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アコースインミラクルズ ACIMコミュのおしゃべりノンデュアリティコーナー

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コメント(12)

音声配信 ナチュラルノンデュアリティ雑談
(ヨガ本の感想 ツッコミ^_^)
https://stand.fm/episodes/69d2ef49efe9cdbe58e5658d
期間限定ですが、つくりました^_^
オープンチャット「ナチュラル ノンデュアリティ」
https://line.me/ti/g2/N4J8fw2CBIVliLRQ_f4eNmRGl_g8MUDFnocCkw?utm_source=invitation&utm_medium=link_copy&utm_campaign=default
観照とは
ヴィヴェーカ(ノーマインドとマインドの識別 存在意識の智慧)

マインドの無効化といういやし
のことです^_^

存在意識から識別することは
批判ではありません
(識別説明を、批判してる、と
誤解されてしまう場合がよくあります)

そして
自我とは
好奇心であり苦しみという不自然
なので
自己批判(自己評価)
そのものです

そして
大自我のあとに生じる
魂や宇宙も
それを背負っている反映です

しかし
真実在は
在るがままで価値(意味)がある無条件なので
自我や自我の産物(魂や宇宙)
は無意味(非実在)な空想なのです
ナチュラルノンデュアリティ音声配信
今ここ うちがわ 自力他力なし
https://stand.fm/episodes/69d83355385f800d27c1366f
学びとは
幻のなかのことです

それがなければ
この日常生活で生き抜くことはできません

しかし
実在は無条件、無努力であり

実在については学びは必要ではありません

学びはいらなかった

主体はいらなかった

という真実だからですね
気づき系発信によくある勘違い

今は 瞬間のことではない。
今は瞬間に気づくことができる
永遠の今です。
そして
いわゆるスクリーンは悟りではありません。
それは主体化催眠(大自我)の反映である魂がみている
スクリーンです
魂を忘れているので
スクリーンが基盤にみえてしまっております。
つまり魂(自我)ではなくスクリーン(客体意識)が
自己だと勘違いしています。YouTubeの気づき系発信でよくあるパターンの話です。
ですから、
スクリーンとしての気づきで、
五感、思考、感情を癒そうとしても
魂という主体化催眠の力動がのこっているため
うまくいきません。
遅かれ早かれ、ふたたびその主体化催眠の力動にのみこまれていき、肉体や思考や感情が自分だと思いこむことになります。
なぜなら
ナチュラルスピリットによる癒し(主体化催眠の解除をもたらすもの)ではなかったからなのですね。
この世の中にはおかしなノンデュアリティメッセージがある(非実在なのだが^_^)

小さな自我を手放し、宇宙にまかせよう

などと発信しているようだが

幻想の宇宙を誤創造したのは

大自我なのである

その支配にまかせても

平安にはならない

この宇宙にある地球は
弱肉強食の自然であり 寒暑のきびしい過酷な世界である

人類は知恵によって 食物連鎖の頂点に立ったつもりのようだが

ウィルス
病気
天災
に勝ったわけではない

この宇宙は
失敗作であることを素直にみとめよう

失敗は成功のもとだと、誤りを継続し 進化をのぞむのではなく

食物連鎖の下の立場のことを考えたことがあるのか

何の解決にもなってはいない

そして、文明は、幸せにはなっていない

学校の教師の過労、コンビニオーナーや店長の過労、いろんな心という病
毎年の2万人の自死者

この世界はニセモノの幸せの世界であることを素直にみとめよう

失敗は失敗なのである

そして

失敗作を完全に手放し

こねくりまわすことにより真の解決ができるとおもわないことだ

この無常の宇宙は実在しないのだ

なぜなら

ただ在る、無条件、無努力、永遠不変が実在であり

無常の私と、私により投影(誤創造)された宇宙

ともに実在しなかったのである

これがナチュラルスピリット
(これがノンデュアリティ)
の無条件の福音である
心が投影した結果である宇宙

宇宙は心から離れてはいない

そして心もまたその源であるノーマインドから離れていない

宇宙も心も離れているかのようにみられていたことで、仮に存在していた空想といえるのであり、
完全に離れたと信じこんだとき、現実だと妄想されるようになる

しかし、

離れていない

とみなされるとき

それらは空想としてすら存続できず癒されることになる

ノーマインドに帰還する

一切の想念は源を離れることなどできない

これが完全なる救済の保証であり

空き缶ポイ捨てのような妄想は

妄想でしかなく
いまだかつてほんとうにになされたことがない
煩悩は
スピリチュアル的な世界観においては

ワクワクと同義であろう

ノンデュアリティにおいては
基盤である実在は
すでに在る、そしてプラス、サブ性質のワクワク
である

したがって
ノンデュアリティの基盤自体は
メインの性質は主体ではなく在るがまま
である
そして
やがて幻のマインド(主体)をもたらすことになる
基盤(実在)のサブ性質がワクワクである

