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2023年12月31日19:02

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小説を作成しました!「嘘吐き小好しの分け持つ夢」後編

※ 一人称小説ですが、良かったら是非、朗読の台本としてもお使いください。
金銭が絡まなければ使用自由。
大幅な改変等はツイッター @annawtbpollylaまで要許可申請。

自作発言は厳禁です。 ※

※1 今作自体は小説という体裁で作られていますが、
声劇台本である「二方美人(にほうびじん)。」の第二世代シリーズです。
「二方美人。」やそのシリーズを知らなくとも当小説単独でもお楽しみいただけますが、 同シリーズ作や派生作品も読んでいただければとても幸いです。

(以下リンク)

「二方美人。」(1:4)
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1958862956&owner_id=24167653

「二方美人。」シリーズ及び関連作品のみのまとめ
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1964303733&owner_id=24167653

※2 当作品及び今後制作予定の第二世代シリーズの、世界観や登場人物の説明まとめ。
https://mixi.jp/view_diary.pl?id=1984088366&owner_id=24167653

※3「嘘吐き小好しの分け持つ夢」
(前編)
https://mixi.jp/view_diary.pl?id=1986660102&owner_id=24167653




「嘘吐き小好しの分け持つ夢」

(後編)

 八月九日。今日は俺の誕生日。高校二年から三年に上がっても結局まだ実(みのる)さんの部屋にお世話になりっ放しだ。こんな、世話になりっ放しの俺を実さんは責める事もせず、それどころか今日は俺のためにプレゼントの写真立てと、二人で一緒に食べようと言って和菓子屋の立派なフルーツ大福の詰め合わせを用意してくれた。ケーキじゃなくてフルーツ大福なところに少しずれた物も感じて、それもまた実さんらしい。俺におもち君なんてあだ名をつけたくらいなのだから、本当にお餅の類が好きなのだろう。

 俺の誕生日はこんな夏休みの真っただ中なのもあいまって、小さい頃からずっと、誰かに祝ってもらう機会は無かった。一応何人か、友達と言える人は居なくもなかったが、夏休み中にわざわざ自分から連絡して「今日誕生日なんだ」なんて、押しつけがましい事はできない。その程度と言ってしまえばその程度。遠慮の抜けない間柄しか築く事ができなかった俺のせいなのは間違いない。

 いちご大福にみかん大福、そしてぶどう大福。それらはどれも果物はみずみずしく、餡子はしっとりとした舌ざわりに確かな重みを感じ、また外のお餅の部分は柔らかくとろけるよう。酸味と香りとが餡子の重みのある甘さを受け止めて、さわやかな気持ちにさせてくれる。大げさかもしれないけれど、俺はそのフルーツ大福達それ自体が、俺の事を祝福してくれている。自然とそう思えた。

 実さんは自身の頬の中の大福を味わいながら、大福を頬張る俺の姿を見て幸せそうににこにことしていた。初めてだった。こんな気持ちを味わう事ができるのなら、今まで沢山つらい事があったし、死にたいと思った回数も数えきれないものだったけれど、それでも生きていて良かった。

 俺は小学五年生の頃、実家の自分の部屋に自分の遺影を作って飾った。それ以来、学校から帰る度にその遺影に向かって手を合わせた。馬鹿な事してんなって自分でも思いながらも、そうすると少しだけ気持ちが楽になるのを感じて、それと同時にこんな自分が本当に幸せになれる時なんて訪れないのだろうなと確信めいた物を抱いていたのを覚えている。親によって撤去されていなければ、恐らく今でも俺の部屋にはその遺影が飾ってあるはずだ。

