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産能大学 宮城ゼミコミュの教育論ではなく子育て論

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 2001年度卒のゼミ生は、3年次に

「学校崩壊」

をテーマに熱い議論を交わしましたね。

 あのときのテーマは『教育』でしたが、今回はご指摘があったので『子育て』について。

 他人の子育てや世間を眺めていて、教育崩壊、学校崩壊の根本の一つは、
「子育て」に起因するのではと思います。
 
 子供は親の背を見て育つとよく言いますが、まさにその通りでしょう。
また、親が子に対して行う躾や人として基本的な教育は子供にとっては大きな基準のひとつになると思います。
親の仕事や、共働きなどでなかなか子供に長い時間接することが難しいという現実もありますが、
これからの日本、また今の日本を良くするひとつの方法として、
「子育て」をしっかり行うことが重要であると思います。

 抽象的ですが、大事なのは「愛」。
これは、子供を赤ん坊から幼児、児童から学生へと成長させていく上で
欠かせない常用な要素でしょう。

ただし、「甘え」や「怠惰」を産む過剰な愛。
期待の裏返し、メンドクササから出てしまう暴力などの愛の裏返しともいえる行為も問題です。

 ここで、あーだーこーだ言っても何も解説するわけではありませんが、
人の親になっている方やこれからなろう方も多いと思いますので、とりあえず概論だけ語ってみました。

 今後の政府・各自治体の子育て支援がもっと手厚くなることを祈ります。

コメント(5)

子育てってどっからどこまでが子育てなんだろう?どこまでが、子供で、どこまで行ったら大人なんだろう?

躾って意味合いも含み、教育も含み、成長を見守るってことでもあり、愛を注ぐってこともあり。これが子育てか?
昔の社会は、人の目ってものが当たり前にあって、地域社会で育てるって感じがあったと思う。
自分が育った環境もそうだったし。住宅だったんで。

考える事を順番に。
長くなりますが、元気な、暇な時にどうぞ。



躾けって
躾って、基本的なルールを身に付けさせることですよね。
善悪の基準だったり、単純な生活習慣だったり。
躾の過程で、当然叱る場面がありますよね。悪い事や危険な事、してはいけない事をしようとしているのを、見過ごすわけにはいかないですから。
ここで、怒るとの違いがあって、怒るってのは、感情がまず先にあって、それをぶつけてるわけですよ。「なんで、何回言っても聞かないんだ」とか「泣き声がうるさい」とか、疲れてたりとかで、とにかく感情が先に出て、声を荒げる場合が怒るですよね。これは、基本的に、躾けの上では逆効果だと思います。たまには有効かもしれないですが。
叱るは、冷静にルール違反を指摘する作業だって割り切る必要があるわけですよ。そこに、本来感情をはさむ必要はないです。善悪の判断が出来ればよいわけですから。ただし、子育てでは、当然愛情が必要です。愛情については後で。
で、そのルールが躾ける側の方で、明確になってないと、躾けられる側が、ルールを理解できません。また、ルールはあくまでルールですから、曖昧なボーダーラインは無いはずです。親の気分で変わるルールは、子供も理解できません。理解できないので、自分で判断できず、結局親の顔色を見て判断するようになるわけです。特別ルールがある場合は、特別ルール適用の理由を明確に教えましょう。
余談ですが、善悪の基準が罪で判断される宗教は、躾けの上で、よく出来ていると思います。神様が見てたら、悪い事は出来ないですよね。ただし、信心の深さに影響を受けるので、信仰心を養うのが大変そうですが。
信仰心の無い現代人は、人の目が基準になりますよね。極端な話、バレなきゃ問題ないって話です。昔は、それでも、周囲の目が多かったので、ルール違反は指摘されたはずです。今は、他人の事は基本的に無関心ですよね。また、間違った自由と権利の行使で、他人が口を挟めなくもなってますね。
ルール違反がきっちり指摘されないと、違反者はルール違反に気づかないです。また、わかってても、たいした事無いと勘違いします。法律は、社会がうまく回るためのルールで、罰則がきっちり定められてますが、躾けでは罰則がないですよね。虐待にならない程度に、罰則は必要だと思います。そういう厳しさがないと、身にはつかないモンですよ。元々は無い方が楽なモンなんですから。

