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毎日まったり!タガログ語の時間コミュのどっぷり!タガログ語のトピ

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鬼オヤジと申します。

他のトピでは雰囲気を壊してしまいそうなほど熱い意見交換がまたどこかで起こっても思う存分できるように、ここに新トピを用意させていただきます。

「あなたが知りたいタガログ語」というトピで、私のコメント(667番)が引き金となって、字数が多く内容も濃すぎたかもしれないコメントのやり取りが数日続きました。

とりあえずこのトピでは、下記のルールを守りさえすれば、タガログ語学習に役立つ情報なら誰でも書きたいことを書きたいだけ書いてよいこととしておきます。

不都合等があれば、その都度対処していきます。

mixi利用上の注意
http://mixi.jp/help.pl?mode=list&category=3

このコミュのルール
http://mixi.jp/view_community.pl?id=1261589

コメント(119)

L.Englishの方で「ng」を引いてみます:

ng prep.
(1) pronounced as nang, and meaning "of"
(2) corresponding to apostrophe 's, s' in English, expressing possessive case
(3) introducing the direct object of a transitive verb
(4) introducing the doer of an action, and corresponding to the English "by"

やはり「前置詞」とされていますね。
1、英語のofにあたる
2、英語の所有格を作るときの「's」や「s'」に相当する
3、他動詞の直接目的語を導く(Actor Focusでのことですね)
4、行為者を導き、英語の by に相当する(Objective Focusでのことですね)

じゃあ mga はどう出ているか?

mga contraction of manga
とあり、この語自体に品詞はかかれておらずあとは意味・用例のみ。

そこでmangaを引いてみると「語」としてのエントリーはなく接頭辞としてのみ書かれています:

manga- pref. 意味としては動詞の接辞だけが書かれており、mgaと短縮形の「語」として現れる場合については mga の項目で解説されていました。

となりますと、、、mga は形の上では「語」として表記されつつ、機能的には接頭辞にすぎないと考えればよいということですね。

タガログ語の参考書にはこの程度のことも載っていないのか、という一例を。

「太郎は私よりも花子が好きだ。」
と言うと、次の両義に解釈できます。

Taro likes Hanako better than me.
Taro likes Hanako better than I (do).

日本語でも次のように言えば、ほぼ言い分けることができます。

太郎は私よりも花子のほうが好きだ。
私よりも太郎のほうが花子を好きだ。

フィリピノ語でも前者は次のように言えるでしょう。

Mas gusto ni Taro si Hanako kaysa sa akin.

後者はどのように言うのでしょうか。
参考書は教えてくれない構文

参考書によれば、「彼は吸血鬼なの?」をタガログ語では
Bampiro ba siya?
となるのですが、私はフィリピンのテレビ番組で
Isa ba siyang bampiro?
という文を聞きました。

この第2の型のほうが会話には便利ではないかと思います。

というのは、第1の型だと、文頭の bampiro という語を思いつかなければ一言も発せらませんが、第2の型なら、Isa ba siyang …と言いよどんでいるうちに、聞き手が察して補ってくれることもあるかもしれないからです。
> 鬼オヤジさん
>太郎は私よりも花子のほうが好きだ。
私よりも太郎のほうが花子を好きだ。
フィリピノ語でも前者は次のように言えるでしょう。
Mas gusto ni Taro si Hanako kaysa sa akin.

後者として、こんなのどうですか?
Mas lalong may gusto si Taro kay Hanako kaysa sa akin.

「kaysa sa akin」の部分が案外あいまいなんです。

英語だと文法的には「me/I」が「目的格/主格」の差なので

than (he likes) me
than I (like her)

と何をもとに残った語かの判別がつきます。ただし現代口語ではthanを前置詞と感じ取る人が増えているため半ば自動的に目的格が好まれる傾向が強まっており、

He speaks English better than me.

も普通に用いられているのが現実のようです。

さてタガログ語だと saとつながるためにはいやでも「sa形」の「akin」にせざるをえません。
kaysa (sa) akin
kaysa ako
という言い分けがないわけですよね。そのため

Mas magaling siya mag-English kaysa (sa) akin.

では「akin」が「siya」に対応する行為者としての格に解釈されなければなりません。
ですから

Mas gusto ni Taro kaysa (sa) akin. も


太郎は私よりも花子のほうが好きだ。
私よりも太郎のほうが花子を好きだ。

このいずれの意味であるかは文脈依存にならざるを得ないのではないでしょうか。
これは日本語の
「太郎は私より花子が好きだ」
における意味の曖昧さと同様といえます。

この点について「2つのシチュエーション」がいずれも同じ文で表される可能性があることを妻には確認しました。(1名の意見に過ぎませんが)

(Mas) mabait si Taro kay Hanako kaysa akin.
(Mas) mabait si Taro kaysa akin.

