の議事録を調べればわかりますから。

ですから、ここへきて方向転換というのは実は表向きであって、実は想定の範囲内なんですよ。新自由主義派による日本のグローバル化と教育産業保護のために、公立<私立、学校<塾、となるように、わざとやってきたことだったんです。
(くわしくは私の本に書いてあります)
>それにしても、教科書のページが減ったり増えたり、
>実にいい加減。来年辺りから増えるんじゃなかったですか?
小学校は昨年度から、中学校は今年度から変わっていますよ。
とはいえ、それでも教科書のボリュームはピーク時の半分程度しか
ありません。

>円周率を3にしてみたり、
>3.14に戻したり、いい加減すぎる。
それは誤解です。
ゆとり教育でも円周率は3.14のままです。
円周率は3にはなっていません。メディアの誤報です。
実際には、3.14程度の計算すら、学校では計算機を使ってるんです。そっちの方が問題です。
>学校の懇談会で言われるのが
>「子供のレベルがあまりにも開きがある」ということ。
>レベルも空洞化してる。

>学力の差はもう歴然。
中学校の先生の大半がそう思っていることでしょう。
なぜこうもできない子が多いのか?

都道府県名も言えない、九九も分数の計算もあやしい、そもそも教科書がしどろもどろで全然読めない・・・。そうかと思ったら、すでに英語がペラペラの中学1年生もいる。
このレベルの開きに中学校の先生の多くは、絶望感さえ感じるんだそうです。なぜ?こんなことになってしまったのか?

もちろん、責任を小学校の先生や保護者に押しつける訳にはいきません。しかし、よくよく観察してみると、おのおの心当たりがあるはずです。

足し算ひき算や九九で躓いていたら、学校側もお残りをさせてでも教えていたのが昔の学校の良かった点です。しかし、今こういうことをやる学校はほとんどありません。また、ドリル形式で問題を解かせるような指導をしなくなりました。このように、全体の底上げをしてこなかったから、絶望的なレベル差がうまれるんです。

しかし、学校の先生側にも言い分があります。それは、今の子どもたちは塾へ通ったり習い事が多すぎたりして、「お残り」をさせると保護者からクレームが来るそうです。本末転倒な話です。学校の先生が良かれと思ってやっていることでも、保護者の中には受け入れられず、クレームとして学校に圧力かけるというケースが多くなりました。

そこへきて、誤った個性尊重の風潮です。
「算数ができなかったら、国語でがんばれば良い」
「勉強ができなければ、スポーツでがんばれば良い」
といった横着がまかり通る世の中になってしまったことです。
昔なら、「読み書き計算ができないと困るから」という理由で、学校の先生も親もいっしょうけんめい子どもに教えてきました。ところがいつのまにか、そういうことを「善しとしない」世の中になってしまったんです。

九九ができなかったら、算数・数学の基礎学力は小学校3年生でとまったままなんです。その後の算数・数学の授業は苦痛以外の何ものでもありません。また、文章がしっかり読めなかったら、国語だけでなく、理科も、社会も、英語も、ありとあらゆる教科の勉強に弊害が出ます。

読み書き計算をおろそかにするということは、これほど恐ろしいことなのです。学校は、子どもに基礎基本の学力をきっちりつけ、全体の底上げをすることが大切です。家庭は、学校へ最大限の協力をすることが大切です。塾や習い事が忙しいから学校の宿題ができないなんて本末転倒な話です。こうした、学校と家庭の信頼関係が崩れていることが一番の問題でしょう。
‘学力低下'の原因ですか…

単純ですが、子供にとって学問するより面白くて魅力的なことが沢山増えたからじゃないですか?
そして授業はどんどんどんどんつまらなくなってゆく。
今までは勉強も外での遊びも同じぐらい興味深いものだったのかもしれませんが。

そして最近の遊びは‘こことは違う、もっと魅力的な世界'にワープできるもの、かつ手軽に一人きりで楽しめるもの、が増えていますから。
例:DVD・漫画・ゲーム・ネットなど・・・
その'世界'に一度はまり込んでしまったら
なかなかこちらの世界に戻ってくるのは難しい。
学校で授業を受けながらにして脳みそはその'世界'を浮遊している。

他にも要素は沢山あるとおもいますがこれも一面を構成しているのではないかと。
むかし、大学の現役合格率が98%のセンターの研修をうけました
(よその予備校は現役合格は3割だそうで。本当なのか?)
そこは、実はすごいことやってるんじゃなくって
基礎学力の子どもの「穴」をまず埋めてから、トレーニングって感じでした
どこの基礎学力が抜けているかを、まずみつけること。みたいです
グラスパンダさんの書き込み読んで、その時のことを思いだしました
まさきーチェンさんの発言に同感します。
私たちの記事:
http://www.geocities.jp/fpspjapan/futureopinions.html#anchor26027

