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立川談志(立川流家元)コミュの談志版「文七元結」を聴いて

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零落れた左官が気になって仕方がない。

その左官は、長兵衛という四十過ぎの男だ。
人情噺の傑作と云われる「文七元結」の主人公である。
吾妻橋の上で長兵衛は娘お久が吉原でこさえてくれた五十両を文七にやってしまう。
その五十両が返せないとお久が女郎に身を落とす事が分かっているのに、なぜ長兵衛は文七に五十両をやってしまうのか?
「長兵衛のその振舞いをどう語るか?」が文七元結の最大の聴きどころであり、噺家にとっては難所中の難所でもある。
多くの噺家が「文七元結」を高座に掛けているが、この場面を各人各様の解釈によって噺の辻褄を何とか合わせようと奮闘している。
ほとんどの噺家が、「長兵衛は散々煩悶した挙句に常人では到底できない大きな犠牲を払って、見ず知らずの文七の命を救った」という流れの中で「文七元結」を語っている。
ところが、立川談志は「『文七元結』は何だかわからない。暗中模索している。」と前置きしながら、全く違う解釈で語っている。その表情はとても苦しそうに見える。
その解釈とは「長兵衛は、目前の問題を先送りをして逃げ出しただけだ。」というものだ。
この解釈を煎じ詰めると、「『文七元結』は人情噺ではなく、『風が吹けば桶屋が儲かる』式の滑稽噺である。」という事になる。
円朝を初め錚々たる名人達が「人情噺」として語ってきた「文七元結」の歴史を振り返ると、さすがに「文七元結は滑稽噺だ」と卓袱台返しもできないので、談志は「何だか分らない」「暗中模索中」と身をかわしている。

それでは、立川談志が語った「文七元結」に準じて、時系列で吾妻橋の上での長兵衛と文七の修羅場を追ってみる。
?吾妻橋の上で身投げをしようとする文七を見付けて、長兵衛は反射的に文七を抱きとめる。
?長兵衛は文七に身投げの訳を聞き、これまでの行動を再点検する事と今後の対処方法を提案する。→文七はこの助言をまともには取り合わない。
?長兵衛は、「文七の説得が難しそうだ」と思い始める。
?長兵衛は、この状況から逃げ出す事を考え始める。
→「誰か通り掛らないかなぁ、譲ってやるのに」と不運を嘆く→ショック療法として「死ね」と文七を突き放す→「自分が走り去るまで身投げを待てくれ」と頼む→「20両じゃダメか?」と折衷案を出す⇔何れも失敗する
?長兵衛は、逃げ出す作戦がことごとく失敗して、再度「応援が得られないか?」を確かめるように周囲を見回すが誰も通り掛らない。そこで当ても無く中空を睨んで「誰か助けてくれ!」と叫ぶ。
?万策尽きた長兵衛は、何度となく脳裏に浮かんでは振り払って来た「最後の手段」にすがってしまう。文七に五十両を投付けて一目散に逃げ出す。→少なくとも予想外の出来事に驚き文七の身投げのタイミングは遅れるだろうと当て込む。
?長兵衛は自分への言い訳として「(この五十両がなくても)俺は死なない、かかぁも死なねぇ、娘も女郎になっても死なねぇ」と呟く。→文七に対する説得の言葉ではない。
?長兵衛の捨て身の作戦は図に当たり、文七が財布に気を取られている間に文七から逃げ出す事に成功して自分の家に辿り着く。

以上の成り行きに基づいて、長兵衛の気持ちを振り返ってみる。
?吾妻橋の上で文七に声を掛け抱きとめた長兵衛の行為は納得できる。
?常識的な対処方法を提示するが、何度も身投げの素振りを繰り返す文七を見て「何を言っても文七には聞く耳がない」と気付く。
?お久の行く末と文七の身投げのダメージを比べると文七のダメージの方が大きいかもしれないと思う。少なくとも緊急性は文七の方が高い。しかし、「お久と自分」・「文七と自分」の親密度は比較にならない程お久の方が大事と判断する。その結果、手元の五十両は文七にはやれないと判断する。⇒この時点で、長兵衛は文七を助ける気持ちは消えてしまっている。
?「文七が勝手に身投げをするのを見て見ぬ振りをする」という選択肢もある。しかし、ドボンという音が始終耳から離れず後々まで身を刻まれるような懊悩に苦しめられる事も分かっている。長兵衛さん、口は悪く行いはチャランポランだが、神経は意外に細くて怖がりなのだろう。
であればこそ、文七の身投げの現場に立ち会う事だけは絶対に避けなければならないのだ。
後は「どうやって文七から離れるか?」が当面の問題となる。
?文七の目先をくらます懐柔策を試みるが尽く失敗して、事ここに到れば「後先を考えない捨て身の覚悟」がいると感じる。
?思い詰めた文七の注意力を外らせてその隙に逃げ出すための「確実な作戦」を渋々ながら決断して、五十両が入った財布を文七に投げ付ける。⇒五十両が入った財布が文七の命を救うかどうかは興味がない。文七が少しでも長く怯んでくれる事のみを願っている。
?お久の行く末については、「何とかなるさ!」と問題の先送りをしておいて自分の責任を棚上げする。⇒自責の念に煩わされて逃げ足が鈍らないように、難しい事は「後回し」にして走る事に専念する。
?女房のお兼に「何故大事な五十両をやってしまったのか?」と問い詰められても「ともかく逃げ出したかった。」とも言えず「お久は死なないが文七は死ぬと言うから仕方がない。」と自分に言い聞かせた言い訳を繰り返すしかない。⇒「人助けの重要性を力説して自分の行動を正当化する」事でお兼を宥める発想は全くない。