前者は「kay Hanako」があるので「私に対してよりも花子に対しての方がより親切」と解釈できますが、後者は同じ「kaysa akin」でも「私に対して」ではなく「太郎の方が私より親切だ」の意味です。

さらにたとえ後者であっても前後関係から「太郎って花子に親切だよね」ということを踏まえて出たものであれば前者と同じ意味になってしまいます。

kaysaは品詞としては接続詞なので語も節も導きます。
語を導くときは前置詞的挙動をし、sa形しかひっぱってきませんが、導くものが節であればより純粋な接続詞として機能します。

現実には

Gusto ko si Hanako, pero mas gusto ni Taro.
Gusto ni Taro si Hanako, pero mas gusto ko siya.

とまぎれなく表現することが無難だと思います。

重文を避けて表現するとしたら

Mas gusto ni Taro kaysa gusto ko siya.

とkaysaに「gusto ko siya」という節を導かせる手があるでしょう。
1、Bampiro ba siya?
2、Isa ba siyang bampiro?

同じ用途にも使え、その場合、Isa ba siyang..が最後に言う単語を思い浮かべるまでの時間を与えてくれるという点で便利ですね。

ニュアンス的違いをあえていうと

Isa ba siyang..

の方は「Is he one of the ...」ですので
1、文脈としてbampiroが出ており。「彼もまたそうなの?」、「彼もそのうちに入るの?」のような意味
2、Bampiro ba siya?の方は、「彼は何なのか?バンパイアなのか人間なのか、はたまた」という疑問の1つとして提起されたもの

くらいの違いがあると言えると思います。
> 鬼オヤジさん

Bampiro ba siya?
「彼は吸血鬼なの?」

Isa ba siyang bampiro?
「彼も(また)吸血鬼なの?」に近い意味かな。


因みに妻によると
Isa na raw akong babaero...


> らうんどさん

相変わらず鋭いですね。

説明が分かり易いです。

自分celphoneなんで、長文書くのが億劫なんで…。

パソコン買おうかな?

このトピ専用で。
>83
>後者として、こんなのどうですか?
>Mas lalong may gusto si Taro kay Hanako kaysa sa akin.

後者というのは
Taro likes Hanako better than I (do).
の意味のほうですが、84のらうんどさんの説明によると、
>Mas lalong may gusto si Taro kay Hanako kaysa sa akin.
は
Taro likes Hanako better than (he likes) me.
の意味にもなりませんか?


>84
>Gusto ko si Hanako, pero mas gusto ni Taro.
>Gusto ni Taro si Hanako, pero mas gusto ko siya.

mas gusto ni Taro
と言うと、
太郎はAを好むが、Bをより好む
このときのB

同様に
mas gusto ko
は
私はAを好むが、Bをより好む
このときのB

ですから、文の意味が違ってきませんか?


Taro likes Hanako better than (he likes) me.
のほうは
Gusto ako ni Taro, pero mas gusto niya si Hanako.

Taro likes Hanako better than I (do).
のほうは、83の宵まちのHiroさんの構文を参考にして
Gusto ko si Hanako, pero may mas gusto kay Hanako si Taro.

などでどうでしょうか。

ああ、ややこしい。
Bampiro siya.
Isang bampiro siya.

Bata siya.
Isang bata siya.

前者のbataは形容詞的、後者のbataは名詞的。

このように、名詞とされている語根は、名詞か(MA-の付かない)形容詞かの区別が明確でないのが実態ではないかと思います。
> 鬼オヤジさん

本当ややこしいですよね(笑)。

kaysa sa akin という表現自体がそもそも曖昧な表現ですので、akin が私の何について言っているのかによって、意味が変わってきます。

話の流れ次第と言うこともあります。

ですから、やっぱり取りようによっては、結局どちらにも取れてしまいます。

らうんどさんの説明のように、kaysa sa akin の部分をkaysa gusto ko と言うように、より具体化することによって、伝わりやすくなります。

 ふとしたとき、妙にタガログ語には日本人の感性に合うところがあると感じる。
 抑揚アクセントによる表現や、日本語に近いリズム感、音節数当たりに含まれる情報量などなにかしっくりくるところが多い。

 でも、日本語の敬語表現は実に複雑なシステムを持っており、それに対してタガログ語では「po/ho」をつけるとか、二人称が単数でも kayo と複数にするという程度のことしかない。

