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纒向遺跡 卑弥呼時代の建物群 王権の中枢か 奈良

今回の調査地点では、78年度に柵と建物跡を確認。区域を約400平方メートルに広げ、今年2月から再度調査、前回確認した5メートル四方の建物跡と、これを逆コの字状に囲む柵列を検出した。柵列は更に北、南、東の3方向に延び、総延長は40メートル以上になるとみられる。

 この建物跡の東側で、東に延びる新たな建物跡(南北6メートル以上)を確認。柵の西側で見つかっていた柱穴は、今回の調査で建物跡であることが判明した。【林由紀子】

 ▽石野博信・兵庫県立考古博物館長(考古学)の話 3世紀前半に、建物が方位や柱筋をそろえて計画的に並ぶ例は他になく、驚きだ。邪馬台国の有力候補地から見つかったということは高く評価でき、都の一端をうかがわせる。

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20090320-00000017-maip-soci
垣内遺跡:弥生時代最大級の鍛冶工房を確認 兵庫・淡路

国内最大級の鍛冶工房とされる竪穴建物跡が見つかった垣内遺跡。手前の建物跡は、直径10.5メートルもある=兵庫県淡路市黒谷で2009年1月20日午後0時44分、登口修撮影 兵庫県淡路市(淡路島)の垣内(かいと)遺跡で、鉄器を製作する弥生時代後期の大規模な鍛冶(かじ)工房とみられる竪穴建物跡8棟が確認され、同市教委が22日発表した。炉のある工房跡は昨年度も2棟見つかっており、弥生時代のものとしては国内最大級。当時、淡路島が鉄器の一大産地だったことがうかがえるほか、日本で鉄器生産技術が伝わったルート解明のうえでも注目されそうだ。

 標高約200メートルの丘陵地にあり、07年度から調査している。今回確認されたのは弥生時代後期後半(2世紀初め〜3世紀初め)の竪穴建物跡11棟。うち8棟で、床面に強い熱を受けて赤く焼けた炉跡が見つかった。建物跡は円形や方形で直径5メートル前後のものが多く、最大のもので直径10.5メートルあった。鉄の矢じりの「鉄鏃(てつぞく)」など鉄製品や、石づちなどの工具も多数出土した。

 また、朝鮮半島か中国から輸入されたとみられる大型の鉄製品(長さ約20センチ、幅約5センチ、厚さ約3センチ)も見つかった。高度な鉄器生産技術が集まっていた可能性があるという。

 日本での鉄器生産は弥生時代中期後半に九州北部で始まったとされ、工房跡は四国、中国地方などで見つかっている。松江市の上野2遺跡では弥生時代後期後半とみられる工房跡が6棟見つかっており、これまで最大とされてきた。現地説明会は25日午前10時半と午後1時半。【登口修、吉川雄策】

毎日新聞 2009年1月22日 20時09分(最終更新 1月22日 21時08分)

http://mainichi.jp/photo/archive/news/2009/01/22/20090123k0000m040066000c.html
バランス感覚と考古学報道

邪馬台国との関連が推定される遺構や遺物が確認されるたびに、マスコミはバランスを考えながら畿内説、九州説それぞれの立場の考古学者からコメントをとってきた。が、九州説を鮮明にしている考古学者は非常に少ないのが実情で、コメントを求める対象にも苦労する。吉野ケ里遺跡発掘の指揮をとり、九州説を唱える高島忠平・佐賀女子短大学長は「確かに九州説をとる考古学者は少なく、文献史学の学者が多い。ただ、“クワのひと掘り”で定説が覆るのが考古学の世界。どう展開するのかはわからない」と話す。

 近年は邪馬台国所在地を論じる材料が奈良から多く出土し、マスコミをにぎわしている。そうした流れが、読者に畿内説に偏った印象を与えているのかもしれない。が、発掘成果を公正に評価して、事実を提供するという報道姿勢にはいささかの変化もない。

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20090305-00000107-san-soci
 邪馬台国の最有力候補地とされる奈良県桜井市の纒向(まきむく)遺跡で、3世紀前半の国内最大規模の大型建物跡など2棟が見つかり、市教委が10日、発表した。倭国の女王、卑弥呼が活躍した時代(2世紀末〜3世紀前半)とほぼ一致。中国の歴史書・魏志倭人伝には「卑弥呼の宮室(宮殿)は楼観や城柵(じょうさく)を厳かに設け」と記され、卑弥呼の居館の可能性が浮上し、邪馬台国畿内説をさらに有力にする一級の資料になりそうだ。

 大型建物跡は、東西2間(1間3.1メートル)、南北4間(1間4.8メートル)分を確認。西側は6世紀末の水路で壊されていたが市教委は建築様式などから、西側にさらに2間分延びていたと推測している。建物の規模は東西12.4メートル、南北19.2メートルで床面積は238平方メートルとなり、邪馬台国九州説の有力候補地・吉野ケ里遺跡(佐賀県神埼市、吉野ケ里町)の大型建物跡(156平方メートル)を大幅に上回ることが分かった。

 復元した黒田龍二・神戸大准教授(日本建築史)によると、高床式の入り母屋造りで高さ約10メートルと推定。直径50センチ以上の太い柱を用いた弥生時代の大型建物と異なり、比較的細い柱でも造ることができる最先端の技術があったことがうかがえるという。

 大型建物跡の西側では、棟持(むなもち)柱をもつ建物跡(東西5.3メートル、南北8メートル)も確認。これまでの調査でさらに西側で2棟の建物跡が見つかっており、計4棟が方位を合わせて東西に並んでいたことが判明した。このうち大型建物跡など3棟は、さくで囲まれていたという。

http://www.iza.ne.jp/news/newsarticle/natnews/topics/322977/
今後描いてほしい人物は「卑弥呼」、「聖徳太子」、「前田慶次」

 全回答者に、今後NHK大河ドラマで描いてほしい人物を自由回答形式で聞いたところ、523名の有効回答を得た。523名の回答を集計したところ、トップ3は「卑弥呼(10.1%)」、「聖徳太子(4.6%)」、「前田慶次(4.4%)」となった。マンガやゲーム、パチンコなどで人気の高い「花の慶次」の主人公「前田慶次」がトップ3に入る結果となった。

http://www.value-press.com/pressrelease.php?article_id=66887

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