ざっとこのような修羅場での一連の流れを振り返ってみると、「常人の想像を遥かに超えたすこぶる人情に厚い男・長兵衛」と云う設定で語る「人情噺」よりもはるかに説得力がある。
立川談志は「『困った時にはその場しのぎ』を信条としてきた男が目の前の修羅場から逃げ出す事だけを考えてジタバタした滑稽噺」として語ったのだ。
しかし、この後に続く近江屋主人卯兵衛の「不十分なお詫びと異常に派手な御礼」という展開には大きな違和感が沸き上がってくる。
この「修羅場から逃げ出した男の滑稽噺」という流れに乗ると、万策尽きて捨て身の覚悟で逃げ出してきた長兵衛には、文七の粗忽ぶり・聴く耳の無さを鷹揚に許す度量はない。大金を置き忘れて来た文七の不注意とその後の頑なさをそう簡単には許せないだろうし、ましてや娘お久と文七の結婚など許す気分になれるはずがないのである。
こういう状況で、お詫び・御礼・後見人就任・親戚付合い・娘と文七の結婚と大団円の結末へと突き進む筋書きには大いに違和感を感じる。
そのかなり無理のある場面展開を何とか推し進める切欠が、女房お兼のこの言葉と近江屋主人卯兵衛の登場のタイミングである。
お兼が夜通し散々繰り返してきた「何故アカの他人に五十両をやっちまったんだい?」という根本的な追求の手を一瞬緩めて、
「どうしても『その五十両は使っちまったんじゃない』と言い張るんだったら、一体誰にやっちまったと言うんだい?」と問題をすり替えたその瞬間を狙って、卯兵衛が長兵衛宅に現れて、文七と長兵衛を対面させる。
攻め立てられている長兵衛はおろか聴衆の大半が「手前が確かに長兵衛親方から五十両を頂戴致しました。」という生き証人が登場して、ホっと安堵してしまう。この一瞬の心の隙間を突かれて誤魔化されてしまう。
これで、「何故五十両を手離したのか?」」という根本的な問題を有耶無耶にしてしまえるのだ。
後は、近江屋卯兵衛が「これでもか!これでもか!」という「異常に派手な御礼」の山々を次々と繰り出してきて、長兵衛・お兼夫婦と聴衆の「これで良いのだろうか・・・?」という居心地の悪さを強引に押さえ込んで幕引きへと突進して行く。

見ようによっては、長兵衛と近江屋卯兵衛は同じような事をしている。
近江屋卯兵衛の長兵衛宅での「不十分なお詫びと異常に派手な御礼」という振舞いは、吾妻橋の上の長兵衛の振舞いとそっくりに見える。
難問に手を焼いたら難問は「先送り」を決め込んで、筋違いの大きな「花火」を打ち上げて当事者の目を眩ませておいて、その混乱に乗じて安全地帯に逃げ込む。
それが、一見「美談」に見える。
長兵衛や卯兵衛の人柄がどうこうというのではない。
ある出来事を「美談に仕立て上げよう」という意図に違和感を感じてしまう。

「文七元結」という噺は寄席の賑わいの中では「人情噺の余韻」に酔えたとしても、暫くすると奇妙な違和感が残っている事に気付く人がいるはずだ。
「五十両が出てきたから良いものの・・・。」と多くの人が思っているだろう。
噺家から「それにしても文七とお久の結婚まではやり過ぎだろう。」という声が漏れ聞こえてくる。

それでも、人情噺として「文七元結」は語られている。

高座で多くの聴衆を前に人情噺を語る噺家にとって、「文七元結」はちょっと次元の違う難しさを強いられる大ネタと言えるだろう。

常日頃ふてぶてしいまでのあの自信家が苦しそうな表情で高座に上がった。
省くところはバッサリと削り肝心要のところはじっくりと語った。
その結果、尺は比較的短くなった。
語り終えた後、なかなか高座を降りない。
一見申し訳なさそうにも見える表情でお辞儀を何度も繰り返しながら、正面を見て右を見て左を見て後の方も見ながら聴衆の反応を確かめている。
その所作からは、「どうだ!」という気負いは感じられない。

談志版「文七元結」を語った立川談志は、大した噺家だと改めて思う。

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