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2024年05月09日07:12

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世界の原理

 スピノザの方法(國分功一朗氏)とアンチ・オイデプスの理論を使用して、無意識の生産過程を示すことができる。円モデルを使用して、幾何学の不動の一点=円の中心には不動の動者=神がいる。フロイトの精神分析の理論では、この中心には決して実現されえない、空虚な世界の中心の規則があり、「抑圧文化的背景」がある。抑圧されているものは「オイデプスの精神分析の理論では欲望されるものとしての『近親相姦』というものがあり、これは決して実現されえない無意識の作動条件である。家族組織は、まず子供によって、<ミクロコスモス>として体験され、次には「成人」となり、社会的なるプロセスの中に投射される=これらのいくつもの条件によって、社会は営まれる。資本主義は政治機能としての「資本主義の理論=貨幣経済によって営まれる。一方、「資本体制に抵抗する市民団体の抵抗」というものがあり、これは市民側の無意識の過程を記すものである。共産側=社会主義制度が崩壊した後に、新しい社会が何かに満たされているはずであるという自分たちの抱いていた希望は無残にも打ち砕かれている。これは社会主義を意味し、急激な私有資本化に抵抗することを目指している。こういった考え方は社会基盤や政治基盤としての生産の無意識的なリビドー備給の過程を示している。社会主義にしても、資本主義にしても、すべては人間の作り出した社会形態であり、オイディプスの中心にある虚無のもので、決して実現されえない夢や幻想のような過程である。家族形態に話を戻すと、「無意識の生産性」として「パパ・ママ」などの呼称は幻想としての教育から始まる。もろもろの人生・波乱し、人種や大陸の生成変化(社会形態や人々の夢を作動させるための条件)を指導されるものを考えること。この意味で、「典型的な始動」とは抑圧=『近親相姦』のような人工的な産物を置換することなしには作動しえないものを探査することである。このような無意識の作動条件を探ることも需要である。なお、無意識については千葉雅也氏の「動きすぎてはいけない』や茂木健一郎氏「クオリア・創造性」という茂木氏の若い時の論文に詳しい。
 國分功一朗氏の「中動態の世界』では文法上の規則によって、動作主=手動主というものを詳しく見ることができる。「II me souvient de mon enfance」(子供時代の日々が思い出される)という構文には 「II]=「それ」(動作主=手動主)は「私に=me]
「思い出させる」という「II=それ」を作動主とする文法がある。無意識=主語がはっきりしないもの=非人称=三人称のものが作動するメカニズムである。こういった文法上の規則によって、意味=「manifestation]=「意味作用=sinifcqation」によって世界を記述することができる。こういった何か無意識的なものによって駆動するもの=例えば、神が天空を司るように、スピノザのような異形の神=「創造神}というもの考えることができる。これは國分功一郎氏によれば「神人同型論」(アントロポモロフィズム)と呼ばれるもので、別の言い方をすると、擬人化(アントロポモロフィズム)とよばれる。要するに、神を人格化してはならないというものである。こういった何か、無意識の形態のようなもの=創造神としての働き鳥や蜘蛛や人間を産出し、川y山や海を形成するもの=これを私は「神型同型論」とする。
 要するに、オイディプスの精神分析の理論のように、あらゆる社会形態=資本主義や社会主義もすべては人間の作り出した夢のようなものである。現代社会においては、あらゆる物流網=道路網の配備によって、無人のトラックなどが走り、無地の倉庫などから、無陣人のクレーンが走り、僅かな人間の手作業やパソコンの中央制御コントロールパネルよって仕事が可能になる。国会も資金調達や様々な貿易摩擦などの解消のために、議員や代議士や外交官などを配備して政治主導をすることになるであろう。様々な物流=道路網の配備によって、社会を配備することができるようになる。自然災害などによる人命救助には最大限の費用を支出し、国の予算の配分関係は国会議員に任せるというような社会が到来するようになる。
 こういった自然や社会形態を駆動する理論もある。
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