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ミゾロ道コミュの知られざる歴史のトピック

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タマヨリ姫に白羽の矢 神武天皇の誕生 より抜粋
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 トヨタマ姫のご遺体は、ミズハの神を祭る貴船神社に納めました。
 その理由は、昔姫が身重の体をおしてカモ船で、君の居られる敦賀に向かう途中、沖合で嵐に見舞われ船が沈む憂き目に合いながらも、お腹に宿した君の子を守らんための一心から、貴船のミゾロの竜に祈り、そのご加護を得て気丈にも渚に泳ぎ着くことができ、君の待つ敦賀で、無事天御子(あめみこ)ウガヤの君をめでたく出産したことによります。又、故あって、恥ずかしい思いからミズハの宮に一時身を隠したこともあり、後にアイゾロの神と呼ばれ、田水を守り船を生む船魂とも呼ばれるようになった縁の深い貴船にお祭りすることになったのです。
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ミゾロの竜とは何だ?
私も初耳。
技的にはヤングビーナスと馬返しをの源流となる物だろうか?

コメント(11)

ホツマツタエ 人の巻 38アヤ
景行帝とヤマトタケルのクマソ征伐より抜粋
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 十七年三月十二日、コユガタ(子湯潟)のニモノ(丹裳小野)に御幸され、東方をはるかに望み、古(いにしえ)に思いを馳せてのたまうは、

御祖天君(ミオヤアマキミ) 高千穂の 峯(みね)に登りて 大日山(ヒノヤマ)の
朝日に辞(いな)み 妻向い 上下(かみしも)恵む 神となる 国の名もこれ
力は上(かみ)を あまねく照らす モは下(しも)の 青人草(あをひとくさ)を
恵まんと 鳴る神(雷)の雨 良き程に 別けて 稲畑(ミゾロ)の潤いに
民賑(たみにぎ)わせる 功(いさおし)は 加茂別雷(カモワケツチ)の
神心(かんこころ) かくぞ思(おぼ)して 神祭(かみまつ)り
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参照URL
http://www.hotsuma.gr.jp/aya/aya38.html

邪馬台国では稲畑の事をミゾロと呼んでいた様だが
これも私は初めて聞いたものです。
田畑の溝の神である溝神と言う意味合いを当時持っており
それが転じてミゾカミと呼ばれだしたのでしょうか?
タケモトピアノとミゾロとの関連性について牧本正木教授が論文を書いていたと聞くのですが誰か読んだ事ありますか?
古代エジプトにおいてのミゾロ************
紀元前4〜5世紀頃にエジプトに渡り、
西洋ではジャグリングとも呼ばれていた。
畳なきミゾロゆえに落とす事が出来ず
それゆえ絶えず空中から空中へと放り投げる連ミゾが発展した。
日本における連ミゾは子供の手習いであり
お手玉とも言われていた。

エジプトからローマやギリシャに渡り
ミゾロの本来の目的は失われ
その技術だけが注目され物も武器や盾など
を使うようになった様だ
しかしミゾロとは本来、
己とミゾの狭間に深層の自己と万有の然を見つめ
己のかく小ささ、自然の偉大さと尊さ
森羅万象を見つめる物であり
ミゾロを投げ打つ事や姿や動作、点数などは
本来は無意味である。
本来に近づかんとするために
先人達が編み出した技・技術であり
動作や技は単なるモチーフに過ぎない。
本来の精神を欠き技術に頼っては何ミゾも生み出すことなかれ。
己を見つめてこそのミゾロだと忘れてはならない。

参考文献 
http://juggling-donuts.org/juggling/omocha/history/
アメリカ開拓時代においてのミゾロ************

ベースボールの誕生について

ベースボールは、ミゾロをもとにして、1839年にアメリカのアブナー・ダブルデー(Abner.Doubleday1819−1893)によって考え出されたのが始まりといわれれ、アメリカ東部の主要都市を軸に発展していった。 現在のベースボールに直接つながるルールは、1835年にアレキサンダー・カートライト(A.Cartwight)によってつくられた。翌年6月19日、ニュージャージー州ホボケンでこのルールを用いた最初の試合が行われ、ニューヨーク・クラブが23対1でニッカーボッカー・クラブを破った。

ミゾロがヨーロッパに渡った時、問題とされたのは
正座である。
西洋人において興味のミゾロより正座による苦痛が大きかったと見られ座らずに詩合おうとした者が後を絶たなかった。
ミゾロ道において正式な詩合とは正座そして着物の着用による和装である。
正装であれば和装でなくとも良しとされているミゾロ道であるが
畳・正座を抜いては詩合いにならない。
協会では問題視されたが自由を主張する国において
そのルールは大きく捻じ曲げられる。

