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日本ぶらぶら歩きコミュの遍路11

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四国遍路旅11
 07‘6月27日
 
今朝、3人ともバラバラの時間帯に出発した。
次の38番札所、足摺岬の「金剛福寺」まで70キロ以上もある。焦らず行く事にする。しかし今回の旅の時間も終わりに近付いている。そろそろ帰る事も考えなければ成らなくなった。
 
 足のマメがなかなか落ち着かず歩き出しが辛い。暫く歩いてしまえば何とか慣れてくるのだが、ひと休みすると又暫くの間が辛い。この足の痛みの分だけ自分の業の深さなのかなと思ってしまう。
 今日の歩くルートは「土佐くろしお鉄道」の路線に沿って歩く事が多かった。この鉄道は存続が危ぶまれていると言う。市民や旅行者の足が奪われてしまうので何とか継続してもらいたいものだ。列車の走る姿と云うのはどんな風景にもマッチして美しいものである。
 今日の宿泊所である「ネストウエストガーデンホテル」は公営と聞いたが海辺の直ぐ傍にあり風光明美な処であった。遍路の身には場違いな様な気もするが時々こういう場所に泊れるのは気分転換になっていいものだ。


6月28日

 朝いつもより少しゆっくり出発した。天候が良く海は青いが今日も暑くなりそうである。
 この辺りは町村合併前までは中村市と言ったが今は四万十市と改名されている。道路標識には旧名と新名で書かれている所が多い。日本のあちこちで旧い地名が消えているが行政はどんな風に日本を変えようと言うのだろうか。
 少し歩いて海から離れ、県道42号線を暫く歩くと四万十川が見えて来た。四国の代表的な河川だけあって流石に大きい。四万十大橋を渡り更に歩くと長いトンネルに入った。このトンネルには歩道が付いていたが時折歩道の無いトンネルがある。
歩行者にとってはトンネルは可成りの恐怖である。
 
 再度海の景色が見えて来た頃には炎天下を歩いて来た為か可成り疲労して来ていた。今日もかなりの距離を歩いている、そこに昨夜気を緩めてしまい宿の予約を取って置か無かった為、午後になり目安にしておいた宿に連絡を入れたが立続けに3軒断わられてしまった。
 不甲斐無い自分につい癇癪を起こしてしまう。こんな時自分の本性が出るのだなと感じた。家に居る時は我が儘ばかりしていて気が着かないがこういう時に自分自身の弱さが見えて来る様だ。  
 遍路をする事で少しでも自分自身が自然に近いものに変化して行く事を目標に置いているのに、こんな自分自身の現実を目の当たりにして打ちのめされる。
 
 ようやくの思いで今日の宿である「民宿星空」に着く。
自分が最後に着いた宿泊者であり、今日は満室だと宿の主人が話していた。今までに満室というのは初めての事である。  
 夕食時は小さな食堂であったが大勢で賑やかであった。夫婦で遍路をしている人、若干20歳だと言う男性、自転車で遍路をしている人等々、様々であった。
偶然この宿で出逢い一期一会に終わる人達であった。

07‘6月29日 足摺岬『金剛福寺』

 今日はいよいよ足摺岬である。天気は良いがその分厳しい暑さになりそうだ。
この宿から足摺岬を往復(26キロ)する事になるので必要以外の荷物は全部宿に置き出発する。
 
 海を見ながら歩けるので嬉しいのだが暑さには閉口する。宿のおばさんが氷の水を作ってくれたので暫くの間は冷たい水が飲めて助かった。しかし1ℓの水
は直ぐに無く成ってしまう。途中の遍路小屋で休憩し自動販売機で500mlのポカリスエットを買う。遍路小屋は一市民の好意で作られているものでお遍路さん達が疲れを癒せる様にとの計らいである。この様な遍路小屋で大勢のお遍路さん達がオアシスのごとく癒されている。
 
 「金剛福寺」は足摺岬の突端にあった。ここまで来るのに一つ手前の「岩本寺」から80キロ以上も歩いて来た。昔、この辺りの太平洋側は断がい絶壁で獣道程度のルートしか無かったと聞くが、空海の頃は大変な思いをしてこの辺りを歩いて来たのだろうと思う。いつもながら自分も足を引き摺りながら歩く。「足摺岬」の名の意味が分る様な気がした。
 
 「金剛福寺」の参詣を済ませ、また同じ道を折り返す。海はどこまでも青い。とは言え景色を優雅に鑑賞している余裕は残っていなかった。暑さと体力との勝負なのである。
 荷物を預けた「民宿星空」には午後の3時頃に帰り着いた。それから更に荷物を背負い歩く事2時間、今夜の宿である「民宿岡田」に到着した。
 
 今日の民宿は昨日と打って変わって宿泊者は自分だけであった。
「好きな部屋に入って…..」と言うおばさんの声に促され2階の一番風通しの良いと思われる角の部屋に入った。窓を開けると、夕暮れの田園風景は何処も変わらぬ安らぎがあった。思った通り涼しい風が部屋の中を吹き抜けて行った。