 そんな俺が、こんな幸せ。出て行きたくない。情けない話だけど、もし仮にどこか、出て行ける先が見つかったとしても、俺は出て行きたくない。ずっと実さんと一緒に居たい。迷惑ばかりかけていて、料理の練習をしようにも俺一人じゃ危ないからって言って実さんが毎度手伝ってくれて、結局実さんの手を煩わせる事になってしまって。全然、何も返せてないのに。俺が必死に一(いち)を返す間に、平然と百を与えてくれる実さん。離れたくない。こんな素敵な人の足を引っ張っているのに、こんな素敵な人だからこそ、離れたくない。

 だめだ。このままじゃだめだ。俺はもう高校三年生。この先、とにかく卒業したら働かないといけない。何か自分の進むべき道を探して、就職先を見つけないといけない。そして、ここを出て行って、一人で頑張るんだ。家族仲の改善は既に諦めている。だったら一人でなんとか生きていくしかない。実さんだって来年は大学四年生。就職活動が始まる。俺がここを出て一人で立派に生きていかないと、実さんの就職活動にも支障を来す(きたす)かもしれない。

 実さんは幸せに包まれて生きていかないといけない人なんだ。俺が実さんの人生の足を引っ張るなんて、あってはならない事なんだ。

 大福を食べ終わり、二人で片付けをした後、俺は学校からもらった企業案内を見ていた。俺の通う高校の生徒を採用したいと言ってくれている企業がいくつか存在していて、既に俺はいくつか面接を受けている。ただ、俺は元々バイトの面接ですら何個も落ちて、採用されるまで二か月もかかった人間で、加えて基本的にうちの学校は進学を前提にしているのもあり、そうした企業の絶対数自体少ない。その上、俺自身が一体何をしたいのかも分からず、ただただ給料や待遇等を見てなんとなくで希望を出して面接を受けているのだから、歓迎される理由が無い。

 そうした学校に来ているもの以外でも、積極的に色んな企業の高校生用求人も見てみるものの、どうにも分からない。俺は一体何がしたいのか。

 溜息混じりに無為な時間を過ごしていると、隣の部屋からノックがした。引き戸を開けると、お風呂を上がってパジャマに着替えた実さんが、お盆にティーカップとポットを乗せて立っていた。俺は礼を言ってその紅茶を受け取ろうとしたが、よく見るとティーカップはお盆に二個乗っていた。こうして実さんが俺の側の部屋に入ってくる事は何も珍しい事ではないが、俺はその度に自分の醜さと向き合わなければならなくなる。

 実さんは俺の隣に座って一緒にテーブルの上の求人雑誌や企業案内を眺めた。二人の間はおよそ実さんの細い腕、その一本分にも満たない程度の隙間しか無い。心の落ち着くふんわりとした匂いがする。我ながらに気色悪い。あまり意識したくは無いのに、どうしようもなく俺の意識を惑わせる香りを感じてしまう。

 実さんは真剣に、俺の為に、俺に向いている企業はどんなところかだとか、俺の長所と短所はそれぞれどんなところだとか一緒に話し合ってくれて、求人情報に載っているこの文言はこういう意味であって勘違いしやすいところだから注意が必要だとか、知識も分けてくれている。それなのに俺は、それらの言葉にちゃんと集中できておらず、実さんの香りに気持ちが持っていかれてしまっている。

 やっぱりだめだ。今日は最高の日、今までの人生で一番幸せな日。生きてて良かった、死ななかった事の意味を見つけた日。だからこそ、今日という日を俺の醜さで上塗りするなんて耐えられない。どうしても感じたくない事を感じてしまうし、思いたくない事を思ってしまう。どうにかして自分の部屋に帰ってもらおう。

 そう考えていた矢先、実さんは立ち上がった。そして「ごめんなさい、ちょっと体が冷えちゃった。タオルケット貸してね?」と言うと、俺の折り畳みベッドを寝かせ、そこからタオルケットを剥し自らの体に包み、ベッドの上に座った。