 それが今日、あるお店を出るとき「Balik po sila.(またどうぞお越しください)」と言われた。kayoではなく三人称複数で「you」の婉曲敬語表現としていた。
 電話でも「Sino po sila?(どちら様ですか)」など they で you の意味とする例がある。

 うーん、これって「あなた=貴方<彼方」に通じるものがある。

 「こ、そ、あ、ど」で「こなた、そなた、あなた、どなた」の「あなた」はもともと「あっちの方」を意味しており、直接相手を指さない婉曲さにより相手との精神的距離を保つことで丁寧さを出している。
 タガログ語の敬語的発想にもそれに近いものがあると感じた。

 ikaw という単数を kayo という複数にすることも対象をオブラートにくるんでぼやかす分、直接さがなくなるが、さらに進んで三人称複数代名詞になると「あちらの方々」であり、丁寧さがぐっと増す感じがする。ただ丁寧すぎて日常の会話では商店での顧客対応とかぐらいしか聞く機会はないかも。(電話の「どなた様?(Sino po sila?)」はそこそこ誰でも使うみたいだけど)

 他に「タガログ語における敬語表現」で思い当たることあります???
po は ho よりも formal、と親本の"TRG"を始めとして参考書にはそう書いてありますが、

いくら親近感を抱いていても、子供は祖父母に ho よりも po を使うようですし、
po よりも ho のほうがよそ行きの感じがすることもありますし、

po は polite
ho は formal

ではないかと思っています。
命令文に nga を添えると please になる、というようなことも書かれていますが、
nga を使えば言い方が穏やかにはなっても、please のような畏まった語感は出ないのではないでしょうか。
>鬼オヤジさん

 po/hoの使い分けと敬語的なngaの使い方。興味ある話題の提起ありがとうございます。

 順序が逆になりますが、ngaの方から。

 辞書では
nga の2番目の意味として
equivalent of "please"とありながら例文としては
Pakikuha mo nga ang sapatos ko. (Please get my shoes.)
と「paki-」を接辞した動詞が同時に用いられているものが出ています。

pleaseに「equivalent」なのはむしろ paki- の方であり、ngaはおっしゃるとおり「語調を和らげる」ものだと私も思います。pleaseの意味を特に感じない、語調のみやわらかになっている例にもよく接しますので nga それ自体に pleaseの意味を当てはめるのは疑問がありますね。


po/ho ですが、どの言語でも共通して観察される音声学的現象として

1、語に含まれる音素の脱落が進行するほど politeness/formalnessが低下する
2、音素の脱落のほか、「発音のより容易な音素」に置き換わることでも同様の意味変化が生じる
3、文章を構成する語数が多いほど丁寧さが増し、少ない語数で表現されるほど丁寧さが下がる傾向がある

 というのがあります。

 「私」という日本語も
wa-ta-ku-shi
wa-ta-shi (ku脱落)
a-ta-shi (w脱落=半母音wが直後の母音と同化=発音の容易化)
a-ta-i (sh脱落)
 と音素脱落に伴いどんどんslanguishになっていきます。

poの語頭は破裂音であり、上下の唇をしっかり閉じて強い呼気でそれを破裂させるという音声学的には「非常に手間のかかる音」ですが、それを「いい加減」に発音すると唇の閉鎖が曖昧になり「h」になります。(その中間に日本語の「F音」がありますがfoという語はタガログ語には存在しません)

そういう観点から考えますと ho は po に比べて less formal/less polite 、それも程度の差としては結構大きなものがあると感じます。孫が親や祖父母に対して用いるのに「ho」は「poの丁寧さをそこまで下げる」ことに「文化的抵抗」を感じるのではないでしょうか。これは意味の違いというより、フィリピン文化における言葉の使い分け(話す相手やシチュエーションに応じたもの)との関わりが深いと思われます。

意味的には差異がないといえ、辞書にも「ho」の独立項目はありませんでした。つまり po/hoは同じ語の音声学的バリエーションであり、「poをだらしなく発音したのがho」といえます。その「だらしなさ」が響きの差にもつながっている、と。

敬語を使わなくてもさほど差し支えない場面にhoを用いればpolitenessが積極的に向上します。
しかし敬語を使ってしかるべき場面でhoを使うというのはpolitenessが消極的に減少すると言えるでしょう。
> らうんどさん

ngaは、私も会話の中で多用しますが、語調を和らげるというよりも、むしろ、意味や、いいたいことを強調するものだと思いますがいかがでしょう。
強調の意味に用いる nga は辞書の1番目の意味に書かれているもので、それが基本だと思います。
そしてそれに加えて、強調というわけではなく「添えられているだけ」のような使い方も多くあり、これは文章への音節追加による語調緩和の役割と言えるようです。
語調を和らげる nga は命令文に含まれていることが多く辞書の例文も命令文ばかりが収録されています。

先の L.Englishの例文のほか、VICCASAN'sには次の例が出ていました:

Bigyan mo nga siya ng pagkain.
=Please (kindly) give him food.