07‘6月30日
 
 朝「民宿岡田」を早めに出て途中のコンビニで昼のお握りを買い、今日の目的地「清水川荘」に向かって歩く。 今日のコースは山間を抜けるコースである。民宿のおばさんの話しに依れば途中には余り民家も無いからそのつもりで準備した方がいいと言っていた。
 実際に歩いてみると本当に山間を縫う様に一本の道があるだけで都会の喧騒等まったく忘れさせてくれる様な道であった。水の補給に苦労したが山からの湧き水等があり助かった。

 休憩ももどかしく一生懸命歩いた勢か「清水川山荘」(山小屋風)には午後の3時頃に着いた。管理人のおじさんは忙しそうで、「適当に休んでいてくれ」と言って何処かへ出て行ってしまった。
 明日は帰途に着かなければ成らないので洗濯物や荷物の整理をした。木製の浴槽があり入りたかったが自分一人の為に水を無駄にしては申し訳ないのでシャワーだけにした。(今日も宿泊者は自分一人らしい)
 夕食は、いつの間にか戻ったおじさんの作ってくれたオムライスと野菜サラダと云うシンプルな献立であったが今までの民宿とは異なった趣で味わいがあった。
 
 いよいよ明日は家への帰途に着かなければ成らない。3週間よく歩いたものである。歩いた距離はトータル約600キロになる。以前マラソンをやっていた時には1ヶ月間で最高600キロ走ったが、今回は期間が短いから自分としては月間の新記録と云う事になる。
 これだけ歩けるなら自分の身体もまだ大丈夫と云う事になるのだろう。人間気持の持ち様でで明暗が別れる事もあるが、自分の身体もぼろぼろと思い込んでいたがこれで大いに自信が付き明るい兆しが差してきた。


07‘7月1日『延光寺』
 
朝のすがすがしい空気の中を約10キロ先の延光寺に向けて宿を出発した。
今回の最後になる札所である。約7キロ歩いた辺りで土佐くろしお鉄道の「平田駅」の前を通る。今日帰途に着くのに列車に乗る駅である。狭い街を通り過ぎて田園地帯をを少し行くと「延光寺」に着いた。参詣を済ませてから、お接待で頂いたお金でお守りを受けた。
 
 平田駅に戻り土佐くろしお鉄道の一両列車に乗った。今日は高知駅まで戻り、そして明日一気に自宅まで帰る予定である。今迄歩いて来た道を高知まで逆戻りする訳である。高知駅から平田駅まで何日も掛けて歩いて来た訳であるが、電車で直行するとたったの2時間で高知駅まで戻ってしまう事を知り割り切れない気分であった。
 高知駅に着いたのが午後の3時頃だったので久し振りで街に出てみた。竜馬の出生地や高知城等を見物した。高知市内は人々で賑わっていたが、けばけばしさも無く庶民的な雰囲気の街であった。町を歩いている人達は私の個人的な思い等誰も知る由も無い、それぞれの暮らしが人々の賑わいの中に渦巻いていた。これが人間社会なのである。皆一人一人が与えられた人生を生きているのだと思った。

7月2日
 高知市内は朝から雨だった。昨日までの好気とは全く嘘の様に梅雨に戻った様である。
午前9時少し前に宿を出て駅に向かった。気分は昨日までとは全く違う。21日間あれだけ歩き続けて、しかも毎日朝6時には必ず起床して歩く準備をして、痛い足を引き摺りながら、それが当たり前の様な日課であったのに今日から歩かないのだと思うとその瞬間から今迄の緊張も一瞬で消え去ってしまう。つくづく人間とは環境に順応する動物なのだと感じた。どう言う訳か足の痛みも身体の痛みも不思議と気になら無くなっていた。だからといって遍路が嫌になった訳では無く事情さえ許せばまだまだ歩き続けている事だろう。
 
 今度はいつ四国に来られるのかは解らないが未だ半分残っている。いつか又必ず来る事になるだろう。

コメント(2)

なかなか密度の濃い旅になったようです。旅をしていると、永遠にその旅が続くような気がする事があります。ですが残念なことに非日常の時間には限りがあり、タイムリミットが過ぎるとまたあの、ありきたりに日常に戻らざるを得ません。

旅の目的は旅そのものにあるのではなく、慣れ親しんだ日常に戻った時の違和感、当たり前すぎたその場所を、異邦人の目で眺める瞬間、それはなかなか心地よい刺激になるものです。
アンクルダダさん

若い頃まだ20歳前でしたか、自転車やオートバイで遠出をして家に戻った時などなぜか一回り自分が大きく成ったような高揚感を覚えたものでした。

今でもそんな感覚が忘れられなくてじっとして居られないのかも知れません。

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