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【薬師如来】諸講コミュの【薬師霊場巡りは人生の学び舎】

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薬師寺副住職 安田暎胤様が平成10年にお話された文より転載いたしました。

 今日の日本ほど歴史の中で物質的に恵まれた時代はないと思います。50年前(現在より約60年前)の生活を体験された人達から見れば、まるで天地の差を感じられると思います。これは戦後の日本人が勤勉に働いてきた汗の結晶なのですが、まさしく「苦あれば楽あり」の諺通り今日は栄耀栄華の中にあるようにも見えます。

 こうした時代には、人々は生命そのものの維持よりも、健康と長寿に関心を高め、それらに関する食品や書物を買い求め、その維持に努力をするようになるのです。その結果から、世界一の長寿国になったのかも知れません。
でも同じ時代に同じ地球上において、飢餓に苦しんでいる人々も多くおられることを考えれば贅沢なことです。

 健康とは「健体康心」すなわち健やかな体と、康らかな心を兼ね備えることです。体と心のバランスが大事なのですが、今日は体の健やかさに関心が偏り過ぎています。人間は長生きするのが目的ではなく、いかに生きるかという事が大切な筈です。

 でも物に恵まれ過ぎますと、自然に物に対する感謝の念が薄くなります。すると物を粗末に扱い、大量に消費するようになり、地球を汚染するようになりました。人間の欲望が世の中を住みにくくしていくのです。「楽あれば苦あり」の結果を招き始めてきたのです。人間が自然を冒涜し、それに対する自然界からの人間への報復ではないかと思うのです。いかに物に恵まれても、人間らしい価値ある生き方をしなければ真の幸せは訪れて来ません。
 
 薬師如来は十二の大願をもって衆生済度のためにお働きになっています。その中の第七番目に人々の「衆病悉除 心身安楽」の大願があります。このため薬師如来は病気を治して下さる仏様として特に信仰されるようになったのですが、本当は病気を治すことが目的ではなく、無上正等菩提(人格の完成)を得せしめんがためなのです。凡人は病気をして苦しんでいますと、人格を完成する修行がしにくくなるからだと思うのです。

 しかし、病気をしたことにより素晴らしい人生観を得られた人もあります。いやむしろ「病気は真の善知識(先生)」とも言われますように、病気は人生観を味わう良縁なのかも知れません。元気でも悪事を働いては意味のないことです。

 『薬師経』の中に薬師如来は「私の名を呼ぶ声を聞けば、諸々の願いをかなえたい」と書かれています。誰しも名前を呼ばれますと振り向くように、如来様も名前を呼ばれますと振り向かれ、その人の願いに応じてお働きになるのでしょう。
仏名を称える時に、その人の心の中の仏が顕現されるのです。
したがって称名念仏をしながら巡礼をしていますと、生かされている有難さが一層強く感ぜられると思います。

 最近は薬師霊場も東海地方、中部地方、遠州地方、中国地方、山陰地方の各地に誕生し増えてきたようです。嬉しいことではありますが、薬師霊場巡りは、ただ願い事を頼むだけではなく、単なるレジャーでもなく、静かに人生を考える学び舎にしたいものです。

コメント(2)

仏閣を訪れると、神妙な気持ちになります。
心が安らぐというか、落ち着くというか。
反省する気持ちになるのが大部分を占めますが。。。

>静かに人生を考える学び舎
たしかに、適所だと思います。色々と考えさせられますね。
本来は訪れなくとも考えなくてはならないはずなのですが、、、。
成田不動尊の「大威力会(だいいりきかい)」という会に
入っていますが、一年に一回だけ1月15日に管長が「新年講
話」をなさいます。
気が落ち着き、心が洗われ、すがすがしい気持ちになります。
えらい人のお話はいろいろとためになりますね。

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