ただ「どう発音されるか」により本来の強調のngaである可能性もあるわけです。
たとえば、最初軽く「彼にあげなさい」と言ったのに一向にあげる素振りがない相手に対して「あげなさいってば!」という意味で

Bigya mo NGA siya ng pagkain!

といえばこれは強調でしょう。字面だけからはこの区別はできないところがあります。

何かの届出をするとき窓口の案内係が、

Pakisulat mo nga ang pangngalang mo dito.

といえば、このngaを「really, certainly, truly, in fact」という強調に解釈するのはしっくりこないでしょう。

これは muna に「順位、順番を意識する『先ず、最初に』の意味」があると同時に「ちょっと、とりあえず」の意味があることに似ているようにも思います。
ngaそれ自体に単独の意味として「please, kindly」を与えるのは、やっぱり無理があるようです。

妻にも「ngaが強調じゃなくて語調を和らげる使い方のときの例を挙げてみてくれ」と頼んでみたところ、出てきた例文はことごとく Paki-を接辞した動詞を含む命令文でした。

そして「もしpaki-がないと、語調が柔らかくなるどころか、salbaheになる」とも言ってます。つまり paki-を接辞しない命令文に nga を含ませるといかにも上から目線になるんですね。

Sulat/Slatan mo nga ang pangngalan mo dito.
これは
Sulat/Sulatan mo ang pangngalan mo dito.
よりもっと響きがきつくなると。

これは本来の強調の意味ばかりが耳につく結果だと思われます。

「確かに」という日本語も「なるほど」とか「まあ」などというバリエーションがあり、これらは強調の意味を根底に含みつつも語調を和らげる働きをしているので nga に近いといえます。

 命令文以外で「語調をやわらげる nga」はなかったかな?と考えていたんですが、以前、チャットをしていたとき、かなり会話が進んだところである参加者が

Ako nga pala si 名前

という表現をしました。
 これなど日本語でいうと

「ちなみに私は、、」とか「申し遅れましたが私は、、」

 に近いもので、こういう nga も辞書の意味にはすっきりおさまりきれないところがあります。

 どこかの本では確か「nga pala」を「構文」として「ちなみに、、」「ところで、、」のように解説していたかのように記憶しています。

 Paki-V .. nga

 も同様に「構文」として扱った方がいいのかも知れません。
> らうんどさん

そうですね。タガログ語は、文面的に同じでも、発声?でだいぶ意味が違いますからね。

でも、やっぱり、お願いのときにngaを付けた場合、私の感覚的には、nga即pleaseではなく、〜してくれませんか?という気持ちをngaによってより強調して表す。
結果、pleaseという意思を表すのとほぼ同義となる。

そんな風に思います。

多分、本にはそこまで載ってないと思いますが…。

タグリッシュでも、ngaを付けてさらにplease付けたりもしますし…。


Nga にそんな用法があったんですね。
通常の会話の中でやっぱり、強調の意味か、
Oo nga pala!,
位しか聞きませんでした。

やっぱり、ngaを使われると「だから〜っていってるじゃん」みたいに聞こえますね。
それだと、naの方が、柔らかいかんじがありますよね。
> らうんどさん

ちなみに、命令文でngaは、らうんどさんが言っているように口調によるニュアンスでも、多少変わってきますし、相手との親密度によっても変わってきます。

特に親しい間柄では、paki V.〜ngaのpakiを省略して表現することもあります。

そういう場合が、語調を和らげるためにngaを用いるという錯覚に陥り易いときです。

Upo ka nga!
座れ!

Pakiupo ka nga.
どうぞ座ってください。

Upo ka nga.(pakiの省略形)
座ってってば。
(純粋な命令とお願いの中間的な表現)

いずれのngaも動作に対する強調です。


その他のngaとしては、

Oo nga ano.
(言われてみれば)そのとおりだね。
Ooを強調

Siya nga pala.
ところで(意訳)
(自身の中で、そう言えば、あんな話題が…みたいな感じからの切り返しから派生)Siyaを強調

Ako nga pala si Hiro.
(申し遅れたましたが)俺がヒロです。
Akoを強調

Ayaw ko nga.
(絶対)やだ。
Ayawを強調


> スパーキーさん

そうですね。

語調を和らげるときは、ngaではなく、 naとかlangを使いますますよね。
Manigong bagong taon po!

