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裁判員制度コミュの死刑に関するトピ

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このトピは基本的に死刑制度の是非について議論するトピです。

しかし死刑に関係する話ならなんでもいいです。多少のトピずれ認めます。ただし荒らさないで。
気軽に自由に話しましょう。

付け足し。終身刑や無期懲役についての話もOKです

コメント(523)

>魔道大將軍・妹尾兼康さん

お返事をありがとうございます。

>所謂、外患には該当しますよね。

質問の仕方が悪かったのかとも思うのですが、質問の趣旨は「外患誘致罪の成立を検討する余地があるのか否か」であって、現行法における構成要件の問題としてでした。それが外患かどうかではありません。

>それとも、あれは内憂ですか?

そもそも「外患でないもの」=「内憂」という二極論ではないと思います。。
> 竜華@?さん

みんなの利益を考えれば、こいつは放置でいいのでは?
ころに〜です。

全部ひっくるめて、法教育進んでくれませんかねぇ・・・

知らん事をしろと言われても、戸惑うばかり。

せめて、刑罰の意味、必要性、見方、重み、だけでも理解できれば
様々違うと思うのに。
まぁ、『理解』は無理でも『知る』事だけでも教えていただきたいものです。

トピズレ失礼しました。

>コロニーさん
確かに教育は大切ですね。しかし残念ながら、ニホンの場合はそれが単なる知識、教養で終わってしまうんですよ。例えば、少し前に高校の必修であった「世界史」をスルーしてしまうという事件?が全国で発生しましたね。あれは、ニホンジンは世界史に大きく関っていたことを忘却してしまっているからで、つまりニホンジンが、日清日露からイラク戦争に至る歴史のなかで、主役の一人を演じてきたと言う責任を、「悪意無く」あるいは都合よく忘れてしまっているからです。
 今の制度のまま、司法教育を施したとしても、それは世界史同様、単なる知識、教養で終わってしまい、「切実な問題」としては認識されないと思いますよ。このコミュの賛成派の方々の教養ある人たちのコメントを読めばそれは明らかですね。
 おそらく、問題は教育システムではないと思います。司法問題であれば、司法システムそのものの問題であって、例えば理念(利害)先行の裁判員制度を、現実に則した市民のための制度に作り変えることです。それは教育を凌ぐものだと思います。
>ころにーさん

コロニーさんではなく、ころにーさんでした。失礼しました。
ケンジビッチさん、老婆心から言わせてもらいますが、あなたは司法の世界を目指すのであれば、教科書や参考書から少しはなれて、知識の量よりも、想像力を磨くことをお勧めします。人間の実生活は複雑ですよ。

 これは死刑制度トピなのでそれに則しますが、例えば、「どうしてニホンは、他の先進国のように死刑制度が廃止されないのだろうか?」あるいは、「どうして昨今の厳罰化は社会的に容認されているのだろうか?」あるいは、「21世紀のこの時代に、減刑嘆願ではなく、死刑判決嘆願署名が30万も集まることに私たちは不思議さを感じないのだろうか?」このような問題を考えてみてはどうでしょう。
 このような「?」はニホンの社会心理を理解するためにはどうしても探求しておかなければならない事柄です(もちろん他にもいっぱいありますが)。絶対に教科書には載っていません。優秀な司法プロフェショナルになるためには、自分なりの答えを持っていなければならない問題だと思います。
>ケンヂビッチさん
以下の文章は、自分のブログに以前書いたものですが、>493のころにーさんの書き込みに対して行った反論の趣旨説明のようなものです。長いので読んでくれとは言えませんが、読んでいただければ、世界史と他の教科との「スルー」の根本的な意味合いの違いは理解いただけると思います。
 また、不遜にも私があなたに提案した、>497の「?」の考察は、ニホンジンの死生観に深く関わる問題ですが、この、ニホン人の「世界史」観の問題も、根っこに在るのは、同じニホン人的「死生観」の問題に繋がっていると思っています。


