アメリカに1893年設立のSEARS(シアーズ)という誰もが知る大手流通業者があります。どの街にもある百貨店です。
そのシアーズは、1931年にAllstate Insurance(オールステート保険)という子会社を設立しました。この子会社が自動車保険の売上を伸ばす一環として自社ブランド(PB=プライベート・ブランド)でのクルマ販売を目論んでいたところに、ヘンリーJというモデル(本稿0352)の売上不振を販売チャンネル増で打開したかったカイザー社との利害が一致し、1951年11月20日にヘンリーJをオールステート・ブランドでOEM供給する契約が締結されました。
なお、OEM供給とはOriginal Equipment Manufacture(オリジナル製品製造業者)が、他社ブランドで製品を生産してその会社に供給することです。
1952〜53年にカイザーから供給されたのは、"Kaiser"ではなく"Allstate"というバッジを付けていたもののの安っぽくて不評だったヘンリーJそのままのクルマでした。
しかし、2モデル(4気筒と6気筒)5グレード用意されていたことはシアーズの要求でしょう。
シリーズ4と呼ばれた4気筒モデルは、ヘンリーJと同じ水冷直列4気筒SV2199cc(68馬力)を搭載していて、110型(ベーシック)・111型(スタンダード)・113型(デラックス)の3グレードありました。
シリーズ6はヘンリーJでは用意されなかった6気筒モデルで、水冷直列6気筒SV2686cc(80馬力)に3速オートマチック・ギヤボックスが組み合わされていました。
114型(ベーシック)と115型(デラックス)の2グレード用意されていました。
オールステート各車はカイザー・ヘンリーJよりも高級感を売りにしました。例えばトランク。ヘンリーJではコストダウンのためにトランク開口部を設けず、荷物の出し入れは室内からリヤシートの背もたれを倒して行うようになっていたのですが、オールステートではトランクリッドが切られていました(ヘンリーJの荷物の出し入れはあまりに不評のため、1952年モデルからトランクリッドが切られました)。
また内装は材質・意匠とも豪華にされており、外装も特別仕様とされ、タッカーをデザインしたことで知られるAlex Tremulis(アレックス・トレムリス)が手を入れた部分もありました。
しかし、いくら高級感を訴求しても所詮ヘンリーJで、エンジンフード(米語。英語ではボンネット)の下には時代遅れのサイドバルブ・エンジンが搭載されていたために消費者は食指を動かされきませんでした。また、百貨店が満足いくアフターサービスを提供できるのか疑問があったようです。
結果、オールステートの販売は1952年1566台、1953年797台にとどまり、万単位の販売が当たり前(この時代でも)のアメリカでは極めて少数でした。
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