ログインしてさらにmixiを楽しもう

コメントを投稿して情報交換!
更新通知を受け取って、最新情報をゲット!

暦、二十四節気を定期配信コミュの季節のお便り「七福神」その1です

  • mixiチェック
  • このエントリーをはてなブックマークに追加
━『七福神』その1━━━━━━━━━━━━━━━

七福神とは、福をもたらすとして、日本で信仰されている七種(七人)の神のこと。一般には『恵比寿』『大黒天』『毘沙門天』『寿老人』『福禄寿』『弁財天』『布袋』の七柱の神とされています。

室町時代の画題に多かった「竹林の七賢人」になぞらえ、七体の福神を取り揃えたのが始まりといわれています。インドのヒンドゥー教や中国思想から人材(神)が選ばれ、すべて日本的な神さまにアレンジされたそうです。

江戸時代に入り、元旦から七草の日までに七福神を巡ることが招福の行事として大流行しました。現在でも『正月の七福神めぐり』として人気があります。

ヒンドゥー教、仏教、道教、神教、禅宗と、様々な七福神の中で、『恵比寿さま』だけが日本古来の神さまです。鎌倉時代に入って『大黒天』『弁財天』が導入され、福の神トリオ?信仰が始まりました。
室町時代には『恵比寿&大黒』が対で祀られて、庶民に親しまれていました。

一方、禅宗の発展と水墨画の普及により、その頃禅画のモチーフとして好んで描かれていた『布袋和尚』や『福禄寿』、『寿老人』らも知られるところとなり、同じ頃『毘沙門天』や『吉祥天』『猩々(しょうじょう)』など、ご利益を願う神様として様々な神仏が同時に描かれ信仰されるようになりました。

中国では『七』という数字はお目出度いとされ、三国志に登場する『竹林の七賢人』が禅宗のお坊さんに人気だったという理由で七賢神が日本で七福神に変化したという説が、どうやら有力なようです。
ちなみに竹林の七賢人とは、時代にうんざりして竹林に隠居してしまったインテリのグループ。互いに酒を酌み交わしては議論し、多くの逸話を残した人達のことです。

そして、七福神信仰を完成させたのは、徳川家康を日光東照宮に祀ったり、風水を使って江戸の町を作ったりした『天海上人』のしわざだとか。
天海上人は「仁王般若波羅蜜経」の「七難即滅・七福即生」という言葉を引用し、家康に取り入って七福神の絵を描かせ、そこから全国に広まったそうです。


*****編集後記******
とにかくおめでたい『七福神』。正月に枕の下に七福神の乗った宝船の絵を忍ばせておくと、良い初夢が見られるそうです。それぞれの福神については次回に。

コメント(0)

mixiユーザー
ログインしてコメントしよう!

暦、二十四節気を定期配信 更新情報

暦、二十四節気を定期配信のメンバーはこんなコミュニティにも参加しています

星印の数は、共通して参加しているメンバーが多いほど増えます。

人気コミュニティランキング