■ 総括 「美しい国」の国民の─歴史観と憲法
「本来、必修科目であるはずの「世界史」が、履修されていなかったという事態は、結果的に全国の高校に広がっていた。社会科目の選択のシステムにも確かに問題があったし、他の科目の未修もあったのだが、その多くが「世界史」であったことは、日本人にとって「世界史」とは何なのだろうということを考えなければならない事態でもある。

 明治以降、特に日露戦争以降、日本は世界のなかで、主役の一人といってもいいほど、歴史に深く関与してきた。それは戦後においても、アメリカを支援するというかたちで、朝鮮、ベトナム戦争からイラク戦争に至るまでつづいている。しかし、現代の日本人の心のなかに、「我々も世界史に深く関与している」という意識が本当にあるだろうか。
 明治から、昭和初期に至る時代がどうだったのかは判らないが、しかし、戦後、日本が実質的にアメリカの庇護の下にはいってからは、世界史にリアリティーを感じることがなくなり、「世界史」は、自らの主体性とは無関係の、単なる「教養」としてしか認識できなくなってしまったのではないだろうか。

 しかし世界史が「教養」という認識に留まっていることの問題の、根は深い。なぜなら、先進国として世界史に関与し、その多大な影響を他の国々に及ぼしたことに対しての「責任感」が日本人の心のなかから、欠落していることになるからだ。 この責任は、もちろん同等に西欧先進諸国にも及ぶものだが、日本人の場合は、かつてのドイツのように自己批判するのでもなく、アメリカのように自己正当化するのでもなく、自然に「希薄化」つまり忘却されてしまっているように感じられる。
 そのような責任感の欠如は、例えば、靖国問題や歴史教科書問題での歴史認識の「すれ違い」の大きな原因となっているのではないか。日本人からすれば、謝罪もし、経済援助もしているのだから、中国や韓国からの要求は、内政干渉として映るだろう。 しかし彼らからしてみれば、足りないものは謝罪や経済援助を、心的に担保する、「責任意識」 なのではないだろうか。つまりそれは日本が、近代を通じて大国であり、世界史に深く関与し、結果的に当時、弱者であった他国に大きな影響を及ぼしてしまったことへの─「主体的」な自覚と責任意識─だ。 つづく
つづき
 しかし、そのように考える時、最近、公私の場で語られる、「美しい国」 という表現には違和感を感じざるを得ない。かつての教育勅語でも、歴代の天皇が営々と築いてきたという国の姿(国体)を、─「美」─という言葉で表現しているが、その意識の底には、歴史の流れ全体を、結果のみから評価するという意識がはたらいていると思う。つまり現在が幸福であれば、そこに至る歴史の流れは、結果的にはすべて正しかったと判断してしまうということだ。良かった時も悪かった時も、俯瞰視線のように、平板に均されてしまうのだ。例えば、広島、長崎の原爆投下も、戦争を終わらせるためにはしかたがなかったと感じる日本人の感性には、このような心理が働いているのではないだろうか。
 しかし、ここで意識されなければならないことは、わずか70年前、二度と繰り返したくない、歴史の現実に直面していたことさえも忘れてしまっていることだ。当時は、とても「美しい国」という表現はできなかったはずなのだ。しかし、悲惨な状態を招いた理由も何一つ検証されないまま、あるいはアジアとの和解がなされないまま、今、私達は 「美しい国」 という表現を使うことができてしまう。事の善悪は別として、日本人は、苦しみも、怒りも、そして悲しみさえも、記憶として持続させることができないのだろうか。

 しかし考えてみれば、西暦を持たず、天皇の代替わりのたびにリセットする歴史を繰り返してきた日本人の、これが現実の歴史観なのであって、そのこと自体を議論してもあまり意味のないことのようにも思える。必要なことは、日本人は「歴史認識」に対しては、─「特殊」な感性─を持っているのかもしれないということを自覚し、そのことを常に意識の片隅に置いておくことなのではないか。例えば、そのような自覚や自省を持っていれば、アジアとの関係はもう少し違ったものになっていたかもしれないし、前述のような、「世界史」を他の試験科目と入れ変えることは、少なくとも躊躇されるはずだ。