私たちは、まさきーチェンさんの言っていることを、実際にやっていきたいと思い、子ども、親、先生にトレーニングを提供しています。

多数の先生が総合的学習を実施できないことは既に知られているとおりです。文科省もほとんどトレーニングを計画・実施しなかったのですもの。

大人へのトレーニングの意義は大きいと思います。受験システムがゆがめている所が大きいですが、それとともに、大人、先生の力不足。
意味ある教育は教科書からだけでは学べません。

世の中にはハイテクノロジーのたくさんおもしろいものが増えました。私は、それはあまり関係ないと思います。(小さな子供には)
世の中のにあるものが変化しただけだと思います。
パソコンのせいで・・・なんてゆったら、パソコンに責任転嫁してるだけですよね。
パソコンで、楽しく算数、国語、英語、地理などなど、楽しく学べるソフトウェアもたくさんありますよね。

私は、やはり、先生が子供の学力低下を防ぐキーだと思います。原因はいろいろあります。
本がたくさんある家庭と、ない家庭、一緒に買い物にいったり、ゲームなどで生活の中で算数に触れる子供とそうでない子供、経済格差の影響ないとは思いません。
しかし、そこをふまえて、この学力低下の問題は教師にゆだねられてるとおもいます。
教科書だけの授業で、子供が興味をもたないのは子供のせいではないです。先生がどう教えるかによって、子供の興味は変わると思います。
小学校に入るまでの子供はなににでも興味があります。
小学校に入学後、中学生、高校生と成長するにつれ、勉強に対して興味をなくしてしまうのは、子供のせいではないと思います。勉強は子供にとって仕事ではありません。
テストのために勉強するぐらいなら、テストをなくしたほうがよっぽどましだとおもっています。
本来テストは、先生のために作られたものです。
先生が子供の理解を知るためにつくられたものですよね。

子供に学ぶことの楽しさ、意味、重要さをつたえれずに、ただ学べ、ただ覚えろというのはおかしいですよんね。
”勉強楽しいよー、大切だよー”というだけでは伝わらないと思います。どう大切か、どう楽しいか、実際、社会でどうその勉強が役立つのか、実際体験させながら、クラスをおこなえれたらいいですよね。
先生の一人演説教育から、子供と一緒に学ぶ教育に変えましょう。先生の大演説をきいてばかりいると、子供の”なぜだろう精神”はきえてしまいます。
”なんでだろう?”と思う心が、学ぶ意欲だとおもいます。
子供は、事実ばかりをおしつけられたら、なんでだろう?と思うチャンスは失い、教えられたことを覚えるのみが勉強だと勘違いしてしまいます。
覚えれた子は、できる子、覚えれない子は、できない子となってしまいます。
そして、そのできる子も、何でだろう精神がなければ、結局は育ちませんよね。何事に対しても、なんでだろうと思える子は、一生勉強できます。
一生勉強、一生恋愛(?)すばらしい人生じゃーないですか!

先生でもないのに、最近の日本の教育現場を知らないのにえらそうなこといって、申し訳ないのですが、
先生方には頑張ってほしいと思います。

小学生でさえ、たくさんのこが勉強がきらいだ、面白くないという日本社会、がけっぷちですよね。

先生、頑張ってください。
なかなか盛り上がっているみたいですね。

私は、ゆとり教育についての誤解が多いのが気になります。

グラスパンダさんが書き込んでおられる様に、
円周率の問題や、ゆとり教育の定義(1980〜)など、正しい「ゆとり教育」を知っている人が少ないのが問題だと思います…。

報道したマスコミの方は、きちんと責任を持って、正しい報道をして貰いたいものです。

円周率について
(http://www.mext.go.jp/a_menu/shotou/youryou/111/020101a.htm#01)
ゆとり教育が始まって、学校5日制になって私はやっと日本も家族という枠の大切さに気付いたのか!と思ったのです。
でもフタを開けてみると、学校が5日になって学力が低下するという事ばかりで、家族で過ごすなんてこれっぽっちもない。
社会は変わらず、土日祝日も働けドンドン。
保育園も延長になり平日は20時、土曜日は18時、終日・日・祝も開けている認可保育園も増えている。

日本では、残業させる会社を淘汰する必要があると思います。
残業しなかったら・・・って思いだろうけど、残業する事で効率が伸びるかどうか?
ならば工夫すればイイだけの事。今までは今までは・・で工夫を忘れている事が多いです。
昔、銀行で働いていた時に昔からのやり方でずっとやっていたけど、ちょっとオカシイと思って、色々と変革していって退社時間平均20時を18時(お金が合えば)に出来るモノでした。
また世の中が人のせい、何トカのせいにする傾向があり過ぎます。

