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2022年06月12日15:41

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「戦争は女の顔をしていない」その17

「赤ずきんちゃんのこと、戦地で猫が見つかる喜びのこと」の章

看護師
「何を悔やんでいるか?一人の坊やのことです。
7歳の坊やが母親を亡くしてひとりになってしまった時のことです。
母親は殺されてしまったんです。道端で母親の死体のそばにその子は座っていました。
もうお母さんはいないんだということが分かっていないんです。
目を覚ますのを待っている、おなかが空いて…。
私たちの連隊長はこの男の子を手放しませんでした。
「お前のお母さんはいなくなったがお父さんはたくさんいるぞ。」
そうして連隊の息子として育ったんです。7歳のときから自動小銃に薬きょうを詰めて。
あなたがお帰りになったあと夫に叱られるわ、あの人はこういう話が嫌いなの。
戦争に行ったこともないし、私より年下だから。子供はいません。
私はあの男の子を終始思い出すわ。引き取って息子にすることもできたのに、って。」

地下活動家
「あの頃私は泣かなかった。私が怖かったのはひとつだけ。
同志たちが捕まると、じっと待っているのが恐ろしかった。拷問に耐えきれるか?
耐えきれなかったらまた次の逮捕者が出る。
それからしばらくすると、その人たちが死刑になるという情報。
今日は誰が絞首刑になるのか見てこいという命令。
絞首刑の縄が用意されているのが見える、泣いてはいけない、立ち止まってはいけない。
いたるところに見張りがいる。じっと黙っているのにどれだけエネルギーがいったか。」
「私は覚悟はできていたけれど、すべてわかったと実感したのは自分が捕まってから。
監獄に放り込まれ、軍靴で蹴られ、鞭打たれました。
ファシストの「マニキュア」というのを身をもって知ったんです。
手をテーブルに乗せられて、専用の機械を使って、爪の下に針を打ち込む。
指の1本1本同時に。これは地獄のような痛さ、すぐに気を失ってしまう。
丸太で体をひっぱる拷問もありました。うまく言えない、正確じゃないかもしれない。
覚えているのは丸太と丸太の間に体を入れられて、何か装置で引っ張られる。
自分の骨がぼきぼき言うのが聞こえる。どのくらいの時間だったか覚えてない。
電気椅子でも拷問された。私が刑吏どものひとりにつばを吐きかけたから。
私は素っ裸にされて、そいつが胸をつかんだ。つばを吐きかけるのが精いっぱいだった。
それ以来電気恐怖症なの。電気を通された感覚が忘れられない。
アイロンをかけはじめると全身に電流を感じてしまう。
戦争のあとで何か精神科的な治療が必要だったかもしれないわね。「
「私に絞首刑の判決が下って、死刑囚用の監房に入れられました。他に二人の女性。
私たち、泣いていなかった。パニックにならなかった。
地下活動に入ったとき、どういう覚悟をしなければならないか知っていたし、
落ち着いていたわ。詩を語り、好きなオペラを思い出していた。
アンナ・カレーニナのことをたくさん話したわ。恋愛のことを。
子どものことは話題にもしなかった。思い出すのが怖かったの。」
「ずいぶん長く車に乗っていったわ。車が止まって20人ほどが降ろされた。
普通に降りることができない。それほど痛めつけられていたから。
無造作に地面に投げ出されたの。司令官はバラックまで這って行くよう命じた。
バラックのそばで、女の人が立って赤ちゃんに乳をやっている。
それが…そこの犬も見張りもあっけにとられていて手を出さないの。
司令官はこのありさまを見て、そのお母さんの手から赤ちゃんをもぎ取った。
そこには給水塔があった、赤ちゃんを鉄の給水塔に打ち付けたの。
脳みそが流れて…お母さんがふらっと倒れた。心臓が張り裂けたのよ。」
「ファシストの強制労働でラマンチャ岸辺の収容所に送られた。
春、パリコンミューンの日にフランス人が脱走を企てました。
私も脱走してフランスのパルチザンに逃げ込んだの。フランスの十字章をもらった。」
「勝利のあとで家に戻った。ミンスクについても夫はいないの。
夫は内務人民委員会に逮捕されて、監獄にいたの。
そこへ行くと「あなたの夫は裏切者だ!」私と夫は地下活動に参加していたのよ。
「そんなはずはありません、あの人こそ本物の共産主義者です。」
「黙れ、フランスの売女め、黙るんだ!」
占領地に住んでいたこと、捕虜になったこと、ドイツに連行されたこと、ファシストの
強制収容所にいたこと、そのすべてに疑いがかけられたの。
ただひとつの質問は「なぜ生き残ることができた?どうして死ななかったのか?」
私たちが戦っていたこと、勝利のためにすべてを犠牲にしたことなど全く考慮されなかった。
スターリンは結局民衆を信じなかった。祖国は私たちにそういうお礼をしてくれたの。」
「私はあちこちの役所に通った。夫が釈放されたのは半年後。
肋骨を1本折られて腎臓を殴られて。
ファシストは夫を捕まえたとき、頭を傷つけ手を折った。
でも、内務人民委員会は夫を身体障碍者にしてしまった。
その後何年も看病し、病気から救い出しました。
でも私は何も抗議できなかった。彼は聞く耳を持たなかった。
「これは間違いだったんだよ、大事なのは我々が勝ったってことだ」

地下活動家
「息子といっしょに歩いている。あたり一面、殺された人達が横たわっています。
息子に赤ずきんちゃんの話をしてやる、まわりは、至るところに殺された人たち。」
「パパってどんな人?と聞かれて、色白で金髪でかっこいい人、と説明します。
夫は身障者になって戻り、もう年をとっていて、これには困りました。
色白でかっこいい人だと息子は信じていたのに、年よりの病人が来たんです。
息子は長いこと、夫を父親と認めませんでした。」

機関士
「戦争のための特別輸送隊が作られて、夫と二人でそこに志願しました。
夫が機関長で私が機関士。4年間息子もいっしょに暖房貨車で国中を移動した。
あの子は戦争の間中、猫というものを見たことがなかった。
キエフ駅の近くで猫を拾ったとき、猛烈な空襲にあって、5機の飛行機が襲ってきた。
息子は猫を抱きしめて、猫ちゃんお前に会えてよかった、誰にも会えないんだもの、
僕といっしょにいてよ、いい子だねぇ、キスしてあげるよ。…子供なのよ。
寝るときも「お母ちゃん、うちには猫ちゃんがいるんだよね、本物の家になったんだよね」と。
こんなこと、作り話ではできないわ。これは抜かさないでね。
必ず猫ちゃんのことを書いてね」
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