 しかし、深刻な問題として捉えなければならないことは、記憶が持続しないということは、それが何であれ、繰り返される可能性があるということだろう。少し前の悲惨な歴史さえも、 「美」 として感じてしまう感性には、いつもその危険性を認識していなければならない。今、日本は、憲法9条を変更しようとしている。しかし、自らの感性の「欠点」を自ら自覚し、憲法によって自己規制することこそが、先進国としての責任の在り方であり、それが 「美しい国」 の姿なのではないだろうか。」
光市母子殺人事件のルポルタージュ『福田君を殺して何になる』が、被告の実名で出版された。基本的に少年犯罪に対しては実名を出すべきではないと思うが、この事件に限って言えば、早い段階で実名報道をした方がいいのではないかと思う。理由はこの事件があまりにも残虐であったからではなく、最高裁の差戻し審で確定した「死刑」判決が、不当判決である可能性が極めて高いからだ。

問題は、『光と影〜光市母子殺害事件 弁護団の300日〜』がFNSドキュメンタリー大賞受賞を受賞したことを始め、多くのメディアがこの死刑判決の不当性を指摘しているにも関わらず、積極的にこの事件そのものを見直そうという世論が興ってこないことだ。逆に、ルポとしては極めて粗雑であるとしか言いようがない、門田将隆著『なぜ君は絶望と闘えたのか』が持ち上げられる始末である。民主党政権になったとはいえ、死刑はいつ執行されてもおかしくはない。

このルポルタージュ、『福田君を殺して何になる』は、まだ入手できていないが(
現在増刷中とのこと)、犯人の実像を知る多くの人からの情報を収集しているということだ。過去の、裁判での証言内容、判決文と照らし合わせてみる必要がある。永山基準を大きく逸脱し、小法廷でのみ差戻しを決定してしまったこの裁判がどのような意思を持って行われ、死刑判決が確定したのかを早急に検証し直さなければならない。

>ケンジビッチさん

 あなたはすでに、平気で違法行為を犯す人物と見られています。
>>502

 私見ですが、たぶん「世論」におもねったからではないでしょうか?ここ10年弱ほど、世間を騒がせた大事件の判決には、「世論」におもねって厳罰化したものが少なくない(ひどいものは、死刑執行までもが早い)ように私は見ています。

 問題は、なぜ判決が「世論」におもねるか?と、そもそもその世論の内容は最大公約数的に妥当なのか?偏っていないのか?という点でしょうね。

 私は、大ざっぱに言うと、商売上の理由により脚色&単純化されたメディア上の「筆法」が「世論」であると一般に思われていることと、その似て非なる「世論」に合わせるかどうかが出世や点数稼ぎに相関しているからではないか?と懐疑している立場ですね。

 まあこれは、私に言わせれば、国を誤り行政(最近では司法まで)を迷走させる物事のほとんどに当てはまりますがね・・・
>504

仰るとおりだと思います。
それにしても不思議なのは、裁判員制度賛成派などの司法保守派の人たちの意識の中から、こういう問題意識が完全に欠落してしまっていることですね。
>>505

 「思いて学ばざる者は、殆(あや)うし」を承知で一気に結論に飛ぶと、私見では、その問題の根本原因は、「彼ら」が持っているリテラシーやそれへの自覚が主に単なる受験勉強知識であることやそこへの開き直りであるため、出世欲や点数稼ぎや失点恐怖への自己愛を、職業上当然に期待されるリテラシーや人格陶冶で克服しきれていないゆえに同調圧力に屈し迎合する形で「流される」からではないでしょうか。

 はっきり言って、もう沢山ですよ。裁判員制度に限らずね。
>ケンヂビッチさん

観点は一つではなく複数あることを学習するべきです。
『福田君を殺して何になる』感想

増田美智子著『福田君を殺して何になる』は、光市母子殺人事件の経緯を追うものではなく、その多くが、福田君自身ほか、彼の過去を知る人や裁判関係者へのインタビューで構成されている。それは、これまで断片的にしか伝えられてこなかった犯人の素顔をかいまみることができる貴重な資料であり、なぜ、あのような事件を起してしまったのかを考える上で有効な材料となるだろう。

