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クリスチャンコミュの純と愛(NHK)

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今日、最終回でしたね。台本は聖書を意識していると思いました。
父が亡くなり、母は若年性認知症にかかり、最愛の夫は脳の病気で植物状態に陥ってしまう。同時にやっとの思いで手に入れた宮古島のホテルは台風で悲惨な状況に。これでもかと不幸が襲う状況は、まるでヨブ記のようです。

最終回では純(女性の主人公)は、沖縄の海と空に向かって、人間は本当に小さいけど、明日を信じて生きていくしかないんだ、信じるか信じないか、それは自分で決めることだと叫ぶ。これはヨブ記の一つの解釈だと思いました。
また、災害で打ちのめされている人々へのメッセージのようにも思いました。

ご覧になったクリスチャンのかたはおられますか?

コメント(6)

宮沢賢治的だとツイートしてる方もいました。ヨブもそうですが、ヨナやコヘレトのようでもあり、いずれにせよメインラインでない諸書に近いメッセージだと思いました。
活発なヒロインが恋をして仕事に打ち込みつつ結婚して子供を産んで家庭を築く、がワンパターンのこれまでの朝ドラにあって、ヒロインは結婚して苗字こそ変えたものの、女が主導権を握る設定は前代未聞だと思います。
家族のあり方も、弱さの中の連帯で血縁にこだわらないし、新しい繋がりを意識していると思いました。いわゆるクリスチャンファミリーの典型的幸せとは対極に当たるとは思いますが、いくら保守的な人でも「この家庭は女が威張っているから不幸が続くんだ」とは思いますまい。
主題歌2番目の歌詞がすごく良かった。いつもは1番だけ流れてて2番は始めて。もう一度聞きたいわぁ指でOK
脚本家の遊川和彦さんの前作「家政婦のミタ」の中で御言葉と思えるところが一箇所出ていました。

聖書の知識がある方だと思って「純と愛」を見ました。

最後の所で神様により頼まないと言っているところがあって「あれー」と思いましたが、確かにクリスチャンが見ると全体的に聖書的と思ったと言うのは分かります。

最近ドラマの中で御言葉を見かけることがあります。「JIN 仁」とか、そうなんですが脚本家が宗教学科卒業とか、それなりに理由があるようです。

遊川和彦さんにも理由があるような気がします。
「神様にはたよらない」というせりふの受け取り方について思ったことですが、一つの例として私は次のように考えました。

人間に起こる良いことも、悪いことも、神様のご計画だから、すべて感謝して喜んで受け入れるという考え方を聴くことがあります。それはそれで素晴らしいかもしれませんが、神様は人間に自由意志を与えたという意味を重く考える神学もあるようです。たとえば戦後の日本で、原爆は神の摂理であった。神はそれを必要としたという主張がポピュラーだったのですが、ローマ教皇ヨハネパウロ?世は広島で「戦争は人間のしわざです」(1981.2/25)と宣言して、戦争の悲惨は神の意思ではないとはっきりと語り、歴史に責任を持つべきは人間であると伝えようとしたんだと思います。

ドラマの主人公も、「神様がいるなら、なんでこんな不幸がふりかかるのか」という問題を卒業して、「神様がいるとしても、神様にはたよらない」と宣言して、『これからは何があっても神様のせいにはしない』と決心するのです。そういう気持ちになって初めて、自分の人生を自分のものとして生きはじめることができる、という面があると思います。「純と愛」はそういうドラマだったと思います。

一方、クリスチャンとしては「神様によりたのむ」ことの大切さも当然のことで、このバランスはなかなか難しいところだと思います。




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