mixiユーザー(id:330483)

2022年12月14日13:13

623 view

『アバター』を初めて2Dで見た

『アバター』
 
 
続編『アバター ウェイ・オブ・ウォーター』が今週末公開されるので、復習のため前作をDisney+で再見。調べてみると、13年前の公開時に劇場で3D字幕で2回、3D吹替で1回観賞しているので4回目。ただし2Dで見るのも劇場以外で見るのも今回が初めてだ。
 
結論としては、非常に面白い。むしろ3Dという仕掛け無しに見た分、娯楽映画としての面白さをストレートに感じることができた。そして細かな設定やストーリーをほとんど忘れていたことに自分でも驚いた。要するに「ストーリーは二の次で、アクションと映像体験優先の映画だから」ということだが、続編ではナヴィの文化などは、あらためての説明抜きで展開されるだろうから、事前に見直したのはやはり大正解だった。
 
ただヴォリューム満点の面白さであることを大前提とした上で、いささか頭を抱えたりさまざまな苦笑をさせられたりしたことも確かだ。
昔見た時は、ストーリーの骨格が『ダンス・ウィズ・ウルブズ』と『風の谷のナウシカ』を足して2で割ったような借り物であることで評価が下がったが、それはすでに分かり切っていたことなので、今回はさほど気にならなかった。むしろ借り物のストーリーの上に、よくこれだけオリジナルな世界を展開したものだと思う。
 
今回非常に気になったのは、ナヴィの「いかにも大地の民」という感じの描き方。これはモデルとなった先住民族に対する逆差別になってないか? 「スピリチュアル」とか「ロハス」とか「SDGs」とかいった言葉が脳裏に浮かぶ、いかにも意識高い系のインテリが憧れる人と自然のつながり。公開時に見た時は、それが特に気になった記憶はないので、13年の間にこちらの意識も変わったというか、そういう一種の文化的搾取みたいなものに対して敏感になったということだろう。
 
そしてジェームズ・キャメロンは、凝りまくる部分と大雑把な部分の差が本当に激しい。大雑把な部分の一例としては、ジェイク(サム・ワーシントン)たちが基地から逃げるとき、マシンガンで撃たれてもヘリのガラスがまったく割れないので、「すごく丈夫な作りなんだ。これをどうやって攻略したんだっけ?」と思って見ていると、決戦の場では、当たり前のように弓矢でガラスが破られている(笑)。
あの決戦自体も非常に場当たり的で、どちらもただ力押しに押しているだけ。この手の映画の傑作は、決戦前に相手の裏をかくような知略を練って劣勢をはね返すからこそ観客も燃えるものなのだが、『ターミネーター』や『エイリアン2』など他の作品も含め、キャメロンはそういう話術を全く持っていない人らしい。たとえば前述の弓矢の問題なら、ジェイクが「今の矢でヘリに対抗するのは無理だ。だがあの金属(か鉱物)を矢じりとして利用すれば何とかなる」とか言って、急ごしらえで新たな弓矢を作る展開とかあれば、もっともらしい嘘として通用するのに、そういうことをしない。さらに厳密に言えば、あの矢はそれまでのものよりは大型に見える。だから一応は考えているのかもしれないが、その前に何の説明描写もないため、「弓矢で簡単にヘリのガラスが破られた」という強いイメージだけが残ってしまう。大雑把すぎる。
本作においては、本来動かないはずのエイワが動くことで勝利につながるのだが、それはもはや偶然のようなもので、作戦とは言わない。戦いの人為的な部分は、どちらも極めて単細胞な脳筋勝負になっている。

また、私はトゥルーディを演じるミシェル・ロドリゲスという男前女優が大好きで、本作でもずば抜けた魅力を発揮しているのだが、あらためて見ると、軍人である彼女が人類を裏切ってジェイクたちと共にナヴィ側につく展開に、ドラマ的な説得力はまったく無い。仲間に軍人も一人加えておかないとストーリーがうまく転がらないという理由だけで加えられたキャラであることが一目瞭然。続編では、前作で死んだはずのシガニー・ウィーバーとスティーヴン・ラングがシリーズを続投するにもかかわらず、彼女は出演しないことも、それを証明している。そんな風に、登場人物に対しても、思い入れの有るキャラと無いキャラがはっきり区別されていて、思い入れの無い方はストーリーを動かすだけの単なる駒のようだ。
そういう脚本の杜撰さを、全て勢いだけで押し切ってしまうのがキャメロン流。ただ、その勢いと絵の強さが尋常ではないので、何だか凄いものを見たような気分になってしまうのも確かで、その豪腕ぶりはやはり凄まじいものだ。総じて言えば、ジェームズ・キャメロンという人は「演出は超一流、脚本は二流」。彼は『七人の侍』を百回見てから脚本を書くようにすべきだと思う。
 
そして今回は2D映像をパソコン用モニターで見たわけだが、3Dメインで作られた映画の限界と、面白い映画なのにそこまで本作に惹かれない理由の一因も分かった。画面が隅々まで明るいのだ。まるで朝ドラか橋田壽賀子ドラマのよう。つまり「光ばかりで影が無い」。
これは3D映像の技術的制約によるもので、画面を明るくしないと3D効果が得られないどころか、2Dに比べて暗い部分の階調がはるかに不鮮明で何をやっているのか分からない映像になってしまうから。『アバター』の後、そういう3D映画を何本も見せられた。だから3Dメインの映画だと、画面の隅々まで明るく派手な色彩の映像がどうしても多くなり、結果クリスチャン・ラッセンの絵みたいな映像になる。そりゃ私が好まないのも当然だ。
『アバター』以外で3Dを最もうまく活用した作品としては、『ライフ・オブ・パイ』と『華麗なるギャツビー』の2作があり、作品としてはどちらも年間ベスト級の名作だったが、あの2作ですら「影」の表現はあまり誉められた出来ではなかった。
とは言え、以前の3Dブームの頃に比べれば、今は3Dの映像技術も格段に進歩しているはず。たとえば『グリーン・ナイト』や『MEN』のような深く豊かな影が表現できるようになれば、3D映画も表現手法として次のステップに進めると思うのだが。
 
そんな具合に、ジェームズ・キャメロンの良い部分とダメな部分が分かりやすく出たという点でも、『アバター』はもっとも彼らしい作品と言えそうだ。さて、13年ぶりの続編『ウェイ・オブ・ウォーター』はどんなことになっているのやら。

0 0

コメント

mixiユーザー

ログインしてコメントを確認・投稿する

<2022年12月>
    123
45678910
11121314151617
18192021222324
25262728293031

最近の日記

もっと見る