 しかし、インタビューの内容は、特に福田君本人へのインタビューは、事件に対しての大まかな心象を伝えるものが中心を占め、検察側と弁護側の言い分の違いとなっている具体的な行動を示した上でその時の彼の心象を聞く、ということはあえて控えられているようだ。それは、この一連の裁判の中で、最も重要だと思われる、差し戻し審での「妄想」?陳述についても同じである。

 著者が、この本で言いたかったことは何なのか? 死刑判決を不当と考える著者が、犯人の人となりを伝えることの必要性を感じたということは分かる。しかしこの本を読み終えた後、率直に感じることは、著者のこの事件、裁判に対して取る基本的なスタンスは本当に正しいのだろうか? ということだ。それは実名報道云々という問題ではなく、著者は、人の一生を左右する裁判の核心部分を見誤っているのではないかということだ。

 私は、この本のことを報道で知ったときから、『福田君を殺して何になる』というタイトルに違和感を持った。そしてそのように感じた理由は、読み進むうち、最後に弁護団から解任された、今枝仁弁護士の巻末の文章を読むことではっきりした。それは、著者は、「福田君はこの事件で、無期懲役相当の罪を犯している」ことを「前提」としてこの本を書いているということだ。

本来であれば、著者自身が「ずいぶん成長していると感じた」と述べているように、著者が福田君と初めて接触する遥か以前へと遡れば、事件当初福田君は、家庭裁判所が示したように本当に幼かったのであり、「妄想」陳述は単なる妄想や弁護団のレトリックではなく、本当の彼の心の顕れだった可能性は高い。つまり、著者も、情状酌量という方法も取り入れるべきだという立場の今枝弁護士も、無期懲役どころか、極端に言えば、罪そのものを問うことの問題さえ議論されなければならないということが、視野から抜け落ちており、そしてそれが、『福田君を殺して何になる』、というタイトルとして表れているように感じるのだ。

それは、事件を吟味する以前から、「罪を憎んで人を憎まず」という単純な大義名分の範囲に留まるものであり、それは、弁護団が考える裁判の核心部分とは次元(スタンス)が違うのではないかと思うのだ。そういう意味では、私は著者ではなく弁護団を支持しようと思う。

この本は、一面では貴重な資料足り得ていると思う。そして反面では、この事件に対する世論が、単純に死刑を支持する者と支持しない者に分かれているわけではないことを、著者の真意とは無関係?に示してくれていると思う。
 また、実名報道についても、資料としての強度を補完するために必要だと言う理由から支持したいと思うが、反面、上記の理由から、タイトルへの不満と同時に、誤解の範囲を広げる恐れがあることを理由として、最後の今枝弁護士の文章は掲載するべきではなかったと思う。
ころに〜です。

モリゾー様
ご意見ありがとうございます。
私としては、0はどう足掻いても0なので、せめて1にして頂かないと
始まらないと言う意味で書き込みました。

個人的には、日本が世界に及ぼした影響を深く掘り下げて「明日」に活かす。
などと言った大義に1の出っ張りも無いので、歴史観がどうとか言うことも、言う気もありませんが、

やはり知らねばどうしようもないと考えています。
例えそれが、上っ面だけをさらったものだとしても。知らねば始まらない。

裁判員制度も知れば対応策も生まれる。一々関係各所に「裁判員制度って何?」から訪ねなくても良くなる。
得体の知れないものに対する恐怖を覚えなくても良くなる。

死「刑」含めた刑罰もそうかと考えています。
それゆえに前記の文となりました。

全員が全員、深く同じ問題について専門家になる必要は無いのですし、
琴線に触れた人だけでも専門化すればそれで十分だと考えます。

出過ぎた言葉とは重々承知しておりますが、
前記の補足とさせて下さい。

また、皆様のご意見お聞かせください。
 

“裁判員制度
「よいスタート切れた」
最高裁長官が感謝”
 
3日の憲法記念日に合わせ、最高裁の竹崎博允(ひろのぶ)長官が記者会見した。
21日にスタートから1年を迎える裁判員制度について、
「大きな混乱なくよいスタートが切れた。
国民の積極的な姿勢によるところが極めて大きかった」と、参加した裁判員に感謝の気持ちを表した。
 
