主役に抜擢した高槻が交通事故を起こし、縁起もうまくいかず、女(共演者)との恋愛ごっこにばかり長けている。
それにうんざりした、家福は、広島市内をドライブする。みさきの案内で、ゴミ焼却場へ行く。知性派モダニスト谷口吉生の設計による建物は、広島の平和の軸線(原爆ドームと平和公園)を結ぶ軸線を建物で止めずに、海にまで伸びるように、吹き抜け空間を作る。
そこで、強烈なシーンが登場する。巨大なクレーンがゴミを鷲掴みにして持ち上げ、移動する。
ガラス窓の向こうにいる家福は、巨大なクレーンに比べると、とても小さく見える。
ゴミは魔物であり、彼に覆いかぶさる妻の圧倒的な存在。
しかしみさきは、その大量のゴミを、雪のようだ、と言う。そのことで、クレーンの巨大さも相対化されてしまう。
家福たちの歩く見学コースからは、ゴミが焼かれるところも見える。家福は無意識に、その様を見る。
「火」は、物語の水面化にあったものでもあったが、みさきがタバコを吸うことで、小さくその存在を示してもいた。
ここで画面中央に登場し、はっきりと存在が示される。
それは妻の火葬への道筋であり、妻との出来事が、これから昇華、止揚され、本当に自分のものとして消化され、体験として乗り越えられていく契機となる。
・・・・・・・
この「海へ続く軸線」で、二人が交わす会話には、重要なことがいくつも含まれている。
みさきの年齢が23歳であること。それは4歳で命を全うした家福の子供が生きていたら到達しているはずの年齢。
海に面した階段と歩道で、二人はタバコを吸う。ここで家福は、妻の死について語る。
みさきはその全てを受けとめて、その上で、「この車が好きだ」と言う。
テープの音の声も、「怖くないです。むしろ・・・」と妻への共感を口にしようとする。そこへフリスビーが転がってきて、みさきはそれを遊んでいる人(と犬)に向かって投げる。
この時、舗道と階段は、大きく斜めに配置され、右上から左下にラインが入る。上にあるのが海であり、下にあるのが階段と舗道。家福は海の側にいて、みさきは陸地側にいて、動物の方へ向かう。
まだ家福は海(巨大な無意識)の方にいる。
とても積極的な言葉を言った後、「行きましょう」と言い、この会話を切り上げるのはみさきで、家福は彼女の後について歩いていく。その先には陽光がある。
この後のシーンで、わーにゃが語る、これからの人生をどう過ごしていくのか、と言うようなセリフがあり、家福は外の明るい景色を見て「いい天気だ」と言う。
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