Kay ganda ng umaga!
が感嘆文であるならば、

UMAGANG KAY GANDA
という番組名は
「なんと美しいの朝」
とでも訳すのでしょうか。
> 鬼オヤジさん

Hahaha...
Nakakatawa yun joke mo ah.
Iine!
フィリピンで台風に女性名を付けることは知っていましたが、

ang bagyong si Chedeng
epekto ni Chedeng
handa kay Chedeng

のように、マーカーまで人名用のもの(si, ni kay)が使われるとは気づきませんでした。
「まだ真夜中になっていない。」
は
Hindi pa hatinggabi.
よりも
Wala pang hatinggabi.
と言うほうが普通のようですね。
具体的な例を失念しましたが、今ふと過去ログを読みかえしてみて nga が「強調」だけではなく、やはり語調を和らげる用法に用いられているものに接しました。これは「錯覚」ではなく、そういう用法があると考えるのが適切とそのときは感じたのですが、肝心の具体例が思い出せません。

最初辞書にそういう用法が書かれていたとき私自身「強調」にすぎないのではと感じつつ、かすかなひっかかりを感じてもいました。

今度「あ、これだ」と気付いたときはメモっておきますね。
ちょっと辞書の記述を覚え違いしていましたが、辞書にある「equivalent of "please" 」という定義は「強調」の拡大と考えて差し支えないと思います。「是非とも、どうか、どうぞ」ですからね。

それがどこから「あ、これは  nga がないとむしろ言葉がきつく感じるな」というのがあったんですよね、、、。思い出せない、、、。
今日の「毎日30秒!タガログ語の時間」の例文
Huwag buksan mo ang bintana ng kotse.

は

Huwag mong buksan ang bintana ng kotse.
が正しい文でしょ?
>110 鬼オヤジさん

 私の理解では
Huwag mong buksan ...
 の語順が普通だと思います。

 妻(ビサヤなのでタガログ語については完全に信頼できるわけではありませんが)に聞いてみたところ

Huwag buksan mo ang bintana ng kotse.

 の語順は、

Understandable, pero mali iyon.(意味は通じるけど文法的には間違い)

 とのこと。
今日の「毎日30秒!タガログ語の時間」の例文

Puwede bang turuan mo akong magluto ng pagkaing Pilipino?

は

Puwede mo ba akong turuan magluto ng pagkaing Pilipino?

のほうが標準的だと思うのですが。
>>[113]

 妻に聞いてみました。数回両方の文章をぶつぶつと口ずさんだあと、、

Same lang naman sila eh.(どっちでも同じよ)
 
 だって(^^;
>>[114]

そうですかw

早々に返信いただきましてありがとうございました。
>>[115]

 この2つの違いは語学的に解析すると結構深いんですが、ネイティブはそんなこと気にしないもんですよね。

Puwede bang turuan mo akong magluto ng pagkaing Pilipino?

これは
puwede ba [節」の構造

Puwede mo ba akong turuan magluto ng pagkaing Pilipino?

こちらは
Pwede [疑問文語順の節]の構造

ほとんど違いがないとはいえ、確かに「より正式」な語順は後者です。
前節語(ka, mo, ako, ko etc)などは「第2語群」に現れるのがフォーマルなので、

Pwede ka ba(ng) pumunta dito ngayon? がその原則通り
Pwede ba(ng) pumunta ka dito ngayon? が「pwede ba +節」<わずかに口語的で作りやすい

次の2つについても両方可ですが、最近では後者の語順が好まれる傾向が強まっているそうです。現実問題としてどちらを使ってもほとんど違いは感じられないそうですが。

Hindi ko siya kaibigan.
Hind siya kaibigan ko.
>>[117]

>Pwede ba(ng) pumunta ka dito ngayon? が「pwede ba +節」<わずかに口語的で作りやすい

日本人の私にもこちらのほうが後戻りしないで作れます。
フィリピン人がこちらを使うのは英語の影響が強くなってきているからかもしれませんね。

>Pwede ka ba(ng) pumunta dito ngayon?

と話すフィリピン人の頭の中ではおそらく pumunta が浮かぶ前に(mo 等ではなく)ka が決定されていたはずで、昔のフィリピン人はどういう頭の使い方をしていたのか不思議な気もします。
>>[118]

 作りやすさとい点では、タグリッシュに逃げ込んでこんなのもあり(^^;

Pwede ba you come here now??

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