最高裁によると、今年3月末までに対象事件は全国で1662件起訴され、444件で判決が出た。
竹崎長官は、まだ判決数が少なく、全体の評価には早いと前置きした上で、
「犯罪や社会全体への理解が深まった」という経験者の声を挙げて「制度の奥深さを改めて感じた」と述べた。
 
一方で、判決が起訴数の4分の1程度にとどまり、審理が始まるまでに時間がかかり過ぎていることを「一番の課題」と指摘し、
「新しい制度で関係者が過度に慎重になっているのではないか」と懸念を示した。
適正な審理と評議の時間の確保を前提としつつ、被告の拘束を必要以上に長引かせず、証人の記憶があいまいにならないよう、「迅速な審理」を望んだ。
 
また、再審で無罪が確定した足利事件にも触れ、
「誤った裁判で有罪になるのが一番深刻な事態。
刑事裁判の仕組みの中に、DNA鑑定など最新の科学知識を取り込んでいく必要がある」との認識を示した。
 
さらに、先月下旬、最高裁が二審の死刑判決を破棄し、無罪の可能性が出てきた殺人事件をめぐり、「困難な判断に直面する裁判員の心構え」を問われると、
「裁判は精密機械のようにはいかない。
人の意見を聞き、色んな角度から考えてみることが重要ではないか」と語った。
 
裁判員制度と同時に改正され、検察の不起訴を市民の判断で覆す仕組みができた検察審査会制度については、
「起訴の基準に国民感覚を反映させる制度。
有罪や犯罪事実を認定する裁判所の判断基準とは無関係の問題」と述べた。
 
(延与光貞)
2010/05/03 04:37 朝日新聞
http://www.asahi.com/national/update/0502/TKY201005020196.html↑
 
cf1.http://mixi.jp/view_community.pl?id=4473556

 
 

“性犯罪、殺人で量刑重め
死刑と無罪ゼロ、無期8人
判決530人・裁判員制度1年”
 
裁判員制度がスタートしてから21日で1年。
裁判員裁判は昨年8月から530人の被告に判決が言い渡され、このうち強姦致傷罪などの性犯罪や殺人罪の量刑で重めの傾向があることが20日、時事通信のまとめで分かった。
死刑と無罪はゼロ。
無期懲役は強盗殺人や集団強姦致傷罪などで8人だった。
 
同日までの集計結果によると、検察側求刑に対する判決の量刑割合は全体の平均で77%。
罪名別では強姦致傷罪(集団罪も含む)が85%、強盗強姦罪83%、殺人罪も80%とやや高めだった。
 
2010/05/20 19:53 時事通信
http://www.jiji.com/jc/c?g=soc_30&k=2010052000571↑
 
http://news.mixi.jp/view_news.pl?id=1214970&media_id=4

 
 

“裁判員裁判:
「責任取ってから死んで」裁判員発言
被告「死刑にして」に”
 
大津地裁で26日開かれた裁判員裁判で、強盗致傷罪などに問われた被告が「死刑にして」と繰り返すのに対し、裁判員が「責任を取ってから死んでください」と発言する場面があった。
 
起訴状によると、住所不定、無職の松下宏被告(65)は01年9月、滋賀県内のパチンコ店で男性店長(当時57歳)に包丁を突き付けて全治10日間のけがをさせ、現金約117万円を奪ったとされる。
被告は25日の初公判で起訴内容を認め、「死刑にしてください」と発言。
26日の被告人質問でも弁護人、検察官に
「生きていたくない」
「今すぐ殺してほしい」などと答えた。
 
男性裁判員が「被害者に弁償する気はありますか」と質問。
松下被告が「生活保護で返す」などと答えたため、
「死刑を望みながら、弁償するというのは矛盾している。
全額返済し、責任を取ってから死んでください」と言って質問を終えた。
検察側は懲役7年を求刑し、結審した。
 