教育は、その上の段階ですよね。
考えるのは、学ぶこと、考えること、感じることを教えるのが教育だと思います。
生きる上で必要不可欠ではないものです。が、人生を豊かにするには、教育は重要ですよ。精神を育てるってことだと考えてるので、「どうすれば」とかは、まだわからないですが、まずは相手を尊重すること、気づきを与えてあげること、それが、教えるっていう教育だとおもいます。クイズで、いきなり答えを教えられたら、シラケますよね。詰め込み教育ってつまりそういうことだと思います。だから受身だとつまらないですね。どれだけ主体的に学べるかで、身につくものが大きく変わると思います。
親として、興味がある物、疑問に思うことに一緒に解決を目指すのが、子育ての上で教育だと思います。一歩引いて、導く感じで。

見守ること
単純に多くに干渉しないってことです。選択の自由を。相手を尊重すること。また、甘やかさないこと。甘やかすの最終系は、無関心だと思います。また、手を貸すことは、同時に経験の機会を奪う作業だという心得も必要だと思います。出来ることはする、出来ないことはやってみるっていう精神を身に付けさせるのが、見守ること。当然、見ているから、ダメだったら手を貸せますし。

愛を注ぐ
自分が大人で、親であれば、子供には無条件で愛が注げるハズだと思います。基本的に動物なんで、種を守る上でも基本的にそういう機能が備わってるはずです。
子育てって、子供にとっては嫌な事を、相当させます。だから、「嫌だけどそれに答えよう」っていう子供の気持ちがどうしても必要です。どうして、嫌なのにルールを守るのか?それは、ルールを守ると、親子の関係がスムーズになるから。
子供は、最初は無条件で親を求め、愛を注ぎます。だから、それにきちんと答えていると、子供は素直にルールを守るようになるはずです。どんな子も愛されたい想いがあるわけですから。
守れなかった時に、それを許せるのも、愛があるからだと思います。子供にとって、親は絶対的な存在です。その、親からも許されないと、許してくれる存在を求めて、逆に親には反発するでしょう。そして、ほかに愛してくれる人を探すわけです。許されるから、逆に素直に謝れたりするもんだと思います。親子の信頼を築くには、愛がまずは必要で、愛が感じれれる行動をし、愛を与え、そうして、子供からも愛を得る。お互いに愛し合うからこそ、信頼でき、期待にこたえようとするんだと思います。だから、まずは愛で、最終的にも愛。


そんな感じで、思うことをダーっと書いてみました。
ちなみにこれは、子供が幼稚園にとかに行くまでの子育て論ですね。今のところ、うちの子供ことを考えつつ、まとめみた感じです。長かったなー。
駄文で、すいませんなー。
 朝早くから気合が乗ってますね。さすが、自称親バカ(笑)

興味深いと思った点について
・「親の気分で変わるルール」
 これって、結構あると思います。街でよく見かける躾という名のもとで感情で怒ってる人結構見かけます。こういう子供は、成長しても同じことを周囲の人間、特に自分より立場の弱い相手に振りかざすのでしょう。
 オイラの今の考えだと結構シンプルです。
「他人に迷惑をかけない」「自分が怪我をするまねをしない」
の2点に留意していれば良いのではないでしょうか。
○ 
 心理学の実験でおもしろいものがあります。猫の実験。
空腹時の猫に、目の前のボタンを押すとエサがでるという環境で生活させ、ボタンを押せばエサがもらるという条件を学習させる。
しばらく、慣れさせた後で、今度は、ボタンを押すと電流が流れるという風に仕組みを変える。すると、猫は、電流の強さがたとえ軽いものであろうと神経症の症状を示し、最後には食欲すらなくなり餓死してしまうらしいです。
現代の子供たちは、多かれ少なかれ似たような状況にあるのではないでしょうか。
○ 
 親が子供を褒めるということの基準は、子供が成長していくに従って難しくなっていくでしょう。本当は、生きているそれだけで嬉しいはずだけど、人間の欲というものは際限がありません。
 単に学校の成績で測るという従来のスタンスだと、ご丁寧に不祥事で捕まる政治家、経営者などについてどう説明したら良いのでしょうか。
 まだ、社会的評価のなされていない堀江容疑者などは、完全に悪という世論がなされない限りああいう輩は増えていくことでしょう。


