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2023年05月03日17:03

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火葬場見学とナイフ購入でカトマンズは充実していた

4月16日(日)

ホテルからカトマンズの住宅街を歩く。
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1時間ほどでパシュパティナートに着いた。
世界遺産に指定されているヒンズー教の大きな寺院だ。

有名なのは野天の火葬場があること。
すぐそばを流れるバグマティ川の川岸にある。

インドのバラナシのほうが知られているけど、あっちは写真撮影が禁止だ。
パシュパティナートは自由に撮影できる。
焼き場に接近して撮ってもいい。
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せっかくだから一つの葬礼に密着して観察と撮影をした。

まず布に包まれた遺体が運ばれてくる。
数十人の遺族と一緒だ。
喪主も含めて全員が平服だ。
喪服などは着ていない。

川の水で湯灌のようなことを行う。
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遺体を指定された焼き場に運ぶ。
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すでに係の人により薪が組んである。
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遺体を担いだ人たちは薪の周りを何度か右回りに回って薪の上に乗せる。
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遺体の上に稲か小麦の藁が被せられる。

遺族代表が挨拶して、やはり右回りに何度か周回して点火する。
この間、遺族の何人かは大声で号泣している。
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火がまわってきたところでほとんどの遺族が帰っていく。
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火は勢いよく燃える。
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焼き場の前に小さな薪が置いてある。
通りがかりの人はそれを一つ火の中に放り込むのが礼儀のようだ。
私も近づいて薪をくべた。
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係の人は火が弱まってきたら適当に加熱剤を足して完全に灰になるまで燃やす。
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薪の上に藁を被せることにより熱がこもって高温になる。
だから死体は骨も残さず灰になる。
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残った灰は箒で川に捨てておしまい。
もちろん骨上げなどはしない。
見届け係の数人の遺族が後始末を確認している。
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最初の湯灌のセレモニーを入れて2時間ほどだろうか。
じっくり観察できてよかった。
葬儀というのはどこの国でも厳粛だ。
そして死体というモノがあるからいつも即物的でもある。

帰りはバスに乗って繁華街のタメルへ行った。
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中国料理屋で肉鍋と青島ビールの昼食をした。
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ダルバート広場にも行ったけど観光客や地元の人たちですごい混雑だった。
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夕食は、名前は忘れたけどツアーガイドさんに案内されて丘の上にある静かなホテルのレストランに行った。
天丼を食べた。
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4月17日(月)

今日も夕方まで自由行動だ。

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適当にぶらぶらと下町を歩く。
地元の食堂に入ってお昼ごはんを食べた。
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店の人は外国人が来たというので最初は緊張していた。
でもだんだん慣れてきて親しくなった。

ダルバート定食が肉入りで350ルピーだった。

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またタメルまで歩く。

ビアホールのようなところに入りビールを飲んでダラダラと過ごす。
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ネパールの刃物であるククリがほしいので探し歩いた。
グルカ兵が持っていて有名になった。
もとは農民が鉈や屠殺に使っていたものだ。

路地を入った見つけにくいところに「ククリハウス」があった。
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店のおやじはかなりのナイフマニアだった。
英語ながら話が弾んだ。

警察官や軍人さんが持っているのと同じタイプのククリを一本購入した。
炭素鋼の鍛造で刃先も鋭い。
ブレードが10インチでかなり大きい。
これで5000ルピーは安かった。

ということでネパールでのすべての目的を果たした。
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夕方、ホテルに戻る。

全員で専用車に乗ってレストランへ行く。
豪華なネパール料理を食べながらネパール踊りを鑑賞した。
さすが大手のツアー旅行だ。
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深夜、トリブバン空港を離陸する。


4月18日(火)

シンガポールで乗り換えて成田に着く。
名古屋に帰ってきたのは22時を過ぎていた。

その後

自宅に戻ってから遅れていた大学の勉強をしていた。
認定心理士の申請もあったし。
やっと少し落ち着いた。

どうして毎日続けて長い日記を書いていたかというと、明日4日からまた家を空けるからだ。
今度は帰ってくるのが5月24日だ。
どこへ行くのかは書けない。
あまり大っぴらにするな、とくにSNSに書くなと言われている。
無事に帰還したらできる限りの報告をするので、またよろしく。

おしまい
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