大変な事が美徳と思っている。

仕事は変えられても家族は変えられない。

だから教育が必要なのに、教育は人任せで文句ばかり。責任感もない人が多い。
先生は人間でサイボーグではないのに何もかも求め過ぎ。
人間そんなに何でも出来るのか?考えたら分かりそうなのに。
人間は合う合わないという波長があります。だから子どもに合う先生だと子は伸びるし合わなければ伸びないだろうし、そのカバーは家族や周りがする事。
社会に出たら合わない人間とも合わせないとイケナイものです。
ネットも発達しているのに。

お家で過ごしている時、保育園児や幼稚園児でもゲーム。
日本人が日本をダメにしていると思います。
制度は社会から変えないといけないです。
幼保一元化もイイでしょう。でも保育時間をダラダラ延ばすのはしてはいけない。それに社会は甘えます。
社会は子どもが健やかに育つ様に協力するべきで、出来ない・しない会社は淘汰されるべきです。税金を5倍位取ってイイんじゃないんですか?

銀行が週5日になり、時間が3時までになった事によって週休2日がだんだん定着し、9時から5時までという時間がCMでもよく流れました。学校5日制でもっと定着すると思ったら大間違いでした。
保育園で働いていたら、子どもは怪我するモノなのに、かすりキズで「かわいそう〜」と言う母親父親達。自分達は怪我もせず過ごしてきたのか?ケンカもせず大人になったのか?と聞き返したい。
過保護を奨励している日本のマスコミ。

考える事をしない日本人が増えたのは現実。考える事の出来ない人々にゆとり教育はマッチしないと感じる。
初めまして♪

昔の先生がよかったって言ったらおこりますか
でも 子ども一人一人の個性を見てくれて話せてました。
それは・・思いが親と一緒だったからです
親にもなり 教師になり と 凛としてたからです。


昔は養護施設に勤務してた元保育士 今はボランティアで
保育サポーターもしています。

そしていろんな修羅場を通ってきた
3人の子持ちの母さんです。

ゆとり教育
真っ只中の中を子どもが通って来ました。
 息子が今20才ですので
もう15年ほど前になるのかな
ゆとり教育っていわれ 土曜日を休み・・総合的な学習時間
を取り入れてきたのが・・

息子の頃はまだ良かったです。
でも下の子どもの頃は 指導が大きく変り 親として「なんで〜」と思うこと これは小学校に入ると大変な事がおきるという 疑問点が今 問題化してきました。

聞こえがいいですがホントにいいことしてるの?
って感じでした

親ももっと交流もって行かないといけないよ〜って
もおもいました。

下二人のこどものときは 5年生で学級崩壊・・
問題を起こした子どもたちは結局中学校でも立ち直れない
そんな有さまですね
同じ事の繰り返しでした 次女は今も大変です(小5の時
そして現在中3)

学力の差が 中間層がないのです。事実
学力がないとなれば 塾行かせてくださいという
教師 もいるのも事実です。
先生も 余裕がないとと言う

そうなんですか大変ですねという親がいる

問題意識と言うより 感じない
子どももそう感じない それがふつう


そして子育てを、教育を一緒に考えていこうよ 
って思ってくれる親も少なくなりました。

振り返ってみたらなんのだろって〜ホントに思います。

子どもたちが保育所に通ってた頃 指針が変った頃でした。
土曜日が休みになったころです。

よく言われてた言葉が
「個性を尊重してます」って〜
なんでこんな小さい子にわかるの〜
隅っこでひとり遊びしているのも 個性〜という先生??
もいました。

息子と娘の年が2歳しか違わないのに 
環境はずいぶん変りました。


グラスパンダさんの言われてる事が本当なら
本当の 犠牲者は だれ!!
わからず通ってるんですよね
未知の可能性を秘めてるこどもたちは・・

受験だけが救いと思う親
いやそうではないよ〜という親
そんな現場を通ってきたものにとっては・・
どうしたらいいの

もう今は
先生だけにがんばれも無理になってきたよ〜

だた昔のように環境を変えていけれるのは教育現場の
人だし それをサポートするのが親なんですよ。

安心して勉強できるようにしないと 学力UPはきびしいです。

地域に高校が3つもあるのに 私立や遠い高校に通わす
レベルが低い高校と言うレッテルがあるからです
総合学科 工業・ 普通科 と3つもあるのです。

子どもにとっての環境いいところは近くに通うことでしょ
毎日いくのだから・・

なぜ その高校をレベルあげる高校にしないの
ホンマに 塾で 評価をつけるでしょ

親も先生を評価します
影ではいいます。

先生も親を評価します。
そしてひとりの親が暴走すると 先生はどうしますか?

