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アコースインミラクルズ ACIMコミュの神への信頼感

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関東アキマー親睦会も、無事終了しましたが、
その後、関東アキマー会のコミュでの会話で、
「神への信頼感」という言葉が出ていて、
これはコースの根幹だなぁ、って改めて思わさせられました。

昨日今日、私がやっているワークも、
94課「神が創造してくださったままの自分。」
I am as God created me.

95課「自分は御創造主と一つに結ばれた真の自己。」
I am one Self, united with my Creator.

という事で、いくらワークの序論に
「(ワークに出て来る)そうした想念を信じる必要はないし、受け入れる必要もないし、
歓迎する必要さえないということ。」と書いてあったとしても、
神への信頼感があいまいなままだと、
これらのワークへの取り組み方も効果もぜんぜん違うんじゃないか、
って疑問がわいて来ます。

もっと神を信頼できればなぁ、というのが現場での実感であります。

自分の見ている世界の根底を作ったのは神で、
罰せられるのも神の意志だというような深い意識のせいか、
神を全面的に信頼してゆだねる、という事に、
我知らぬ恐怖感や抵抗感があり、
ワークをやる中で、それがどよんと浮かび上がって来ますね。

神への信頼感。どんな感じでしょうか。

コメント(46)

わたしはねー 神を信頼しないで生きていけない。

そっちのほうが怖い!
ゆゆぴちさんがここでこうやってシェアしてくださることが、
他ならぬ「神様への信頼」ですよわーい(嬉しい顔)
いつも、分かち合ってくださって、本当にありがとう。
いつも、ゆゆぴちさんの投稿からも、みなさんのレスからも、とっても励まされ、とっても慰められます。


ナサさんが書いていらっしゃるとおり、
誰かを信頼すると、もうそれはイコールで神様への信頼=神様とのつながり、です。
なぜなら、信頼は、わたしが一人で出来ることではないから。
わたしたちが何か誰かを信頼するとき、というのは、「神様と繋がっていることを体験する」ということです。
この世においても、どんな力であれ力は全部全部、神様から、聖霊をとおして来ているから、
わたしたちが愛するとき、信頼するとき、その対象が何であれ、それは全部神様とのつながりなんですよね。

わたしたちは実際、信頼なしには、ただの1秒も生きていられないと思います。
わたしたちがここに生きているということ、それは、
たとえ「聖霊」なんて言葉を聞いたことすらなかったとしても、
聖霊(とACIMで呼ばれている存在)と繋がっている、つまり、どこかで誰かを愛し、どこかで誰かを信頼している、という証明です。

わたしたちが、誰かを完全に信頼することが出来るとき、
ワンネスに還るのでしょう。



それをふまえて。。。


八十さんが書いてらっしゃるとおりだと思いますよウインク

J兄は、わたしたちがそれでもしぶとく

「神様なんて、信用ならないね!」

と意地を張ってるのなんて、
とっくのとうにお見通し、
そんなのすでに「織り込み済み」なんですよね。

のぐさんが書いてくださったとおり。。。
聖霊には、J兄には、ちゃんと見えてるんですよねそのへんも。

。。。というか、そのためのACIMですからねウッシッシ

だから、大丈夫ですよ。
こんなの、ぜーーーーーんぜん、しんじらんないね!と言いながら、
でも、しぶとくやって行きましょう本

むしろ、神様への不信がはっきりと心に浮かび上がってきたのなら、
それはチャンスだと思うし、癒しが進んでいる証拠じゃないかなと思います。
どこかでJ兄がおっしゃってましたが、
わたしたちが見つけられないもの(=自分に対しても隠して、見えないふりをしているもの)は、J兄に預けようがない、ってことですよね。
そりゃそうですよね(笑)
だから、
「しんじらんないね!」
はJ兄に預けて、それでもとりあえず、この変な人(=J兄ですが)の言うことを聞いてワークやってみる、
それだけでももう、絶大な信頼じゃないですかexclamation ×2



や、ゆゆぴちさん。。。

。。。そもそも、信じてなければ、こんな七面倒くさい本なんて読みませんって!