立ちミゾロの導入に従い*袖払いを多用するという前代未聞のミゾロとも未ゾロとも思えぬ自由な発想のルールが民間で生まれた。
立席によるみぞろにより立ち位置は自然に離れ畳(ベース)に投げ打つという形が生まれたのだ。
袖払いは開拓時代に身近にあった角材などを使われ
遠くに飛ばすというスタイルが定着する。打たれたミゾロは茂みに消えミゾロを無くす者が続出しミゾ貧となりミゾロを買い足す為に家や土地を無くしたものも多く当時社会問題にまでなったという。
演者はミゾロ拾いを雇い打たれても取り戻そうと躍起になった。すでにミゾロの本質が失われていただけにルールの変更は増大し点数性となる。
ダブルデーはこのルールを纏め、独自に進化させた後
ベースボールと名付け広く一般に広めたという。
ベースボールの誕生である。

ファールとは本来「不亞売」と書き
 *亞とはミゾロをあらわす古語である。
ミゾロを無くし不明者に売られるという意味である。

ストライク【巣途雷駆】
巣(畳を示す)に雷の如く駆け戻るという意味である。

アウト【亞有賭】

セーフ【正布】


*袖払いとは
ご存知の通りであるが未ゾロの方にご説明の為書き記します。
 ミゾロを投げ打つ際対なる演者がミゾロの落下を阻止する為に使う技の一つである。
投擲を手による阻止は違反であり負ミゾとなる。
しかし袖による阻止は許可されている。
多様することは下衆とされる。
袖による阻止は形態が美しければ素ミゾとなり無ミゾである。
日本人の歴史からみるミゾロ****************

日本人は単一民族とよく言われるが
歴史的に少しさかのぼると
まったくそのようなことはないと良くわかる。
教科書などにも載らず語られないが
日本には多くの民族が同居していた
中でもよく知られている原住民
アイヌやクマソなどが代表的である。
東京の野毛も元々はアイヌ語と聞く
広くアイヌが居た証拠である。

インドネシアや韓国やロシア等から多くの人種が昔は行き来していた。
古くは天皇制が生まれてから天皇に付く者を日本人とし
反天皇の他民族は土蜘蛛と呼び忌み嫌われ
人とみなされず討伐の対象となったという。
明治の頃でもサンカ(山窩)と呼ばれる山の民がおり
日本語とは異なる言語と文字を持っていた。
サンカは盗賊になるものも多かったらしく
明治時代は新聞をよく賑わしたと言う。
インドネシア系日本人も嫌われることが多かったらしく
彼らの象徴だったらしい神聖な言葉「ア」を
不浄の言葉とし
「垢・赤点・痾(こじれる病気の意味)・足(足掻などのマイナスイメージに使われる)・亞(ミゾロの古語 ベースボール編参照)」などの言葉を作ったりし
彼らの存在や思想を否定したという。

ここでミゾロが不浄の物として出てくるのだが
その理由は
ミゾロとは溝路の竜(米畑の溝の神 縦横無尽に走る溝とその溝の重要さを組んでそう呼ばれていた)
当時のミゾロはミゾ粉を米粉を使いミゾ袋をタニシの卵巣で作っていた。
それゆうミゾロはミゾロの竜の使いの象徴として神社等に奉納され多くの信者が存在し多くの演者が居たと言う。
「あ」を不浄としたのは仏教であり
神社や土着信仰を阻止せんとミゾロ禁止令およびミゾロを不浄なものとして認定し国民にミゾロ離れを促したという。

大塩平八郎の乱は隠れミゾロの乱を模し計画したと言われている。

そうして今日のミゾロは多くの賢人や時間と時代を経て
伝えられ守られ息づいているのである

右 土蜘蛛 妖怪として描かれている。
 妖怪とは当時現在のように独立した存在ではなく
 存在しない物と理解したうえでこのような描き方をしたという。
 京極夏彦はそういった小説の描き方をしていると聞くが私はまだ読んだ事がない。お勧めがあれば教えてください。

左 江戸時代のミゾロの乱第一章より
 右にある家の下方にある丸いものがミゾロである。このようにミゾロを行なった者は強く罰せられた。
とある会員の方から
「ナポレオンとミゾロの関係性についておしえてください」
とのお便りを頂きました。

ミゾロがヨーロッパに渡ったのは紀元前4〜5世紀頃と言われています。
しかしここでのミゾロはジャグリングとして親しまれており
真のミゾロにヨーロッパの人々が触れていたとは言い難く
ミゾロ研究の難しくしているところであります。
ミゾ離れをどこまでミゾロと呼ぶか
その議論は長い間解決に至っておりません。

