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牧師の娘、息子の人たちコミュのキリスト教界に失望したこと

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新顔で失礼しますが、どうしても聞きたいことがあるもので・・・。
みなさんは、ずっと教会を実家として生きてきたことでしょう。その中で、信仰が厚くなったり薄くなったり、いろいろあったことでしょう。私も、高校卒業までは『将来は牧師』を目指していましたし、それが神の御心だと思っていました。なので、大学卒業したら神学校へ行こうと決めていました・・・が、その大学時代、実家を出て他のいろんな教会を見て、『キリスト教ってこんなものだったのか?』と、強い失望を味わいました。それは、牧師やクリスチャン達の強烈なまでの排他主義的信仰観や、『信仰という名の虐待』を経験したり目の当たりにしたりと、それ以前の教会観、キリスト教観が覆されたからです。しばらく、教会から遠ざかり、信仰を捨てようとさえ思ったものです。今ではなんとか首の皮一枚で留まっていますけどね(笑)

そこで、みなさんにお伺いします。牧師の子としてこれまでに、『キリスト教・教会ってこんなもの?』と、キリスト教界に失望した経験はありますか?

コメント(21)

才谷龍太郎さん初めまして、ジューンと申します。

僕もクリスチャンと名乗ってる人達や教会に通ってる(通ってた)人達にひどい仕打ちをされたり、ありもしない事で濡れ衣を着せられたりと失望する事は何度かありました...が、キリスト教や教会自体に失望した事はありません。

質問の答えになってるかどうか分かりませんが、それって病院にいる患者のせいで病院や医学が嫌いになったっていうのと同じじゃないでしょうか。無視しちゃうのが一番だと思いますよ。あせあせ
ジューンさん>ありがとうございます。キリスト教それ自体は、私も失望することはありません。思えば当時、失望したのは人間を見ていたからだと思うのです。人は誰でも罪があり、完全なものではないのですが、私はキリスト教を人間の組織としてみてなかったので躓いたのでしょう。

しかし、現代のキリスト教界にはびこる『教会のカルト化』や、極端なまでの排他主義的信仰(私はこれを『キリスト者の選民意識による優越感からくる排他主義』と名づけています。ちょっと長いけど 笑)が、非常に多くの人を傷つけ、苦しめている現状を知っています。例えば、数年前に起きた聖神中央教会のじけんとかね。自分のことだけならまだ無視もできるでしょうが、この現状は傍観していられないと感じています。
私はイエスさまを救い主だと信じてるし
バプテスマもうけてますが
聖書の知識は全然乏しいですすみません手(パー)あせあせ(飛び散る汗)


どこの教会でも問題に思うことはあると思います。牧師の子でもそうじゃなくてもみんなそれぞれ。

教会員になって初めてわかることもあるし。


大きくなってから初めて聞いた昔の
「実はこういうこともあったんだよ」
ってぃぅ話もあるし。

よくそんな大変だったのに
そんなこと全然感じさせないで私たちを育ててくれたなぁ
って両親にはすごく感謝してます。


親元離れて
教会員になって

教会は罪人の集まりだなぁって
ものすごく感じて
人間にイヤになって
神さまは礼拝したいけど
教会行くのイヤになった時期もあるし。


でもイエスさまが
命をかけて愛した人を
私がイヤに思うのは
大きな罪だとすごく思って。

今まで許せなかった人も
今では許せるようになったとぃぅか
もう平気になりました。


弱いからすぐまたぶつぶつつぶやいちゃうこともあるけどあせあせ(飛び散る汗)
忍耐強く支えてくれる神様に本当感謝ですあせあせ(飛び散る汗)


アーサー(ホーランド)さんがよく言うけど…

私も
私が信じているのは
キリスト教じゃなくて
キリストなんだ!!


