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2024年04月02日14:12

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イケメンは内!不細工は外!それ大丈夫?

 人間は第一印象が大事!と豪語される方が世のほとんどを占める中、筆者は例によってそこに一石を投じてみたいと思います。どんな一石でしょうか?それは、イケメンを所謂「性格も良き人」と言う判断基準につての一石です。
 具体的に申し上げましょう。所謂世においてイケメンとされる人間におおよそ、「性格まで良き人」と言うのは、稀ではないかと思慮する訳です。何故でしょうか?それは、所謂イケメンであれば、自身に相当な自信(ニヒリズム)があるため、自然とその人はイケメン故に自身を誇る様になり、引いてはそれが仇となり、世では却って「煙たい存在」となり得るのです。その理由は明確です。自身を誇る故です。
 では、これのどこが悪とされるのでしょうか?それは、所謂「不細工」をその自身のイケメンさ故に蔑みの対象と化し、或る時は実際に「不細工!」と発話を以て、世に言う顔に自信が持てない人間を愚弄し、或る時は悲しいかなそれをいじめの対象としてしまう故です。これは実に悲しむべき事象ですが実際の世ではこの様な事が実際に起こっているのが現実です。
 では、これに対する対処法はあるのでしょうか?
 次に見て行きたいのがそれについてです。所謂不細工な人間はその持ち合わせる性格まで悪しき人間であり、所謂「忌み嫌うべき」存在でしょうか?もうお解りの事と存知ます。そうです。「否!」なのです。何故でしょうか?それは、世では「坊主憎けりゃ袈裟まで憎い」のたとえ通り、不細工な人間は或る時はその存在意義すら否まれる様な人生を過ごす場合があるのです。しかし、考えてみて頂きたいのです。世に言う「不細工」は本当にそんな風に蔑みの対象でしょうか?これもお解りの事でしょう。「否!」です。
 何故なら、その人にはその人なりの労苦が世ではあり、そこからその人は実にその人の人生をかけて、そのいろはについて深く深く学び続け、或る時はその容姿の悪さ故に深く傷つき、その自身の容姿を自身が呪ってしまう。そんな場面も或いはある事しょう。
 しかし、その所謂「不細工」な人は、その傷が深い分多くを獲得し、学んでいる場合がほとんどと言っても過言ではないでしょう。そうです。実際に考えてみてください。自身が所謂「不細工」であった場合、同じ思いをその目の前の人に味わわせて、労苦を与え、その人をありったけの力を以て呪う。そんな考えを持った人間は稀なのです。故に、私達はタイトルに挙げた用に「イケメンは内!不細工は外!」と不細工な人を蔑ろにして行けば、ひいてはその考え方が自身の身を滅ぼすのです。
 それ故、兎角この問題について私達は、自身に厳格であるべきです。
 人を「イケメン」か「不細工」だけで判断していないか?そして、もしそうだとしたら、それを直ちに改める必要がある訳です。何故なら「不細工」のレッテルを貼りつけた人はやがてそのレッテルにより自身が傷つくからです。私達は先ず、この点に於いて自身に謙遜であり、常に「この様な者は人の事などとても評価できな存在ではない」と身を低く保ち、目の前の存在をイケメンであろうが、不細工であろうが、愛の眼差しを持ち「大切な存在!」と宣言する必要があるのです。
 今一度考えてください。世の人間を「イケメン」か「不細工」かで判断すれば、それにより、身が滅ぶのは他でもない自身なのです。
 故に私達は先ずこの点に於ける判断基準を完全に放棄して行く必要があるのではないでしょうか?もし自身がそんな判断基準で、存在が軽んじられ、立った二単語のみの判断基準で、あらぬ評価を目の前の存在からされてしまったら?それは深く深く傷つく事でしょう。
 故に私達は先ず「イケメン」「不細工」と言う評価基準を心の内側から徹底排除しましょう!そして、やがて出会うであろう、人生最大のパートナーには決してこの評価基準を当てはめてはなりません。自身の身が滅びない為です。「イケメンは内!不細工は外!それは本当に大丈夫な評価基準ですか?」

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