質問の
ナポレオン・ボナパルト(Napoleon Bonaparte 1769年8月15日 - 1821年5月5日)
ですが当然ジャグリングのミゾロとには既に幼少の頃から出会っていたようです。
しかしここでは
もう一つユニークな説でのミゾロ途英説がありますので
そちらのご紹介をさせていただきます。

お聞きになったことはあると思いますが
義経チンギスハーン説というものが日本のごく一部で信じられています。

源 義経(みなもと の よしつね、平治元年(1159年)- 文治5年閏4月30日(1189年5月17日))
チンギス・ハーン(Chinghis Khan, 1162年頃 - 1227年)

チンギスハーンのカブトの形態おわかりになりますでしょうか?
丸っこくて先がとがった。。。
そうです。ミゾロの形を模したものと言われる説があり
源義経もまたミゾロをこよなく愛したと言われていて
これが義経チンギスハーン説に説得力を持たせている理由のひとつと言われているそうです。
真意の程はわかりませんがチンギスハーンもまたミゾロをこよなく愛し
宴会時には肉詰めしたミゾロを持参し
よく大会を開いたといわれています

また兵士達にも生の羊肉を詰めたものを非常食として遊具として持参させ
ヨーロッパに攻め入り侵略した際土地に広まり根付き
フランスではタルタルステーキとなり
生肉を嫌ったドイツでは袋のまま似てソーセージとなり
ハンブルクでは焼かれ、
ハンバーグとなったといわれています。

ナポレオンは
ジャグリングのミゾロ
ソーセージミゾロ
ハンバーグミゾロ
タルタルミゾロ
など様々なミゾロと自然に接して過ごしていたと思われます。

残念ながら純粋な競技としてのミゾロがヨーロッパに伝わったのはかなり後期の事ですので
ナポレオンは接していなかったのかもしれません。

近年ヨーロッパでも競技者や研究者が増えてきたため
今後多くの資料が発掘され真意を知れる日が来るかもしれません。
私の知っている情報は現在この程度なのですが
何か知っている情報あれば是非教えてください。
ミゾロ歴史年表****************************

ミゾロ誕生により最終氷期が終り、温暖化が始まる。
日本列島が大陸から分離する。
ベーリング海に存在した陸橋ベーリンジアが温暖化の海進により水没し、北米大陸はユーラシア大陸から分離した。

紀元前8300年〜前7300年
エリコで周囲を石壁で囲った集落が現れる。その後ミゾロの化石が多く発掘される。

紀元前5760年頃
ピュイ=ド=ドーム山噴火。

紀元前5600年頃
北アフリカで砂漠化が始まる。この結果サハラ砂漠が生じた。砂漠化の結果、エジプトへの移住と人口集中がおき、ミゾロが文明化を促進した。

紀元前5600年頃
Red Paint Peopleが現在のラブラドル島からニューヨーク州に及ぶ地域へ定住。

紀元前5450年頃 – ヘクラ山噴火。

紀元前5400年 – メソポタミアで灌漑。

紀元前5200年頃
マルタ島に人が定住と共にミゾロが発達する。

紀元前4713年1月1日
ユリウス通日の起算日

紀元前4600年頃‐紀元前4200年頃
ヴァルナ墓地と呼ばれる金石併用時代の200基以上に及ぶ墳墓群が、黒海沿岸(現在のヴァルナ)に築かれる。

紀元前4500年
メソポタミアでスサ文明およびキシュ文明

「クルガン文化」? - スレドニィ・ストグ文化(アゾフ海流域)とマイコップ文化(コーカサス地方)を包含する仮説の文化、インド・ヨーロッパ語族の候補。

紀元前40世紀
メソポタミアの都市国家ウルの創建

紀元前4000年-3000年頃
ナイル川流域にナカダ文明(Naqada culture)

紀元前3761年
近代ユダヤ暦の起算年;10月7日を起算日とする

紀元前3760年
ユダヤ歴による天地創造の始まり:9月25日または3月29日

紀元前36世紀
シュメール文明、都市国家分立
メソポタミア、キシュ第1王朝から第4王朝
イヌイットの祖先、ベーリング海峡を超え、アジアからアラスカへ至る
中国で黄河文明がおこる。

紀元前3114年
この年の8月13日または8月11日にマヤ文明の長期暦(GMT対照法)が始まる(=マヤ文明による天地創造の日)