って感じですあせあせ(飛び散る汗)


あと自分は何か問題に思うことがあっても
両親にわかってもらえるし相談できるけど
家族がノンクリスチャンの人は
大変だろうなぁと思うし
心配ですねあせあせ(飛び散る汗)あせあせ(飛び散る汗)

はじめまして、ぐっちゃんと申します。
僕も教会や“キリスト教”に失望させられた事は何度もありました。
もしくは僕自身が誰かを失望させてしまう事もあったかもしれません。
でもイエスキリストに失望させられた事は一度もありませんでした。
ポンタさん>神様信仰が中心、もしくは話しをしている牧師先生を溺愛しすぎでイエスを無視している

三位一体の神を否定して、父なる神のみを神とする信仰の人たちのことですか?ちらっと聞いたことはありますが。父・子・聖霊の三位一体の神を礼拝するべきです。
私の周りにも、牧師先生を溺愛している人がいます。それは偶像崇拝ですね。牧師も人であり、完全な存在ではないのに。。。

>パウロを知らないクリスチャンにはびっくりしました

そんな方がいましたか?クリスチャンとして恥だ!とまでは言いませんが、信仰を持っているのなら、礼拝で少しでも聖書は読んでるでしょうし、パウロくらいは・・・と思いますが。

>すぐに「お互い愛し合いましょう」とか絶対に不可能なことを言い出して気分を高揚させようとする。

いますね〜そういう牧師。私も嫌いです(笑)他にも、「信仰を持つのなら、自分を捨てて牧師の言うことに従わなければいけない」と言った牧師もいます。神に祈りたいです。「彼らをお許しください。自分で何を言っているのか解らないのです。」って(笑)

linkun U・ェ・U love >聖書の知識は全然乏しいですすみません

お恥ずかしながら、私も聖書の知識は乏しいですよあせあせ

>イエスさまが命をかけて愛した人を私がイヤに思うのは大きな罪だとすごく思って。

そんなことはありません。神様は一人一人に全く違う人格をお与えになったのです。世界に何十億といる中で、自分と合わない人は少なくありませんし、ましてや自分に害のある人に対してまで「愛せよ」とは神様は仰いませんよ。それは罪ではありません。

>家族がノンクリスチャンの人は大変だろうなぁと思うし心配ですね

同感です。家庭の中で自分だけが信仰を持った場合、それを保つには家族の理解が一つの鍵になります。自分の信条は自分のもの、と割り切れる人はいいでしょうが、家族に反対されてるのに、それを押し通すのは困難です。教会や牧師はそういうところにも配慮が必要だと思いますね。いくら神の国をまず求めよといっても、家族は大切です。私は、神の国を求める前に、家族の理解を求めましょう。教会や牧師は、それを徹底的にサポートするべきです。それが「牧会」というものですから。
キリスト教会に失望したことですか・・・。あるでしょう。
教会で問題が起こって苦しんで1年間泣き暮らしたことがありましたが、御言葉によって救われました。人ばかり見ていて、神様の愛や導き、守りを信じていなかった自分の不信仰に気づくことで救われました。

聖書を読んでても人間の不信仰の歴史のようなものでしょう。そのような人間を神様は怒り悲しみながらも、愛して赦してくださっているという歴史ですよね。

自分の信仰の弱さや不信仰にも失望することがしばしばですが、こんなわたしを愛して赦してくださっている神様に感謝しています。
こんにちはほっとした顔

人間が、集まる限り必ず失望するような出来事があるんでしょうねあせあせ(飛び散る汗)

天国に一番近い…そんな子どもに習っていきたいなぁと思います


なんの知識も経験もない生まれたまんまの子どもが持てる信仰?←信仰という言葉すらあてはまらないほっとした顔心のありかたは、神さまからみたら私たち大人とどう違うんでしょうね?

複雑になればなるほど心に黒ーいなにかが広がる気がして…

誰にも教えられなくても自然に光りの方に顔を向けていた、生まれた頃の忘れてしまった記憶を抱きしめて…うつむき加減な私の顔を気持ちのよい秋の空に委ねてみようと思いますぴかぴか(新しい)(詩人風に 笑)
クリスチャンじゃなくても、聖書が読めなくても、病気に伏していても、子どもでも、大人でも、どんな人でももてるシンプルな神様への思いに立ち返りたいと思わされた
今日でしたぴかぴか(新しい)

このコミュニティーも気が付けば90人ぴかぴか(新しい)
ズボラな管理人はドキドキしてます”(ノ><)ノ

シンプルすぎる関わりしかできていない管理人で申し訳ないですうれしい顔

どうかドンドン書き込んで下さいねぴかぴか(新しい)

きっとどこかで繋がることでしょうねぴかぴか(新しい)
どうもです(-^〇^-)

このトピックでの書き込みでいいかなぁっ…て思いながら書いてます

皆さん、シルバーバーチって知ってますか?