【前本麻有】
2010/05/27 毎日新聞
http://mainichi.jp/select/jiken/news/20100527ddm041040111000c.html↑
 
http://news.mixi.jp/view_news.pl?id=1221912&media_id=2

 


cf2.http://mixi.jp/view_bbs.pl?id=14877895
 
cf3.http://mixi.jp/view_bbs.pl?id=37883647

 
 

“脳は「他者への罰」に快感を覚える”
 
(http://www.youtube.com/watch?v=PsxRl2oeV5k)
 
われわれはなぜ、憎悪されていた男が死んだときに、通りに集まって喜ぶのだろうか。
 
その答えは、脳とゲーム理論の関係にあるかもしれない。
ロンドン大学ユニバーシティー カレッジ (UCL)の、Tania Singer氏率いる研究チームは数年前、『囚人のジレンマ』と関係した簡単な実験を行なった。
 
(囚人のジレンマは、「個々にとって最適な選択」が全体として最適な選択とはならない状況の例としてよく挙げられる問題。
古典的なモデルでは、2人の共犯者が逮捕され、警察から別々に取り調べを受け、それぞれ同じ選択肢を与えられる――「自白する」(裏切り)か「黙秘する」(協調)かのどちらかだ。
もし片方が裏切り、他方が協調した場合、裏切った方は釈放され、協調した方は10年の刑を言い渡される。
両方が協調した場合、どちらも6ヵ月の刑となる。
両方とも裏切った場合、2人とも5年の刑となる。
どちらの容疑者も、相手が行なった選択を知ることができない。)
 
研究チームは、被験者の目の前で囚人のゲームを演じさせ、被験者らが2人の「囚人」について、強い意見を持つようにした。
多くの場合、被験者は「裏切り者」に対して強い嫌悪感を抱き、信用のおけない嘘つきとみなすようになった。
続いてチームは、被験者をfMRI(機能的磁気共鳴画像)装置に入れ、囚人役の演者の手に、痛みのある電気ショックを与えるのを見させた。
 
その結果、演者がショックを与えられたとき、すべての被験者の脳において、痛みにかかわる領域の活動が活発になった。
他者の痛みに対して、共感を覚えずにはいられなかったのだ。
 
ところが、「裏切り者」の演者にショックが与えられたときには、その活動はやや低下した。
これは、「悪い社会的行動」をとった他者に対して、人々の感じる同情が低下し、他者の痛みに対する関心が薄くなったことを示している。
 
この実験で衝撃的だったのは、男性の被験者の結果だ。
男性の場合は、裏切り者が罰を受けるのを見て、腹側線条体および側坐核など、脳の報酬に関わる領域の活動量が増大したが、女性にはこの増大は見られなかったというのだ。
これらの領域は、ドーパミン報酬系を構成する重要な要素であり、報酬系はセックスやドラッグによって快感を得る神経系でもある。
どうやらわれわれは、罰を受けるに値する人間が罰を受けることで、快感を得るようにできているらしい。
 
ゲーム理論をシンプルに具現化したこの囚人のジレンマというゲームは、何千回と繰り返して行なわれた場合、「しっぺ返し」という基本戦略が最も効果を発揮することがわかっている。
しっぺ返しのルールは驚くほど単純だ。
相手が出方を変えない限り、囚人は互いに協調する(自白しない)。
ただし、相手が出方を変えてきたら、それと同じことを相手にやり返す。
旧約聖書や、「目には目を」のハンムラビ法典のようなやり方だ。
これによって、裏切りは確実に間違った選択肢となり、裏切ればしっぺ返しをくうことを人々は知る。
人間の、少なくとも若い男性の脳が、「悪事を働いた他者」の痛みに快感を覚えるのは、このためだろう。
 
今回のオサマ ビン ラディン容疑者の襲撃事件に関しては、John Pavlus 氏が興味深いコラムを書いている。
オバマ政権は巧みに「オサマという概念」を消したというのだ。
 