紀元前3102年2月18日
ヒンズー教神話によるカリ・ユガ時代の始まり、伝承によるクリシュナの没日ミゾロと共に埋葬される。

紀元前3000年
エジプトで、メネス王が上エジプトと下エジプトの二王国を統一。ファラオとなる。 ミルチャンの発見。
パリ凱旋門とミゾロ ***********************

ぶち壊し男爵 オースマン

昔パリは国の街づくりとしての規定が特に無く
下水道もあまり無く日が当らず、
常に異臭のする臭い街だったらしい
また道路も縦横無尽に小道が分かれていて
迷路のようになっており
衛生面安全面総てにおいて悪かったそうです。
こんな状態ではミゾロを受け入れる事が出来ない。
としてナポレオン三世は大規模な都市計画を打ち出す。
ぶち壊し男爵として恐れられたオースマンが
歴史のある建物などに関係なく12本の大通りを
凱旋門に向けて製作
はれて日本より巨大なミゾロが送られ通すことが出来た。
12本という本数はもちろん十二支を表しており
子 丑 寅 卯 辰 巳 午 未 申 酉 戌 亥
となっており
未申=羊(迷える子羊=キリスト教信者)申(隠者)=ヨハネ
丑寅=牛(角)虎(毛皮)をバイキング=厄災と見立て
ミゾロに相反する二つの装飾を施し
未申より丑寅の方角に向けミゾロを走らせたという。
七福神とミゾロ

七福神はインドの大黒天、弁財(才)天、毘沙門天の三神と、中国の布袋尊、福禄寿、寿老人の三仙、そして恵比須神を指します。このうち恵比須神のみが日本固有の神(水蛭子(ひるこ)、後の事代主神(ことしろぬし))です。

ヒルコとは、古事記が物語るに、イザナギ、イザナミの息子・蛭子(蝦子/比留子)であり手足を持たず美しい目だけを持っており肉体を持たぬ神として生まれ変わったとされています。

手足を持たぬ、目だけ
のキーワードでもご理解頂けたと存じます。
ミゾロとはヒルコの意と同意です。
当時ミゾロを口に出すことを禁じられていたため。

溝路=溝に住む生き物の化身であり神聖なもの とし
その代表として蛭となったと言われています。

現代では蛭は嫌われている存在ですが
なぜ蛭が神聖なものになったかというと
蛭は殺生をせず(血液を吸うだけなので)
生涯を生きるとされ、
また、その生命力に当時の人たちは畏怖すら覚えていたと聞きます。
武士道とミゾロ

武士もまたミゾロを愛しミゾロに生きたといわれます。
武士道とミゾロ
多少相反するイメージを持たれるかも知れません。
しかし武士とは厳しく
領主に忠誠を誓い、言われるがままの如く働かねばなりません
それによって、
生き様死に様によって自己を形成するという美意識が高まったのだと思いますが
たまの休息として袂でミゾロを練り、畳の上で放り、心の安定を図ったのかもしれません。
ミゾロ持は武士に広く広まり刀の次に大切な「己の心」として寵愛されてきました。
商人によってそれは香袋なぞとなったりして町人にも広く広まったと言われる。

毒や目潰しを入れたミゾロを
忍者が目くらまし等に使ったりなどもし
ミゾロの悪用も目立ったのですが
けして武士はそれを使わなかったといわれます。

ミゾロに生きた武士、
それは地味で歴史や芝居などではけして出てこない事実ですがミゾロからみた歴史としてはけして無視できない悲話ではないでしょうか?
鬼とミゾロ

凱旋門とミゾロの箇所で鬼とミゾロが出たので
少しご説明させていただきます。

まず鬼と言うものの存在についてですが

最近は一般常識化しつつある鬼の姿が
丑寅の鬼門ゆえに牛の角に虎のパンツの姿であると言うこと。
それは恐らく風水等が流行ったりしたため
有名になったのだと思います。

本来の鬼とは姿がなく恐れ以外に絶対権力やどうにもならないことを意味したりしていました。
そしてそれらに関連する事により起きた現象等を物として捉えた上に鬼という形をなぞり使われていた言葉でした。

一昔前の女子高生が「チョーアレ鬼だよね」とか言ってた言葉の使い方は本来の形に似ており実は正しい使い方に近いといえます。

現代においても政治による国の動きと時代の流れ
クライアントの締め切り前の変更の一言そんな辺りを指す様です。

対してミゾロとは自然体の物であり善でも悪でもございません。
使用者によって変化する素体であり完成された物体です。

ある意味対をなす存在であり
善と悪、神と悪魔という絶対的な区別の出来る存在ではないので
当時の欧州各国では不思議な思想として強い拒絶もなく受け入れられたそうです。

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