こないだ古本屋に行ったら「シルバーバーチの霊訓」という本が目にとまり読んでみました。

私の中ですごく衝撃をうけました。

最初は嘲笑ぎみで読んでいたのですが、読めば読むほどなんだか目からウロコというかんじで…

一ヶ月で関連書を7冊も 読むほどな今の私なのです。

内容をかいつまんでお伝えしたいのですが、内容が内容なので難しいです


教会や聖職者への強い指摘もあるので、熱いクリスチャンにとっては苦しい部分もあると思いますが…

知識を広げるつもりで、まず客観的にみてほしいんです
皆さんはどう思うのだろう…

牧師の子どもである自分 にとって客観視できない 立場だからこそ勇気を出して書き込みました

でもこのトピックで教会に失望したという人は特に、シルバーバーチの教会組織への指摘に、苦しいながらも頷けるんじゃないかと思ってしまいました…

愛に生きるはずのキリスト教徒が過去に起こしてしまった宗教戦争のような事態をここでは勃発させたくないです

どうか一緒に一歩下がり視野を広げ、真剣に話しあえたらと思います

私も正直にいこうとおもいます

正直な意見を聞きたいです(=゜-゜)(=。_。)
> じゅじゅさん

惑わされてはいけません。異端の教えは、心が弱くなっている時にこそ優しく感じるものですが、真理ではありません。聖書をしっかり持ってください。
才谷龍太郎さん(-^〇^-)

読まれましたか?
なぜそう思われたんですか?
盲目的に信じるのは確かに危険かと思うのですが 私はそうではなくて、シルバーバーチの言葉の中に矛盾や嫌悪を感じるところが私にはないように思うのです…

私は聖書の中でだけの信仰は不公平だと思うんです。(そういう意味で言ったのではないのでしょうけど)

クリスチャンじゃなくても神様に喜ばれる生き方をしている人間がたくさんいるのですから

信じるか信じないかよりも、教会に行くか行かないかよりも、どんな生き方をするかの方が重要だと思うんです…

そういう意味で目からウロコだったんです

もちろん読みました。シルバーバーチの思想の根本は、アメリカインディアンの伝統的思想とキリスト教信仰の混ぜ物であり、キリストのみ・聖書のみを信仰の基本とするキリスト教徒は相反します。また、この思想は、輪廻転生を是としており、これもまたキリスト教信仰とは相容れません。
いろんな情報を探ってみましたが、そのどれもがキリストの真理とはかけ離れています。どんな美しい言葉で飾っても、そこに神の真理がなければそれは偽りと言わねばなりません。そしてそれを賛美するとき、神の前に大きな罪を犯すことになるのです。

>私は聖書の中でだけの信仰は不公平だと思うんです。

じゅじゅさんは、何を信仰していらっしゃるのですか?父・子・聖霊なる神への信仰ではないのでしょうか。

神から目を逸らし異端信仰に囚われる時、あなたの信仰は神から離れ、神の祝福もまた、あなたから離れていきます。どうか今一度、神へ立ち返ってください。キリストだけが真理です。

>クリスチャンじゃなくても神様に喜ばれる生き方をしている人間がたくさんいるのですから

どのような方でしょうか。永遠の命を受け入れない人たちが、果たして神に喜ばれているといえるでしょうか。喜ばれていないことはないとしても、裁きの日に神はそれらの人々を天の御国へ招き入れるでしょうか。

>信じるか信じないかよりも、教会に行くか行かないかよりも、どんな生き方をするかの方が重要だと思うんです…

仰りたいことはよくわかります。しかし我々キリスト者は、自分の中に三位一体なる神以外の信仰を入れてはいけません。どんな異端であっても退けるべきです。
難しいです考えてる顔