 気付くと俺は、実さんの事を押し倒していた。実さんは一瞬驚いた表情をした後、静かな力強さを感じる目で、何も言わずに俺の目をじっと見つめた。

「ごめんなさい」

 そう言い、ベッドの上に倒れた実さんから逃げるように自身の体を横へとずらし、左手で顔を覆った。実さんは上体を起こさず、天井を見上げたまま、俺に声をかけた。「どうしてこんな事したの?」

 どうして。恐らく『いい加減、少しくらいは怖がってくれないと困る』と、押し倒したあの時、そう思ったような気がする。そこには『そうでないと、いつか他の男に何か誤解を与えて、自分の望まない目に遭わされるかもしれない』という気持ちもあった。俺は嘘吐きだ。自分にすら嘘を吐く。そんなものは言い訳に過ぎない。都合の良い、俺の行動を正当化するための言い訳。本当は、ただただ。

「ごめんなさい、その……少しくらいは怖がってほしい、なんて思いました。でもそれはただの言い訳で、本当は……俺が弱くて醜くて、実さんに、顔向けできないような感情がずっと自分の中にあって、いつもその気持ちを抑えていたのですが、さっきはその抑えが間に合いませんでした。」

 これはこれで言い訳がましいが、それでもこれは俺の本音そのもの。そしてそこに「ごめんなさい、本当にごめんなさい。出ていきます」そう続けた。

 実さんはそれを聞いて上体を起こし、俺の方を見てただ一言「おもち君」と声をかけた。俺はその目を見る事ができず、俯いて「はい」とだけ答えると、実さんはまた一言「苦しいの?」そう尋ねた。

 苦しいの?それはどういう意味だろう。この問いに、どう答えたら実さんは何と返すのだろう。この期に及んで自分の中に都合の良い展開が思い描かれた事に、ひどく嫌悪感を覚える。やっぱり俺はこんな奴だ。恩を仇で返す奴だし、実さんを傷付ける人間だ。それでいて実さんを傷付けたばかりなのに、反省も後悔もそこそこに、都合良く許してもらえる展開を夢想する、ろくでもない人間。

 だけどせめて、表面上だけでも。実さんのこの問いに対しては、ろくでもない人間としてでなく、ちゃんと、答えるべき事を答えなければならない。俺の、答えたい事を伝えなければならない。顔を覆っていた左手をどけ、体を実さんの方へとまっすぐ向け、呼吸を整えて。

「苦しい、です。ですが……苦しみ、たいです」

 俺は嘘吐きだ。そんな高尚な人間じゃない。それでも、俺の中に『苦しいけれど、苦しみたい』その気持ちはほんのひとかけらでも存在する。そして、その気持ちを俺は本音にしたい。たとえ今は嘘でも、それを本音にしたい。それが今の俺の本音。

 実さんはそれを聞くと、穏やかな微笑みを浮かべ「きみは強い子だね」と一言呟いた。当然、俺はその言葉を素直に受け止める事などできるわけがなかった。そして暫くの沈黙の後、実さんは「出ていかないで」と言い、俺の服の裾(すそ)をつまんだ。それに対し俺が「いや、でも本当に、事実俺は実さんに怖い思いさせたわけですし」と言おうとすると、それを途中で遮り「怖い思いさせられたからこそ、一個くらいお願い聴いてよ」と、裾をつまむ力をより強くした。

 本当に、この人は嘘吐きだ。怖い思いさせられたんだから、一個くらいお願い聴いて。それが本音な訳無いでしょうに。この人は俺に言い訳を与えるためなら平気で嘘を吐く。怖かった事それ自体は本音だろうに。なんで俺はこんな人を怖がらせる真似をしてしまったのだろう。

 俺が観念して、卒業までは出て行かない事を伝えると、実さんは大げさなくらいに嬉しそうなそぶりを見せた。意味が分からない。何なんだこの人は。せめて逆だろう。俺が誠心誠意謝って、実さんにすがり着いて「もう二度とこんな事しません。心を入れ替えます。行く宛てなんて他に無いんです」そう言って部屋に置かせてもらうよう必死で頼み込む。せめてそうだろう。この人は、本当に。こんな、この世の……いや、どこの誰よりも傷付けてはならない存在に俺は。

