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2020年10月30日00:02

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穴太・下阪本巡り5 東南寺 / 酒井神社 下書き

 10月11日日曜日は、明智塚を見学した後、下阪本地区の社寺・史跡巡りを続けました。一帯は麒麟だらけです。ww
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 この地域は室町時代には北国街道沿いに市場が連なる繁華街になっており、六道町と呼ばれていました。
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 特に道幅が広くなっていた中心部は大道とも呼ばれていた様です。
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 江戸時代には「下坂本」と呼ばれていましたが、明治時代になって「“坂”は“土に返る”に通じて縁起が悪い」とされて「下阪本」に改められました。一方、上坂本地区では文字変更が行われなかったため、坂本地区北部と南部で文字が異なる形になってしまったのです。
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 明智塚の少し南方に天台宗総本山比叡山円延暦寺の支院たる東南寺があります。
 https://www.google.co.jp/maps/@35.0610645,135.875447,18z
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 延暦年間(782〜806)に伝教大師最澄が両親の追善供養と、仏教を文字を知らない庶民への布教の為に戸津ケ浜(トヅガハマ)で開いたのが始まりとされ、比叡山の東南に位置したので東南寺と名付けられました。以後、天台座主(テンダイザス)から直接指名された僧侶が最澄の志を継いで30日間に亘り法華経を解り易く民衆に説法を行う戸津説法(東南寺説法)が行われる事となり、この任務を全うする言が天台座主への登竜門となりました。本尊は釈迦如来と阿弥陀如来です。
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 しかし、元亀2(1571)年9月の織田信長による比叡山焼き討ちによって炎上してしまい、跡地は坂本城二の丸に組み込まれました。天正14(1586)年に坂本城が廃城になった後も廃絶した状態が続いていましたが、寛永15(1638)年に至って高島郡今津にあった一堂を移して再興され、今津堂とも呼ばれる事となりました。戸津説法も再開されましたが、明治維新後は期間が5日間に短縮されています。天台宗僧侶だった作家の今東光(コントウコウ;1898〜1977)も昭和50(1975)年に戸津説法を行っています。
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 千日回峰行を達成し、昭和62(1987)年に比叡山宗教サミットを開催した大阿闍梨(ダイアジャリ)の葉上照澄(ハガミショウチョウ;1903〜89)も東南寺住職を務めた事があり、境内に記念碑が建っています。
 「ひたすらに 謙虚に行ず ただ行づ つゆいささかの はからいもなく 南山」
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 東南寺から少し西へ向かうと旧北国街道に出ます。
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 坂本城のあった当時は二の丸と三の丸の境界になっており、街道沿いに中堀が設けられていました。
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 二の丸の西南隅に当たる街道沿いに城跡碑が建ちます。
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 浄土真宗大谷派西栄山蓮瑞寺です。
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 延暦7(788)年に円教が大間町に創建した天台宗浄願寺が起源で、天正11(1583)年に浄土真宗へ転向しました。
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 元禄16(1708)年に坂本城二の丸跡の現在地へ移転しました。
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 続いて両社川暗渠上の道に沿って西へ向かうと、酒井神社と両社神社が道を挟んで向かい合っています。本来は川を挟んでいた訳です。
 大山咋命を祭る酒井神社〔村社〕です。
 https://www.google.co.jp/maps/@35.061486,135.8755221,18z
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 弘仁元(810)年に梵音堂にあった大きな石から酒が湧き出したことから神意と悟り、御神体として祀ったのが始まりと伝えられています。元仁年間(1224〜25)に穴太(アノウ)村に祭られていた高穴穂神社(禅納大明神)を勧請(カンジョウ)した事で、両社権現や両社大明神と呼ばれる事となりました。室町時代に伏見宮家から「酒井神社」の社号を賜りましたが、元亀2(1571)年の比叡山焼き討ちの際に社殿が焼失してしまいます。しかし、天正12(1584)年に坂本城主となった浅野長政によって天正16(1588)年に再建されました。
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 例祭である「おこぼさん」〔大津市指定無形民俗文化財〕は五穀豊穣を祈願する奇祭として知られ、「まいどこ神事」に用いられる三面の木造仮面〔大津市指定文化財〕が社宝となっています。
https://www.bing.com/images/search?view=detailV2&ccid=2WbqoaBK&id=446CA1F4E3E1C1A148F2ADD5F44BA3A9468791A9&thid=OIP.2WbqoaBKePEAZb5Z8D3HuwHaF7&mediaurl=http%3a%2f%2fwww.biwa.ne.jp%2fkasajima%2fkyoutu.images%2fmen-anime.gif&exph=256&expw=320&q=%e5%a4%a7%e6%b4%a5%e5%b8%82+%e9%85%92%e4%ba%95%e7%a5%9e%e7%a4%be%e3%80%80%e3%81%be%e3%81%84%e3%81%a9%e3%81%93%e7%a5%9e%e4%ba%8b&simid=608045332219432282&ck=25602FC7940C9DC5F90C2D65590AAF79&selectedIndex=6&FORM=IRPRST&ajaxhist=0
 本殿〔滋賀県指定文化財〕です。
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 元和6(1620)年建立の檜皮葺(ヒワダブキ)一間社流造です。
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 境内にある琵琶湖洪水石標〔大津市指定文化財〕には明治29(1896)年の大洪水の最高水位線が明示されています。
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 伊邪那岐命(イザナギノミコト)と伊邪那美命(イザナミノミコト)を祭る両社神社〔村社〕です。
 https://www.google.co.jp/maps/@35.061486,135.8755221,18z
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 当初は酒井神社の境内社でしたが、元和6(1620)年に浅野長政の息子である広島藩主浅野長晟(アサノナガアキラ)が新たに酒井神社を整備した際に分離独立しました。
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 本殿〔滋賀県指定文化財〕です。
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 元和6(1620)年建立(コンリュウ)の檜皮葺一間社流造です。
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 ここから西進すると天台真盛宗西光寺があります。
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 本来は登町の船着き場にありました。
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 さらに西へ向かうとJR湖西線高架の手前に旌忠(セイチュウ)記念碑がありました。
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 明治43(1910)年の建立で、乃木希典伯爵大将の筆になります。
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《続く》
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