私はキリスト教の知識は恥ずかしいほどないのです…

友達に神様や聖書の事を聞かれてもわからないと答えるしかなかったくらいです…

でも聖書や教会でしか知ることができない神様って不公平だと素直に思うんです…
こどもの頃からそう思っていました

永遠の命や三位一体の意味を、けなげで無知なこどもたちにどう教えるのでしょう

神様は教会の外でも全宇宙を通して、人間の頭には収まるはずがないその存在を顕示してくれているんですもん…

もっともっとシンプルなはずだと思うんです…

知識や教儀という鎧をつけ、剣を振りかざすキリスト者と、無知だけども涙を流す人の隣で小さな思いやりある言葉をかけてあげられる人と、どっちが神様に喜ばれるのかなぁと思うんです…


こうして空に顔をむけ、神様の喜ぶ道を歩みたいと切実に願う私の心を、神様は方向が違う!と機嫌を損ね、それは罪だと怒るとはおもいません考えてる顔
そんなちっぽけで分からず屋の神様は私は信じたくないんです考えてる顔

…でもキリスト者ほど自分の庭の外に咲く花にこれほど否定的な態度をとる 者はいないですよね
なんでだろう…
キリスト者ほど庭と外の間にこれほど高い柵を立てる者はいない気がします

それはなんでだと思いますか?

なんだか、見えていない 何か大きな思い違いがそこに存在しているようで…
でも、私今全然悩んで苦しんでないんですよ?
助けようとされちゃうのかなうれしい顔

神様が望む自分の賜物を活かした生き方を実践しようってワクワクしてるんですよぴかぴか(新しい)
ごめんなさいあせあせ(飛び散る汗)
庭の例えは…まさに自分がそうだったからです

思い帰せば中学の時も高校の時もキリスト教以外の宗教や習わしに対し異常な拒絶反応をみせていた自分がいました

それがどういうものかを知ろうともせずに批判的な気持ちが湧きあがつてきたものですあせあせ(飛び散る汗)

弱い人間の性質のひとつなのかもしれないですねあせあせ(飛び散る汗)

この今の私の状況を話そうとしても、特に聞くのを嫌がるのはキリスト教会に携わっている人達だったので、なんだかそんな例えをしてしまいましたうれしい顔

あっ流れ星みましたぁぴかぴか(新しい)
> じゅじゅさん

なるほど、合点がいきました。それなら尚一層の注意が必要です。

確かに神の愛は聖書以外からでも感じることはできます。日常生活のあらゆる場面でそれは見られますねわーい(嬉しい顔)しかし、神の教えは聖書以外から導き出すことはできません。その基本は聖書にしかありませんから。

異端の教えは時に美しく、カルトの言葉は口に甘いです。しかしその本質は神から離れた毒と言えます。

>じゅじゅさん

 エペソ6:10〜18を読んでみてください。キリスト者としての自分を守るためにこの御言葉はあるのだと、今ようやくわかりました。
親身になってくださり嬉しく思いますぴかぴか(新しい)
ありがとうございますぴかぴか(新しい)

でも神様を人間の小さな頭で収め、支配することなどできるはずがないのですよねあせあせ(飛び散る汗)

そこに労力を使うよりも 、人間が作ったラベルにとらわれず、この地上での人生を、与えられた賜物を発揮し、助けが必要な人達に自らをささげられるような自分になりたいと思いました

そしてあんでっどぐぅすさんが言うように
「どうか、あの人の庭から私を見たとき
 せめて、美しく咲いて見えるように」

そして最後には全ての柵が取り払われ、全てのしきりがなくなるように祈りつつ…

キリスト教へ失望はしましたが、イエスへの信頼は揺らぎません。イエスの深みを教会があまりに見失ったためこのような失望が広がったのでしょう。特に今の時代は難しいと思います。教会に失望しても、キリストの愛は無限の成長へ誘うでしょう。牧師が社会に出なければなりません。私たちはいつ教会という組織、あるいは建物を出ても良いです。教会は天において完全に実現するから。心ある人たち、傷つき倒れている人たち、共に励ましあえるなら感謝なことです。

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