エゴの知らない、魂であるわたしたちは、本当に一途でまっすぐなヤツなんですよ。 やれやれ(笑)
> もっと神を信頼できればなぁ、というのが現場での実感であります。

神以外のもの、すなわち、お金がない、身体が病気だ、仕事でストレスを感じる、人間関係で気に入らない人がいる、ガッキーが可愛い、なんていうものが実在すると思えば、まあ、無理な相談ですよね。
僕も含め、アセンデットマスターではなくて学習者という身である者にとっては、そういう葛藤は多かれ少なかれあるのではないではないでしょうか。
でも、地道にコースの学習を進めて、真の赦しを実践することで、また、コミュや学習会で出会ったACIMer仲間の人たちの存在が支えとなって、そういう葛藤も少しは減ってきたような気もします。

みなさんに感謝です☆
あと。。。

あきやんさんのお話、すっごく納得です!
本質だから、わざわざ言葉にする必要すらない。

愛とか信頼とかも、実はわたしたちの脳みそがわざわざ概念にしないぐらい、あったり前にある状態なんでしょうね。

愛とか信頼を、なんかものすごい大騒ぎの沙汰にして難関にしちゃってるけど、
朝起きて歯磨いてご飯食べた、とかも、実はものすごい愛と信頼なんでしょうね。
男前なかちゅみんさん、は、実在すると思います。
ふと思ったんだけどね、神様って灯台なんよね。わたしにとって。

嵐のときとか、小船のわたしはどうしていいかわかんないでしょ、
そういうとき、灯台の光は見えなくても、どこにあるかわかんなくても、
灯台があるって信じるだけで、平安を取り戻せる。

そうすると、きっと、灯台の光が見えてくるんだと思う。
ゆゆびち様

「神への信頼感」の「神」自体がこわいものとかだったら、信頼は、うーん、できまへんexclamation

 でも、神ってどんなもんだか。おぼろげに感じ始めるのがACIM 、ワークだと思うのですよね。神が何かも愛が何かも肉体じゃない自分が何かもわかってへん、、ですよね、よく考えると私たち。

 言葉で「神は愛」とか言われたって、わかるわけないけど、言葉にはならない感覚でわかっていけるのがワーク。。。

 神っていう自分のイメージはホンマの神とは違うな、って思いながら、テキストの方を読んでinputされたデータというか感覚に基づいて、これが神かな、、、というのを自分なりに感じているような気がします。そしたら信頼感というのはそこに引っ付いてくるんじゃないでしょうか。。。

 でもいつもは神を信頼してないような思考に占領されまくっていますが。
あと、神、っていう言葉に抵抗があるなら、それを使うのやめてみるとか?
のぐさん

さすがに「神への信頼感ってどうよ」とは付けられなかったですね。

そうそう、マニュアルはワーク終わってから、
みたいな事がどこかに書いてありましたよね。
だから私も全部は読んで無いです。

自力でワークというのは、私も挫折しまくりのあげくに、
そうだったんだぁ〜、と思いましたね。
そもそも私には一日一課題、というのは無理だったみたいで。

ただ、やり直し始めた頃の気分はフレッシュでしたねぇ。
ナサナエルさん

>神への信頼=きょうだいへの信頼

あ、やっぱり?
私はコースやり始めの頃は、自分が楽になるためだけだったので、
「きょうだいの中に、、」とかの文は苦痛だったし、
理解できなかったですね。

ワークでも、課題を自分に適応して、
次にきょうだいに適応するじゃないですか。これも難しかった。
きょうだいは神への始まり、ですかね。
神見えない、じゃなくて、神ごろごろ居る、ですか。
八十さん

なるほど、そうですよね〜。
だいたい、ぜんぜん恐く無くてすっかり神にゆだねていたら、
ワークもやってないですよね。

何となく自分でも、ワークやって行く中で
だんだんそのようになって行くのかな、という気もするのですが、
前もここらの真の自己ワークあたりから、
ますますやり辛くなって行ったんですよね。

ちょっとじっくりやってみようか、って気になってます。
あきやんさん

1に「信頼」が来ますか。
左腕、どこも何となく押さえると痛いような気がしますが。

あきやんさんの言葉で思ったんですが、
何か喜びを感じてしまうと、その後に罪悪感が来る、ってのがありますね。
とっても楽しい思いをした後に、それに水をさすような事があったりして。

でもコースでは
「あなたが今喜びを感じていないとしたら、
それはエゴを選択して、神を信頼していないから」(あいまい)
みたいな事を言われ、常に喜んでいて良いんだって思わせられますが、
常に喜んで無い自分というのにまたダメダメ感を持ったりして。

