「ひそひそ声と叫び声」の章
パルチザン(連絡係)
「今でもひそひそ声でしか話せないわ。このことはこっそりね。40年以上たっても。」
「戦争のことは忘れてしまった。それと言うのも、戦後もおびえて生きていたのだから。
地獄だった。」
「もう勝利してからで、喜びに満ちているはずのころのこと。
レンガや鉄を集めたりして、町の清掃が始まっていた。昼も夜も働いていた。
いつ寝たのか、何を食べたのかも覚えてないわ。」
「9月のこと、その日も私はバルコニーで洗濯物を干していた。白いシーツを。
母がせっけんの代わりに砂を使って洗うことを教えてくれたの。
砂を取りに小川に降りて行こうと思っていた。」
「そこに夫が、私のイワンが、大事な私のワーネチカが戻ってきた。
前線から戻ってきたのよ、生きて。私は夫にキスして、手で確かめた、なでまわした。」
「彼は石のよう。ボール紙でできたように動かない、にこりともしない。
私ははっとした。きっと脳挫傷をやったんだわ、もしかして耳が聞こえないのかしら?
でも帰ってきたんだもの、面倒をみるわ。世話を焼くわ。
私の足は幸せでふらついて、がくがくしている。夫が生きている!」
「近所の人がたちまち集まってきた。みんな喜んで、抱き合っている。
ところが彼は石のようになって、黙りこくっている。みんなそれに気づいた。
「家に入ろう」「そうね入りましょう」うれしくて!私は喜びと誇らしさでいっぱい。
彼は部屋の低い椅子に腰かけて、黙ったまま」
「翌朝、彼は連行されました。朝、戸を叩く者が来たんです。
夫はタバコを吸って待っていた。もう、知っていたのよ。」
「彼はルーマニア、チェコにいたことがあって、褒章をもらって帰ったのに、
戻ってくるときは恐怖にとらわれていたの。
返ってくるまでにももう尋問されて、2回も国の取り調べを受けていた。
もと捕虜という烙印を押されたの。戦争が始まったばかりの数週間に
スモレンスク近くで捕虜になって、その時ピストル自殺すべきだった。
夫はそうしようとした、私にはわかるわ、そうしたかった、と。
ただ、軍隊の弾丸はたちまち尽きてしまい戦うのもやっと、自殺に残すどころじゃない。
彼が見ている前で、軍政治委員は石に頭をぶつけて自殺した。」
「ソ連の将校は降伏しない、わが国で捕虜になった者はいない、生き残った者は
裏切者だ」
「同志スターリンはそう言って、捕虜になった自分の息子を拒絶したほど。
捜査官たちは彼を怒鳴りつけました。「どうして生きてやがる!」
彼が生き残れたのは捕虜の身で脱走したから。
ウクライナの杜でパルチザンのところに逃げ込み、ウクライナの解放の時には
前線に志願して出たの。チェコで勝利記念日を迎えました。」
「夫は7年たって戻ってきた。戦争の4年間、勝利のあとも7年待った。」
「私は沈黙することを覚えた。「夫はどこにいるのか?」「父の職業は?」
どんな身上調査書にも必ずある質問。「身内に捕虜だった人がいますか?」
学校の用務員として採用してもらえなかったわ、私は人民の敵になったの。
裏切り者の妻に。戦前は学校の教師だった。戦後は建築現場でレンガを積んでいた。」
「今は何でも話せる世の中になったわ。私は訊きたいの、誰のせいなのかって。
戦争がはじまったばかりの何か月かで何百万もの兵士や将校たちが捕虜になったのは
誰の責任なのか知りたいの。戦争が始まる前に軍の幹部たちを抹殺してしまったのは誰?
赤軍の指導者たちを「ドイツのスパイだ」「日本のスパイだ」と中傷して
銃殺してしまったのは、赤軍の指導部をつぶしてしまったのは誰なの?
ヒットラーの飛行機や戦車が相手なのに、騎兵隊をあてにしてたのは誰なの?
「国境はしっかり守られている」と国民に請け合ったのは誰??
戦争が始まってすぐから弾が足りなかったのよ。」
「訊きたい、もう訊けるわ。私の人生はどこへ行っちゃったの?
でも私は黙っている。夫も沈黙している。今だって怖いの。
恐怖のうちにこのまま死んでいくんだわ。」
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