基盤(実在)にあるワクワク(サブ性質)が
ウキウキ(浮気浮気)という空想状態
を作る
つまり空想する

ここで注意しなければならないのは
実在のサブ性質ワクワクから
ウキウキ(空想)がおきるときに
そのまま(つまり在るがままの正気とともにあるワクワクからのものとして)
幻想の宇宙が想像されたのではない
という点である

なぜか

もし正気がともにあるなら
残虐な戦争や猟奇的殺人事件のある
宇宙など想像されるわけがないからである

このゆえに
神のサブ性質のワクワクからの
はじめての試み(ワクワク)
において
何かミスがおきていたのである

それが
空想(努力)に
主体化催眠(自律心、自己原因妄想、そして空想ではなく行為者つまりカルマ主という信念)
を与えたことなのである

つまり
神から離れたかのような
孤独な状態の苦しみ
からの
非喜劇のシナリオが誤想像され、
そして投影されたのがこの宇宙である
そこでは
特別性が現実のものとして信じられ
条件が現実のものとされ
特別の憎悪、特別の愛の関係として
行為が現実として称賛され、また、批難される世界を作り上げたのである

それは催眠により
ほぼ完全に無条件の平安を忘れているという
不自然な苦しみの、そして無常の世界なのである

それは無条件、無努力、永遠平和
という実在のメインの性質とは、
もはや真逆の幻想世界となったのである
NACのナチュラルノンデュアリティの小冊子を
先週からAmazonのプリントオンデマンド方式で個人出版いたしました。
題 ノンデュアリティ 試論
です
(パソコンをもっていないため、スマホアプリで、作成できるフォトブック用アプリを使用いたしました。そのため、ページ数と値が決まってしまっているため、ご容赦くださいませ。)

https://amzn.asia/d/05ujS49Q
タフティでは
愛されたいなら

まず
自分がそのまえに前提なしに
愛そうとしなさい

といいます

これは
真の無条件
という意味ではなく

そういう夢をみたいなら
まず
自分が愛という主体的な活動性を
もちなさい(創造)
という

ものですから

活動を奨励していて

真の実在(ただ在る)という平和(静寂)

とは

ちがうといえます
マインドフルネスでは覚醒が遠回りになる理由

仏教以外でも
さいきん流行のノンデュアリティの
説明では

日常の思考よりも感覚(五感)に意識をむけよう
そして湧いている感覚が今おきていることである(湧いていることである)

というふうに
湧いてる思考よりも、湧いてる感覚に注意をむけることをすすめているスピーカーがいる

しかし
イエスの奇跡講座(ACIM)によれば
五感とは
大自我の投影である
(例、神からの分離の苦しみを投影すると、たとえばガン細胞をつくり、自分の身体を攻撃し、激痛という五感になる)

このように
五感にフォーカスするだけだと
それは
非活動つまりはノーマインド(ノー大自我)
による聖霊(ただ在るナチュラル記憶)のいやし

につながらないのである

つまり
みずからの心を軽んじ、五感にフォーカスしてしまうため

自らの心の背後にいてくれるノーマインドの記憶である聖霊のいやしという
ダイレクトないやし

ではなく
大自我(活動性)の投影である五感(活動性)にフォーカスしてしまうことになるのである

そのフォーカス状態では
大自我から湧いてくる投影(感覚)、活動性だけをみており

無活動(非活動)のダイレクトないやし

ついては逆に忘れてしまっている

つまり心こそ、ノーマインドへの癒しをうけいれるダイレクトなポイントであるにもかかわらず

思考をきらうあまり

大自我の五感のほうにフォーカスしてしまうため

思考

ノーマインドへの癒し
という
近道

を否定して

反対の物質性(投影、五感)へフォーカスする
ことで

遠回りして、
私はいないが、おきることがおこりつづけてる

というドツボに陥っています

ほんとの癒しは
思考

ノーマインド

というダイレクトさであり

私はいないので、なにもおきていないようにみえる

というほんとうのいやしなのです

このためには
なんの努力もいらないのです(無条件、無努力)

外部にフォーカスしていることは
魂、意識、五感、思考

五感にしかフォーカスしていないため

大自我とその分裂である魂(心)
を癒してくれる
聖霊(ただ在るナチュラルの記憶)
を否認しています

ということなので
外側への遠回りの努力をしていることになるのです

以上が
奇跡講座(ACIM)の形而上学からみた
仏教のマインドフルネスや
流行の五感へのアプローチをすすめるバージョンのノンデュアリティついての
感想です


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