ここ数日、ニイニイゼミの声が聞かれるようになった
ニイニイゼミが鳴き始めれば、
梅雨明けは間近だ、と思ったら明けましたね
明けまして、おでめとう
なお、松尾芭蕉の俳句
「静けさや 岩に染み入る 蝉の声」
に出てくる蝉とは、ニイニイゼミだという説が有力。
古典では、現在でいう「静か」という意味のほかに
「一つの音に支配されて、他の音が混じらない」
状態のことも、「静か」と言っていたらしいです。
なので、
滝のそばや工場の中も「静か」ということになる。
さてさて、そんな静けさの中、
少々物憂い気分でいる
……もうすぐ一歳増えてしまう。。。
年を重ねるのが楽しみという考え方もあるが、自分は、
10代後半になり、20、21……となるにつれて、
それがえも言われぬ恐怖に変わり始めたのだ
もしかしたら、中高生の頃、
「反発を覚えていた年齢」に近づきつつあるからかも知れない。
(すでに、尾崎豊的思考は古いと言われていたのに(笑))
反発を覚えていた大人世代……。
なんとかのひとつ覚えみたいに、
人の価値を「使えるか使えないか」で判断し、
自分の価値観に合わないものを
「非常識」として徹底的に攻撃しないと気がすまない。
「これが社会の常識なんだよ」「効率を考えよ」
「使える人間になりなさい」「●●ができなきゃダメだよ」
「普通は……」「常識で考えると……」
…………
右を見ても左を見ても、洗脳された九官鳥の集団みたいに、
みんなが同じようなことを言ってる
そんな状況にも、胃液が逆流するような嫌悪感を覚えたのだった。
「集団になじむことがすべてで、多種の存在を認めない」って、
模式的ないじめでないか?
そんな大人が、
「いじめはいけません」と言ったところで、
ルパンが「ネコババはダメだぜ」というようなものだ。
でも、いくらピーターパンを気取っても
物理的に大人になるのは避けられない
いつの間にか「常識教」に洗脳され、
かつての自分が嫌ってた人間にならぬよう、
以下のことを肝に銘じようと思う。
それは、暇さえあれば深呼吸をし、
「それはあなたが感じたことですか?」
「それはあなたの意見なんですか?」
と、面接官のように冷徹に自問するクセをつけることだ。
「お金をたくさんほしいと思う」
→「それは本当にあなたが感じてることですか?」
「日本の政治は腐ってると思う」
→「それは、あなたの意見ですか?」
「ゴキブリが嫌い」
→「それは、本当に、ホントにあなたが感じたんですか?」
という按配に……。
※自分はゴキブリは別に嫌いじゃないですww
そういえば、
金魚のデメキンやランチュウを広めた人って誰だろう。
デメキンんは、いわば突然変異=異常。。。
それが、いまや誰もが知る人気者だ。
デメキンを広めた人に、畏敬の念すら感じる。
『世に伯楽ありて、然る後に千里の馬あり』
今の世の中、
デメキンをデビューさせる包容力を持った『伯楽』は、
はたして何人いるのか。。。
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