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暦、二十四節気を定期配信コミュの12月5日「納めの水天宮」です。

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■12月5日「納めの水天宮」■
 
「水天宮」(すいてんぐう)は、福岡県久留米市の水天宮「久留米水天宮」を総本社として、古来、農業、漁業、航海業者間に信仰が篤いのみならず、子供の守護神、安産の神として、病難、火災などの除災招福の神として信仰されてきました。

明治天皇御降誕の砌、孝明天皇が御祈誓されたことで有名。霊験あらたかなるを以て、明治元年に禁裏御祈祷所(勅願所)とされた名社です。

「水天」(すいてん)は、仏教における天部の一人で須弥山の西に住んでいるとされます。十二天の一つ、水の神。竜を支配するとされます。古代のイラン・インドのヴァルナという最高神で、バラモン教の聖典「ヴェーダ」の神話にも登場。ゾロアスター教ではこの神をアフラマズダとして称えます。
 
今から700年程前、平清盛の血をひく安徳天皇は、源氏の厳しい追及に京都から西へ西へと逃げていきました。しかし、壇ノ浦の合戦で源氏の軍船に取り囲まれ、祖母の「二位の尼」に抱かれて母の「建礼門院」と共に波間に身を躍らせました。

お仕えしていた官女の「按察使局」(あぜちのつぼね)も壇ノ浦で共に入水しようとしましたが、二位の尼に止められ「お前は生きて、われらの霊を慰めよ」との命を受けます。局は川のほとりに小さな祠を建て、安徳天皇とその一族の霊を慰める日々を送りました。これが水天宮の起源と伝えられています。

江戸時代には、大名には参勤交代が義務付けられていました。藩主は、領地を離れて江戸詰をしなくてはなりません。その間、水天宮にお参りができない為、第九代頼徳公は久留米から分霊をして、江戸屋敷内(現在の港区)に、水天宮を祀りました。文政元年(1818)これが東京水天宮のはじまりです。

本来、水天宮は殿様の屋敷神として祀られたもので、一般の人が参拝することは出来ませんでしたが、江戸の人々の信仰は次第に高まり、塀越しに賽銭を投げ込む人が後を絶ちません。遂に「五の日」に限り、屋敷が開放され参拝が許されました。

人々は「情け深い」ことを感謝する際に、有馬家と水天宮を洒落て「情けありまの水天宮」と言いました。「恐れ入りやの鬼子母神」という言葉と共に、江戸の流行語になっていました。

明治4年(1871)水天宮は屋敷の移転と共に赤坂に移り、さらに翌年に現在の日本橋蛎殻町に移転しました。日本橋蛎殻町界隈は、人影もまばらな寂しい場所でしたが、水天宮が移ると共に商店が増え始め、大変な賑わいを見せるようになりました。

拝殿で神様をお呼びする「鈴」を鳴らす布地(サラシ)の鈴紐のことを「鈴乃緒」(すずのお)と呼びますが、この鈴乃緒のおさがりを妊婦が腹帯にしたところ、大変に安産だったとか。水天宮では「戌の日」に安産祈願を済ませた腹帯を「鈴乃緒」と呼んで、授与しています。戌の日には安産祈願の妊婦さんがたくさんおりします。

納めの水天宮は、今年1年の無事を感謝する参拝者や、古いお札を納めに来る人で賑わいます。

東京水天宮
◇東京都中央区日本橋蛎殻町2ー4−1
◇地下鉄日比谷線・都営浅草線「人形町駅」徒歩5分
◇半蔵門線「水天宮駅」すぐ
公式HP:http://www.suitengu.or.jp/index.html

全国総本宮
◇福岡県久留米市瀬下町265
◇JR「久留米駅」徒歩10分

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