 こういった前提の上で、教育を考えると難しいですよね。
「教師」「家庭」「学校」「地域社会」「政治」「お金」・・・・
 学ぶべき、知っておいて欲しいことはたくさんあります。
子供に教える上で、恥ずかしい点は、少しでも改善されると良いですね。

 タカの文章は駄文ではないです。オイラのが駄文でしょう。
はっはっは、、、、
心理学のネコの実験と現代の子どもとの類似点が、いまいちつかめないです。説明欲しいです。

大きな意味での教育を考えると、
学校って、結局何にも教えてもらえないような気がしますね。
教師も、上の質問には答えられないよ、きっと。

善悪なんて、結局グレーで出来てるから、その判断基準は、だんだん自身で学んでいく物ですよね。子どもの頃は、経験が少ないから、白黒の濃淡が極端に出来ているだけだと思います。
大人になると、スケールが大きくなるから、幅広いグレーが存在する様になるんだと思いました。
自分の行動が、グレーの何処に位置してるか自覚で出来るようにするのが子育てですかね。

で、シンプルに
「他人に迷惑をかけない」「自分が怪我をするまねをしない」
ってホントにその通りだと思いました。
随分、レスが遅くなりました。
他の人の意見がないのが残念ですね。

ネコの実験と今の子供の悩む点は、ひとつは「親の気分によって変わるルール」です。もうひとつは、上の質問とその回答にあります。
基本的に今の日本では、何を目標にして学校のお勉強を頑張るかというと、「よい大学に入って、よい会社に就職しないとよい生活は送れない」という謝った考えがまだまだ浸透していると思います。支配階級は、優遇されていますからね。いろいろな点で。
 子供はそれに答えて努力をするが、それに対する評価というものも、一律のものではないと思います。
本当は、学校の成績なんてものは、くだらないものさしのひとつしかないのですが、教育に熱心な親ほど過剰に反応し、努力に対する評価が一律でないと思います。これじゃ、モチベーションもあがらないし、バカバカしくなって当然でしょう。
この説明で、OKかな?
もちろん学校教育以外の、友人と遊ぶことを通して体験していく社会性など重要なことは他にもあるんですけど、昔と比べてそういう、そとで遊ぶ子供が減っていると聞きますが、実際はどうなんでしょうね。空き地などの遊び場は、確かに減っていると思いますが。

 昨年の夏、子供たち(小学校3〜5年生の4人)とじゃれて競争しながら一緒に富士山を登山して、色々おしゃべりしました。
「好きなことはなに?」という質問をしたところ、4人中3人が「うーん、わからない」という回答をしたので驚きました。情報が溢れていて、価値観が多様化して、自分が何をしたいかっていうことが非常に分かりにくくなっているのでしょうか。

「なんのために学ぶか」ということが現代の学校(小学校〜高校)では、理念と実際とがまったく合致していないと思います。受験問題、近代化以前の教育キャリクラムが今もそのまんまなのは問題ですよね。
この前成立が決まった、教育基本法もなんか、場当たり的な建前だけを取り繕ったような気がしてないません。

 何が問題で、なぜその問題が起こって、どうすればそういう問題が解決するかを、根本的に変えることは、そんなに簡単なことではない。それぞれが関連しているし。
 戦後の政治が始まって60年。政治がよくなるのには、あと50年くらいかかるのかなぁ。

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