当たり前に戻る事を、みんなでやってるんでしょうね。
しほさん

怖いってのを感じている自分に気が付いてるってのは、
けっこう大きい事じゃ無いかって気もしますね。

「神なんかいない、死んだらそれで終わり」
という怖がり方もあると思いますが、
そう言えば最近では、あまり聞かなくなりましたね。
ニテルネさん

マザー・テレサのこの話は、
私も最初は意外に思ったのですが、親近感を感じましたね。
レベルは違うかもしれないけれど、
マザーも、葛藤の中で愛を実践しようとしていたのだなぁ、と、
だったら私が葛藤するのもしょうがないか、みたいな。

ただ、全ての人に愛を観る、ってのは、
なかなか、、。
でぃーさん

最初読んだ時は、ほぇ〜、と思ったけど、
神を信頼しないで生きて行けない、ってのは、
真理を突いてますよね。
生きてる人は多分、みんな信頼はしてるんですよね。

神様が灯台というのも、
「心のともしび」みたいでわかりやすいですね。
それを意識していれば、強いように思います。
92課「奇跡は光の中で見えるし、光と強さとは一つ。」ですものね。
(このワークも、ぼんやりと終わったんですが)
Bliss Babyちゃん

そう、神への信頼わからなければ、
きょうだいに聞いてみたら何か返って来るかもしれない、
という、素朴な問いかけですね。そう言えば、これは信頼だわ。
そしてブリちゃんを含めて皆さんありがとう。

>なぜなら、信頼は、わたしが一人で出来ることではないから。

そうかっ、しかしこりゃぁちょっと痛いかも。

>わたしたちが見つけられないもの(=自分に対しても隠して、見えないふりをしているもの)は、J兄に預けようがない、ってことですよね。

これなんですけど、私は目の前の痛みを感じて見ている訳だから、
それは隠していない、さっさと、じゃなかった、どうかこの痛みを
預けるので持ってって下さい、とお願いしても変わらない、
というのがあって、そして
ワークをやってると、神を信頼していない自分、
というのが意識されるようになって来るんですよ。

要するに、ワークによって見つけられないものを、
見つけられた、って事だわねぇ〜。
信頼していない自分を預ければ良いという事だねぇ。楽かも。
かちゅみんさん

白かちゅみんだ。
ブラックかちゅみんがなつかしい。

まぁ、葛藤が無ければコースにも出会わないですよね。
私が日常愛にあふれていて、旦那も稼ぎが良くて家庭的だったら、
ぜったいにコースには私は出会わなかったと思います。

いや、必ずやるものなのでしたっけ。
いつやるかだけが自分で決められる。
wanna(♂)さん

ワークの実体験の話は、リアルで共有できる感覚でわかりやすいですよ〜。
こういう体験談は、下に居るものにとって、上の話の理解がしやすくなるわ。
あ、上じゃないや、wanna(♂)聖霊です。

ワークをやる中で、何かが変わって行ったのですね。
その感触は、私にも何か伝わって来る物があります。
コースやっても目の前の事が劇的に変わらないじゃん、
と、腹立たしく思った事も度々ですが、
自分の預かり知らないところで、変わってると言うか、戻ってるのかも、
という気がしないでもないです。
たかさん

たかさんの話を読んで、
小さい頃は神様を知っていて、全面的に信頼し、愛していた事を思いました。
神様は、この世界からの救いで、絶対的な存在でした。そこに在る。

それがいつの間にか、神は私にとって苦渋の状況を与える、
憎むべき、信頼できない相手にすり替わっていたのですね。
元に戻すのが大変な訳だぁ。

神という言葉は、元からは大好きだったんだけど、
神の感覚からは、はるか遠くに居ましたね。塞いでいたというか。
Bliss Babyさん

神はほんとなんも気にしてない、これは真実だと思っています。
なのにエゴは、まったくその正反対のことを真実のように話しますよね(笑)

ほんと、ヤツは・・・っていうか、神を信じないための自分は厄介きわまりない巧妙な幻想ってヤツですね(爆)