 その後も罪悪感にかられあまり喋れないでいる俺に対し、実さんは「さっきおもち君ね、私の肩とか腕じゃなくて、タオルケットの余ったところを掴んでたんだよ。自分の弱い部分に、最後まで抵抗してたのよ」「私には夢があるんだ。おもち君とだったらその夢が叶う気がするの」等と、ぽつぽつと話しかけてくれた。夢。実さんの夢とはいったいどんなものだろう。俺とだったら叶うかもしれない。果たしてそうなのだろうか。思う事は色々とあったものの、それらを口にする程度の余力すら無く、俺は「はい」「そうなんですね」「すみません」「ありがとうございます」をローテーションするような返事しかできなかった。

 一言二言しか返せない俺に、代わる代わる話題を提供してくれる実さん。嬉しいには嬉しいけど、今の俺は会話を弾ませる事なんてできっこないのだから、むしろ今は放っておいてくれた方がこれ以上気を遣わせてしまわなくて済む。そう思っていると、実さんは「きみが、私がきみを強い子って言っても自分で納得できないのも分かるから大丈夫よ」と口にした。続けて「私もね、昔から学校の友達や近所の子に言われてきたのよ。良いとこのお嬢さんみたい、みたいなね。でもね、私からしたら全然そんなのじゃないのよ。お父さんに敬語使ってそうって言われるけどそんな事ないし、一人で居る時まで常に正座するわけでもなければたまには猫背にだってなるし、それに私もスナック菓子くらい一人でこっそり食べたりするんだから」「だから、それと同じで、きみが強い子っていうのも私はそう思ってるってだけで、おもち君自身が無理にそれを呑み込む必要は無いのよ」と、俯く俺に開いた手のひらを見せて、手振りを交えて語りかけた。

 その手振り一つ一つにどんな意味を込めていたのかは分からなかったが、なんだか俺はその話を聴いて、少しだけ笑えた気がした。俺のそれと、実さんのそれはだいぶ違うでしょうに。だって俺は事実全然強い奴じゃない。だから現にこうして実さんを傷付けて、しかもその後もうじうじして実さんに余計な気ばかり遣わせている。実さんのそれは、なんていうか実さん本人がいや全然、お嬢さんとかじゃないのよってアピールしてる内容全部、だから何だよっていうか。そのくらい誰でも普通だし、全然お嬢さんじゃないアピールになってないっていうか。全く、何言ってんだか、この人は。

 ほんと、この人は。こんな人がまさかこの世界に居たなんて。



 三月。ついに出て行く日がやってきた。卒業式を終え、今から就職先……まあ、一応、給料は出るわけだから、就職先と言って良いだろう。格安で貸してくれるという、就職先近くの空き家へと移り住む。荷運び・荷解きは既に終わっている。その際にも実さんはバイトのお休みを調整してあんな辺鄙(へんぴ)な、ここと比べても更に田舎も田舎な土地にまで手伝いに付いてきてくれて、なんというか、この人は本当に、どうか誰よりも幸せに満ちた人生を送ってほしい。

 来月から『和菓子屋 源(みなもと)』にて店主の源(みなもと)さんの元で修行の日々を送る事になる。ずっと夢も目標も無かったけれど、何なら頑張れそうかと考えた時、これしか無いという結論に至った。俺も、誰かの幸せの傍にあって、その幸せを更に彩るようなものを作りたい。