> かつてそこには、一種の「悪のバットマン」のような存在があった。
> 超人的で、われわれの集合意識に悪霊のようにとりつき、信奉者たちに対しては、初めは手本を示すことで、また後には、単に存在し続けることによって、影響を与えていた。
> それが今では、何もなくなってしまった。
> 遺体も画像もなく、さらなる流血への欲求や復讐、あるいは崇拝、議論の対象となる場所もない。
> そこにあるのはただ、テキストの欠落、文字どおりの行き止まりだ。
(http://johnpavlus.wordpress.com/2011/05/02/dead-end/↑)
 
このような消失は、血なまぐさい復讐の様子を見せられることに比べて、感情的な満足度は(少なくともドーパミン ニューロンにとっては)低いかもしれない。
しかしそれは、しっぺ返しの悪循環を低減させうるという意味では、有益なことなのかもしれない。
 
ガンジーが言っていたように、
「“目には目を”を貫いていたら、世界中が盲人になってしまう」のだから。
 
2011/05/09 WIRED NEWS
(Jonah Lehrer)
http://www.wired.com/wiredscience/2011/05/the-rewards-of-revenge/↑
(日本語:高橋朋子/合原弘子)
http://wiredvision.jp/news/201105/2011050921.html↑
 
 

“最高裁判事としての痛切な経験”
以前から学者として、死刑は廃止するべきだと考えてはいましたが、最高裁の判事になってから痛切な経験があって、確定的に死刑廃止論者になりました。
それはある事件の裁判でのことです。
もっとも裁判官として、自分が扱った事件をとやかく言うことはできませんから、少し抽象化して申しますので、ご了承下さい。
その事件はある田舎町でおきた毒殺事件でした。
事件の被疑者としてある男が捕まったのですが、彼は逮捕以来ずっと否認を続けていました。
直接証拠は何もないのです。指紋も残っていませんでしたし、他にも直接証拠は何もなかったのですが、状況証拠から言いますと、この人がやったと疑わせるに十分な証拠がありましたので、一審二審ともに死刑判決を受けていたのです。
ところが弁護人の主張によりますと、警察は町の半分くらいを調べただけで、この男を被疑者として逮捕したようです。
そのため弁護人は、「残り半分の地域を調べたら、同じような状況にある人間が出てきた可能性がある」と主張しました。
それはもっともな話です。けれども、それだけで一審二審の死刑の判決を覆すだけの理由があるかというと、個々の状況証拠は動きませんから、それは難しいのです。
判決に影響を及ぼす重大な事実誤認があるときは、下級審の判決を破棄できますが、この程度のことでは破棄できません。私も記録をずいぶん詳しく調べたのですが、合理的な疑いをこえる心証が取れれば有罪というのが刑事訴訟の建前ですから、そのまま判決を確定させることになったのです。
いよいよ死刑判決を言い渡す日になりました。
裁判官がみんな席に着き、裁判長が「本件上告を棄却する」と言いました。棄却するということは死刑が確定するということです。
そして裁判官専用の出入り口から私たちが退廷し始めたその時です。
「人殺し!」という声が法廷中に響いたのです。罵声です。私たちが罵声を浴びせられたのです。
私はいつもでしたら傍聴席のこんな罵声くらいで驚きはしませんが、正直なところ、「本当にこの人がやったのだろうか」という一抹の不安を持っていましたので、このときの「人殺し!」という声はこたえました。その声は今でも忘れられません。
その事件で私が感じたわずかな不安というものは、多分に主観的なもので、人によって違うと思います。その小法廷の5人の裁判官の中でも、そういう不安を持ったのは、おそらく私だけだったでしょう。残り4人の裁判官は、自信を持って死刑判決を言い渡したと思います。
でも私には、わずかに引っかかるものがありました。
しかし現在の司法制度の下では、このようなケースで判決を覆すことはできません。そして死刑制度がある以上、この事件で死刑が確定したことはやむを得ない結果でした。
私はこの経験を通して、立法によって死刑を廃止する以外には道はないとはっきり確信するようになりました。

