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任那日本府は存在したコミュの「騎馬民族説」の立場から観る『任那』の再解釈

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m(_^_)m 
はじめて、参加させていただきますが、、
よろしくおねがいします〜

≪ご参照≫
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=205608653&owner_id=692074&comment_count=27
(日本と中国に関する話題からはじまって、広い視野から「日本人」
 のルーツについて考察するなど、、おもしろい議論が満載してます)

≪〜引用≫ 
〜前略〜 
***
それから、
弥生文化がこの島国に定着してから、、だとおもうが、、
――『朝鮮半島から』の移住の流れが顕著になったのは、、

――秦漢帝国の滅亡と魏の台頭、連動して当時の三韓など
朝鮮半島の国家再編成の動きなどが影響していた。。

*
――当時の朝鮮半島での古代「国家」の成立の状況は、、
というと、、
まさに「騎馬民族征服説」の、半島版といった感じ。。

「韓半島」(――ここでは主に朝鮮半島南部をそう呼んでおく)
における当時の先住民は、だいたい弥生〜「倭人」と似た
ような、長江系の人たちだったらしく、、
――海を渡って九州などに流れ着くほか、、半島南部の
ほうにも漂着、定着していて、稲作農耕+漁労を生業として
いた。・・・(いちぶ{倭」とも文化圏を共有していたわけ。。)
そこへ!!、
北方からツングース系の流れをくむ遊牧民系の人々:
――いわゆる「騎馬民族」が、南下して来て、、
分立していた農耕村落社会を征服、統合して、
「国家」らしく仕立て上げたりして、
支配者として軍事と政治や高級文化の担い手たる貴族階級
となった。。
――かれらはプライドが高く、、農耕民を下に見下し軽蔑する
傾向があるが、、経済的には農耕民に寄生している。。

――かれらによる初期の連合国家とした「馬韓」や「辰韓」は、、
成長・統合して、やがて「百済」や「新羅」という強国に
生まれ変わりつつあったが、、
、そのころ、「弁韓」(弁辰とも)の地では、そうはいかなかった。。
馬韓系諸国連合と辰韓系諸国連合に挟撃されるような地勢に
あって、、両者に圧迫されつづけ、不安定でもあり、、
〜クニが滅亡しそうになった。。 

――そこで、、
〜かれら誇りたかき「騎馬遊牧民」の系譜にて、、
半島を南下しすぎた人たち〜の一部が、、
新天地を求めて海を渡り、、
――対岸の北九州や本州出雲方面などを皮切りに、
各地に侵入していった。。
(――必ずしも馬に乗ってやって来たわけではないらしいが。)

かれらは朝鮮北部にルーツをもつ天孫神話を携えてやってきた。。
「日本」に渡ってきたかれらは、当時の先住民たちを征服・支配して、
、まず、半島型の小国家連合などを沢山つくり、、
――そして、沢山のの王家のようなものもできた。。
、それらのうちのひとつが、、後の「天皇家」となった。。 

また、被征服民(当時の倭人など)にある、南方的な太陽信仰など
のモチーフと、かれら「天孫族」系の神話が習合して、、
「日本」型の「天孫神話」や各種の神話の原型も、
こうした時代に各地で形成されていった。。

*
――ともあれ、このようにして日本列島に流入し、
後のヤマト民族の形成に一役買った人々もあって。。

――かれらは、韓半島最南部ののカヤ地方のことを、
『ミマナ』と呼び習わしていた。。
それは、もともと、かれらの言語で、「我がふるさとの土地」とか
「本国」とかいうような意味だ。

――昔、日本の歴史教科書で、
「4世紀後半、大和朝廷が進出して官家(みやけ)を設置、云々」と、
いかにも「任那」と呼ぶ「日本」の植民地のようなものが、
向こうにつくられたみたいなことを、、
ワシらは習ったが、

本当はそんなことではなく、「日本」のほうこそが、「任那」から
やってきた人たちの植民地だったのだ。 


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
***

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