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牧師の娘、息子の人たちコミュの牧師子弟の辛さ・・・

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 いきなりのトピ、失礼します。

私の両親は周りの牧師を見ても絶対一番と言うくらい熱心で、24時間365日神に仕えている!!って感じの人です。

それで、幼い頃はたくさん我慢をし、つらい経験もしました。
その為に、その反発で親を傷つけたことも何度もあると思います。

しかし、幼い頃から意識していたこと、それは”牧師の子供である”ということ。
教会内でも外でもいい子で、牧師の子供としてのあるべき姿を自分なりに考え、やってきました。
高校生くらいになって、矛盾とかしんどさに気付くようになり、教会内と外での顔と使い分けるようになっていました。
ただし、それでも、両親の仕事の迷惑にならないように(ノンクリスチャンが。私の言動や行動で、牧師やクリスチャン、キリスト教に対してのつまづきにならないように)それだけは常に意識しており、親が悲しむ、つまづきになるようなことは、親に迷惑をかけてしまう・・・と、全ての行動に、そういう意味での善悪がつきまとい、それに苦しめられてきました。
教会では奉仕や証なども、熱心なクリスチャンのようにふるまってきました。

そういう、役割的な生き方、仮面クリスチャンみたいなのが嫌で解放される為に、社会人になってからは地元を離れ、本当の信仰を持ちたい。自分と神様との関係として、周りの目を気にすることなく、自分自身の信仰をもちたいと思い、しばらく、教会に行かず、ノンクリスチャンのような生活をしていました。

母は、近くの教会を紹介し、日曜はどこの教会に行ったか?と聞くようになり、次第に、電話も取らなくなりました。

このまま逃げていてはいけないと思い、今までは、周りの目を気にしての信仰だったから、きちんとした信仰をもちたいので、時間が欲しいと手紙で正直に伝えました。


一昨年、父は他界し、母はもう引退しました。
父の死をきっかけに、信仰に対して疑問を抱くようになりました。
生きていて良いこともあれば悪いこともある・・・それは信仰の有無に関係なく・・・。

これまで、いいことがあれば、神様がお守りくださった、とか神の導きで・・・・と言い、悪いことが起こると、それが神の御心だ、前進するべきではないことを知らせてくださった・・・みたいなことを当たり前のように言われてきていた・・・・。   でも、これってなんか都合良過ぎじゃない?って。


教会に行かないこと、信仰を持つか持たないか、それを悪とするのはキリスト教的な考えで、世間一般では決して悪いことでもなんでもなく、信教の自由はあるわけで、人としてどう生きるかは自分で選択できるはず。

今は母と暮らしていますが、今、私が教会に行かないことに対して、全く理解ができず、”時間が欲しい、付き合いで礼拝に行ったり、気が向かないのに上辺で祈りをするのは辛いから、強要しないでほしい”と言ったら、母は、自己を否定されたかのように受け取り、
 これまで守られたことに感謝していないの?
 どれだけの恵みがあったと思っているの?
 我慢して信仰を持っていたの?
 私たちの生き方を否定するの?
 自分の子供が信仰離れていたら、私たちが今までしていたことはなんだったんだろうね・・・
などと、いろいろなことをたて続けに言われ、結構ひどいことも言われました。

信仰をもっていなければ私を否定するのか?とも思えるようなことも言われました。

お互いに気持ちよく、うまくやっていきたい・・・と思うし、信仰のことも全否定しているわけではなく、ただ、強制しないで欲しい、時間が欲しい、それだけなんですが・・・・・。

牧師の子供として生まれた、献金で育ってきた・・・・それを意識して、牧師の子供としてあるべき姿を全うしなければならないのか?そう思うと非常に窮屈で、苦しいです。


同じような経験されている方はいらっしゃいませんか?

経験はなくとも、感想や意見など、聞かせてもらえたらと思います。


長文ですみません。

コメント(7)

解るexclamation ×2exclamation ×2exclamation ×2読んでて苦しい銃私もそのように感じたことはありました。すごい葛藤してました。
私の場合は、組織としての教会や、立場としての牧師の裏側をはっきりと見てしまったので、『自分が今まで信じてきた教会って、信仰ってなんだろう…』ってものすごく不審感持ってました。今も、初めて会う牧師や初めて行く教会には非常に警戒しながら行くほどに宗教としてのキリスト教に不審感持ってます。

でもね、そこまでしてもなぜまだ信仰を棄てずにいるかっていうと、『神』という存在は昔も今も変わらずに正しく、私と神との関係も何ら変化ないってことに気が付いたから。人間が間違って他人を変な方向に導いたり躓かせたりするけど、神自身は間違いのない存在だから。
そりゃ昔は神を恨んだこともありましたし、こんな人生苦しいばかりじゃ死んだ方がましだってくらいまで悩みましたけど、今となってはあれも試練だったのかと思えるまでにはなりましたねわーい(嬉しい顔)
私はとある教会の牧師ですが、牧師子弟ではありません。こんな私が意見を言うことをお許しください。