 十一月頃、ちょうど引退間際の職人さんが自身のお店を畳む前に最後に誰かに自分の技術を託したいという話がある事を学校の先生から聞き、親や先生、実さんと話し合い、面接にも行き、無事そのお店の弟子兼従業員となる事と決まった。あの時は大変だった。先生が一緒に居る、三者面談なら流石にその場で殺される事は無いだろうと思って自分を落ち着かせようとしても、どうしても心の奥深くの恐怖は理屈だけで晴らせなかったし、それも下手をすると親が先生に、俺がずっと家出している事をばらすのではないかという懸念もあった。

 結局それらの心配は全て杞憂に終わり、少し時間に遅れて三者面談に来た母親は、心底どうでも良さそうに全ての質問や確認事項を「はいはい」「良いんじゃないですか、その子がそう言うなら」と流して、教室から出ると俺に何も話しかける事なく、正反対の方向へと歩いていった。その時の様子を実さんに言うと実さんは怒っていたけど、良いんだよ実さん。その方が俺にとってはよほどありがたい。

 いよいよ別れの時。目的地が田舎も田舎なため、交通の予定をずらす事はできない。玄関からバス停まで早歩きで十五分、そしてバスの到着時刻まであと二十分。最後の会話も手短かに済まさなければならない。

「実さん、今まで本当にありがとうございました。迷惑ばかりかけてしまいましたが、実さんに良くしてもらった分、これから出会う沢山の人達に優しくできるよう頑張って生きていきます」

 口から出てきた言葉は、何度も何度も考えて用意していた別れの挨拶とは違うものだったが、今の俺にとってこれほど自分の気持ちを素直に表した言葉も無いだろう。

 実さんは「私もね、おもち君からもらったものがいっぱいあってね。ありがとうね、私もおもち君がしてくれた事、周りのみんなに配っていくね」と、青いハンカチを目尻に当てながら、途中詰まりながらも気持ちを伝えてくれた。実さんの泣いているところなんて初めて見る。

 俺にとってはその言葉と涙とでもう十分で「ありがとうございます、どうかお元気で」と返して、それで後腐れ無く出発するのでも良かったものの、ふと気になる事があったのを思い出した。

「ありがとうございます。あの、ところで実さん。実さん、前に言っていたじゃないですか。夢がある、その夢を俺となら叶えられるかもしれないって。あの夢って一体どんな……いや、あの夢って、叶いましたか?」

 あの夢って一体どんな事だったんですか?と訊こうとしたものの、それはやめた。言いたければ自分から言うだろうし、その夢がどんな事であるかよりも、実際、実さんのその夢が叶ったかどうかの方が俺にとっては重要だ。

 実さんは少し迷ったような様子を見せた後、誰も近くに居ないというのにわざわざ俺の耳元に手と口を近づけ、小さな声で「叶ったよ。きみとの生活は全部、私の夢を叶えてくれた」と囁き、案の定びくっとする俺の姿を見て、にまにまと笑った。

 この野郎と思う気持ちもあったものの、その嬉しそうな姿を見ると、抗議をする気持ちも失せてしまった。そっか、俺は実さんの夢を叶えられたんだ。そっか……どんな夢だったのかは分からないけど、きっと素敵な夢だったんだろうな。……さて、さてだ。あまり立ち止まっていると出発したくなくなってしまう。今度こそ行かなければ。

 そう思った時、実さんはポケットから八方手裏剣のキーホルダーを取り出し「これを私だと思って、大事にしてね。それと、いつかお休みの日に、きみの作ったおいしい大福やお団子をお土産に持ってくること。良いわね」と、俺の右の手のひらに押しやった。

 一年以上ずっと一緒に暮らしていて、今、初めてその手に感じた実さんの手の感触に、先ほどのそれを更に大きく上回る動揺を感じ、言葉が出なくなってしまった。また実さんはそんな俺を見て嬉しそうにしている。この人って実(じつ)は良い人じゃないんじゃないのか。

 解散の仕方が分からなくなってしまい、しばらくまばらに話をした後、本当にもう間に合わなくなってしまいそうになったので、俺は「本当にありがとうございました、どうかお元気で」と、言おう言おうと思って中々言えなかった言葉をようやく口にして、手を振りながら旅立った。



