mixiユーザー(id:6231411)

2018年06月20日15:26

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地震による学び

有難い話で、色んな人から
「大丈夫やった??」
とのお声掛けを頂いている。

関西に大地震があった、との報を受けての話だが
僕はたまたま、前日に自宅を離れ福岡に戻っていたので
地震そのものは受けずにいた。

家族や母親や身内は被災したわけだが
震源地に比較的近い場所に住んでいたにも拘らず
殆どダメージは無かったようだ。
遠隔地との電話は比較的繋がりやすかったらしく
実家とも自宅ともすぐに繋がって
無事が確認できたのは幸いだった。

まずはお気遣い頂いた皆さんに感謝したいが
僕が福岡に転勤している事を忘れていた人、
ざっくり西日本程度にしか認識していない人、
何だかんだと
「結局、関西の大阪の、って理解できていない人が多いのね」
と改めて知る事になった

別に「知って欲しい」と強く願っているわけではない。
僕が九州に赴任する前に
次に東日本大震災級の海底プレート移動による地震が起きる場所は
「豊後水道ではないか」説を調べたり
熊本地震の震源地の益城町がどの辺りに在ってどんな街並みであるか、とか
福岡西部地震(正しくは福岡県西方沖地震というらしい)では
佐賀も被害があったとかどうとか
そういう興味を持って
「どういう人がどういう風に困ったのか」という点に
興味があれば調べる筈だと思う。

前の日記にも書いたが
当の関西人は、皆さん困ったことは沢山あったが
大きなダメージというよりは
彼らに教訓&安心、油断を齎した複雑な思いがある
大地震だったと思う。

95年の阪神淡路大震災から23年が経過した事で
神戸を中心とした高層建築は殆どが厳しい耐震基準を満たしたものが建てられ
或いは住宅に至っては倒壊の懸念を払うため
壁に対して窓の比率をこれでもかと下げた家ばかりになっていて
地盤が緩いところには基礎からコンクリートを入れるなど
色々する事になって
今回は被害が最小で済んだものだと思われる。

ブロック塀の件についても、
手抜きというより古いアレについては
どこにアラがあるのか、という問題であり
不可避の事故で哀しい事故だとしか言いようがない

家の中だってそうである。
我が家の本棚も新しいものは天井に向かって
ツッカエ棒が付いていてそれを必ず使え!と書いてあったので使っている。
我々はそういう形で震災の度に学んでいき、
あれこれ対策を講じているのである。

しかし、当の市民感覚的にはどうなんだろうか
当たり前のように
不特定多数の要因に対して
平和で安全な暮らしが保証されていて
それが果たされないと「行政の責任」みたいに
喚き散らすような「劣化」を起こしているんじゃないだろうか

動物としての人間や、その集団としての社会の性質
そして我々が住む地球について(大袈裟なら、故郷や日本単位で良い)
もっと知ろうとする意識が欲しいと思う。

震災直後に東京の金町浄水場で
放射性ヨウ素の含有率が急上昇した件があった事を
どれだけの人が覚えているだろうか
あれは福島の原発が原因なのか?
それとも?

東南海地震、南海トラフ地震って
30年以内に発生する確率が70%以上と言われているのだが
それに向けた対策は?
いや、次の震災の時に学ぼうというのなら結構だが
今回、考えるべきだと思う人は策を講じるいい機会だと思う。

いざという時に、自分がどういう行動を取るのか
それを決めておくだけで充分である。
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