牧師ではないが、クリスチャンホームの出身の牧師で、娘を持つ親としての意見です。

私の親は牧師になろうとして、親族に反対されてなれなかった人です。

だから人一倍教会のために頑張った人です。社会人として、たくさん献金して精一杯教会に仕えてきましたが、個性が強く、激しやすい性格のために周囲からは理解されない人物です。兄弟5人中、2人は教会に行っていません。それは、それで必要なプロセスだとも思っています。

父親は、一番従順な私に、自分の果たせない夢のために、牧師の夢を託しました。私を牧師にするために精一杯援助しました、それが原因で兄弟間に、「えこひいき」であるという軋轢が生じてきました。しかし、父親の敷いたレールを頑張って生きてきました。

そして、牧師になってからも父親に相談していました。父親は牧師に対する理想像があまりにも強いものでした。父親の理想と自分の現実はあまりにも違いすぎました。

父の期待を背負ってしまい、苦しくて苦しくてなんども心の病にもなりました。しかし、自分が犠牲になればいいと思って生きてきました。

今、30代後半を過ぎて、自分の人生を生きようとしています。父親に相談することをやめて、自分で牧師の働きを模索しています。

そして、父親と母親を良く知っている、牧師夫妻と一緒に教会の働きをしています。それは、いい事もたくさんありますが。

これは、時々大変辛く感じることはあります。それでも神は悪いようにはしないということに、自分の人生を賭けています。神様に対する挑戦であると思って、ゆだねています。危険かもしれないけど、それが自分の生き方だと思っています。

いま実は、自分の娘が、少し反発しています。洗礼は受けましたが、教会に行くのもおっくうに見えますし、学校ではクリスチャンであることを隠していたいようです。将来的に少し遠回りするかもしれません。

でも、私はそれでいいと思っています。本当の私と家内の姿をみて、人ではなく神を見るようになってくれればと思います。しかし、一応親の責任として娘を教会行くようにすすめなくてはなりませんが、私も家内も、おそらく娘も葛藤の連続です。娘本当に行きたくなるような場所になっているのか、どうか。

ですから、うっちゃんさんの葛藤、その気持ち分かります。

私は、かつて教会の問題に巻き込まれて、夫婦ともども心の病になり辞任して、路頭に迷い、生きるか死ぬかの苦しみを味わってきた牧師です。家内はいまでも心の病で苦しんでいます。なんども、もうだめだと思いました。ようやく、牧師として復帰しましたがそんな中で娘は大変な苦労を味わってきました。教会にまつわる、人間のどろどろした世界を知りすぎてしまったと思います。

娘が、自分の信仰を探すために、将来遠回りすることがあっても、ただ、だまって祈っていたいと思います。親が言ったからではなく、自分で本当の信仰を見つけてくれればそれで言いと思っています。本当に神様を直に体験して欲しいと思っています。

そういうことを考えてあげないで、子供に信仰を強制するというのは、自分にはできません。

自分も、できれば遠回りして、信仰を探す旅をしたかったと振り返っています。でも、今、結婚して親になって、牧師として働きながらそれができるか、挑戦しているのかもしれないとも感じています。

うっちゃんさんの葛藤とは少し違う葛藤かもしれませんが、私も共感するところを、立場が違えど似ているところを感じます。

だから、ゆっくり神様がお示しになるまで待って見たらいいと思います。長くなってごめんなさい、祈ってますよ。

ご意見ありがとうございます。

私の場合、牧師である両親の生き方を否定はしていないし、スゴイと尊敬しています。
それは父が亡くなったことで、更に強く感じました。未信者の父に対する思いや、母を何とか支えようとする教会員の一致とサポート・・・本当にスゴイ!と思いました。

牧師としてのギャップは違う意味で感じていました。
それは人間としての厳しさです。
それはもちろん、親故に・・・とも言えるんですが、教会では、受け止める、赦す、けれども、子供には非常に厳しかったということです。

まぁこの例は母に限った話ですが、不良の友達と遊ばないように言われたり、離婚歴がある私の彼を人間的な面で否定したことです。

やはり、牧師として教える立場にいるが為に、クリスチャンとはこうあるべきという、クリスチャンとして厳格なとても小さな枠が基準になっていてそういう教育方針でした。
その結果として、異常なまでに真面目なクリスチャン像を演じていたのでしょう。親の背中を見て育ったせいか、世間では当たり前のことを悪と感じてしまったり、私自身が厳しい目を持ってしまったり、人に迷惑をかけないように頼らないように取り繕ったり、本当に辛いことは誰にも打ち明けない、弱さを見せないようになってしまったんだと思います。
結局、実家を離れても信仰だけでなく、自分の軸として、そういう部分が染み付いてしまっていて、色々なところで、いつでも幸せな姿や、心配かけないような振る舞いをしてずっと仮面を被るようになっている自分がいました。
仮面のままで、やっていければそれもそれだと思うのですが、本来信教は自由であって持っても持たなくてもいい信仰だからこそ、気持ちの伴わない祈りや礼拝はしたくない、他人を意識した信仰、付き合いの礼拝をしたくない、と思うんですけどね・・・。