ゆゆぴちさん

楽しんではいけないという風潮をエゴは喜びますよね・・・
ほんとヤツは、ハッピーを毛嫌いする・・・

ということは、そいつは自分を幸せにしないようにする何かであることはまちがいない・・・ですよね♪
みっつんさん

そうなんだよね〜
エゴは存在しないんだから、エゴに注目するのではなく、
完全な存在としてすべてをみることを聖霊を通して学び続ける・・・
ことが大切なんだよね・・・

私もすぐに忘れてしまう(笑)♪
あきやんさん

そんで、そんなエゴを憎んだり、
ぶっつぶそうとしたりするのもエゴなんですよね。
ほぼエゴみたいな。

のぐさん

あざっす。
何か、ワークやって神の教師になって読むもの、マニュアルは、
みたいに思い込んでましたね。
それに私にとってマニュアルは読み辛くて、。(いや、他もだけど)
一番分かりやすいのが、結局ワークの説明文だったりして。
ゆゆぴちさん

そうですね〜 エゴはチェンジ・ザ・ワールド、変化、変わらなきゃに興味をもたせようとするけれど、聖霊は、「何も変わる必要のない存在・霊としての自己」をつねに思い出しなさいと私たちに語るだけだということを絶えず意識することが大切だと思います。
上の文章を書いてから、ふと思ったことなんですが・・・

エゴがしている思考の動き、分裂・細分化のすべては神に見つからないようにする−神から逃げるように「動き回る」という性質があるのかもしれないなぁ〜と・・・

反対に聖霊は、心を一点(聖霊)に戻すことを意識させ、「平穏・静止・ただある」方へと心を落ち着かせる働きかけをしているのかもしれませんね♪
あきやんさん

エゴはこっちの気を必死にそらそうとして、
ひっきりなしに喋ってる感じですよね。
ワークがあるからやっと聖霊に心を向けようか、って気にもなるけど。
 「もっと信頼したい」

 それは私も常に思っていることです。

 どうしても「なんだかんだ言って、全然信頼してないじゃん!」ってところに目が行っちゃうし、勉強すればするほど、「あ!これも神を信頼していない証だ!」って重箱の隅つつくように、こまいところにまで気付いてしまいますから。。。



 でも、私たちって実は、自分が思っているよりも、神を信頼しているんですよね。

 私たちはあたり前のように「夜の次に朝が来る」と思っているけど、これも信頼のひとつだし、誰もそれを疑っていない。

 誰かと一緒にいて、楽しい時間を過ごせるのも、「この人は私を殺さない」と信頼しているから。

 何も考えずにすっと椅子に座る時、「ここに、椅子が、確かにある」ということをわざわざ意識もしないほどに信頼している。

 
 「当たり前」と思っていることは、実は信頼の上に成り立っているし、こんな信頼のひとつひとつも、実は「神への信頼」だと私は思います。

 


 「意識を置いたものだけが増えていく」のであれば、「信頼していない私」に注目するより、もっと「すでに信頼している私」を感じてあげるほうがいいかもしれませんね。

 意識を置いているものは、必ず大きく、強く育っていくから、どんな小さなことでもいいから「信頼している私」を感じてあげるのが、結局は「神への信頼」を育てることになるのではないかと思いました。
 

けっきょく、どこにいるように見えても、なにをしているようにしても、神といつもいるってことなんだよね♪
Pollyannaさん

なるほどぉ〜。
だいたい考えてみたらおかしいですよね、
一体何の補償があって、明日には明日が来るって思ってんでしょう。
生かされてるんだ、ってのも一般的にも言われますよね。

椅子と言えば、
「この椅子にはなんの意味もない。」
を、つい思ってしまいますが、
何の意味も無い椅子にすら、安心してすっと座って、
そのまま動かないで、当たり前のようにパソコンで会話してたりする。

「この椅子にはなんの意味もないんだよ。」と人に言うよりも、
(そんな事を日常で言うと思えないが)
「この椅子、座り心地が良いんだよ。」と会話する方が、
なんか、あったかくて人と心が通じるような気がする。

やはり、神への信頼感というのは、私個人の中で求道して培われるのではなくて、
人への信頼感から培われていくような気がしました。
考えてみたら、こうやってミクシイなんて大勢の人の目に触れるところで、自分の思っていることを正直に書くなんてのも、信頼なしには絶対出来ないワザですよね〜。
ネットってのが、コースで言う「真の自己」とか「霊」とかの、
この世界での顕現みたいな感じがしますものね。
クモの巣状に広がって繋がってるイメージの。

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