お互い壁だらけが多い
それこそ「なんでだろ〜」って 思っちゃうんです。
 
どの先生になっても 先生に対する努力は認めてあげなければ
いけないと思うし 親も真剣に考える力を (多方面 
つけてあげる事が親の役割だとおもってます。

子どもがほっとする場を 作ってあげれば成長していくと
思うんですね。
子どもが愚痴った時は まず聞いてあげて
そして 子どもに問いかける〜

はんちゃんさんの言うように
「なんでだろ〜ね」という気持をどんどん持たせてやりたい
ですよね。

ちょっと中途半端な文章ですが 

学力をUPする環境は やはり学校で勉強
するのが当たり前の状態
になってほしい

学校でしっかり先生の話を聞けることができたら
それだけでも かなりUPできるとおもうし

わからないことがあればとことん聞く
そしてとことん教えてあげる ことが出来れば
それだけでも かなりUPできるとおもう。
学力低下って…ただ単純に、
大人の力量の低下ってだけなような気がしますけど…w
「先生に求めすぎ」、賛成です。

子供たちは「あれやっちゃだめ、これやっちゃだめ」と言われ続けると伸びなくなりますが、先生もしかり。
最近の先生たちは管理職・親たちから干渉されすぎることで個性を出すことが難しくなっているのではないでしょうか。

文科省は「ゆとり教育」を始めたりやめたり、ガイドラインには絶対従わなくちゃいけない、塾の存在により学校の授業は重要視されなくなり、親同士で意見は極端に食い違う(過保護・放任主義)、子供たちは一部の無責任な親の元でわがままになっていく…

上記は少し極端ですが、こんなんじゃ先生も疲れ果ててしまって凛となんてしてられません。
個性が出せなかったらやる気もおきません。

かといって急に「じゃあ自由にやってください」と言われても、「出る杭は打たれる」社会で育ってきたのは先生たちも同様、今更クリエイティブになるのにはかなりの努力が必要でしょうね。
久々に見たら、たくさんの書き込みがあり、全部読ませていただきました。
色々読んでて、思ったことを書かせていただきます。

勉強って楽しいよ、と思わせる授業も、大切でしょうが、
それ以前に、小学校にはいる前まで、各家庭で、どのような
躾をしてきたかのほうが、もっと根本原因のように思います。
挨拶ができる。人の話がきちんと聞ける。
だいたい、人の話がきけなければ、先生の言葉も頭に残りません。
もちろん、先生の力量もあるでしょう。
しかし、教育の基本は家庭にあるべきだと思います。
小学校の低学年では、とくに学習の基本となる、読み書き
計算ですね、それが大切なのに。
学校で宿題をだしてもしてこない子がいる。
それは、子供の責任でも、先生の責任でもなく、親の責任ですよね。
子供が、学校で、何を学んでいるかくらい、親として知るべきです。
忙しいをかさに、知らん顔はいけませんね。
宿題しなさいよーって、口で言うだけでは中々、聞きませんよ
子供は。

学ぶ楽しさ、知る楽しさは、学校にはいるもっと小さなときに
親が、子供に、色んな遊びの中から、経験させておくべきだと
思います。
何も、足し算をしろとかって、ことではなく、空をみて、綺麗だね、とか、何色に変わったね(夕暮れ時)とか、この花は
なんていう花だろうね?
ゲーム感覚で、車のナンバーよんだり、ナンバーの足し算したり、さかさ言葉や、しりとりすることとか、そういう、日常の中からたくさんの発見をすることが、子供の考える力の基盤になるように思います。

学校教育うんぬんより、家庭学習の基盤を大いに奨励すること
のほうが、よろしいように思います。
私は学校現場に関わった事があるんですが、その時ある子どもが、

「私は勉強ができない。なぜなら、ゆとり教育だから」

と言っていました。

これには、非常にショックを受けました…。

今の、俗に言うゆとり世代と言われる子ども達は、この様に
負い目を感じて生きていくのかと思うと、不憫でしかたがありません…。

決して子ども達は、バカではありません。
ゆとり教育だから、勉強ができない訳でもありません。

ゆとり教育を悪く報道したり、子供の学力低下をクローズアップする事で、子ども達が傷ついてる事を、マスコミは理解して欲しいと思います…。


ゆんたさん>おっしゃる通りだと思います。

ある校長先生は、入学前の保護者から

「なにか入学前にやっておく事はありますか?」

と聞かれると、こぅ答えるそうです。

「足し算や引き算、漢字なんか覚えてこなくても良い。その代わり、人の話をだまって聞く力。その力を家庭で身につけてください。この力が無いと、いくら教師が頑張っても、子ども達に力は身に付きません。」

入学前の児童の教育・躾を、もっと重要視して欲しいものです。

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