私自身、神様に守られてきたということ、私達家族が教会員に支えられてここまでこれたということも、素直に感謝しています。
意に反して、行動したこともありますが、それは、教会に住んでいるものとしてやらねばならないこととして受け止めることはできます。
つまずきになる・・・
そう思っていて止めていたのに、昨日は、唯一弱さを見せることのできた未信者の彼に初めて母への思いを相談してしまいました・・・。
たくさん泣いて、たくさん話しましたが、聞いてもらったのにしつれいですが、キモチが晴れたような晴れないような複雑なキモチです。

ケータイからなので、まとまってなかったらすみません(*_*)
僕も牧場の息子です。うっちゃんさんの所ほどではありませんがうちの親も牧師なので世間とのズレはとても大きいです。僕は親の前でキリスト教は薄っぺらでくだらない。後世にのこすべきではないとハッキリいってます。用は自分しだいだと思います。自分の良心だけにしたがって善悪を判断すれば良いんじゃないですか?枠の外の物は絶対に認めようとしないキリスト教体質が原因でその昔キリスト教の神によって祝福された地であるハズのイスラエルは終わりのない殺し合いを今も繰り広げている呪われし地になっています。正に邪神の祝福ですね。キリスト教だとか牧師の子供とかつまらないことに心を支配されるのは時間の無駄ですよ。自分は自分!自分は間違った事はしていない!って胸をはれるように行動する事を考えてみてはいかがでしょう?かイエスの呪縛にとらわれて無意味になやんだり、泣いたりするのはもったいないですよ?(^_^)
私は、良くできる兄を持ち、開拓伝道をする父を見て育ちました。信者間のドロドロとした関係や、信徒が牧師(父、です)突き上げる現場に立ち会ったことも、あります。
私は、自分の内に、二つの顔があることを知っていました。そして、「悪」が強い事も、「悪」に魅かれる性質が強い事も、知っていました。ただ、多くの方と違う点は、早く、そんな自分に結論を出したことだ、と思います。
中学に入る頃、父から「お前は、中学に行かず、矯正施設に行ったほうがいい」と言われました。小学生の悪さ、ですからそれほど大したことではない、と本人は思っていますが、親にとってみれば、手に余っていたんでしょうね。
私は、「えらいこっちゃ、なんとかせねゃ、あかん」と思いまして、小さな頭で考えてみたんです。「神さまって、ほんまもん、やろか」って。
私の結論は、「神さまは、ほんまもんや」、でした。牧師の家って、普通の信徒さんの家より、「守り」や「導き」を感じるでしょう。経済的なことも、対人関係においても。
そして、中学に入るとき、悪い仲間と付き合いを止め(私のほうが、「悪」に誘っていた、かもしれませんが)、教会一本、信仰一本にすることを、決心しました。
私は、「仏教」「神道」「キリスト教」的な「信仰」だったら、してもいいし、せんでもいい、と思っています。「神は死んだ」って言われる程度の「神」だったら、信じたって、「鰯の頭か鯔のへそ」程度のもんだから、どっちだっていい、と思います。
でもね。「全知全能の創造主なるお方」だったら、ちょっと違ってきますよね。そんな「お方」がおられるんなら、考え方を変えなければ、いけないでしょう。
「うっちゃん」さんの「思っている(感じている)」神さまって、どんな方なんでしょうね。
ずっと疑問に感じていたでしょうけど、整理をして、「信仰」の基本、「神さまっておられるの?」から、自分に問いかけてみればいいんじゃないでしょうか。
色んな意見の方がおられますが、「他人の信仰」で、「うっちゃん」さんが生きて行くんじゃないから、「自分の思い」に問いかけてみてほしい、です。
「お父さまの信仰」がどうの、「お母さまの信仰」がどうの、ではなく、「うっちゃん」さんが、「神さまがおられると思っている(感じている)」か、「神さまなんていないと思っている(感じている)」か、です。
「神さまなんていない」と思われれば、人それぞれ、色んな人生があるんだって、それこそ「確信」を持って、自分の人生を有意義に過ごしてくださればいい、と思います。一度きりの人生、ですから。
でも、「神さまはおられる…?」って、心が少し動いたら、「じゃぁ、その『神さま』って、どんなお方」って、もう少し、「信仰」を突っ込んでみればどうでしょうか。
「うっちゃん」さんの人生、胸張って、「確信」を持って、生きてほしいです。仮面で生きるのって、本当の人生じゃない、と思いますから。疲れますし、ね。

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