 タオルケット。

 綺麗に咲いた花。

 座布団、みかん。

 お揃いのパジャマ。



 夢を見ていた。眠っていたのは一時間と少し。乗り換えはまだまだ先だから、もっと寝ていても良かったのに。

 師匠に頼み込んで、恩人に渡すからと作らせてもらった大福とお団子。本当はもっと年月をかけて、ちゃんと自信が持てるようになってからと思っていたのだけど、まあ仕方ない。実さんから、あの一緒に暮らした部屋は学生の間だけという契約で、せっかくだからまたあの思い出の部屋で再会したいので三月初めまでに持ってきてほしいと連絡が来たのだから。

 果たしてこの出来で満足してもらえるかな。してもらえなかったとしても、実さん本人が急かすのだから仕方ない。そう、仕方ない。仕方ない。そう思いながら再び、鞄に付いている八方手裏剣のキーホルダーを指で撫でた。

 こうしていると実さんを思い出して、心が安らぐ。……そういや実さん、俺がどうして実さんのあだ名を手裏剣、なんて言ったのか知らないままだったっけ。部屋に着いて、ある程度落ち着いたら伝えようかな。

 変てこではあるけど、あの時の俺なりに真剣に思った事。人生がもしも一冊の本だったら、その時その時の大事な思い出は、しおりに例えられるだろう。だけど実さんは、本当に不意に、どこからともなく現れて突き刺さったような存在だったから。だから、手裏剣みたいって思ったんだ。それでどんな手裏剣って訊かれたから、実さんの好きな苦無(クナイ)手裏剣よりも、より深く突き刺さって絶対抜けなさそうな、八方手裏剣。

 ふふ、笑うかな。笑うかなあ、実さん。



 数時間の後、乗り継ぎも無事にこなし、朝日とともに、ようやく二人で暮らしたあの部屋の、最寄りのバス停へと辿り着いた。

 そこには目を閉じた実さんが座っており、俺はまたしても「まったくもう」という気持ちになった。出発前にちゃんと電話で確認したよね、実さん?何時頃に着くから、それに合わせて起きてお部屋で待っててって。ちゃんとお互い確認したよね?なんで来てるのかな。しかも寝てるし。

 実さんは俺の姿に気付くと、寝こけていた事を誤魔化すように「おもち君!お疲れ様!」と大きな声で言い、俺の荷物を奪って胸に抱きかかえた。取り返そうとする俺に、実さんは「長旅で疲れてるでしょ、お部屋までくらい私が持つわ」と言って聞きやしない。

 そういやそうだった。実さんって、お淑やかな雰囲気の割に、言い出したら聞かないっていうか。言葉を選ばず言えば頑固というか。そんなところも、この人の魅力なんだった。

 大きな鞄を一生懸命に抱きかかえ、俺の前を先行する実さん。一年ぶりに逢う実さんの斜め後ろから見えるその顔は、来月から社会人という事で以前に増して大人らしく見えはするけど、それでも、あまりにも俺の知っている実さんそのもので、油断すると涙が溢れてしまいそうになる。

 言いたい事、いっぱいあるよ。頑張った事、自慢したい事、慰めてもらいたい事。聴きたい事もいっぱいあるよ。嬉しかった事、成し遂げた事、苦しかった事。

 二十分かけてゆっくりと歩いて辿り着いた、懐かしい二人の部屋。実さんはその鍵を開けて先に部屋の中へと入り、鞄を廊下の脇に置いた。

 そして後から入ろうとする俺に対し振り向くと、両の手をこちらにまっすぐと差し出し「お帰りなさい」静かな声でそう言い、穏やかな笑みを浮かべた。

 この人は。本当にこの人は。生徒世 実(いくとせ みのる)さんは、本当に悪い人だ。





 以上
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