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急行列車コミュの〔金星〕

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 昭和36年3月、東京ー大阪の電車急行として誕生。
 昭和36年9月、客車化。寝台も連結。上りは京都→東京間〔出雲〕と併結。
 昭和37年、オール寝台化。
 昭和39年、〔出雲〕との併結を取りやめ。
 昭和40年、大阪ー富山の客車寝台急行に変更。
 昭和43年、名古屋ー博多の583系電車寝台特急に変更。
 昭和57年、臨時列車に降格され、なし崩し廃止へ。

コメント(15)

確かに電車急行時代は153系でした。この〔金星〕の名は伝統あるものですから、どこかで復活させて欲しいですね。
昭和36年10月改正では、上りは京都→東京間〔出雲〕と併結。
下り東京→京都間「観光団体専用列車」と併結だったみたいで
東海道時代の「金星」は一人立ち出来なかった不遇列車でした。
(金星本体の編成は3等寝台4両+3等座席車2両の6両で
のちには、3等寝台7両になったみたいです。)

※国鉄・JR列車名大辞典より
観光団体専用列車は毎日運転されてたんでしょうかねえ??
〉大審問官さん
大辞典の文の流れからして「出雲」と同等の感じですので毎日に近い頻度で運行されていたと思います。
新幹線がなかった当時、中学生向け「ひので」「きぼう」などの修学旅行専用列車もありましたから、それ以外の学生向けや観光客向け需要はあった感じはします。
(当時の旅行は列車の国内旅行がメインでしたからね)
なるほど。国鉄急行ハナヤカナリシ頃でしたもんねえ…。
金星581系のイメージ強く、北陸夜行急行で運行していたのが改めて意外な使われ方をされていたんだなと思いました。
金星といえば名古屋〜博多の寝台電車特急で581系でスタートしたのは雑誌のカメラで見ました。
同時に中京圏始発にしている唯一の寝台特急でもあった。
寝台特急となりますが昭和50年8月に乗車経験あります。
東京から最終の「ひかり」から乗り継ぎ。
名古屋でこの後に続行運転する「富士」とホームは異なりますが並んでいます。
なかなか寝付けず深夜の大阪停車でバルブ撮影。
途中小郡あたりから強引にたたき起こされて寝台解体。
下関では後続の「富士」と再度の並びが見られました。

終着博多は10:11着で気動車急行「出島」に乗りついで長崎の到着したのは13時過ぎです。
最近のように感じますがあれから46年経っているのですね。(歳がバレる。)
>>[9]
 私も特急時代の記憶しかないんですが、当時は名古屋発着の急行〔阿蘇〕もありましたね。
>>[10]
 貴重な御写真をありがとうございます。当時は寝台の解体作業が大仕事でしたね。平成時代になると、人件費節約で昼間でも寝台のままが基本になったので乗客もゆっくり眠れる様になりました。
>>[011]
寝台特急金星は夜行急行列車の夜行区間のトピックで、参考までに寝台特急列車(☆)と夜行普通列車を上げさせて頂きましたが、名古屋では東京からの新幹線連絡等や岐阜からも乗車可能だから、中京圏からは便利な列車であることは間違いないといえます。
廃止は少々もったいないのかなと思いました。
>>[012]
寝台特急の寝台解体・セットを途中駅でやるような列車は、ヒルネ(☆寝台特急)の昼行列車利用を認めている列車だと思いました。
私自身が☆あけぼのに乗った時がそうでした。
寝台電車特急金星のダイヤは、名古屋で下りの東京方面からの新幹線の最終便、上りの新幹線の初便に連絡するだけではなく、北陸方面からの特急しらさぎの最終便と初便に接続することに加えて、信州方面からの特急しなのの最終便と初便にも連絡していました。
京都では、北近畿・奈良・滋賀方面や民鉄などの最終便・初便に連絡。
大阪では、国電の終電や初電にも連絡していることから、プロ野球でいえば、関西方面の抑えの切り札とも位置付けが出来る寝台特急列車だといえます。

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