“再審への道を広げた「白鳥決定」と、死刑事件における誤判の可能性”
それと前後しますけど、私は「白鳥事件」という事件の審理を担当し、「白鳥決定」と呼ばれる判決を下しています。これは再審の基準に関する裁判です。
詳しく申しますと、今までは無実の証拠がなければ再審は認められませんでした。それをこの裁判では、無罪判決になるような新たな証拠が示されれば再審を認めてもよいことにしたのです。つまり再審の基準を緩やかにしたわけです。
刑事訴訟法では、有罪か無罪か分からないような場合は、合理的に考えて有罪の判決に疑いの余地があれば無罪になります。これは刑事訴訟法の鉄則です。私たちは再審の場合にもそれを適用すべきであると考えました。
ですから原判決で認定した事実に疑いを持たせるような証拠が出てくれば、それで再審の開始ができるようにしたのです。
これはかなり大きな前進でした。
「白鳥事件」そのものは棄却されましたが、この裁判の作った基準が後にあたえた影響はとても大きくて、ご承知のようにその後すぐに4つの事件が、再審で次々に無罪になりました。
...

(この原稿は、1998年2月18日に行われたインタビューの一部を、読みやすく書き直したものです。)

http://homepage2.nifty.com/shihai/message/message_dando.html↑


Dandou,Shigemitsu 1913/11/08‐2012/06/25
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9B%A3%E8%97%A4%E9%87%8D%E5%85%89

(M.J. 1958/08/29‐2009/06/25
comment=237
PC:http://mixi.jp/view_bbs.pl?&page=12&id=14503467
CP:http://m.mixi.jp/view_bbs.pl?&page=48&id=14503467&readmode=start
http://youtu.be/A6gTS8rWNyk)

司法が立法に対して云々言う暇があれば、司法の出来ることをやって頂きたい。
少なくとも漸進させることが出来たのだから。
 
(ad hominem
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%BA%E8%BA%AB%E6%94%BB%E6%92%83)
 
取捨択一の出来る“め”を
持ちたいものです。
ミス指摘ありがとうございます。
取捨選択し、二者択一出来るための知識も得たいです。
 
《死刑代案:日弁連委、終身刑の導入提言 仮釈放なし》
 
日本弁護士連合会の死刑廃止検討委員会は、死刑の代替刑として仮釈放のない終身刑の導入を求める基本方針を決議した。
日弁連の内部機関が終身刑の導入を求めるのは初めて。
今後、日弁連全体の統一見解として提示できるか、執行部などで検討する。
 
決議されたのは先月30日。
内容は「死刑のない社会が望ましいことを見据え、わが国の刑罰制度を見直す」必要があるとし「死刑を廃止し死刑に代わる最高刑として仮釈放のない終身刑を導入する」ことを呼びかける。
「死刑制度の廃止が検討されるまでの間、死刑の執行を停止する」ことも求める。
 
仮釈放のない終身刑は日弁連内でも「社会復帰の可能性を閉ざす」との反対意見があり、基本方針は「恩赦」による釈放の余地も残している。
 
日弁連は08年、超党派の国会議員グループが主張する終身刑の導入に「無期刑の事実上の終身刑化をなくし、死刑の存廃について検討せず、新たに終身刑を創設することに反対する」との意見書を出していたが、死刑廃止に向けたステップとして、初めて終身刑の導入方針を打ち出した。
 
死刑廃止検討委員会は、日弁連が昨年10月の人権擁護大会で「死刑廃止についての全社会的議論を呼びかける宣言」を採択したことを受けて発足した。
 
日弁連によると、海外の死刑廃止国では、オランダが恩赦の余地を残した「仮釈放のない終身刑」を採用しているほか、ドイツと英国が仮釈放や有期刑への変更の可能性もある「終身刑」を導入している。
 
【伊藤一郎、長野宏美】
2012/09/06-15:00 毎日新聞
PC:http://mainichi.jp/select/news/20120906k0000e040204000c.html↑
CP:http://zhp.jp/T4DJ↑
 
(death penalty system
http://mixi.jp/view_bbs.pl?id=37425016)
 
 
“長野一家殺害で死刑確定へ 裁判員死刑、最高裁が初判決”

2014/09/02-15:52 産経ニュース http://mixi.jp/view_bbs_comment.pl?comment_number=089&bbs_id=67680557
 

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